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杏の霊譚  作者: ビスコ
6/29

坑道

子供の頃、公園の砂場や海岸などで砂山を作った経験はないだろうか?

最近では猫のフン害とか手が汚れるとかいう理由で砂場遊びをさせない家もあるという。

僕が子供の頃は砂場で山を作る事はごく普通の事であった。

数10センチの山を作ると必ずトンネルを掘った。気分は今の感覚に直すと大手ゼネコンになった気分だったと思う。

指先に全神経を集中させてゆっくりと砂を掻き出していく。

何回かに一回は落盤して肘まで埋まってしまったりした。

貫通すると必ず向こう側を覗いてみた。その小さな穴から見る向こう側の風景は砂漠の様にみえたり小人の世界を覗いた様な気がした。

すっかり砂場遊びはしない歳になったが、トンネルや洞窟や鍾乳洞とか聞くと入りたくなってしまう。流石に掘ろうとは思わないが。

今でこそ、そう思うが暗い穴には入りたくない時期があった。


この話は僕が大学二年の夏の話だ。前期の講義も殆ど終わり、塾のバイトと大塚との恐怖体験という濃い時間を過ごしていた頃の話だ。



「おー高山、来たか。暑いな」いつもの様にカウンター内で本を読んでいた大塚は顔を上げるとそう言った。


「暑いな。アイス買ってきたぞ」


「忝ない。」

そう言ってアイスを受け取りちょこんと頭を下げた。

夏になってツインテールにした大塚は同級生なのに幼く見えた。話し方は可笑しいが一応は女だ。

扇風機がカタカタと回る黄梅院はクーラーなんて無い。救いは両隣が高いビルなので暑い夕方には日陰になってビル風が吹くこと。

二人で風鈴の音を聞きながらアイスをかじる。

「ひゃいきんはみにゃいのか?」


「何?食べてからにしなよ」


「ん。……最近は見ないのか?」


「うん。時々嫌な感じがしたりはするけどな」


「そうか。バイトがあるんだがやらないか?」


「バイト?」


「…ちっ、ハズレか。そうだバイトがある。わらわには仕事だがな」


「アイスはハズレたか。大塚のバイトって怖いやつだろ?怖いのはパスの方向で。」


「見えないなら関係あるまい。山に箱を返しに行くのだ。」


「山?」


「N県のJ市のS山だ。」

どの辺りか想像もつかない。


「箱って?」


「間違えて持ってきてしまったらしい箱を返しに行くんだ。」

「ふーん」どうせ霊絡みだろう。


「明日から行くんだが勿論来るよな。」


「嫌だよ。」


「前金で○円出そう」


「…」


「温泉があるらしいぞ。山の幸が食べれるぞ。きっと。何せ今回は向こうからの依頼だからな」


「嫌だ。行かない」

大塚はぷっと膨れた。




翌日の朝、車はN県に向かって走っていた。

行かないと言い張っていたが大塚には勝てない。特に予定も無かったし、バイトのシフトは先輩が変わってくれる事になったから。

温泉や山の幸と言う言葉に惹かれた訳ではない…と思いたい。

車は高速を快適に進んだ。

完全に高気圧圏内だ。

抜ける様な青空が広がっている。

エアコンの効いた車内は快適だった。

三時間の高速は渋滞も混雑もなくスムースに流れた。出だし好調。何だか今度の遠出+バイトはラクな気がする。

指定のインターを下りて一般道を北上する。段々道が狭くなり緑が濃くなる。

やがて民家も無くなり最後のコンビニを通過してからかれこれ一時間も走っただろうか、ナビの指示で更に広域農道に入る。たまに畑や田んぼがある位であとは鬱蒼とした森の中を進むと短いトンネルがある。

