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そして啄む

作者: 赤石行孝
掲載日:2025/12/14

 死にたい。

 別に、大した理由があったわけじゃない。


 この平和な国で、学生として何不自由なく暮らせている。

 それだけで恵まれた立場だろう。

 生きたいと願いながらも命を失う人々が、余りにも多いこの世界で。

 死にたいと思ってしまうことの如何に罪深いことか——。

 理解しているつもりではある。


 だが感情というものは、如何ともし難いものである。

 他人からすれば、命を失うに足る理由にはなり得ないとしても。

 ただ死にたいと思ってしまうのは、どうしようもないことなのだ。


 たとえば親子関係。

 世間では親ガチャがどうのと言われたりもするが、うちは実に真っ当な親である。

 この高校だって私立校だ。高い費用を、何も言わずに払ってくれている。

 いや、まぁ、何を以て「真っ当」とするかは凡そ人に依る処で。

 仮に学習費が自己負担だとしてもだからどうだ、と言う気はないが。

 しかしうちの親をして、「真っ当ではない」などと言った日には、おそらくバチがあたるだろう。

 然るにきっとうちの親は、真っ当な親の筈なのだ。


 だから其処に不満はないのだ。

 高校に通わせてくれていることも、食事を作ってくれることも。

 将来ああしろこうしろだとか何も言ってこないことも。

 感謝している。

 其処に嘘はない。

 愛してもいる。

 其れも嘘じゃない。

 そしてきっと、ありがたいことに、愛されてもいる。

 だから。

 不満はない。


 たとえば友人関係。

 性格の悪い者なんて周りにはいない。

 皆、勿論多少の隠し事などはあるだろうが、騙したりなどは出来ない人間達だ。

 日々何気ない会話で盛り上がり、それなりに悩みを抱え、時に打ち明け、解決の道を共に探る。

 稀に喧嘩もするが、やがて分かり合い、考え方への理解を深めて互いを尊重する。


 此処にも不満など有りはしない。

 能力への嫉妬もある。

 立場への憧れもある。

 だが嫉妬や憧れは原動力となる事を知っている。

 愛しているし、愛されている。

 私が彼女らにこの願望を洩らした日には、叱責されてしまうであろう程には。

 やはり、不満はない。


 たとえば国家。

 たとえば世界。

 思うところはないではないが。

 明確な不満があるかと言えば、私にはない。

 そんな立派な事を宣えるならば、きっと死にたいなんて言っていられない。


 でも、あぁ。

 だから、そう。

 不満なんてないのだ。

 私を構成するモノも。

 私を取り巻く全ても。

 何も不満が生まれる点はないのだ。

 でも考えてみるならば。

 きっとソレが不満なのだ。


 変わり映えのしない日常が。

 私はきっと不満なのだ。

 恵まれたこの環境が。

 どうしようもなく不満なのだ。

 そして其れを捨てることなんて、私には出来はしないのだ。

 ソレが何よりも不満なのだ。


 だから死んでしまいたい。

 足元に広がる橙色に、とっとと飛び込んでしまいたい。

 この橙に身を投げ入れれば、きっと赤に変わるだろう。


 でもそれもできないのだ。

 この校舎の屋上から、グラウンドへ飛び降りたとして。

 果たして無事に死ねるのか。

 両親はどう思うのか。

 飛び降り自殺は痛いと聞く。

 他人にぶつかってしまいやしないか。

 色々なことが頭を巡って、一歩も足が動かない。

 そして動かない事にホッとする自分もいる。

 あぁ、なんだ。

 そこまで追い詰められてやいないじゃないかと。


 ならばきっと、今ではないのだ。

 少なくとも今ではないのだ。

 いいや、きっといつまで経っても「今」ではないのだろうけど。

 そんな時は来ないというか、きっと無いのだろうけど。

 命をどうこうして良いタイミング、なんてモノは。

 わかっている。

 わかっているとも。

 だから飛び降りなかったじゃないか。

 今日も、昨日も、一昨日も。


 そして明日も明後日も。

 きっと私は飛び降りない。

 手首を切らないし、首を吊らないし、薬を過剰に飲んだりもしない。


 でも、あぁ、死にたいとは思う。

 どうしようもなく死にたいと思う。

 そう思い続けて、かれこれ17年間生きている。

 思い始めたのはいつ頃だったか、しっかりと思い出せないけれど。

 だってそれはそうだろう。

 大した理由もないのだから。


 私の心に巣食ったこの願望は、育つことこそないが消えもしない。

 ずっと心の中枢に、我が物顔して居座っている。

 口先だけじゃない。

 心の底から思っている。

 でも行動には移せない。

 だからこう言った方がいいだろうか。


 いつ死んでも構わない、と。



 そんな風に、思っていたんだ。

 ある日崩れた天気の中、屋上へ出るのすら憚られて、君の——

 「雨が止みませんね」なんて。

 そんな言葉を聞くまでは。



 時が経った。

 とても経った。

 橙は黒に変わっていた。

 そしてこの間、18本の並んだ蝋燭の火を消した。


 空には円い月が出ていて。

 思い返せばあの時は、下しか見つめていなかった。

 随分な心変わりだと笑われるだろうか。

 芯のない女だと呆れられるだろうか。

 でもきっとそんなものなのだ。

 何せ、大した理由なんてなかったのだから。


 いつかこれすら不満に思う日が、またやってくるのだろうか。

 あぁ、あってもおかしくはない。

 だって大した理由はないのだから。

 でもその時にはまたきっと、君が察してくれるだろう。

 だからあまり心配はしていない。

 こんなにあっさりと変えられてしまったのだ。

 また変えてくれると信じている。


 君が変えられないとしても。

 君との間で変わっていくと信じている。

 君との間で生まれるものが。

 変えてくれると信じられる。


「先輩! 月、綺麗ですね!」


 あぁ——君がそれを言うのか。

 私から返す言葉を奪っておいて。

 ならば仕方ない。

 そう、仕方ない。

 言葉を奪われてしまったなら、態度で返すほかないのだから。







なんだかんだと生きておりました。

私に彼女のような変化はないけれど。

それでも日々を過ごしております。


今回は「死んでもいいわ」なんて、言えなくなった女の子のお話です。

そのテーマを書きたいためだけに、手癖で飾って短編にしました。


彼女は恋愛でしたが、世の中それ以外でも、生きているうちにいつか変化があったりします。

この思いつきの文章が、もし誰かの日々の小さな変化になれば、幸いです。


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