アパート
日本は昔から『向こう三軒両隣』と言われる様に近所付き合いが重要視されてきた。
江戸時代の長家の風景を想像して貰ったら解るように物の貸し借りや子供の世話や情報交換を行う事でスムーズな営みをしてきた。
勿論、隣接してるからこそ腹の立つこともあったかも知れないが相手を知っている家族みたいなものだから我慢したり話で解決できたりしていた。
今でも田舎に行けば長家では無くても似たようなシステムが生きている場所もあると聞く。
逆に都会では長家の様に隣接しながらも隣はどんな人が住んでいて何をしてるか知らない事も多い。
薄い壁一枚隔てた先に他人が生活していれば当然、生活リズムが違う為に音などで迷惑を感じる事はある。
しかも、どんな人が住んでるのかも知らないのだから言えずにノイローゼになる程悩んだり喧嘩に発展したりする人も多い。
そんな隣の音が原因した話を。
N県で死ぬような体験をした後の事だ。季節は夏になり大学は夏期休暇に入った。
休暇後には前期試験があるのは知っていたが、僕の中での優先順位は試験勉強は下位の方にいた。
子供の頃から夏の宿題は最後にする人だったのだ。
バイト先の塾では夏期講習が始まった。
そんなバイト先のKさんという先輩がある日顔を腫らせてバイト先に来た。
目の周りも内出血で黒ずんでいる。
「うわぁ、Kさんどしたんですか?」
「同じアパートの奴と喧嘩しちまってさ。イテテ」
「殴られたんですか?酷いな。原因は何です?」
「…それがさ…」
内容はこうだ。Kさんは最近越して来たばかりだ。バイトからそのアパートに帰るのはいつも深夜になってからだ。
帰ってコンビニの弁当を食べてると二階の奴が走り回っている音がする。そんなにいい建物ではないから天井からパラパラと埃が降ってくる。
普段は温厚なKさん。弁当に埃が落ちないように台所まで移動して食べた。
しかし、翌日もその翌日も毎晩走り回る音がする。振動も。
寝ようと思ったら急に走る音がしたりする。しかも何だか笑ってる様な声まで聞こえる。
流石に十日程我慢してたけど限界がきた。
文句言ってやろうと思って二階に上がる。と扉の前に兄ちゃんが立ってる。
「何だお前は?」
と言われたKさん、「上の音がうるさい」と言うと「下のお前がやかましい」と言う。
冗談じゃない!あんな走り回っていながらこいつ何言ってるんだ!と思って売り言葉に買い言葉。気付いたら殴って殴られての喧嘩になってた。
「でもさ、途中で俺も相手も気付いたんだよ。話が合わないからさ。相手は三階で俺が一階って解ってさ。間違いじゃんって。二階の奴が原因だ!ってなってさ、扉を叩いたんだけど、うんともすんとも言わない。そしたら隣の奴が出てきて、隣は誰も住んでないって。」
「ありがちですね」
「だろ?翌日不動産屋に連絡したら子連れの母親が夜逃げしてからは、やっぱり誰もいないって言うんだよ。」
「低周波振動とかじゃないんですか?」
「俺、理工学部だからそれも考えたよ。でも笑い声はどうも説明つかん」
――――――――――――
「…と言う話なんだよ。どう思う?」
「…霊的なものであろうな。」
黄梅院のカウンターの向こうでコーヒーを飲みながら大塚はそう言った。
「で、わらわにどうせよと?」
「お祓いで、焼き肉食べ放題。あと好きなCDを三枚。」
「なんじゃその報酬は?」
そういう割に大塚は興味あり気な感じだ。
「先輩のもう一つのバイトが焼き肉屋で三階の兄ちゃんはCDショップで働いてるんだ。」
「ん。やってみるか。焼き肉は久しぶりじゃ」
僕らは先輩と打ち合わせて夜に集合する事になった。
その日の夜、黄梅院で大塚と合流して先輩のアパートに向かった。
