第九話 休息
「さぁ、リリア。もう大丈夫だから拘束を解いてあげてくれ」
「かしこまりました」
リリアが軽く指を動かすと、紡の身体を縛っていた“見えない何か”がふっと消えた。
急に体が軽くなり、紡は思わず息をつく。
(……動ける……)
グウェンが紡の顔を覗き込むようにして、優しく声をかけた。
「どこか痛いところはあるかい?」
その声は驚くほど柔らかく、まるで幼い子どもに話しかけるようだった。
「……はい。今はもう大丈夫……です」
「よかった。ここまでつらかっただろう。よく頑張ったね」
そう言って、グウェンは紡の頭にそっと手を置いた。
その仕草はあまりにも自然で、あまりにも優しくて――
紡は反射的に肩を震わせ、後ずさった。
「っ……!」
頭を撫でられるなんて、いつ以来だろう。
いや、それ以前に――
この世界に来てから、誰かに“優しく触れられた”のは初めてだった。
胸の奥がざわつく。
逃げたいわけじゃないのに、身体が勝手に距離を取ってしまう。
――そして違和感に気づく。
(……俺? まだ“逃げてる”…?)
グウェンは驚いた様子も見せず、ただ静かに微笑んでいた。
「驚かせてしまったね。すまない」
その声は本当に優しくて、
けれどどこか底知れない深さを秘めていた。
「あ……あの……さっきので……その、悪い“縁”っていうのは切れたんですよね……?」
「あぁ、元は断ったから君を縛るほどの効力はなくなっているはずだよ。
でも……すまない……君の“縁”は複雑に絡み合ってしまっていてね……
すべてを取り除くことはできていないんだ……」
グウェンは申し訳なさそうに眉を下げた。
「だが、少しずつ絡まった“縁”をほどいていけば、残りを取り除くこともできる。
申し訳ないが、僕の仕事の合間にすることになるから……
しばらくはここの施設に残ってもらうことになるけど……いいかな?」
そう言って、尋ねるように首をかしげながら手を差し出してきた。
――同意するなら手を取れ、ってことか……?
(他に行くところもないし……断る理由も……ないか)
紡は少し考えたが、グウェンの手を取った。
「……わかりました。しばらくの間お世話になります……」
グウェンはほっとしたように、柔らかな笑顔を見せる。
「さぁ、アマノ君。
君も突然いろんなことが起きて、わからないことだらけだろう。
一つずつ説明をしてあげたいが……今日は疲れただろう。顔色が悪い。
もろもろの説明は明日、改めてするよ……ネロ」
グウェンは後ろに控えていた褐色の少年――ネロに声をかける。
「はい」
「アマノ君を客室に案内してやってくれ。それから、食事もとれていないだろうから
何か軽いものを用意してあげてほしい」
「かしこまりました」
ネロは丁寧に頭を下げると、紡に近づき、冷たい声で言った。
「おい、お前。ついてこい」
グウェンの柔らかさとは対照的な、刺すような声だった。
言われるがままにネロについていく。
すれ違いざま、ここまで紡を連れてきたレオン、カティア、エイラは申し訳なさそうに頭を下げ、
リリアは優しい笑顔で軽く会釈した。
カツ、カツ、と俺とネロの足音だけが廊下に響く。
歩いている途中で、自分の身体が驚くほど軽くなっていることに気づいた。
(……本当に……軽い……)
胸の奥を締めつけていた“逃げろ”の衝動が完全に消え、
息をするだけで苦しかったあの感覚が嘘のように消えている。
思わず胸に手を当てる。
その仕草を、ネロは横目で鋭く睨み、小さく呟いた。
「何も知らないで……呑気な奴だ。こんな奴のためになぜグウェン様が……」
「え……?」
紡が聞き返す前に、ネロはそっぽを向いた。
「お前みたいな得体の知れない奴が……あの方の手を煩わせるな」
その声には、抑えきれない苛立ちが滲んでいた。
(……あの方……?
もしかして……グウェンさんのことか……?)
ネロの視線、表情、漂う気配――
どれも“ただの上司への忠誠”ではない。
何か得体の知れない狂気を秘めているようで、紡はゾクリと肩を震わせた。
ネロはフンと息をつき、
「早く来い」
とだけ言って歩き出す。
紡は黙ってその後を追った。
体は軽くなったのに、空気は重い。
めちゃくちゃ重い。
そんな空気のまま、ネロは一つの部屋の前で立ち止まった。
「ここだ」
短く言い放ち、扉を開ける。
ネロの目が「早く入れ」と言っている。
紡は小さく息を呑み、気まずい沈黙の中で部屋へ足を踏み入れた。
部屋の中は簡素だが清潔で、
柔らかそうなベッドが一つ置かれている。
紡はその光景を見て、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
だが、ネロの視線は冷たいままだった。
「……調子に乗るなよ」
「え……?」
紡が振り返ると、ネロは表情ひとつ変えずに続けた。
「お前がここにいられるのは、グウェン様が“そう決めた”からだ」
刺すような声音だった。
紡は言葉を失う。
ネロはさらに一歩近づき、低く囁くように言った。
「……あの方にこれ以上、余計な手間をかけさせるな」
その目は、怒りでも嫉妬でもない。
もっと静かで、もっと深い――“執着”のような色をしていた。
紡は思わず息を呑む。
ネロはそれ以上何も言わず、踵を返した。
「……食事は後で持ってくる。勝手に出歩くな」
冷たい声を残し、扉が閉まる。
部屋に静寂が落ちた。
紡はしばらく立ち尽くしていたが、
ふと、身体の奥からどっと疲れが押し寄せてきた。
胸の痛みは消えたはずなのに、
心の奥だけが妙に重い。
ベッドに手をつき、そのまま倒れ込む。
柔らかい布の感触が背中を包み――
ようやく紡は息を吐いた。
(……疲れた……)
瞼が重くなる。
身体は軽いのに、心はずっと走り続けた後みたいにぐったりしている。
(……少しだけ……寝よう……)
意識がゆっくりと沈んでいった。
閲覧いただきありがとうございます。
やっといろんなキャラ動かせて楽しいです
今後もよろしければ閲覧いただければ幸いです。




