夜歩き
僕は元々アルコールに弱いからあまり飲まない。
アルコールが嫌いでは無いのだが、すぐ真っ赤になって寝てしまう。体調に寄ってはひどい頭痛に悩まされる。
お酒の強い人から良く聞く話しで、『どうやって家に帰ったか覚えていない』『何をどこで誰と話したのか思い出せない』などがある。
それは怖いだろうなと思う。
朝目覚めたら財布が無いとか気付いたら地下街だったとか…中には朝起きたら隣に美人や美男子が寝ていたりするラッキーな人もいる…のだろうか。
今回はそんな話を。
目覚まし代わりのテレビがオートスイッチでオンになる。
5時45分。
民放のニュース番組が始まる。
キャスターは政治の話をしている。起きなきゃな…
一つ大きな欠伸をして伸びをする。
ベッドを出て気付いた。
あれ?
あたしの足汚れてる…。
振り返るとベッドのシーツにも土が付いている。
昨夜ちゃんとお風呂にも入ったし勿論足も洗った。
足だけ洗わないハズがない。
床を見ると土の足跡が玄関から点々とベッドまで延びている。
やだ、あたし夜、外に出たのかな…。
覚えてないわ。
シャワーで足を綺麗に洗う。
足を拭いてから雑巾で床を拭いてシーツも洗濯機に放り込んだ。
夕べは借りてたDVDを見ながら缶酎ハイを飲んだ。
一缶で何をしたか解らなくなる位酔ったりしない。
飲み会で呑んだって家に帰れなかったりした事もない。
小さなテーブルでコーヒーを飲みながら、朝ご飯のパンをかじり、昨夜の事を考えたけど思い当たる節もない。
テレビの占いのコーナーがはじまった。
早く会社に向かわなきゃ…。
流しでパンくずを払ってスーツに着替えた。
着替えながら昨夜はTシャツと短パンで寝てて良かったわと思った。
翌朝、足が痛くてテレビが点くより少し早く目が覚めた。
急いで足を確認する。
…まただ。
砂利や砂が足に付いている。
指の間に小石が入って痛かったみたいだ。
もうっ!
自分の事なのに覚えていない事に腹がたつ。
昨日もちゃんとお風呂入ってアルコールも飲まずに早く寝たのにっ!
シャワーで足に付いた石や埃を流しながらちょっと怖くなった。
昨日はパジャマだったがパジャマ自体は汚れていなかった。
部屋の隅にジーンズとTシャツが脱いであった。
そんな所に脱ぎ散らかしたりしないし…
あたし夜中に何してるんだろう…
その夜は対応する事にした。
何時もは窓際に置いてある室内物干しを玄関に置いておく。
こうして置けば嫌でも気が付くだろう。
玄関は狭いから物干しを退かさないと出れない。物干しをガタガタと移動させたら流石に眼が覚めるだろう。
安心してベッドに入った。
テレビの音で眼が覚める。
今日はどうなんだろう…
足をベッド内で動かすと砂利の当たる感覚があった。
がっかりしながら玄関を見ると物干しが倒れていた。
勿論動かしたり倒したりした記憶はない。
…あたし絶対マズいよね。
翌日、事情を話して友達の下田を部屋に呼んだ。
『ああ、いいよ。お泊まりも久しぶりだわ』
そう言ってあっさり了承してくれた。
『あんた欲求不満なんじゃないの?』
と笑いながら言われてちょっとだけムッとしたが。
夕方、下田と駅で落ち合って駅前で夕ご飯を食べてからコンビニでお菓子やジュースを買って部屋に帰った。
DVDを観ながら下らない話をした。
「もうすぐ12時になるから寝ようか」
と言う下田の提案で寝る事にした。
事前に下田には、もしあたしが夢遊病(そう呼んでいた)で外出したら、その時の様子と、あたしが一体どこへ行き、何をしているのか教えて欲しいと言っておいた。
翌朝、目が覚めると下田が真剣な顔をしながら、あたしを見ていた。
「…どうだった?」
恐る恐る聞いてみた。
「唯、あんた起きてたじゃん。」
「え?」