アパートの下でバイトから帰ったままで部屋に入らず待っていた。一人で入るのか怖い様だ。
見た目はしっかりした造りに見える建物。
一階角の部屋に入る。生活感丸出しの男の部屋だ。
小さなテーブルに付いて三人で話しながら待つ。時間は午後10時。まだ早い様だ。暫くして三階の兄ちゃんも来た。金髪で一見悪そうな雰囲気の兄ちゃんだが、気を使ってジュースを買ってきてくれた。
四人で特にする事もなく、CDショップに勤めてる兄ちゃんが趣味でしてるバンドの話を聞いたりしてた。
ドンッ…ダダダダダダッ…
みんなギクッとする
遠くから小さくキャッキャッという声も聞こえる。
「…毎晩こんな感じなんだよ」先輩が小声で呟く。
大塚は天井を見ながら部屋を歩き回る。暫くそうしていたが、急に 「二階に行くぞ」と言って玄関に向かった。
大塚に男三人がゾロゾロ付いていく。
階段を上がり二階に着く。
大塚に言われて僕がドアに耳をつけて中の様子を伺う。ぼそぼそと何やら話し声がする。中に誰かいる様だ。
指で中にいる事をみんなに伝える。
実体があるものならまだ大丈夫だ。
さて、ドアを叩こうと思って握り拳を作った途端
…カチャリ
ドアが開いた
大塚は身動きもしなかったが男三人は仰け反った。
数センチだけ開いたまま止まっている。
その隙間に目が見えた
中にやはり誰かいる!
…!
目があるのは中に人がいるからだろう。
しかし…そこに見えたのは
目が縦に4つ並んだものだった。
ヒッ!
後ろで男二人が腰を抜かした様になっている。
4つの目は瞬きをしながら奥に消えていった。
大塚がノブを掴んで扉を大きく開いた。
男共も中をのぞき込む。
部屋の造りは下の先輩のと同じだ。
玄関を開けると狭い台所。先に8畳程のリビングがありその向こうにガラス戸があり、月の明かりでベランダまで全て見える。
リビングの真ん中に人影が見え、その周りに何か白い煙の様な物がフワフワと舞っている。
煙の中にギラギラ光る目が見えた。
大塚はそのまま上がってリビングの入り口まで行き、十字を切る様な動作の後、真言を唱え始めた。いつになく強い口調の様な気がした。
その煙が動く度にドタドタと足音が響く。
女の子が遊んでいるようなキャッキャッという声も聞こえる。
先輩は一旦下まで降りて懐中電灯を持ってきた。
金髪の兄ちゃんは護身用のバットを持って僕の後ろに控えている。
大塚の真言が進むと、白い煙は次第に薄くなり見えなくなった。
暫く音だけは響いていたがそれも次第に消えていった。
真言が済むと大塚が影に向かって言った
「何をしたのか申してみよ!」
「…」
影は動かない
「申せと言っておるのだっ!あのもの達はこの部屋にいた者であろう!…高山!照らしてみよ。こやつ霊ではないっ」
先輩から懐中電灯を借りると人影に光を当てた。
光の中に照らし出されたのは色白の小太りの男だった。
「あっ!お前は隣のっ!」先輩と金髪の兄ちゃんがハモって怒鳴る。
この部屋の隣に住んでいて、この前2人が喧嘩をした時に、そこには誰も住んでないと言った男だ。
「てめぇっ!誰もいないとか抜かしゃがって!」
金髪の兄ちゃんはさっきまでの怯えてたのをぶつけるかの様に怒鳴って男の胸ぐらを掴んだ。
「…まさか…な風に…」
「何っ!?」
「まさかあんな風になるとは思わなかったんだよ…」
そういう男の表情は動かず目もどこを見てるか解らない。
男の手には髪の毛とボロボロの人形が握られていた。
大塚の指示で三人がかりで男の部屋に連れて行く。
大塚は部屋で霊に真言を唱えてから行くといった。
男の部屋は凄まじかった。溢れかえるDVD、積み上げられた漫画。食べ残しの弁当ガラ、汚れた服。 据えた匂いが部屋に充満している。
