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杏の霊譚  作者: ビスコ
21/29

あの日、俺は学校に向かう為にいつもの私鉄の駅にいた。


火曜日で朝からいい天気だった。

夏休みなのに補習授業で朝一から行かなきゃならない。

しかも数学だし。


「だりー」


小声で呟いてみたがダルさは変わらなかった。

遅刻には煩い学校だから、いつもこの混んだ電車に乗らなきゃならないんだ。

これ以上休んだら進級もできなくなるって担任が言ってたのを思い出す。

まぁ、早く社会に出たい訳でもないし、友達にも何人かダブりがいるから、それはそれでいいかな…とか思う。


あれ?


何だろ。視線を感じる…


反対側のホームから強く視線を感じた。


いた!


あの女だ。俯く様にして上目遣いで俺を見ている。



髪が顔に下がっていて睨んでいる事以外はよく解らない。


どこかで…


女の目付きは憧れだとか好意を持っている眼ではない。


iPodで大音量のラップを聞いているのに、女の声が聞こえる。

『忘れた?』


…!


…あいつは!


思い出した瞬間、猛烈な悲しさと虚しさが俺の中で爆発した。


死ななきゃ!早く死ななきゃ!死にたい…死にたい…


その考えで頭が一杯になる。


ホームの上の掲示板が電車がホームに入って来るのを伝えている。曲がったホームの端から電車が姿を見せた。


俺はダッシュした。



電車に飛び込むんだ!

それしかないっ!


電車は目の前まで接近している。

前に並んでる奴らを弾き飛ばしながら白線と黄色い点字ブロックを走り幅跳びの踏切線の要領でジャンプする!


これなら死ねるっ!



電車の甲高い警笛とブレーキ音とシルバーの車体が…



――――――――――――



「こんな朝早くからどこへ行くんだよ?しかも電車で」


午前7時30分。

僕らの住んでる街の最寄り駅から三つ程離れた乗り換え駅だ。

ここで北に向かう電車に乗り換える。


ラッシュの始まった駅の階段を人波に揉まれ下りながら大塚に聞く。

ザワザワした音と電車の発着音が大きいので耳元で話をする。


「車は修理中じゃ仕方あるまい。行き先は、切符を買ったであろう?漢字は読めるか?」


「行き先の駅は解るよ。そこからどこ行くんだよ?」

ちょっとだけムッとする。


「病院じゃ。」


「…大塚、どこか悪いの?」


「わらわではない。依頼者が病院におるのじゃ。…わらわの背では前が見えん。この階段で合っておるのかの?」


小柄な大塚は周りの学生やサラリーマンの波に呑まれると真上か真下しか見えないらしい。


「ああ。合ってるよ。迷子になるなよ」


「ん。」

真剣な表情で頷いた。


ホームに出た。

乗降客の集まる階段よりは空いている。


ふぅ〜と大塚が大きな溜め息をついた。


しかしこの時間の電車は乗ってからが地獄だ。


「満員電車は苦手じゃ。高山、少しでも空いた車両に乗ろう。」


僕らはホームを中ほどまで進んだ。


…!


何だか嫌な気持ちがする。背中に何かぞわぞわしたモノが這い上がって来る感じ。


大塚も気付いたらしい。

周りをキョロキョロしてその原因を探している。


「高山、あの男じゃ。嫌な感じがする。原因そのものではないと思うが…」


見ると茶髪の夏服の男子高校生だ。イヤホンが見える。音楽を聞いている様だ。

リズムを取っているのかユラユラと揺れている。


普通の高校生に見えるけど。


肩から掛けていたバッグがずり落ちて足元にドサッと落ちた。全く反応しない。


「高山、あの男何かしでかしそうだ。近くへ行ってみてくれ」


いきなり暴れたりしたらイヤだなぁと思いながら近づく。


僕がそばに寄ると男は急に走り始めた。

前に並んでる人をかき分けながら。

入線してきた電車に向かって。


中学、高校とサッカーでFWをしていた僕はダッシュには自信があった。

…暫くしてないから、思った様に脚が動かない。

でも、なんとか追いついて男の襟首を掴むと手前に引き寄せる様にして転がる。

サッカーならイエローカードで相手のフリーキックだ。


叫び声とブレーキ音と警笛が耳をつんざく。


一緒に転がった僕の目の前10センチ位前をシルバーの車体が通っていく。


相手の男は目を見開いたままホームの端に仰向けで転がっている。


向こうから審判の様にホイッスルを吹きながら駅員が走って来たのが見えた。




――――――――――――



一時間目は数学。


殆ど誰も聞いちゃいねぇ


オレも全く聞いてねぇ


聞いても解らないし解りたくもない。

外国語にしか聞こえないしΣとか何に使うか解らない。


だからさっきからバイクの雑誌を読んでる。

ダチのマサキの雑誌だ。

隣の席だけど来てねぇ。休みかよ。オレもサボりゃ良かった。

あいつ、昨日数学出るって言うから来たのによ。

しかし眠いな。

外は今日も良い天気だな。

てか、真面目に補習に来てるんだから、クーラー入れてくれりゃいいのによ。

四階だけど風がなけりゃ朝からマジ暑い。



…?