「明け方帰ってくるまで普通に話してたし。」
「…」
「覚えてないの?」
「…うん。」
足にはまた砂利が付いている。
下田の話では深夜1時過ぎにベッドから起き上がって着替えはじめたと言う。
どうした?と聞いても、行かなきゃならないって言ってた。
肩を揺すったけど全く変わらず、行かなきゃ行かなきゃって言ったらしい。
カギを開けてふらふらと外に出たらしい。
靴くらい履けよと思ったと言う。
部屋を出ると人気のない道を歩いて近くの公園に入って行き、ブランコに乗ったそうだ。
2時過ぎになった頃、公園の反対側から背の高い男が入って来て当たり前の様に隣の空いたブランコに乗って二人で何やら話しながら漕いでた。
途中、男が自販機に行ってジュースを買ってきた。
その時、男も靴を履いていないのに気が付いた。
空が少し明るくなった頃、二人は手を振って別れた。
そのままこの部屋に戻って来た。
部屋に入ってから下田が話掛けると不審そうな目で見返して、公園で会ってただけって言って寝たらしい。
あたしは蚊に襲われて大変だったよ。って下田は言った。
足にはやっぱり砂が付いている。
その男って誰なんだろう?
何の話をしてるんだろう?
あたしの中で不安が限界を超えた。
涙が溢れてくる。
下田が肩を優しく抱いてくれて大丈夫大丈夫と言ってくれた。
――――――――――――
「ユージ?仕事終わったら来い!」
返事をする前に電話は切れた。
オレは下田姉さんの犬じゃないんだからさ。
そう思ったけど言える訳もなく、自慢のバイクに現場ヘルメット姿で跨った。
下田姉さんの家に行く。
家の前に姉さんのピンク色のバイクが停まっているのが見えるとドキッとする。
…これが恋…
…んな訳無くて、単に怖いだけ。
最近じゃ、ピンク色の物を見る度にドキッとするんだ。
某銀行ポスターのピンクのバーバーパパを見ると姉さんを思い出してドキッとするとか言えない。絶対言えない。
オレのバイクのクールなエンジン音を聞いて姉さんが出てくる。
「やかましいから直ぐエンジン切れ!」
と言った。
中に入るとかわいい女の子が居た。
「こいつユージ、こっちがダチの唯」
と紹介される。
「今夜はこいつにも手伝わせるから。」
と姉さんは普通に言った。
『おい!いきなり呼び出して理由も言わず手伝えってどういう了見なんだよバーバーパパ?』
…と言える訳がない。
かわいい 唯 という女の子の手前、
『オレの助けが必要なんだな、ベイベー?』
とか言おうと思ったけど、実際には
「…あぃ」
としか言えなかった。
オレってシャイボーイだからさ。
・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
「…という訳なんだよ。だからユージはその男の後をつけて行って、何者なのかちゃんと調べるんだよ。解った?」
「ああ。解った」
「お願いします。」
唯という女の子が頭を下げられた。
おうっ任せとけ!って思った。
あ。明日もオレ仕事なんスけど…
ま、しゃーないな
・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
午前2時。
途中でパトロールしてる白黒パンダに出くわしたりして、何だかんだあったけど、姉さんとの…いや唯ちゃんとの約束通り公園に来た。
ちょっと眠い。
夕飯、食べ過ぎたかな…。
あ、来た唯ちゃん。
…後ろに姉さんも付いてきてる。
しっかし、姉さんの友達ってかわいい女の子多いよな。
誰か紹介してくれたらいいのに。…唯ちゃんがいいなぁ
唯ちゃんブランコ乗った。
キーキーと金属の擦れる音がする。
その向こうから来たよ兄ちゃん。
隣のブランコに乗って唯ちゃんと何か話をしてる。
何を話してるんだ?