とりあえず先輩と僕で部屋の真ん中の物を端によけ空間を作り、座らせた。
男を中心に三人で周りに立ち、見下ろす形にして話を聞く。
「…隣にはお母さんと女の子二人が住んでいたんだ。お母さんはいつも夜遅くて。子供二人は遅くまでお母さんの帰りを待ってたんだよ。お腹も空くよね…。可哀想に思ってさ。ある日誘って此処でアニメ映画見せてあげたんだよ。喜んでくれて…僕も嬉しかった。
それからは二人とは友達さ。ここに来て遊んだり隣へ行ってトランプしたり。
…でもお母さんには内緒って言ってあった。
こんな男と遊んでるって知ったら二人が怒られるだろうと思ったから。
でも、ある日この部屋で遊んでたらお母さんが早く帰って来たんだよ。
2人共居ないから驚いたんだろうね。子供達を知らないか聞きに来たんだと思う。ドアを開けたら二人が居たんだから…。僕は二人を家に帰してから言ったんだ『僕は遊んでただけで悪いことはしてない』って。
そしたら
『勝手な事をして!誘拐か!?これから警察と男友達呼んでくる』って息巻いて。
僕は怖くなった。ただ遊んでただけなのに何故怒られるんだろう。何故警察呼ばれるんだろう。何故怒られるんだろう。男友達呼んでどうする気だろう。何故怒られるんだろう。明日仕事行けなかったらどうしよう…。どうしよう…どうしよう…どうしよう…
気付いたら首を絞めてた。
ポクッて音がしたと思ったらぐったりしちゃった。
マズいよね。困ってたら隣から女の子達が様子を見に帰って来たんだ。
お母さんが居なくなったらこの二人はどうやって生きてくんだろうって思って…
不憫に思って後ろから羽交い締めにして…ひとりは首を捻って…」
僕達三人は誰も口を聞けなかった。聞いてたら背中がぞくぞくしてきた。ヤバい。こいつヤバすぎる。
金髪兄ちゃんも青ざめている。先輩は失神間近といった雰囲気だ。
「…それで三人を山に運んで埋めたんだな?△△山の××寺の裏山だな?」
いつの間にか大塚が後ろにいてそう言った。
「お、大塚、何でそんな事まで…」
「子供二人の霊に聞いた。この周囲に三重の塔があって川が流れてるのは、あそこだけだ。」
「…そう。三回往復して防空壕の跡に埋めました。でもね、僕は本当に二人を殺しちゃったんですかね?」
…何を言ってるんだこいつは…
「だって翌日から毎日二人が遊びに来るんですよ。ここはお母さんがいるから隣の部屋で遊ぶんだけどね…。」
僕は視線の端に動くモノに気付いてつい、見てしまった。
DVDと漫画の山の上に髪を振り乱して笑う紫色の顔をした女の霊を。
――――――――――――
「いやぁ焼き肉は久しぶりだぞ。
高山も遠慮せず食べろ」
警察が来て大騒ぎになってから一週間が経った。
先輩の奢りで金髪の兄ちゃんも一緒に焼き肉を食べに来た。
「いやぁこの前はびっくりしたな。テレビで言ってたけどあの2人は既に死んでたんだってな」と先輩。
「あの母親は子供を虐待してたらしいな…そして殺してしまった。処理に困ってたら隣の男が遊んでたと言う。そりゃ母親はパニックだよな」と金髪の兄ちゃん。
「だからあの兄ちゃんの所でもあまり強い嫌悪感が無かったんだな。」と僕。
「おぬしら、食べぬならわらわが全部食べるぞ!いいのか!?」
大塚の一声でみんなが一斉に食べ始めた。
食べながら、都会じゃなくて田舎だったら…もっと早くから近所付き合いがあれば…あんな事件は無かったのかなと思った。
隣のテーブルに二人の子供とお母さんと色白の男が仲良く食べてる風景をちょっと想像して悲しくなった。
「国産特上ロース三人前!急いで頼むぞ!」
「え゛っ!?」
「国産特上カルビもじゃ!」
「勘弁してぇ~」
大塚の注文の声と先輩の声で僕も我に返って焼き肉戦争に参戦する事になった。
おしまい