校庭の端に女がいる。

誰だあれ? サボりか?

あんな所で先公に見つかったら五月蝿く言われるぞ。


…あれ?…見たことあるな…


『忘れた?』


オレの頭の中に女の声が響く。


ボロボロと涙が零れる。


「死にてぇ…」


窓に走り寄って外に飛び出した。


地面に落ちる直前、逆さに写るあの女が見えた。


笑ってやがる。


グシャっという音が聞こえた。



――――――――――――



「…という訳です。」

「フラついてるのを見て、おかしいと思ってたら飛び込みそうになったから飛び付いたんだね」


目つきの悪い五十嵐と名乗った刑事は言った。


場所は駅の鉄道事務所。

自殺未遂だとは思われたが、一応、救急車と一緒に警察に電話したらしい。


誉められこそすれ、まさか犯人扱いとは思わなかった。


五十嵐刑事は何度もネチネチ『状況を教えてくれる?』と同じ質問を繰り返した。


「はい。そうです」


「ふーん。…カメラの映像だと、かなり手前から君が彼に近づいて行くのが写ってるんだけど…。

見方に寄っては彼は君から逃げて飛び込みそうになった様にも見えるんだよね…。」



「だから初対面だって言ってるじゃないですか!」


「何でそんなにムキになるかなぁ?」


口元は笑っているがヘビの目の様な冷たい目は笑っていない。


「そんなんじゃ…」…ないです。

話してる途中で若い刑事が入って来て五十嵐刑事に耳打ちする。

チッと舌打ちして


「高山さん。もういいですよ。ご協力ありがとうございました。」


と面白く無さそうに言った。


「…後ろから見てた人が彼は一度も振り向かなかったって証言取れたから」


と若い刑事は言った。


事務所を出ると、大塚が待っていた。


「人命救助お疲れ!」


笑いながら言う。


笑い事じゃないよ。肘擦りむいてまで助けたのに、犯人扱いなんだぜと怒りながら言う


「病院に行こう」

と大塚は言った。


「大丈夫だよ。こんな擦り傷くらい。」


「違う違う。依頼者のいる病院だ」

と言った。


――――――――――――



眼が覚めたら10時を回ってた。


家の中はしんとしている。


両親とも仕事に出掛けたんだろう。

朝、親が何か言っていた気がするが靄が掛かったみたいに覚えてない。

夕べ飲みすぎたかな…

…まじい、一時間目数学の補習だったっけ。


ベッドを降りて一服してカーテンを開ける。


下の道に誰か立ってる。



女の子?