あの野郎、唯ちゃんに何かしたらこのユージが黙ってねぇぞ!
「おい」
肩を叩かれてビクッととして振り返るとバーバーパパ…いや姉さんが居た。
「お疲れっす」
冷や汗かいたし
「この後どこに行くかつけるんだよっ。解ったね」
「はい。…姉さん、やたら蚊に喰われるんですけど…」
「あたしは虫除けスプレーしてきたから大丈夫。我慢しなよ男だろ?」
「…」
先に言っといてくれりゃいいのに…。
いい案が浮かんだ。
「姉さん、ちょっと出て来ていいですか?」
露骨に嫌な顔してる…
「姉さんにジュースでも買ってきますよ」
あたまいーなオレ
コンビニ行って虫除けスプレー買って来よう。
虫除けスプレーは売り切れていた。
仕方なく蚊取り線香とジュースを買う。
公園に帰っても二人はブランコで揺れながら何か話てる。
月の明かりに照らされて綺麗だ。
いいよなぁ…かわいい女の子と一緒で。
バーバーパパと一緒に植え込みの中にじっとしながら蚊取り線香の煙に燻されてるのとは大違いだ。
ますますあの野郎がムカつく。
公園の時計台が4時を指す頃に二人が動き始めた。
お互い違う方向に歩きはじめた。
姉さんと頷き合ってからオレ達もお互いの相手の追跡を始めた。
てか姉さんは唯ちゃんの家に帰るんだよな…
オレがそっちの役をしたかったよ。
姉さんだって格好いい男を追う方がいいだろうに…
いや、あの男が襲われたりして…
オレは男を追跡した。
もし振り返っても黄色いヘルメットに作業着。
完璧な変装。てかこのまま現場行かなきゃならないからなんだけどね。
男は背が高くて痩せ型で格好よく見える。
やっぱムカつく。
しっかし、どこ行くんだよ。
男は住宅街を抜けて、造成地辺りに入っていく。
造成地の近くに小さなアパートがあった。
男はそこに入って行った。
しっかりと見届けてから帰る事にする。
段々明るくなってきてオレはギョッとした。
アパートの裏には墓地が広がっていたから。
ヤバいんじゃないだろうな…
「何をしてるんだ?」
振り返るとそこに警官がいた。パトカーが停まっている。
「…朝の散歩っス」
「ふーん。散歩ねぇ」
警官は不審者を見る目つきで見ている。
確かに顔中には蚊に喰われた痕があるし手には蚊取り線香。作業着に黄色いヘルメット。
散歩には見えねーか…
「ユージ君ピーンチ」
小声で呟いてみた
――――――――――――
僕がいつもの様に黄梅院に寄るとピンクの原チャリと大きめな族仕様のバイクが並んでいた。
下田達が来てるらしい。
開けるとカウンター越しに三人で何か話していた様だ。
「おー高山お疲れ」
「ちぃーす」
「ちわ」
今日は三重奏だ。
「いい所に来た。下田達から話を聞いておった所だ。」
「何の話だよ?」
嫌な予感がする。
ユージという兄ちゃんが話してくれ始めたけど、下田が「お前の話下手だな」と打ちきって簡潔に話をしてくれた。
「それって夢遊病だろ?」
「全く同じ時間に同じ症状でか?」
「向こうの男は正気かもよ。」
「正気なら靴履くだろ?」
「…だな。何話してるんだろう?」
「だと思ってさ、唯の服にこれ入れといったんだ。」
と言って下田がマイクロレコーダーを取り出した。
「…それをこれから聞く所なんだよ。」
「だからちょうど良かったのだ。さぁ始めよう」
「…」
タイミングばっちりだった訳だ。
チェックする下田の声が入っている。
…ガサッ
(下田)おい、今日も行くのかよ
(唯)行かなきゃ…
ガチャ… バタン(外に出た)
ガサガサ…(歩いてる)
暫く歩く音が続く。
カチャカチャ…キー (ブランコに座った)
(唯)こ…は
(男)こん…はコトノさ…。
それから後は声も小さく、殆ど何も判断のつかない音や声が時折入る程度だった。
「だめかぁ」
下田が呟く
「マイクロレコーダーを付ける位置が悪かったんじゃないっすか?」
とユージ。
「胸のポケットしかねぇだろ。」
「最初に『コトノ』って聞こえたな。」
僕は唯一聞こえた単語を言ってみた。
「『コトノ』は唯に向かって言っておるな。」
「唯がコトノって呼ばれてるって事だな。」
何で唯がコトノなんだろう…
「唯に聞いてみるか」
「唯は今日は病院に行ってて居ないよ。」
夢遊病かもしれないと言うことで一応病院に行ったのだそうだ。
「あの…姉さん」
おどおどとユージが言う
「なんだよ?」
「じゃあ、先に相手の男の所に行ってみたらいいんじゃないっすか?