それを抜けると目的地だ。

村…と言うより集落と言った感じの所に出る。一応郵便局や鄙びてはいるがガソリンスタンドもある。

「着いたぞ」

大塚も思ったより田舎で驚いている様子だ。


「エラく山奥だなぁ」


「世話役の人の家に行かねばならぬ…」

ナビは集落の中央の道こそ細い線で表示してあるがそれ以外はのっぺりと緑色で塗りつぶされてる。スタンドで世話役の家を聞いた。

その家は集落から更に丘の様な畑を越えた先にあった。

広い庭に城をコンパクトにしたような家。庭には犬がいて僕らの車が入ると伏せたまま耳をとがらせた。鶏が慌てて走り去った。

軽トラックと高級車の組み合わせが屋根付きのガレージに入っている。

犬の鳴き声で家からでっぷりと太ったおじさんが出てきた。

「大塚先生ですな。ご足労お疲れ様です。このたびは…」

甲高い声で挨拶が始まる。


「ささ、中へどうぞ」

屋敷に案内される。大塚はトランクから紫色の布に包まれた一辺30センチ程の箱の様な物を持って入った。


おじさんはその箱を見ると苦々しい顔になったのを僕は見落とさなかった。


客間に通された。

広い和室だ。奥には飾り棚があり、香炉やツボの様なものが飾ってあり、軸も掛かっている。

しかし一歩入ると何だか背中がゾクッとした。

一枚板で作られた大きな卓にふかふかの座布団。…座りにくい。もじもじしてると隣で綺麗に正座してる大塚が僕を見て「痔か?」と言ってクスッと笑った。


向かいに座ったおじさんはMと名乗り名刺を出した。J市市議会議員・囲川集落自治会会長の肩書きが付いていた。

大塚も挨拶して名刺を渡していた。僕の事は『助手の高山』と説明した。大塚はそのまま本題に入る。

「Mさん、S山と言うのはここから近いのですか?」


M氏は立ち上がり障子を開ける。障子の向こうには山のパノラマが広がっていた。窓枠で区切られたその風景は、以前電気屋で見たフルハイビジョンのテレビ画面を見ている様な錯覚に陥る程だった。

「あの山です。少し頂上が丸くなっている」

指す先に見える少し青み掛かっている山の様だ。そんなに距離は無さそうだ。

「あの山の麓に坑道口があります。」


「入り口から現場までどの位ありますか?」


「約3から4Kmというところでしょうか。中は線路沿いに歩いて貰えば分岐点まで行けます。その分岐点の所に作業員休憩所などがあります。その横に扉がありまして、階段を降りて頂くと祈祷所があります。」