何だかこっちを見ている。


何か話している様だ。


『覚えてる?』


頭の中にパッと声が広がる。


ポロリとタバコが落ちる。

死にたい…今すぐ死ななきゃならないんだっ


何かないかっ


ライターのオイルが目についた。赤いノッチを引っ張り出して頭から掛ける。

細い糸の様にオイルが頭から顔に垂れてくる。

パジャマ代わりに着ているTシャツがオイルで皮膚に張り付く。

皮膚についたオイルがピリピリする。


部屋中がオイルの匂いで充満する。

躊躇せずライターを取り出して火を点けた。


ボッと音がして上半身が炎に包まれる。


不思議と熱くない。

髪の毛の焼ける匂いがした。


ああ…息が吸えない。



苦しい…


意識が無くなる直前、炎の音の向こうに確かに女の笑い声を聞いた。


ああ、あいつだ…



――――――――――――



電車が目的の駅に着いたのは10時前だった。駅前からタクシーに乗って病院に向かう。


「なぁ、大塚、さっきの高校生は原因そのものじゃないって言ったけどさ、他に原因あったか?」


「いや、あの気は途中から消えた。しかしちゃんと違う原因が他にあるはずだ。」


タクシーは街の外れの総合病院に着いた。


僕らはタクシーから降りて、敷地を斜めに通り抜けてメインの建物の横に回り込んだ。


その奥に別棟があった。

大塚はどんどん歩いてその別棟に入る。

入り口に『入院棟E』

と書いてある。


受付は普通の病院と同じだが受付カウンターの中には警備員もいる。


来訪者名、目的、入棟時間を書くのは他とも同じだが、ここは中の患者か、その家族が了承しないと棟内にも入れないシステムだった。



受付前のベンチで警備員に睨まれながら待つと、暫くして中から着物を着た女性が出てきた。


「大塚さんですか?タザキです。今回はご足労願いまして…」

と頭を下げた。


「遅れまして申し訳ありません。」

と頭を下げると


「いえ、先生には話をしてあります。先程いつもの発作は終わったのですが、遅れられると言うことでしたのでビデオで撮影してありますから。」

と言った。


後から医師が出てきて一緒に中へ通される。


朝が早かったのは発作の出る時間に合わせたからの様だ。


中は普通の病室ではなかった。

途中には鉄線の入ったガラスの入った電子ロックの扉が2つもあった。


「こちらです。」

ある病室の前でタザキと名乗った女性は言う。

医師と強そうな男性介護士が二人付いて一緒に入る。


病室はヒヤリとした空気が広がっている。


中には女の子が眠っていた。


正確には目を閉じて横になっている。


ベルトで固定してある腕が痛々しい。

口には何か黒い革のベルトで固定されている。

「今はおらんな…」


と大塚が呟く。


「こんな感じで大人しい時もあるんですが…発作の時には暴れて…発作の後は今の様に眠るのです。」


「最初はどんな感じだったのですか?きっかけは解りますか?」


「あれは二週間前です。脂汗を流して帰ってきまして…わたくしの勤めが終わる頃でしたから午前2時を回っていたと思います。」


「娘さんはいつもそんな時間に?」


「はい。お恥ずかしいのですが、なかなか時間が合わなくて。わたくしも勤めが夜なので…

あまりキツくも言えませんし。言えば聞き分けのいい娘なので早く帰らせる事もできたのかもしれませんが…

…とにかく具合が悪そうだったのですが、いきなり白眼を剥いて自分で自分の首を絞めたり壁に頭をぶつけたりしはじめて。


落ち着いたと思ったら急に怯えて部屋の隅で叫び続けたり…。店の黒服呼んで病院へ担ぎ込んだ次第です。


「何が原因かご存知ですか?」


「解りません…」



「…ではビデオを見せて頂けますか?」


「こちらへどうぞ」

僕らは面談室とプレートのある部屋に通された。


ビデオのスイッチを入れると乱れた画像からパッとさっきの部屋の画像に切り替わる。


さっきと同じように女の子が眠っている。

先生が左下の時計の表示を見ながら早送りをする。


再生になる。


『キィィィ…』


「始まりました。」

医師が平板に言う。


ガチャガチャと拘束具が音を立てる。

固定してあるので暴れてる様には見えないが動ける手先や膝は激しく動いている。



『…ひ…たひ…からしてっ…』


「舌を噛み切る可能性があるので、口枷もしてあるので…『死にたい』『殺して』と言っています。安定剤も睡眠薬も効かなくて。…この後です。」


『許さない…絶対許さない…お前たち…』


はっきりとした口調だ。


「あれ?口枷してるんですよね?」

「はい。歯を噛めないようにしてあるので、『ラ行』や『濁音』は発音が出来にくいはずなんですが…しかも声が違うんですよ。」


「なぁ、大塚どういう事なんだよ?」


大塚は眉間にシワを寄せて見入っていたが


「…時計を戻して下さい。ビデオを巻き戻してということですが。」

と先生に言った。



ビデオを巻き戻して再生し直す。

じっと画面を見つめていた大塚が停めてっと叫んだ。


ポーズさせる。


「こやつじゃ」


大塚の指す画面…女の子の寝ているベッドの向こう側に何かいる。


周りの人達も画面を見つめる。


「キャーッ」

「何だこれは?」

「人か?」


叫び声が重なる。


ベッドの向こう側から顔が覗いている。頭から鼻の下まで見える。

顔色は白く眼は全てが黒いが間違いなくベッド上の女の子を見ている。

手が異様に長く伸びて女の子の首筋を掴んで居るように見える。

「こやつが原因じゃ。

呪いだな。

深い怒りと怨念が見える。思い当たる節はないか?」


「…私には解りません…娘が呪われているという事ですか?」


「そういう事だな。余程の念だ。当人と会話はできないのですか?」


「脳、血液検査、MRIでも特に異常はないんだけど、脳波的にずっと睡眠状態で、会話をする事ができないんだよ。」

と医師。


「…やはりあの霊が来るのを待つか、若しくはあの霊のいる所へ行かねばならぬな。」


大塚はそう言って母親と暫く話をしていた。



――――――――――――



眼が覚めた。


病院の様だ。


俺、電車に飛び込んだよな…


死ねなかったのか?