オレばっちり入る所見ましたから。
話してみたら何か解るんじゃ?」
「じゃな。行ってみるか」
大塚は立ち上がった。
みんなで大塚の車でその男の元に向かう。
歩きと車では少し感覚が違うのと、帰りに警察に遭遇したりしたのもあって現場まで意外に難航した。
「もし無かったり、あんたがいい加減な事言ってたら承知しないよ」
途中で下田がユージにそう言ってるのが聞こえた。
ビビりまくるユージの願いが通じたのか、僕らは郊外に建つアパートに辿り着いた。
古い二階建てのアパートだ。
廃墟に見える
ガラスが割れてたりする部屋もあるし、雨樋も壊れて垂れ下がっている。
二階の一部屋だけ明かりが点いている。
「おい、本当にここなのか?」
「そうっす…。ここの二階に上がって行きましたよ」
大塚はスタスタとアパートに入って行った。
軋む階段、歪んでる廊下を歩いて四人はアパートの各部屋を見て歩く。
中もかなり荒れていた。
しかし僕は嫌な感じもしなかったし霊も見えなかった。
ドアが無かったり、はめ込みのガラスに罅が入っていたりする。廊下の突き当たりに黄色い光が洩れている。
その部屋だけ表札に名前が入っていた。
『田仲○○』
「たちゅう…」
「たなかだ!ユージ、お前小学校からやり直せっ」
「姉さん酷いっすよ、だって『ニンベン』が付いてるじゃないっすか!」
二人が心温まるやり取りをしてる中、大塚はドアをノックした。
「…はい」
ドアから顔を出した男は色白の今風なお兄さんだった。
「なんですか?」
訝しそうに我々を見渡す。
確かにバラエティーに富んだ四人がいきなり現れれば驚くだろう。
「ほらっ、こいつでしょ?」
ユージが言う。
大塚がユージの事は置いといて話をする。
「夜分いきなりですまぬ。つかぬ事を聞くのだが、夜、気づかぬ間に外出しておらぬか?」
「…やっぱり。何か俺迷惑掛けましたか?」
「いや、迷惑ではないのだが…やはり朝、足が汚れていて気付いたか?」
「はい。こんな建物なんで汚れたかと思ったんですが、流石に部屋の中に土なんてないし、買った記憶のないジュースの缶を握って目覚めたりしてたんで…」
男は中へどうぞと入れてくれた。
和室が二間続いたアパートの普通の部屋だった。
男の一人暮らしにしては、ちゃんと掃除も行き届いている。
大塚に言われて下田とユージが夜中の出来事を話した。
下田が携帯で唯の顔を見せたが可愛い女の子だけど知らないと言った。
男が可愛いと言うとユージの顔がキツくなった。
ああ、ユージは唯という女の子が好きなんだなって思った。
「じゃあ、俺は毎日深夜に出掛けて行ってその女の子と明け方まで話してるんですか?」
「そうじゃ。おぬし、『コトノ』と聞いて何か思い当たる節はないか?」
「コトノ?知らないなぁ…。」男は本当に何の事か解らないようだ。
田仲は建設業の仕事をしている。
土地の造成の為に地方から出てきて最近この現場に来たばかりで、この付近の地理にも詳しくない。
公園そばのコンビニは知っているが公園には行ったことがないと言う。
現場そばには借り上げの作業員宿舎があるが、いっぱいで寝泊まりできない。
一番若い田仲が仕方なく、現場から離れた区画整理で解体前のこのアパートに一人で住んでいるのだそうだ。