おいおい…何だか嫌な予感がするぞ…


「では準備してすぐ出るようにします。」大塚はそう言った。


「すぐ出られますか?解りました。準備します」そう言ったかと思うとそそくさと部屋を出て行った。

M氏が出た後で聞いてみる


「なぁ…その坑道の奥までその箱を持って行くのか?」


「そうだ」

平然と出されたお茶を飲みながら言う。


「その箱って何なんだ?」


「…後でな。さて、ちょっとした探検に出掛けるか。ホレ、荷物をまとめて部屋の隅に置け。このリュックはぬしが背負ってくれ」


「何が入ってるんだよ?」

大きさはさほどでも無いが、赤と緑のチェックで端にウサギの刺繍がしてある。ガサガサと音がして案外重い。


「覗くなよ。女の子の私物だ。さて、着替えるから外へ出ろ。」


「へい。」僕は廊下に出て着替えが済むまで待つ事にした。親戚の家でもないのにウロウロできないよな。

広い廊下だ。どうやって磨くのかピカピカ黒光りしている。

右には玄関が見える。左はまだかなり奥まで廊下が続いている。

こういう古い家には大体居るんだよな…


…居た…やっぱり。


廊下が暗くなってる付近に這いつくばった人影が見える。廊下の途中から顔を半分出してこっちを見てるのもいる。

叫びたい気がするが最近少し慣れてきたのか我慢してそちらを見ない事にする。

左を見てはいけない…右に顔を向ける


目の前にぶよぶよした大きな顔が出てきた。


「わぁぁぁぁぁっっっ!!」

びっくりして叫ぶとそのぶよぶよも驚いた様で叫んだ。

M氏だった。

「ど、どうしたんですかっ!?」M氏は胸に手を置いて驚いている。

「いえ…中で着替えてるもんで…」


「そうですか。」驚かされたと思ったのか憮然とした言い方だ。驚いたのはこっちも同じだ。


「何を騒いでおる?」

大塚が中から出てきた。カモフラのワーキングパンツにアウトドア風のチェックのシャツだ。「ぬしも着替えよ」


「いや、僕は着替え程度しか持ってきてないから…そんな本格的なのが必要だとは思わなかった…ってか解ってたなら言ってくれよぉ」


「あ、大丈夫ですよ。服ならありますから。」M氏に言われて安心する。


「他の装備もこちらに用意してますから。どうぞこちらへ」

案内された板の間にはカーキ色の上下の作業服と黄色のヘルメット、ベルトに黒い箱の付いたもの、手袋、ゴーグル、作業靴などが整然と並べてあった。

「おー、ヘルメットを被るのか。このベルトは何だ?ライトが付いておるな」


「なんで一緒に入って来るんだよ。着替えるからさ」


「気にするな。さぁ早く着替えよ。見たい訳ではない」


「…」

部屋の隅でこそこそと着替える。新品の服ではないがクリーニングがしてある。思ったより薄手だ胸に『囲川鉱山』の縫い取りがある…がサイズが小さい。開襟シャツだがピチピチだ。でももう一着はもっと小さい。

その割にズボンはガバガバに大きい。

ヘルメットを被りライトを付けてライトから出ているコードをベルトのバッテリーに繋ぐと点くという構造の様だ。子供の頃叔父さんに連れて夜釣りでも似たようなのを付けた気がする。

玄関まで行って靴を履く。

「ホレ、ぬしはこれを背負ってくれ」

そう言われてチェックのリュックを渡された。

ピチピチのシャツにガバガバのズボンにチェックの小さなリュック…頭には緑十字のヘルメットとライト…首にはタオルとゴーグル。ここでしかできないファッションだよな…。

「ん。似合っておるな」と言ってニヤリと笑う大塚。


聞きたい事は山ほどあるが黙って迎えのジープに乗り込む。

運転席には目つきの悪いお兄さん。助手席にはM氏。

後部座席に二人が並んで座る。乗り込むと同時にジープは走り始める。挨拶も何もない。ディーゼルエンジンはやかましく、話ても聞こえないだろうし、裏山に入ると路面も悪くて下手すると舌を噛みそうだから黙っていた。