と言うか、何で死のうと思ったんだったっけ…


…あの女だ…


あれはタザキの命令で…


もしかしてあの女が…

いや、タザキは大丈夫だって言ったよな。

お仕置きみたいなものだって。

当人もいいって…

確かに薬と酒で訳解んなくなるまでベロンベロンにしたけど…


ヨシオとリュウジも同罪だよな…俺だけじゃないだろうな…


目を覚ました事に看護士が気付いたらしく、白衣の医者と警官も一緒に俺のベッドサイドまで来た。


両親には連絡をしたがすぐには来れないらしい。

来なくていい。あの二人は俺のことなんかどうでもいいんだから。



刑事になぜ自殺しようとしたのかと聞かれた。


「解らない。」そう答えた。


あの女は誰なのかと聞かれたのではないから、それは本当だった。



――――――――――――



「これからどうする?」


「さて、どうするかな…。あの病室でずっと待つ訳にはいかんだろうし。あの娘の過去や日常も解らん。携帯はロックが掛かっていて名簿も発着信も解らん。」


病院の最上階にあるレストランで僕たちは軽い食事をしながら話をしてた。


「母親が何か見付けてくれるのを待つしかないのかのぉ」


「…だな。それはそうと今朝の高校生はどうなったんだろうな…」


「外傷は無いのだから問題あるまい。気になるなら五十嵐とやらに電話して聞いてみたらよかろ」


「あの人苦手なんだよな」


確かに五十嵐刑事から名刺は貰ってはいるが…。



取り敢えず明日早朝からまた病院に来る事にして一旦引き上げる事にした。


帰りは病院から駅まではバスで移動だ。


バス停には駅に向かう患者が多くいた。

列に並んでボヤッとする。

今朝は早起きしたので眠い。


「携帯がなっとるぞ」


「え?…あ、ああ」


『五十嵐だ。高山君か?』

あの刑事から『君付け』で呼ばれるとは。

朝の学生が意識が戻ったからすぐに病院に来て欲しいと言った。

語尾に欲しいと付いたが、実質は命令だ。断ればどうせ家にでも来るだろう。

病院で彼に合わせて本当に知り合いでないかどうか調べるのが目的だろう。


大塚に話をするとおかしそうに笑った。


僕らは電車に乗って朝の駅まで行ってまたタクシーに乗って違う病院に向かう。

大塚には帰ってもいいと言ったのだけれど、付いて来ると言う。


「そんな楽しそうな事、行かぬ訳があるまい」

と言った。


やれやれ。



学生のかつぎ込まれた救急病院に着きロビーに入るとすぐに五十嵐の四角い顔が、ぬっと現れた。


「悪いねぇデート中に」


大塚と僕を見て全く悪びれもせずそう言った。


まぁデートではないんだが…


病室に入ると今朝見た学生がベッドで横になって点滴を受けていた。

目は開いていたがどこを見ているかはっきりしない感じだった。

この学生が僕の顔を見て『テメェ』とか言ったらどうなるんだろう…と五十嵐の横顔を見ながらそう思った。


「誰だよ」

五十嵐が声を掛けると、目の焦点が段々合ってきてそう言った。


「高山君だ。知らないか?」


「知らねえよ。…まさかミツエの?」


「ミツエ?」


僕と五十嵐は同時にその名を聞き返した。


「…ち、違うならいいんだ。」学生は急に目をそらせた。


「おい!ミツエって誰だ!?」

五十嵐の野太い声が病室に響き渡る。



その時、医師が部屋に来て五十嵐を呼んだ。

廊下で少し話していたがすぐ病室に帰ってきて、平板で囁く様に学生の耳元で言った。


「お前、覚醒剤やってんだってな。」


学生は顔色が青くなった。


「薬やってんならこっちも下手にゃでねぇぞ!てめぇ、知ってる事全部話せやっ!」

まるでその筋の人だ。


「知らねえよっ!知らねえってば。タザキが…」


また出た。知らない名前…いや、どこかで聞いた名前だな…。


「タザキリサの事か?」


大塚が言うと学生はギクッとして小さく頷いた。


「あんたらタザキリサっていう奴を知ってるのか?」

五十嵐が僕らを振り返ってギロリと睨む。


「今、会って来た所だ。他の病院でな。」


「どこか悪いのか?」

学生が聴く?


