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杏の霊譚  作者: ビスコ
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人間の『三欲』は何だか知っているだろうか?

食欲(これはすぐ思いつく)・性欲(ちょっと意外な感じがするが)・そしてもう一つが睡眠欲だ。

性欲だけは理性で抑えられそうな気もするのだが、睡眠はどうしても我慢できない事があるのはみんな覚えがあると思う。

学校の授業中とか法事でお坊さんのお経を聞いている時とか。

眠ると夢を見る事がある。大半はすぐ忘れてしまっているが、勿論いつも楽しく明るい夢を見る訳ではない。寧ろ悪い夢の方が多いと思う。

僕の場合は解らない問題ばかりのテストとか車のブレーキが効かないとか…冷や汗をかいて目覚めたり、好きな相手を前にして違う名前を呼んで青ざめたり、階段で思い切り滑ったり…沢山あるな…悪い夢…


…話がそれた。

人間の三欲の内2つが絡む話を。


あれは大学二年の夏休みのある日の事だ。大塚から電話があったんだ。


「高山、来てくれぬか?」


夏期講習の講師のバイトが終わった直後の事だった

「相変わらず唐突だな。怖いのはごめんだ…ぜ…って切れてる」


自分の用件だけ言って切るなんて。なんてヤツだ と思いながらも自転車を飛ばして黄梅院に向かった。


引き戸を開けて第一声で聞いてみる

「なんだよ?」


「おー高山、お疲れ。まぁ座れ」

僕はいつもの様にカウンターの左端に座る。


「ぬし、好きな女はおるか?」


「…急になんだよ?そんな事はだな…」

なんで恥ずかしい事をいきなり聞くんだよ…


「好きな女が毎晩夢に出て来たらどう思う?」


「お前、僕の答え聞く気ないだろ…まぁいいや。嬉しいと思うだろうよ。」


「では得体のしれないのが毎晩夢に出て来たらどうだ?」


「そりゃ嫌だろ。てか、みんなそうなんじゃないのか?得体の知れないのが好きなヤツはいないだろ」


「毎晩現れては怖い夢を見る…可哀想だと思わんか?」

真剣な顔をしてこっちをじっと見る。


「う…ま、まあな。」


「ん。そうであろう。放ってはおけぬよな。では行こう。」

いつものチェックのリュックを手に立ち上がる


「ちょっと待て。なぜだ?どうして僕が行かなくてはならないのか説明してくれ」


「ぬしは放っておけるのか?女の子が朝目覚めて思い出し、さめざめと泣いて苦しんでいるのを見殺しにするのか?」


「…解りました。行きます。」


「ん。では参ろう。」

いつものパターンだ。


ストレートな性格なんだから普通に付いて来て欲しいって言えばいいのに…


いつもの黒いセダンにのって出発。

今日の目的地は市内のマンション。1LDKの単身者向けの建物だ。

インターホンを押すと中から女性が出て来た。大きめな白いシャツとホットパンツ姿。セクシーだ。美人なんだけど…隈が酷く疲れている様だ。手には包帯が見える。痛々しい。

中に通して貰って挨拶をする。Eと名乗った。


ソファーを勧められてお茶を出してくれた。

変わったお茶だ。赤い。ハーブティーなんだそうだ。

部屋は整然と片付けてあって、置いてある調度品もなんだかエキゾチックで品のいいものばかりだ。飾り燭台や香炉なんかもある。

仄かに香の香りが広がっている。

香は種類によって心を落ち着かせたりするから焚いているのか…


ゴブラン織りのソファーにちょこんと座った大塚が話し始める

「お電話でお聞きしたようにやはり夢に出てきますか?」


僕には何のことやらさっぱり解らない。


「はい…。良く夢にみるな…と思うくらいの人で、

顔は解らないのですが黒い法衣みたいなのを被っているんです。

最初は遠くにちらっと見える位だったんですが…見る度に段々近づいて来て、最近は…眠るのが怖くて1日数時間でも眠れたらいい方で…」


「傷はどうですか?」


「最初は腕と胸に十字架の様なキズが。その頃から段々酷くなって…」

そう言って写真を見せてくれた。

写真には腕に十字架の様な赤いみみず腫れが映っていた。


女性は向こうを向くとシャツを脱いだ。

そんなっヤバい。目を逸らすべきなのか?おろおろしてる間にスルリとシャツが落ちて白い背中が露わになった。背中の右の肩甲骨の辺りから左の脇腹付近まで斜めに三本のキズが深々と付いている。