途中からは左手に線路跡が併走していた。レールは錆てボロボロになっている。

10分も車内でシェイクされてからジープは鉱山の入り口のある広場の様な所に乱暴に止まった。

レールはそのトンネルに続いている様だ。

運転席の男は下りて行き、坑道の入り口を封鎖してある金網の扉をあけ、更に奥の金属の扉に何重にも掛けられた鍵を外していく。

ギシギシ…と音がして錆び付いた扉が開かれる。

扉が開くとぽっかりと黒い口を開いた様なトンネルが姿を現した。骸骨の眼堝の様にも、苦しみ叫ぶ口の様にも見える。

息苦しさと喉の渇きを覚える。

間違いなく中の霊の感情だ。悲しく辛い。しかし涙が出るほどではない。痛いくらいの多くの視線は感じるが。

大塚も眉間にシワを寄せて入り口を見ている。


何かおかしいと思ったらM氏の家の付近では煩い程に鳴いていた蝉の声が全然聞こえない。風も吹いていないのか周りの木々もザワリともならない。無音だ。耳が痛い。

「終わったら入り口横の電話で呼んでください。受話器を上げれば直通ですから。では宜しくお願いします。」

そう言い残すとM氏は若い運転手と一緒にジープで走り去った。

「逃げていく様に見えるね」

黒煙を吐きながら走り去るジープを見送りながら感想を述べてみる。


「ああ。逃げておるのだ」


「え?何からだよ?」


大塚は特に何も言わずにヘッドランプを点けた。


入り口から数メートルも進むと濃い闇がねっとりとまとわりつくように二人を包んだ。

外は暑かったのに冷蔵庫に入った様な感じがする。

黄色いヘッドランプが闇を裂いて足元のレールを照らす。大塚は片手で箱を抱えて僕の後から付いて来る。

祓える能力のある人が先を歩くべきではないかと思うのだが、やはり男の僕が先頭を歩くのがシチュエーションだけみると正しいのだろうか。

ヘッドランプの灯りは4~5m先までしか照らさない。

その明かりを頼りに進むのだがその丸いぼやけた灯りの中に急に顔が出てくるんではないかという恐怖が襲ってくる。


「なぁ、大塚、一体どういう事なんだよ?そろそろ教えてくれてもいいだろ?」


「…ん。じゃ話してやろう。…ちゃんと歩けよ。

この囲川鉱山は江戸時代前期から細々と採掘していたのだ。江戸から明治までは銅。大正初期に硫化鉄鉱の岩盤に当たってそれからは硫化鉄。

…硫酸や肥料の原料だな、セルロイドなどの化学製品の生産とか農産物の収穫量向上の為にこの囲川鉱山も盛況だったのだろう。

戦時中は労働者の減少で一度は閉山した。しかし日本一の産出をしていた柵原鉱山が台風で漏水が酷くなり水没した時に、ある財閥の傘下で採掘再開。昭和50年頃閉山。つまりだな昔からここには人が出入りしていたのだ。山の神の加護の元、大地の産物を分けて貰ってた訳だ。しかし鉱山は事故も多い。だから坑道の途中に立派な祠を作り神を祀ったのだ。」


「うん。それは解る。坑道に作るって言うのはどうかと思うけどな」


「珍しくはない。日本の漁船は舟神様を祀っておるであろう。仕事に取りかかる前と後に事故をせぬ様、

恵みを沢山、頂ける様に願い、帰りには事故せず働けた事を感謝するのだ。

また海もそうだが山も多く眠る彷徨う霊を鎮める為にもな。

罰当たりなうつけものがその御神体を持ち出してな。売ろうと我々の住む街まで持ってきた…」


「買う人いるの?」


「御神体が像なら価値があると思ったのであろう。」


「違うの?」


「解らぬ。見ておらぬから。邪推して見れば忽ち滅ぼされようぞ。盗み出した者はこの箱を抱いたまま死んだそうだ。自殺で処理されたが、両目と舌がなくなっていたそうだ。司法解剖では口にも鼻腔にも土が詰まっていたそうだ。自殺するにしても舌を噛み切って土を飲み込んで目を掻き出したりするか?」


