③ー因縁の舞踏会
「ルシアン、もう私が教えられることはないわ」
セレノアの書庫で、ルシアンに言った。
ルシアンは淡々と応えた。
「そうですか。ではこれから独学で知識を広げます」
(13歳で、王国の宰相顔負けの知識を持っているのに、まだ上を目指すのね)
ルシアンの素質がここまでとは思わなかった。彼がそれだけ努力をしているのは知っていたが、天才と言う言葉が頭に浮かぶ。
「最近、武術も学んでいるそうね?」
「はい。剣術だけでは心許ないと思いましたので」
ルシアンは2年前、帝王学を学ぶと決めた頃から剣術にも力を入れていた。
つい先日、王国内で唯一ソードマスターの称号を持つ騎士と引き分けたと聞いた。周りも皆驚き、畏怖の対象として見始めた者もいる。
「ルシアン、目立ちすぎても良くないわ。王宮の監視の目が強くなるわよ」
ルシアンの涼しい目もとが少し動揺した。
「あ····、そうですね。気をつけます」
その日の夜、晩餐中に大公が言った。
「セレノア。王宮でのデビュタントだが、エスコートが王太子に決まった」
「父上、その件は···!」
声を荒げたのはルシアンだった。子供ながらに冷静な彼が珍しいことだ。
「落ち着きなさいルシアン。君の希望は聞いていたが、成人していない君にエスコートは出来ない」
この国の成人は16歳。成人の1年前に、王国に属する貴族の令嬢はデビュタントを行う。
(ルシアン、私のエスコートを申し出ていたの?王太子から守るために?)
セレノアは嬉しくなった。前生でもエスコートは王太子がしたが、それはもう最悪な思い出だ。終始不機嫌な顔をしているし、まさかのファーストダンスも拒否され、謁見が終わるとサッサと何処かへ消えてしまった。1人残されたセレノアは、中傷の的になった。
しかし今生では、セレノアを侮る貴族はいない。大公家で一部の事業も任されるようになった有能な公女を、王太子も無下にはできないだろう。
「大丈夫よ。ルシアン。私も護身術は身につけているもの。いざとなったら再起不能にしてやるわ」
拳を握りしめる娘に、大公は不安そうな表情をし、夫人は嘆いた。
「立派になってくれたのは嬉しいのだが」
「淑女の言葉ではないわ····」
「姉上の実力では不安が残ります」
みんなそれぞれセレノアに意見を述べた。
ーーーーーーー
デビュタント当日、セレノアは騎士を連れて王城へ1人で訪れた。普通はエスコートする男性が邸宅まで迎えに来るはずだが、王太子の性格上それはない。
広間への入り口に王太子は腕を組んで立っていた。
「遅いぞ····」
王太子はセレノアを見ると、少し動揺を見せた。
「お前、セレノア·グレイスか?」
失礼な物言いに、思わず言い返したくなったのをグッとこらえ、セレノアは王太子に挨拶をした。
「王国の陽光、エストラード王太子にご挨拶申し上げます。グレイス大公家長女、セレノアが参りました」
美しいカーテシーに、周囲の人は見惚れている。
王太子も例外ではなく、口元をにやりと歪ませ近付いて来た。
「久しぶりだな。3年ぶりか?どうして顔を見せなかった!」
(あんたに会いたくないからだけど)
セレノアは王太子を冷ややかに見た。前生で美しいと思った絹のような金髪も、王家特有の紫眼も、何も心に響かない。なぜ前生の私はこんな大したことない奴に一瞬でもときめいたのか?完全に黒歴史だ。
今生ではルシアンと身近にいるからだろうか?美しさだけを取っても、ルシアンの方が遥かに上じゃないか。
(ルシアンと王太子を比べるだなんて、ルシアンに失礼ね)
ルシアンを思い浮かべると、王太子と居る苦痛が少し和らいだ。
王太子の自分へ対する賛辞の言葉を右から左へ受け流し、セレノアは入場した。
「エストラード・レグナント王太子殿下と、セレノア・グレイス公女殿下のご入場です」
王太子とセレノアは、会場をまっすぐ進み、壇上にいるレグナント王の前に出た。
「王国唯一の光、レグナント王にご挨拶申し上げます」
2人は共にお辞儀をした。
「顔をあげよ」
セレノアは上げなくない顔を上げた。
「ふむ。そなた大公には似ておらぬな?夫人に似て美しくなった。そなたが王太子妃になるのが楽しみじゃ」
ゾワゾワと怖気の走る物言いに、セレノアは努力して微笑みを貼り付けた。
(姪に気持ち悪い視線を送るな)
絶対に婚約などしない。レグナント王のぶくぶくと太った体躯を見上げ、何か言おうと思ったが、やはり辞めて視線を下げた。
「ふむ。性格は夫人に似ておらぬようだな。面白くない。下がりなさい」
セレノアは更に頭を下げて、壇上を降りた。
(お父様が何故不利な反乱をしたのか気になったけど、レグナント王の母様に対する言葉は少し異常だわ)
父が王家に歯向かったのは、母を守る為でもあるのかもしれないとセレノアは思った。
しばらくすると、ダンスの曲が流れ始めた。
王太子がセレノアに手を差し出すと、セレノアは膝から崩れた。仕込みどおり、ヒールを自ら折ったのだ。
「あっ、王太子殿下、申し訳ありません。ヒールが折れてしまいました。どうぞ私のことは気にせず、他の令嬢とダンスをお楽しみください」
少し長いセリフを一気に吐いて、流れるように中庭に逃げ出した。
セレノアは折れたヒールで器用に進み、噴水の広場まで来た。
「ここまで来ればいいかな」
「ー待て!セレノア·グレイス」
セレノアはギョッと振り返った。王太子が追い掛けて来たのだ。これは想定外だった。
王太子は大股で近づき、セレノアの腕を掴んだ。
「ハッ、こんなことで逃げたつもりか?お前、婚約を拒んでいるそうだなー何故だ?」
セレノアは手を振り払おうとしたが、思いの外強い力に、振り払うことが出来ない。下唇を噛み、王太子を睨んだ。
「ー殿下、私は婚約を結ぶつもりはありません。何度も申し上げているはずです」
令嬢から向けられたことのない敵意に、王太子は顔を赤くした。
「ーっお前!何だその目つきは」
前回の生で殴られた記憶が蘇り、セレノアは息が詰まった。手が震え、痛みを覚悟して目を瞑る。
王太子の振り上げた手が見えたものの、痛みが来ない。セレノアが目を開くと、目の前に漆黒に光る髪が見えた。
「王太子殿下、淑女に手をあげるなど、紳士の振る舞いではありません」
13歳の少年から発したとは思えないほど、低い声だった。王太子の腕を掴んだルシアンの手は、血管が浮き出て握られた王太子の腕は青紫になっている。
王太子が咄嗟に捕まれた手から逃れようと暴れたので、ルシアンは自ら手を離した。
王太子は痛む腕を手で抑え、ルシアンを怯えた眼で見た。
(何だこいつの力は、子供の力ではない)
「姉上は体調が悪いようです。ヒールも折れていますし、このまま帰ることをお許しください」
ルシアンはそう言うと、王太子の返事も聞かずにセレノアを抱き上げた。
自分より小さな身体にヒョイと持ち上げられ、セレノアは固まった。
(なっ···ルシアンのどこにこんな力があるの?)
少し歩いたルシアンは、ふと振り返り王太子に言った。
「殿下は、あまり祝福を受けなかったようですね」
その言葉に王太子はみるみる顔を赤くしたが、何も言わず追っても来なかった。
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