大塚は何も応えなかった。


「そのタザキとミツエがどうした?」


五十嵐が聞いた。


学生は横を向いて黙り込んだ。


「ダマかよ?仕方ねぇ署まで行くか。」


そこで僕らの方を見て


「あんたらもな」と続けた。


手続きの為に他の刑事を病室に呼んだ。


最悪だな。タザキリサを介して僕とこの学生が結びついちゃったよ。

『僕とこの学生がタザキリサを巡って争った。駅で見付けて殺そうとした』というのが五十嵐の頭に浮かんでいるのは間違いない。


やれやれ。面倒だな。


移動についてだろう病室の隅で刑事二人が話をしていた。


「うぁ…」


学生がガタガタと震え始めた。


窓の外を見ている。


その視線の先には…



窓の外に女がいた。


上から逆さに覗き込んでいる。

真っ白な顔で目は黒目だけ。口は真っ赤になって笑っているように見える。


二人の刑事にも見えている様だ。病室にいる全員が窓を見つめている。


叫びたいのに叫べない。



「うわぁぁぁぁぁ…ミツエぇぇぇーっ!」


学生はベッドから飛び出して止める刑事をかわして廊下に走り出した。


刑事は慌てて追いかける。


窓の顔はすうっと上に上がって行った。


僕らも病室を出る。階段から五十嵐の声が聞こえる。

屋上に向かった様だ。


僕らが屋上に着いた時、学生がフェンスによじ登ろうとしているのを刑事二人が必死で止めていた。

飛び降りようとしている。

「死にたい」

と学生の声も聞こえる。


振り向くと女が空中に浮かびながら学生の方を見ているのが解った。

大塚は手印を組み、その女に真言を唱えはじめた。


男の死にたいという声と、それを押しとどめる太い声と、大塚の真言の声とが病院の屋上で交錯する。


『邪魔しないで』


僕の頭の中に鮮明に言葉が聞こえた。


それと同時に学生は急に力が抜けた様になって刑事にフェンスから下ろされ、女は姿が消えた。


刑事に両方から抱えられる様にされながら学生は病室に戻された。


学生はポツリポツリと話はじめた。


途中、五十嵐が学生を恫喝したり、若い刑事がウラをとるために外に出たり医者が注射したり色々あったが僕らは何も言わず話を聞いた。



――――――――――――



リサの我が儘が元の原因だった。

リサとは街で知り合った。

女の子を何人か連れて歩くリサは盛り場でも目立った。

しかも顔が広く、どの店に行っても知り合いがいた。

高級クラブをオーナーママとして経営してる母親のコネクションもあったと思う。

学年は一つ違ったが見た目は美人だし金回りもいい。

遊んでも食べても呑んでも大概は払いは無くて済んだ。

リサの知り合いと言うだけで色々と得させて貰う事も多かった。

当然取り巻きも多かったが、俺たち三人は別働隊として使われてた。


要はやりにくい事をやらされる係だ。誰かを潰したり、嫌がらせをしたり。

そんな大した事はしてなかったけど、そんな事ばかりで段々嫌になってきた。


夏前にリサに呼び出されて、ある女の子を襲ってくれって言われた。それがミツエだよ。


中学時代の友達だったらしいんだけど、久しぶりに会って何かあったらしい。


今までそんな事した事ないから後込みしたんだ。

けど…俺たちがクスリやってる事バラしてやろうか?って。

街に住めなくしてやろうか?とも言われた。

断れないじゃん。

でも嫌だったから、なんだかんだと理由つけて引き伸ばしてたら、あのミツエって女がリサの彼氏にちょっかい出してるんだって言うんだよ。

だから潰したいって。

どうしても嫌ならクスリやらせて酒飲ませて当人に聴いてみろって。そしたら本性表すって。


――――――――――――



「…でやったんだ。」

若い刑事がため息混じりに言う。


「ああ。そしたら後から解ったんだよ。

ちょっかい出してたのはリサだったって。

仲良い2人の仲を壊したかっただけなんだってよ。

男にちょっかいだしたけどガードが固かったらしくてさ、だから逆に女の方をって事なんだってよ。

しかも俺達がミツエにクスリと酒を飲ませたあとでリサやって来てさ、全部ビデオで録ったんだよ。

最悪だろ…ああ解ってるよ。俺たちが最悪だって事はさ。

でも俺たちも驚く位あいつは最低だぜ。」


「それでミツエは?」


「…しらね。二人は別れたらしいけどさ。噂だけなら…何でも学校辞めて自殺したってさ。」


「自殺に追いやったのか…」


「結果的にはそうかもな。」


「てめえ、薬やって自殺に追いやった…タダ済むと思うなよ」

五十嵐が真っ赤になって耐えながら静かに言った。


若い刑事が


「マエダヨシオとタキリュウジってお前の学校だよな?」


と聞いた。


「ああ。その二人が今言った俺の仲間だよ。そこまで解ってるんなら警察は全部知ってたんじゃないのか?」


「…今朝、死んだよ。飛び降りと焼身自殺だ。」


「!」


驚いた顔をしていたが、黙って呟いた


「…やっぱ俺も…責任とらなきゃな」