…エラい事に顔突っ込んじゃったな…

「それを何で大塚が?」


「その親が遺体を引き取りに行って途中で事故死した。その頃から集落の人も災厄続きだ。

鉱山に入った何人かが狂い、何人かが行方不明。今まで枯れた事のない井戸も干上がった。

警察から『箱』の引き取りを求められたが誰も行きたくない。

しかし戻さなければ災厄は続く。で、依頼が回り回って、わらわの所に辿り着いたと言うことだ。」


「…で、その親族がM氏って事か…」


「よく解ったな。しかもあのタヌキは他にも何か隠しておるな。」


「だよな。僕もそれは感じたよ。あの家にも何体か居たし」


「ぬしも気付いておったか。最初あの屋敷を見た時、屋根に三体程、しがみついておったな。」


「…それは気づかなかった…なぁ、何でそんな強い気の出てる箱を持ってるのに霊障が出ないんだ?」


「それは解らん。坑道に入ってからも視線は感じておるが特に何も現れないであろう?」


「そうなんだよ。灯りの外には沢山居るような気がするんだけどな…」


「気が強すぎると他の霊は恐れて出ないということもあるらしいがな」暗闇は時間と方向を狂わせる。もし下に朽ちかけたレールが無ければ上下も解らなくなったかも知れない。


僕と大塚は何かが出てくるか来ないかのドキドキ感を持続させながら神経を消耗していった。


大きめな坑道に二人の歩く音が響く。水が滴る様な音は常に聞こえていたが。

分岐点があると聞いたけどまさか通り越したんじゃないよな…

段々不安が強くなる。時々坑道の真ん中に道具らしきものやビニール袋が落ちているのを見るとドキッとする。しかし、改めてこれだけ掘ったという事実に感心もする。


急に淀んだ重い空気が変わり、ピーンと張り詰めた空気が周りを包む。


「高山、気を付けろ。空気が変わった。」

僕も気付いた。

嫌な感じが少し強くなった気がした。


突然坑道が広くなった。

周りを照らすと、ここが分岐点の様だ。


確か祠だか祈祷所だかに通じている階段があると言っていた。足元の線路は真っ直ぐと右に分岐している。

左手に朽ちかけた看板の付いた扉がついている。

『休憩所』と読める。

休憩所の扉が少し開いている。ヘッドランプで中を照らして見ると会議室で使う様な机とパイプ椅子が並んでいた。机の上には大きなヤカンや湯のみが埃にまみれて置いてある。壁のカレンダーは昭和51年3月と書いてある。その上の絵柄は今ではベテランとして活躍してる女優が水着姿で微笑んでいるのが見えた。


「高山っ」

呼ばれて軌道上に戻ると大塚は下を指さしている。

煙草の吸い殻がある。

「新しいだろ」

確かに埃も被っていない。

「誰か来たのか。例の犯人かな?」


「…普通、一人でこんな沢山吸うのか?火を点けてすぐに消したのもある。それと、あれだ。」

それは木で出来た扉の前に落ちていた。

2つのガスマスクだ。圧搾空気のボンベも転がっている。どちらも新しい。壁にもガスマスクは掛かっているがどれもボロボロだ。タンクのゲージは二本共ゼロを示している。


「ここに二人来たのか?」


「…何やら不吉な感じがするのだ」

大塚は低い声で呟いた。


「早く終わらせて出よう」


「…」

大塚は何か考えていた様だがその重い木戸を開けた。

弱いヘッドランプではそこに暗い下りの階段がある事しか解らない。

階段を下りる。

二十段程度で下の広場に着いた。

一番奥に地下にあるとは思えない様な大きな祭壇(?)祠(?)みたいな物があった。

中央に観音開きの扉があり、不自然に開いている。

ここに安置してあったのだろう。

大塚は一段高くなった岩に箱を置き、紫色の布を外す。

なんと言ったらいいのだろうか、見た目は木で出来た普通の箱に見える。ただ見える面には破れた御札が見える…問題は見た目では無くて…強い気、神々しさと言うのか…中は見てはならないという思いが強くなり、なぜか涙が零れ落ちる。大塚は祭壇に蝋燭を灯す。