話をしてみると素朴ではあるが田仲は良さそうな人だった。
大塚が提案して田仲が頼む形で、僕とユージは今夜はここに留まって田仲の動向を見る事になった。
大塚と下田は唯の家に戻った。
また深夜に公園で落ち合う事になるだろう。
男三人でコンビニに行き、弁当を買って帰る。
なぜかそのコンビニで店員に『虫除けスプレー』が無いから仕入れて置くようにユージが言っていた。
アパートに帰って話をしていたがユージと田仲は話が合うらしく現場の話をして盛り上がってた。
僕も聞いてて楽しかった。
11時半になって田仲が横になった。
僕とユージは小声でユージの今までの武勇伝を聞いていた。
もうすぐ2時になるな…
時計を見てそう思った時、部屋の空気が変わった。
クーラーの無い部屋にも関わらず涼しい風が僕らの周りを吹き抜けた。
「寒くね?」
ユージがぼそりと言った。
カタタンと窓ガラスが揺れた途端白い影が窓から入って来た。
煙の様に見えるがそれは人の形をしている。
ユージにも見えたらしく目を大きく見開いて見ている。
その白い影はすうっと寄ると覆い被さる様に田仲の上に乗り、吸い込まれる様に中に入っていった。
「…ぉぃ…」
ユージが小声で呟く。
田仲は目を開けるといきなり立ち上がった。
普通に目覚めた様に見えた。
「…今お前の中にさ…おい、どこ行くんだよ。おいっっ」
ユージが話し掛けるのも聞こえない様に田仲は部屋を出る。
僕らも後をつける。
田仲には我々の事は見えていない様だ。
何の迷いもなくスタスタと裸足で道を進む。
やはり公園に向かう様だ。
10分もしないで公園に着いた。
僕らはユージの案内でそのまま横に回り込んで植え込みの中に入る。
ユージが蚊取り線香に火を点けた。
田仲はブランコへ行く。
ブランコには女の子が座っている。
あれが唯だろう。
後ろから大塚と下田もガサガサとやって来て合流した。
さっき田仲に白い影が入った話しをすると、大塚も唯の中に入っていったのが解ったと言った。
敢えて止めなかったらしい。
二人はブランコで話をしている。
「何の話をしてるのかなぁ…」僕が呟くと
「おい、ユージ、お前こっそり後ろに回って話聞いてこい」
当たり前の様に下田が言った。
「なんでオレなんすか…」
泣きそうな声でユージが言う。
「唯は何の話をしとるのかの…楽しそうに見えるな…」
大塚がそう言うと
「オレ行きます」
ユージはあっと言う間に植え込みから居なくなった。
やっぱり好きなんだな。
――――――――――――
「あの野郎…何話してやがるんだ?ちょっと二枚目でちょっとスマートでちょっと脚が長くて、ちょっと背が高いからって…」
オレはつい独り言を言ってしまった。
中腰で音を立てない様に公園の端を通ってブランコに近づく。
せめてベンチならすぐ後ろまで行って話が聞こえるんだけどな…。
ブランコの後ろへ回り込む。
小声で話してるから聞こえないんじゃないか?
「…」
「…」
話してるのは解るけど内容が解らない…
待てよ…
田仲もおかしくなってからは声掛けても反応しなかったよな…
じゃあ後ろに立ってても解らないんじゃないか?