「司法でも責任とらせるからなっ」

五十嵐は言った。


「ただ死なせはせぬ。その責任とやら見せて貰おうではないか。」

大塚はそう言った。




――――――――――――



僕らは病院を後にした。


「なぁ、大塚、あいつさ、『死にたい』って言ってただろ?実際死のうとしてたし。でも、我に返るとそんな様子は全くない。なんでだ?」


「思考の滑り込みだろう。

相手の強い思考がその者に入り込むのだ。

要はミツエはそう思って死んだのではないかな。

恨む相手も同じ気持ちになるのだ。」


刑事と学生も医者の許可が出次第、警察へ移動するらしい。


「ミツエの事を調べなくては…」


大塚はタザキの母親に電話をしてリサの部屋から電話帳は無いか聞いた。

『以前使っていたリサの携帯がありまして、こちらはロックが無いので…』


「その中にミツエと言う名前はありませんか?」


『…無いようですね。最近のお友達なら入っていないかもしれません。』


「これからそちらへ行きます」


そう言って電話を切った。


タザキの自宅は高級住宅街にあった。


こぢんまりとはしているが、如何にも高価そうな造りだった。


中から出て来たタザキの母親はどうぞと中へ案内してくれた。


娘のリサの部屋に入れさせてもらう。


きちんと整理が出来ていて如何にも女の子の部屋といった感じだ。

家具は白が基調でポイントは金色だ。

さっき聞いた話の女の子と同じ人物の部屋とは思えない。


「我が娘ながら躾はしっかりしてますので…素直だけが取り柄の様な娘で…」


「タザキさん。ちょっと携帯を見させて頂いて宜しいですか?」


大塚は名簿をざっと調べてから言った。


「ありました。『横光エリ』。」


「横光って?…ああヨコ・ミツエ・リ…」


「恐らくな。あとお母さん、部屋を見させて頂いて宜しいか?」


「どうぞ…」


大塚は手印を組んで何やら呟くと、手を叩いた。

手を叩いた音を聞いて、


「このクローゼットを開けてよいか?」


と言った。


母親が頷いたのを確認するとクローゼットを開ける。


掛かっている服をズラすと奥にやや大きめな黒い箱が置いてあった。

服の奥だと見えにくい。


その箱を取り出す。


「お母さん、開けてみて下さい。」


母親は訝しげな顔をしながら箱の蓋を開けた。

中には丸めて輪ゴムで止めた一万円札がゴロゴロはいっていた。

透明なパックに詰めてある白い粉状の物。安定剤やら睡眠薬やらの薬多数。

注射器、注射針、アルコールランプ、電子量り。医療用手袋と生理食塩水、金属さじ。

8ミリサイズのビデオとDVD。

写真の束…


「な…なによっこれはっ!!」

母親は青ざめている。


「これが娘さんの母親に見せなかった一面だ。」


「…なんでっ!?なんであの子がっ!」


母親はペタリと座り込んだ。



放心状態の母親の横で大塚は『横光エリ』の携帯に電話をいれた。

呼び出しも鳴らない。


大塚は名簿の下の名前に電話を入れた。


「久しぶりー。私よ私。ミツエって知ってる?」


…なんてストレートなんだ…オレオレ詐欺かよ…


『ミツエ?あの子入院してるわよ。○○病院らしいけど…ってかあんた誰?』


「リサのダチ」

それだけ言って電話を切った。


「高山!次は○○病院だ!」

僕らは放心状態の母親をそのままにして住宅街を後にした。



――――――――――――





静かな病室に電子音が一定のリズムで鳴り、それに合わせて大型獣の呼吸の様な音が聞こえる。


疲れきった表情の中年の男女がベッドサイドの椅子に座って、ベッド上のチューブに繋がれた娘をやるせない目で見つめている。

既に今が何日で何時かも解らない。


男はあの日が、昨日の事の様にも、もっとずっと前の事の様にも感じた。


『あなた!!エリが!!エリが…!!』

叫び声と妻の金切り声で何かが起きた事が解った。

結婚して二十年、初めて聴いた妻の叫びに身の毛がよだった。エリの部屋に飛び込んだ時、目を疑った。ぐったりしたエリに覆い被さる様にして肩を揺すっている妻がいた。

エリの白い顔が青くなり目を見開いたまま、妻に揺すぶられるまま、首の据わらない赤ん坊の様に頭がガクガクと動いていた。

男の声が聞こえたが、それが自分の口から出たものだとは思えなかった。

それからは良く覚えていない。

ノート一冊全てに細かく几帳面な娘の文字で書かれた『死にたい』の文字とどこで手に入れたのか、大量の薬と空いたパッケージ。

警察には薬の大量摂取に依る自殺未遂と断定された。

医者には脳に深刻なダメージを受けていて回復する可能性はないと断言された。


ベッドサイドにある小さなキャビネット位の大きさ位の機械であのエリは生かされているんだと思うと悲しい。


時々脳波が動く。

暫く光の点が機械に付いた画面で動いているが次第にまた元の穏やかなラインに戻る。