手印を作り、何やら唱えてから祠の中に安置して扉を閉める。

それからかなり長い時間真剣に唱え続けた。広くはない空間に大塚の声だけが広がる。

岩に染み込んでいくようだ。

蝋燭の炎が揺らめく度に空間が歪んで見えたのは気のせいだろうか。


大塚の声は突然終わった。


「さて、帰るぞ」

そう言うと大塚はさっさと階段を上がり始めた。


僕もすぐに後を追う。一刻も早く日の元へ帰りたいと思った。あの暑くカラリとした太陽の元に。

休憩所の付近まで来ると急に大塚が止まった。 僕に先に行けと言うことなのだろう。追い越そうとすると腕を掴まれた。


「待て。耳を澄ませろ」


息を殺して注意して聞いていると遠くからドーンという音がした。ワンテンポずれて坑道の壁がビリビリと揺れる。


「何なんだ!?落盤か?」


「入り口付近でいきなり落盤がある訳ないであろう。埋める気だ。タヌキの仕業であろう。」


「埋めるってなんだ…」

最後まで言う前に入り口方向から土埃が舞ってきた。


「途中に水が出ている所があったであろう。あの辺りの壁は皹が入っておった。それだけモロいと言うことだ。小さな爆破で崩すことができよう。」


「何で埋められるんだよっ!僕らは関係ないだろっ」


「高山落ち着け!このまま登っても無駄だろう…他の道を探すしかあるまい。」

「少し隙間があるかもしれないから早く行こう」


「…無駄だ。埋めてしまう気なのに隙間を残す様な事はすまい。もし隙間があっても抜けた所でタヌキの下っ端にやられるのがオチだ。」

あの目つきの悪い男の事だろう。

「…どうするんだよ」


「他に出口があるはずだ。探すぞ」

大塚はそう言うと休憩所に入り、壁のをヘッドランプで照らしながら何かを探す。

坑道全図というパネルを見付けた。

ここは第一分岐点。入り口から約4キロ。…総延長120Km…無理だろ…

大塚はパネルの埃を指で払いながら見ている。

「高山、ぬしは水の中を歩くのと岩場を歩くのとどちらが好きだ?」

どっちも嫌だと言いたいがそういう訳にもいかない。

「岩場かな。大塚、出口解るのか?」


「鉱山に付き物なのは湧水と落盤だが深度が深くなると空気もなくなる。ここはまだ入り口付近だが4キロも入って普通に息ができるのはおかしいと思わんか?」

「確かに…でも全然苦しくないぞ。あれ?さっきガスマスクあっただろ?酸素が足りなくなる様な事が起こったんじゃないか?」

「ぬしは酸素が少なくて苦しいのに煙草吸えるか?」


「あ。」

それはそうだ…

大塚はさっき落ちていた煙草の一番長いのを拾って僕に渡した。


「吸え」


僕は煙草は吸わないし、シケモクだし、誰が吸ったか解らないし…しかし何か理由があるのだろう。

大塚は僕の背負ったリュックから古びたマッチを取り出して火を点けてくれた。

仕方ない。くわえて吸い込む。ゲホッゲホッ…ガハッ

激しく咳き込みクラクラする


大塚は落ちた火の点いた煙草を摘んで持ち上げて煙の行方を追った。

ヘッドランプの灯りの中、煙草の煙はゆっくりと入り口へと流れていく。空気の流れがあるのか…

いや、待てよ、入り口から空気が出て行くなら封鎖されたら空気の流れは止まるはずだ。まだ隙間があるのか、他にも空気の通り道があるのか。

煙はゆらゆらと、でも何か意志を持つように入り口へ向かって流れる。僕らは逆らう様に線路の無い狭い方向の坑道へ進んだ。狭い坑道に入って更に進む。

二・三度瞬いたと思ったら大塚のランプが切れた。

埋める気なら電池の充電だってまともにはしていないだろう。

僕のもかなり弱った灯りだが無いよりはマシだ。煙草を僕が持ち、弱い黄色の光の中に煙りを見て空気の入り口を探る。

「あちっ」

吸い口付近までなくなったようだ。

大塚はポケットから次のシケモクを出して自分がくわえて消えかかった僕の持っていた煙草から火をつけた。

慣れた手つきだ。