思い切って後ろからブランコの安全柵を越えて近づく。
地下足袋だから足音はし難いだろ。
気付くなよ…
「…な、コトノさん」
「ええ、マサイチさん」
…マサイチ?田仲は違う名前だったぞ。
「…行こう…。付いて来てくれるね。」
「…ええ…行きましょう…」
何!?
ジャリッ
つい力が入って音を立ててしまった。
「…」
二人がゆっくりとこっちを振り向く。
ヤバい!気付かれた!
振り向いた二人の眼は黒眼が無かった。四つの白眼がオレを睨んでいる。
オレは走ったよ。
あの白眼が追いかけてくる気がしてさ。
マジ殺されると思ったからな。
…オレはその時、風になったね。
千の風にはなりたくないからさ。
「つまんねぇ事は言わなくていいんだよっ」
下田がユージの頭を叩く。
明け方の黄梅院のカウンターだ。
あの時、必死な形相でこっちに走ってくるユージの姿を見てみんな驚いた。
ユージが植え込みに飛び込んで来て、ブランコの二人を見ると田仲も唯も倒れていた。
抜けた様だ。
二人をそれぞれへ連れて帰ってから四人は黄梅院に集まった。
「なぁ大塚、あの二人って毎晩会って一体何をしてるんだ?」
「解らん。ただ、あの二人は憑かれているのは間違いないのだが…何者なのか…」
「田仲んちの裏に墓ありましたよね。あれ関係ないっすか?」
「墓に霊かぁ?ストレートだな」
「姉さん、そう言うけどやっぱり霊って言ったら墓でしょ…」
ユージは下田に睨まれて下を向いた。
「…墓か…行ってみるか」
大塚が言った。
ユージは仕事と言うことで爆音を撒き散らしながら現場に向かっていった。
僕たちは大塚の車で田仲のアパートまで行った。
アパートの横の路地を入ってやや坂道を上ると数十基の墓が建つ墓地があった。
「おい、これ見てみろよ」
下田が指す看板には
『告知
当墓地は土地収用法により○○年○月までに下記住所に移転します。墓地所有者は県庁※※課もしくは市役所※※課までご連絡下さい。』
と書いてあった。
しばらく前から在ったようで文字は薄くなって消えかけていた。
「…これだけ古い墓だと全部の所有者って解るのか?解らないとどうなるんだ?」
「造成する者のモノになるのかのぉ。」
三人で墓地の中を歩く。
古い墓が多い。
コケが生えてたり角が欠けていたり…雑草の中から墓の一部がちらほら見えていたりする。
大塚は急に立ち止まってある墓を見た。古くて傾いている。
「…ぬしら…これを見よ」
長年の風雨に打たれてかすれた文字が読める。
『○○政市』
「…まさいち…まさか、こいつかっ?」
下田が驚いた様に言う。
昭和四年三月十壱日没
墓の横の面には日付が彫ってある。
墓を見渡すと他の区画より広い。倒れてはいるが石灯籠の跡もある。
「こやつかもしらんな…」
僕らは辺りの墓を調べてみたがマサイチと読めるものは無かった。
政市の墓に戻って振り返ると田仲のアパートの部屋の真正面になる事が解った。
大塚はスタスタと車まで戻ってグローブボックスから地図を取り出してボンネットに広げた。
赤いボールペンで今の墓に記しをつけた。そのあと唯のアパートを探して直線を引いた。
「!」
その直線の先…唯のアパートを越えて河の向こうに墓地のマークがある。
その丁度真ん中に例の公園がある。
三人はすぐ車に乗って唯のアパートの先の墓地に向かった。
河を越えると『○○寺』という表示で登り道に入る。
いくつものカーブを抜けると古い寺があった。
その横には墓地が広がっていた。
車を降りた三人は墓地に入る。こっちは良く手入れされた墓地だった。
墓地は高台にあるので植え込みの隙間から下の街を見下ろせる。
河の向こうの唯のアパートを見つけて大体の見等をつけて『コトノ』を探す。程なく大きな区画の中に何基も同族の墓が建つ中の一つに『琴乃』の文字を見つけた。