口に挿入されたパイプが痛々しい。抜いてやりたい気がする。勿論外せば死んでしまうのは解っているが。


しかし何故死にたいと思ったのだろう…ノートには『死にたい』と書いてあったが…。あの日から毎日考え続けている。考えて解る事ではないのだろうが。

医者と看護師が来る。

おざなりなチェックだけをして病室を出て行く。


次は6時間後。カルテに著変なしと書き入れるのだろう。



『もうすぐだから』



「えっ!」

妻もこっちを見ている。


間違いようがない。エリの声だ。

「…あなた何か言った?」


「お前にも聞こえたよなっ?」


二人とも頷きエリを見る。


…有り得ない。あんなに太いチューブが口に入ってるのに話せるはずがない…


『もうすぐだからね』

また聞こえた。


間違いない。エリは我々の頭の中にに直線話しているのだ。


妻と私はエリの手を握りしめ声を抑えて泣いた。


――――――――――――





僕たちが○○病院に着いたのはもう夕方になっていた。


面会手続きをした。受付はコンピューターを操作してから、面会は許可できないとあっさり言った。


「高山、五十嵐に電話だ。」


僕は一旦外へ出て五十嵐刑事に電話をした。


『五十嵐だ。何だ?今更こいつと知り合いだったとか言うんじゃないだろうな?』


…んなワケないだろ


大塚が代われと言うので携帯を渡した。


「ミツエをみつけた。さっき上から覗いてた奴だ。

これから会って話をして来ようと思う。」


『本当なのか!?どこだ?どこにいる?』


「言えんな。」


『お前ら関係者に勝手に会うな!!

今回の件は覚せい剤の件が絡んでるかもしらん。下手に会えば飛ばれるか隠滅されて地下に潜る。』


「だったら警官と一緒ならいいのか?こちらも人の命が掛かってるからな」


暫く沈黙があったが

『…解った。俺が行って一緒なら同席を許す。場所を教えろ。』

と言った。



――――――――――――



○○病院…

なんであいつらそんな所までたどり着いたんだ?


あの学生を署に同行してる間に課長に連絡して、所轄の少年課と生活安全課と地域課の応援を貰って、やっとタザキリサが誰か解った位なのに。


…あの高山って兄ちゃん、全部知ってるんじゃないだろうな…



覆面パトカーはサイレンを鳴らしながら夕方混み合う街中を○○病院に急いだ。



――――――――――――



「面会しても何も話せませんし理解もできないと思いますが…」

警察の面会要請に医者が受付まで飛んで来た。

神経質そうに眼鏡を何度も押し上げながらそう言った。


「構わないから会わせてくれ」五十嵐は強く言った。


「あと、ご両親の許可がないと…」


「じゃあ先に親に合わせてくれ。」



医者は渋々といった感じでカンファレン室に僕たちを通してくれた。


エリの両親は憔悴していた。


僕は正直、気の毒で仕方なかった。

こんな時に話さなきゃならないんだろうか…と。

確かにあの学生とリサ、二人の命が掛かってはいる。

でもそれは自業自得だと思う。

仲良い二人をリサのワガママで最低の行いを持って踏みにじって潰したんだ…。


エリがしているのは当然の様に思う。

「…警察の方がどの様なご用件ですか?」


頬の落ち窪んだ父親が小声で尋ねた。


「五十嵐です。私の話より前にまずは…」

憎々しげに僕らの方を顎でしゃくって言った。

「…こいつら…いえ、この者達の話を聞いてみて下さい。」



大塚は少し頷いてから静かに言った。


「娘さんの事は警察からも聞いています。…失恋による突発的な自殺との話でしたが、本当の理由が解るとしたら…」


父親はパッと顔を上げて大塚を見た。


「本当に解るんですか?」

すがる様な眼で大塚を見ながらそう言った。



「恐らく解ると思います。が、ツラく厳しい現実を見る事になるかもしれませんが、宜しいか?」

大塚の声は厳しいものだった。

一瞬、父親は躊躇する様な表情を見せたが、キッとした表情になってはっきり言った。


「どの様な話でもお聴きしたいと思います。…それを聞いて理解し、親として娘にしてやれる事をしてやらねばなりません。」


「…そうですね。私も出来るだけ協力します。まずは娘さんの所へ。」


我々は病室へと移動した。




エリはベッドの上でチューブに繋がれていた。

心音と呼吸と脳波のモニター音が病室に響いていた。

目はうっすら開いている様に見える。


「…この子だ。さっき…」

五十嵐は信じられない顔をしている。


そう、僕も解っていた。

ビデオの画面やさっきの病院で上から覗いたり屋上で浮いていたりしていた女の子だ。


でも僕は原因を知っているからか怖さは無かった。


「…」

大塚は女の子を見つめていたが、手印を組んで言った。


「皆、これから何が起きても騒ぐでないぞ」


病室に大塚の声が流れた。



モニター画面も音にも変化も無く一定している。




『…やしい』



 !