「わらわは吸わぬが、ばあちゃんはヘビースモーカーでな」

僕に煙草を渡す。

途中に幾つもの分岐がある。

こっちは旧道の様だ。

風の来る方向はまだ奥の様だ。


その辺りに来てから何か異臭を感じた。生ゴミの様な…何かが腐って居るような…嫌な予感がする…


「やはりな…霊的なものでも何でもない。おぞましき物を目にするかもしらんぞ」


「…行方不明になったという人達って事か?」


「恐らくな。」

大塚は消えた煙草を捨てた

この辺りは分岐がない。

進むにつれて匂いは更に強くなっている。


遂に僕のヘッドランプも切れた。

真っ暗だ。鼻を摘まれても解らない位の暗さだ。…寧ろ今は摘んで欲しい気がする。


大塚は僕の背中のリュックに手を入れてガサガサしていた。シュッと言う音がして光が広がる。大塚の手には蝋燭があった。

ほんの僅かな蝋燭の炎の光が眩しい。

「この蝋燭で灯りはなくなる。燃え尽きるまでに出口を見つけねば…」


僕は蝋燭を受け取ると翳しながら先を急いだ。


ほの暗い光の中に青いビニールシートが見えた。

凄く違和感がある。何か大きな物が紐で縛ってあり、それが幾つも積み上げてある。

間違いない。匂いの元だ。

吐き気がこみ上げる。


「ちょっと待て」

と大塚は言いぶつぶつと何やら唱え振り向くと

「さあ、先へ急ごう」と言った。


蝋燭の炎の光の中で大塚の怒りの表情が揺れる。



坑道が急に広くなった。学校の教室位か。ここには分岐が沢山ある。

各坑道の入り口で蝋燭を翳してみると四カ所から空気の流れがあった。

「なぁ、どれだろう?」


蝋燭の残りから考えても間違えれば戻るだけの時間はない。

光のない世界に取り残される。

大塚は僕から蝋燭を受け取ると各坑道の前で手印を作り真言を唱えていた。4つ目の坑道で唱えたあと

「ここだ」

と言った。


その入り口まで行き蝋燭の明かりが照らす中を覗いた。


「あっ!!」

四つん這いになった痩せたミイラの様な霊がほの暗い中にいた。

素早く奥の暗闇に消える。

「ホレ、早く行け」

大塚に言われて進み始める。

坑道は急に狭くなりくねくねと曲がり始めた。

蝋燭の光と暗闇の隙間に時折痩せて白い手が見える。案内してくれているのか…

案内先は出口だろうな…まさか仲間を増やす気ではないだろうな…

坑道は途中からコンクリートが自然岩になった。洞窟の様だ。

周りの壁が自然岩になった時、顔に当たる風を感じた。

大きな岩をよじ登る。

僕が先に登って手を伸ばして大塚を引き上げる。


「見よ」


大塚の指す先の岩の隙間から外の明かりが見えた。

遂に出れたんだ。


持っていたはずの蝋燭は無くなっていた。

大塚の話ではかなり前に消えたそうだが僕はどんどん暗闇を進んだそうだ。

最後の岩を超えるとそこは外だった。平和なセミの声をバックに溢れる緑と夏の日差しが目に痛い程だ。

新鮮な空気を胸いっぱい吸った。

ここがどこが解らない。


「高山、まぁ座れ」

大塚は草の上に目を瞑り足を投げ出して座っていた。

僕も目が痛いので目をしょぼしょぼさせながら隣に座る。

「なぁ、一体どういう事だ?」


「わらわが知るわけ無いであろう。憶測にすぎん」


「M氏はなんで僕達を埋めようとしたんだ?」


「…憶測でよいか?」

僕が頷くのをチラリと薄目を開けて確認するとポツポツ話はじめた。


囲川鉱山は基本的にお金にはならない。これからもずっと。

観光地にしても使えないし手入れをしていないから既に一部崩落も始まっているだろうし漏水も溜まっている。

この集落では食べていくのもままならない。J市自体が既に資金繰りに困っている。この集落には山しかない。ではその山を使おう。

恐らく産廃の集積地でも作ろうって事になったんだろ。

しかし反対派も多い。


M氏は考えた。

自分達の計画の何かに廃坑を使えないか?