昭和四年三月十壱日享年十七歳
これだ。政市と同じ命日だ
振り返るとやはり一直線に唯のアパートとその向こうに公園が見える。
「こやつがコトノじゃな」
「…同じ日付ってどういう訳だ?」
「自殺とか?」
下田が言う。
「心中かもしらんな。住職に聞いてみようかの。手入れがされている以上、誰か何かを知っとるかもしらん。」
僕らは本殿の方に行った。
本殿前の掃き掃除をしていたかなり高齢の住職を見つけて大塚が話をすると、住職は最初は不審そうだったが『政市』の名前を出すと
「懐かしい名前だなぁ…。」
と住職は目を細めた。
「わしはな、政市の五つ下の弟と友達でな。よく話は覚えておるよ…。」
そう言って話をはじめた。
あれは昭和に入ってすぐの頃、政市と琴乃は恋仲でな。
周りもみんな一緒になるだろうと思っていた。
しかし、両家共にここらを二分する程の商家での。好敵手…いや、お互い目の上のたんこぶみたいに思ってたのかもしれないな。
ある時、政市の父親が一か八かの勝負に出たんだ。
商船を買って外国航路の輸入商社を作ったんだな。
成功してたら琴乃の所なんか足元にも及ばない実業家になっただろうな。
…残念ながら取引先に騙された上に船が沈んでな。
その頃じゃ、政市が琴乃を嫁に欲しいと言ったのは。
勿論うまく行くはずがない。
両家から猛反対をくらってな。
政市の家は事業の失敗が祟って日本におれなくなり、一族郎党を従えて満州に行く事になったんだ。
勿論、政市も満州へ行かねばならない。
琴乃は行けるはずもない。出発の近づいたある夜、二人は駆け落ちをしようと夜中に…今は公園になっているが…ため池そばで待ち合わせをしたらしい。
後から聞いた話では以前からそこで夜中に逢い引きしてたのを見られていたらしい。
家の者が、琴乃が家に居ないのに気付いての。
探したんだが…二人は袂に石を詰めて飛び込んだ後だったんだ。
結局二人の仏様は翌朝、離れた所で見つかった。
お互いの腰と足を結わえていた腰紐が切れたんだな。
墓も河のこっちと向こうで分けられてな。
以前はどちらも菩提寺はうちだったんだがな。
没落していた政市の家は自分の小さな敷地に墓を移動しての。
…二人は死んでからも一緒にはなれんかったんだ。
わしが二十歳位の頃かの。
戦争はもう終わっておったが…ため池のそばで二人の幽霊が出ると噂があったな…
今はどちらの家系もない。
琴乃の家系の遠い親戚が来るがな。
…あくまでも同じ敷地にある自分達の関係する墓のためだ。
そうか…今でもおるのか…不憫よのう。
住職はそう言って本堂に帰って行った。
・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
その日の夜、唯のアパートに田仲も含めて集まった。
集合をかけたのは勿論大塚だ。
大塚はみんなに今日、僕らが見つけた墓の話から住職に聞いた事まで全て話した。
「…せめて二人で成仏させてやりてぇな」
とユージが言った。
みんながその気持ちだった。
「このまま続けても良いことにはならぬ。政市の墓が区画整理で造成されて無くなると、取り憑いたまま再度心中を図るかもしらん。…今夜霊を祓う。」
大塚がきっぱりと言い切った。
唯と田仲は目を見合わせて小さく頷いた。
昨夜と同様、田仲組と唯組と別れて待機する事になった。
・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
深夜2時前、昨日のテープを再現する様に、冷気と共に白い影が現れて田仲に覆い被さり同化すると、田仲は動き出した。
きちんと着替え、また僕とユージの事が全く見えぬ様に部屋を出た。