中央部は手が届かないからか血が付いて乾いている。

何か尖ったもので引っ掻いた様だ。


女性はシャツを着てこちらを向いて話を続けた。

「背中は一昨日です。その前は鎖骨から胸にかけて…最初は腕を強く掴まれた跡があったり、肩を叩かれた跡があったりする程度だったんですが…段々酷くなって。

一昨日は長い金属の爪みたいなものの付いた指で襲われた夢をみたら背中に…」


「聞きにくいんだけど性的にも?」


「…はい」恥ずかしそうに目を伏せる。


えっと…それは現実の話じゃないの?夢で?



Eさんがシャワーを浴びに行ってから大塚に聞いてみた。


「恐らく夢魔だ」


「むま?」


「ナイトメアだ。しかも夢の中で起こった事が現実になるのだ。」


「そんな映画があったよな…黒い帽子に金属の爪…あれも寝たら襲われてたな…」


「それじゃ。中世ヨーロッパではインキュバスと言うのが男の姿、サキュバスと言うのが女の姿の夢魔だ。ドイツのアルプというのは動物の姿で現れるという。Eさんの場合はインキュバスであろう。…後から詳しく聞くが、本来は理想の異性像として現れるはずなんだ。夢に出て来て淫靡な事をするのだ」


「何の為に夢に出て来てエッチな事をするんだ?」


「それは悪魔の子供を造る為だ。夢魔にはそういう機能は無い。夢の中の人を利用して造るのだ。だから基本的には性的な事のみだ。」

「…ちょっと待てよ。悪魔の子供が出来るってどういう事?」


「詳しくは知らぬが…」


Eさんがシャワーから戻ったので二人の話しは中断になった。

大塚の指示でEさんはそのままベットへ。

僕らは隣のダイニングに移動する。何か異変があれば駆けつける手筈だ。


小声で会話する

「なぁ、何で僕を呼んだんだ?」


「一人だと眠くなると困るであろう」


「…」


「半分は冗談だ。残り半分はもし霊的なモノなら、ぬしに湧き出る感情を教えて欲しい。あと暴れ出したら取り押さえて欲しい。」


「…解った」


二人でダイニングの食卓に向かい合わせで黙って座っているとなんだか落ち着かない。下らない話しでもしたいがEさんの睡眠を妨げる訳にもいかない。

退屈だ。

時計は零時を回った。


何だか眠い…


「…う…うあ…」

隣から声がした

大塚と二人で寝室に入る。

Eさんは玉のような汗をかきながら魘されている。


僕の頭の中に声が響く

『アクマアクマアクマ…』


Eさんの上に居た


なんだありゃ


黒い物がそこに漂っていた。人の様な形…

その黒いものはEさんの上にのしかかって居るように見える

黒いのの一部が少し延びてEさんの首の辺りに延びる。


「夢魔ではない!」

大塚は言うと除霊を始めた。



黒いものがEさんの中に入って行くように薄くなっていく。すると急に起き上がり服を脱ぎ始めた。

目は閉じていて眠っているように見えるが…


裸になると床に崩れる様に倒れた。

最初は小刻みに震えていたが次第に動きは大きくなり狂った様に暴れ始めた。

ベットサイドにある小型の本棚に当たって本が床に散らばる。

「高山!押さえろっ!」

大塚は毛布を投げて寄越してそう言った。

僕は裸のEさんに毛布を被せて押さえつけた。

女性とは思えない程の力で暴れる。

大塚の真言の声が大きくなる。「キ…アア…アアア…」

毛布の下から小声だが嫌な声がする。


どの位経ったのだろう毛布の下が静かになった。

大塚の声もしなくなった。

顔を上げると

「終わったぞ。ぬしはダイニングに行け」と大塚は難しい顔つきでそう言った。


暫くしてダイニングに戻ってきた大塚はテーブルに着くと大きなため息をついた。


「なぁ、あれって?」


「夢魔ではない。」


「じゃあ霊?」


「ああ生き霊であろうな」


「誰の?彼氏とか?ストーカーとか」


大塚はひらひらと手を降って

「あれは自分だ」


「?」


「解らんだろうな。あの者は自ら望んでああなっておるのだ。こんな話を知らんか?