そんな折、集落の一人が廃坑に入り込んで御神体を盗んだと解った。

M氏にとってはチャンスだ。盗んだ犯人と接触して殺めたのかもしれない。

両親も何らかの事故で亡くなった。

関係ないかもしれないが御神体を盗んだのが原因だと言うことにすれば鉱山には誰も近づくまい。よし、目障りな人間達も纏めて始末しよう。

…調べれば解ると思うがM氏の側近と反対派の何人かが行方不明になったり病院に閉じこめられたりしてるはずだ。知りすぎた人間も一種の目障りな人間になるからな。坑道の中のボンベだって中身は酸素とは限らない。遺体を運ばせた人に脳性マヒを起こさせるガスだって吸わせる事ができたはずだ。

御神体を返しに行った集落とは無関係な人間(僕らの事だ)も急に起きた落盤で死んだ。しかし御神体は山の懐深くお返しした。もうどうしようもない。

このまま忘れようではないか。廃坑も山の事も。それよりみんな新しい事業で儲けようではないか。

『たまたま』反対してた人は山の神様の怒りに触れたのか行方不明になってしまったり坑道で解らないガスで意識が戻らない…


「これが我の憶測だ。」

大塚はそう言うと目を開けた。僕はそれが事実な様な気がした。


大塚はリュックから『ビスコ』を取り出した。

「非常食だ。ぬしも食べるがいい。」

大塚はビスコをかじりながら遠い目をして言った。


「我の想像に過ぎん。さてM氏に会いに行くぞ。どんな顔をするか見てみようぞ。」





坑道口にたどり着いたのはそれから三時間ほど山を歩き回ってからだ。

誰もいない坑道口を覗くと、入り口からも見える程の所まで岩石で埋まっていた。

出入り口の扉も歪んでいる。


それから小一時間掛けてM氏の家に着いた。

近づくにつれて夕闇にまじって沢山の霊が見えた。

M氏の家は何体もの霊がしがみついていたし窓からも沢山覗いていた。

庭の鶏も犬も怯えて隅でじっとしていた。僕は疲れきっていたからか、僕達には敵意が無いと解っていたからか怖さを感じなかった。

玄関を開けるとM氏が青い顔で出迎えた。

なぜだ死んだはずだったではないか!という表情だ。


「落盤がありまして。」それだけ言うと最初に通された客間に行き、着替えを持ってきた。

家を出る間際に無言で睨むM氏から封筒に入った謝礼をもらい車に乗った。


僕らは何も言わなかった。

でも二人には見えていた。M氏の後ろと言わず前と言わず全身に霊が取り巻いているのを。



帰りの車の中で大塚が言った。「霊たちは我々が御神体を返すまでM氏には手を出さなかったのかも知らんな。M氏が動かぬかぎり御神体は戻らなかった訳だから。」


「と言うことは御神体が戻った今頃?」


「恐らくな…」

僕らはそのままJ市の警察署に入り、廃坑の中で遺体らしき物を見たと連絡した。

詳細な地図を見せてもらい、我々が出て来た風穴の場所を伝えた。


半信半疑だった様だが明日調べに行くと約束してくれた。

警察署を出るとすでに深夜を回っていた。



翌日、J市の駅前のビジネスホテルのレストランでモーニングを食べながらカウンターにあるテレビを見ていた。

ローカルニュースでS山が大きな土砂崩れを起こして数キロ離れた民家を潰したという話をしていた。

画面には見覚えのある城をコンパクトにした様な家が見えた。半分は無くなっていたが。

『亡くなったのはこの家の主人でJ市の市議のM氏…』


大塚はモーニングのゆで卵の殻を剥くのに集中しながら


「因果応報」


と言った。

アナウンサーは続けて、廃坑であった囲川鉱山がその土砂崩れで崩壊したと淡々と話していた。



砂山を作ってトンネルを作った経験はあるだろうか?

2人で両方から同時に掘ると中央で相手の手に触れる。

その手は暖かいのだ。


脱出の時握った大塚の手も暖かかった。


おしまい

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