ヒタヒタと歩く足音が聞こえる。
後をつけながら解ったんだ。
裸足の理由。
多分、当時、夜中に家を抜け出す時に、家人に音を聞かれない様にするために履き物を履かず、裸足だったんだ。
「ロミオとなんとかってこんな話じゃなかったか?」
ユージからロミオとジュリエットの話が出るとは思わず驚いた。
が、確かにいがみ合う二軒の家と恋人が、家同士のいざこざとは別に夜な夜な会いに行く様はそうかもしれない。
月明かりに照らされる夜道を歩く姿は起きてる人となんら変わらない。
背中に恋人に会いに行く嬉しさが滲み出てる感じがする。
今日は既に唯は公園に到着していた。
僕らはこの前、身を隠した植え込みで大塚と下田と合流した。
田仲と唯…政市と琴乃はブランコに座って話をはじめた。
虫の声があちこちで聴こえる。
その虫の声が更に深夜の静さを際立たせる。
「大塚…」
「解っておる。始めるか…」
大塚はゆっくりと植え込みを出てブランコに進んで行った。
かなり近づいた所で二人が大塚の存在に気付いた。ゆっくりと顔を上げる。
月明かりに照らされる二人の顔は青白く、ユージが言った様に黒目が見えなかった。
大塚は手院を組み真言を唱える。
二人は一旦立ち上がろうとしたが立ち上がれないようでブランコに座ったまま大塚の方を見ている。カタカタカタ…とブランコが揺れる音がする。
驚愕とも畏怖ともつかない顔をして二人は震えている。
グワッっと声が上がって二人がブランコから崩れ落ちた。
僕らは見た。
倒れた二人から影が抜けていく。
抜けた二つの影はゆらゆらと揺れながらすうっと空中に舞い上がり、消えて行った。
僕らはしばらくの間、消えていった空中を眺めていた。
夜空には傾く月が煌々と光っていた。
・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
翌日、琴乃の墓のある寺の住職に報告を兼ねて会いに行った。
住職は僕らを見ると奥から古いアルバムを出してきた。
「あんたらが来てからちょっと思い出してな、探してみたらあったんだ。これを見てみぃ」
指す先の写真には何人もの人が並んで写っていた。
『昭和二年本殿※※※』
掠れて読めない文字がある。
「この本殿を改築した時の檀家衆との写真なんじゃ。…前の列の左端を見てみ。それが琴乃だ。」
「あ!唯だ」
つい口に出てしまった。写真の女の子は髪型が違い、着物を着てはいたが、その位よく似ていた。
「…残念ながら政市は写っておらんがな。色白のいい男だったぞ。」
大塚は二人をあの世に送った事を報告した。
「そうか。八十余年掛かったか…」
そう言うと住職は琴乃の墓に行き読経を唱えた。
僕らも手を合わせてきた。
・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
「あの二人付き合い始めたんだってさ」
下田が黄梅院のカウンターで言った。
「そうなの?…お似合いかもな。」
僕は正直に感想を言った。
「霊が取り持つ仲か。ロマンチックだな。」
コーヒーを淹れながら大塚は呟いた。
「あ、そうそうユージが寝込んでるんだよ。」
「風邪か?」
「いやぁ唯の話した翌日から食欲もないらしくてさ。何かに取り憑かれたかな?
あいつに取り憑く物好きな霊がいるかどうか解らないけどね」
下田はケラケラと笑いながら言った。
…僕は理由は解った。
今度ユージを誘って酒でも飲みに行こうと思った。
大塚と下田の会話は今度出来たラーメン屋の話に変わっていた。
女の子より男の方が繊細でロマンチックな部分ってあるんだよな…。
あの日、二人から離脱した白い影は寄り添うように消えて行ったのを僕は思い出していた。
おしまい。