催眠術で『熱く焼いたコテをあなたの腕に当てます』と言って指を置くと火傷の様な跡ができたりするって。

要するに強い思い込みが体に出やすい体質な人だと身体にも影響を及ぼす事があるのだ。写真を見せて貰ったであろう。あれは十字架ではない。逆十字架だ。恐らく強い思い込みから現れたのだろう。」


「あの背中のキズもか?」


「いや、あれは自分でつけたのだ。覚えておらんだろうがな」


「手が届かないだろ」


「蝋燭立てだ。長い金属で出来たやつで三本の蝋燭を立てる所に釘が出ておるだろう。あれで引っ掻いたのだ。」


「…解らん。なぜ自分を傷つけるんだ?しかも自分でやってるなら覚えてるんじゃないか?」


「だから生き霊なのだ。部屋に入った時に嗅いだ香を覚えているだろう。あれは集中力を高める香だ。寝るのには不適切であろう。…儀式をしておったのだ。

蝋燭立ても、さっき倒した本棚の本も、出してくれたこのお茶も、ベットの下にあった羊皮紙も全て一つのモノに通じておる。」


「何だよそれは?」


「交霊術。黒魔術と言おうか。恐らく、あやつは悪魔崇拝者だ。」


「悪魔が降臨したって事か?」


「そうではない。ただ余りに悪魔に対する強い念がある為、その念が生き霊となった。生き霊は自らが悪魔となった事にして証拠を残したのであろう。悪魔が降臨したと思わせる為にな。」


「よく解らんが…彼女がそれを望んだと言うことか?」


「ん。そういう事だ。ただ自分が呼んだのは悪魔ではなく自分の生き霊だったんだな。まぁあそこまでくれば生き霊も悪魔も似ているかもしらんがな。

ほれ、いつぞや女の生き霊の姿を見たであろう。あれと同じだ。

しかし段々とつけられるキズが深くなって来たのと、自分がした記憶はないので怖くなったのであろう」


「…じゃEさんの言ってた夢の中に出て来た段々近づいてくる人ってのは、Eさん自身だったと言うことか?」


「恐らく。生き霊としての自分だな。顔を見ていたら肉体を乗っ取られたかもしらんな。」


「…」


Eさんは朝になって晴れやかな顔で寝室から出て来た。

今日は夢を見なかったと言って明るく笑った。


反対に大塚は難しい顔をして

「Eさん、悪い事は言わない。交霊は止めなさい。あなたは感受性が強すぎる。あなたは違う物を呼び出し取り憑かれたのだ。」と言った。


「もしあなたが本当に悪魔を呼び出していたらこんな生温いものではない。化け物になるか死に直結します。」

それを聞くとEさんは明らかに動揺した

「え?…私…私…」


「いや、言わずとも良い。交霊術は怖いぞ。繰り返せば同じ事になり次は命もあるまい。」


大塚はそれだけ言うとマンションを後にした。

僕らは早朝の街を車で駆け抜けて黄梅院に帰った。


「コーヒーを煎れてやろう」


「ありがとう。しかし大塚、お前もタフだな。眠くないのか?」


「眠いに決まっておろう。ぬしが帰ったらわらわは寝るから良いのじゃ。ぬしはバイトであろう?可愛そうにな。」

そう言ってニヤリとと笑った。


バイトの休憩時間につい、うたた寝してしまった。

短い時間だが夢をみた様だ。でも内容は忘れている。…見覚えのある目つきのキツい女の子が微笑んだ様に思ったが…


「あ、…大塚だ。夢の中まで出てくるなよな…」

僕は呟いて教室に向かった。


おしまい

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