ピーンと張り詰めた空気の中、頭に声が響く。


『悔しい…。』


はっきりと聞こえる。


『騙された…。


…許さない。


カズも。


…でももうすぐ終わる


あと二人』



「…カズ?」


『…。』


「ぬしが連れて行こうとしている二人、連れて行っても何の役にもたたぬ。」



『…』


「止めておけ。カズは彼か?」


『…あの世で永遠に…


…永遠に…苦しめてやる』


「…両親の気持ちはどうなのだ?」


『…』


それから先は何を大塚が話しても声は聞こえなかった。


ただその後も大塚はぶつぶつと何やら話していた。



病室を出るとエリの父親が彼の話をはじめた。


エリとカズは仲良く付き合っていた。いずれ結婚という事になるだろうと思っていたと言った。


「…ですが、ある日、『私に問題があってもう会えなくなった』と言ってました。

娘に聞いても何も言いませんし、彼に何があったのか聞いてみようと思ったのですが、『絶対に連絡はしないでくれ』と懇願されたので…。

娘がこうなってから連絡したのですが、彼は事故で亡くなっていました。」


「…うむ」


大塚は腕組みをして考え込んでいた。


父親は次に五十嵐から話を聞かれる為、カンファレンス室に連れて行かれた。



「ちょっと良いか?」

大塚は僕を連れて病院の中庭に向かった。


「なに?」


「ぬしの考えを聞きたい。

エリは絶望から自殺に走った。それは薬や酒があったとは言え、自分の心に隙があったからだと思った。勿論リサ達のとった行動やワガママは許し難い。

…ここまでは良いな?」


「ああ」


「リサ達は恨まれる理由は解る。では彼は?

自分の責任ではないのに自ら手を引く様な女が、なぜ彼を?」

「…それはエリがしたのではなくて本当に普通の事故だったんじゃないか?」


「一度は結婚まで考えた女が理由も言わず、いきなり別れると言ったら?」


「…理由を知りたいよな…」


「もし万一、好きな女が騙されてそうなったと知ったら、ぬしはどうする?」


「…そういうめに合わせた人間を恨むかな。女は恨まないよ。」


「だよな。つまりはどちらにしても女は嫌われる事はないよな?」


「何が言いたいんだよ?」


「あの娘の言葉覚えておるか?『カズも』、『苦しめてやる』って言ったであろう。

憶測だが彼もリサに踊らされておったのだろう。結果エリは裏切られたんだ。

だから彼も対象になった。」


「…」


「エリの想い遂げさせてはマズいかのぉ…」


「そりゃダメだろ…本心を言えば僕もそうしてやりたい。…でもやっぱり…」


「…じゃの。すまん。病室へ戻ろう」

そう言って歩き始めた大塚の後ろ姿は只でさえ小さいのに更に小さく見えた。



五十嵐と若い刑事、医者、エリの両親を病室に集めた大塚は話始めた。


「まずはご両親に聞く。これから行う事は他言してはならぬ。よいな。五十嵐殿、警察として今から見聞きする事は証拠にはならん。ただ役には立つかもしらん。ドクターはわらわがする事が…話をするだけだが…医者の立場でマズいと思ったら止めてくれ。」


みんなが頷くのを見届けてから大塚は手印を組んで真言を唱え始めた。


唱え始めて暫く経った。

大塚の額に汗が滲む。


ピーと電子音がなった後、グリーンのランプが点いて電子音が消えた。


脳波の波形が波打ち始める。


冷静な医者が驚き

「ありえない」

と言った。


指先が動き口のチューブを外そうとしている。

医者が慌てて看護師とチューブを外す。



うっすらと眼が開く。


「エリっ!」

両親が娘の側に駆け寄る。


娘は両親の姿を見るとにっこりと笑った。


「お父さんお母さんごめんなさい…」


「エリっ良かった。良かったよ…」


「…いつまでもはここには居れないの…」


大塚は真言を唱えている。止める訳にはいかないと事前に言っていた。

僕は大塚に前に渡されていたメモを読んだ。


「あなたは自殺したのか?」


「…フラッシュバックが酷くって。

目を閉じると私がクスリで飛んでて、信じられない様な事をしてたり、リサにビデオ撮られたり…脅されたり…

ツラくてツラくて…薬を沢山飲んで忘れたかった…バカよね…。」


「酷い事をした相手に恨みは?」


「あるわ…。

だからかな…変な夢を見てたの。

あの人達を…殺す夢。

カズも。

…バイク運転してた。リサの事考えながらね。

リサに言われたとは言え私にした事はあまりにも酷いでしょ?カズは元からリサの計画が解ってたんだから。

…だからヘルメットのバイザーを手で隠したの…。

でもね…あなたと女の子が夢に出て来て、男の一人を殺すのを邪魔したわ。あとリサは雁字搦めにベッドにされてるし、眠ってしまって…話もできない。

…あの二人を夢で殺せば私はフラッシュバックに悩まされる事なく、心静かにゆっくり眠れるの。それは解ってるのよ。」


「…」

僕は何も言えなかった。


「エリ、夢とは言え、そんな事しちゃダメだよ。父さんと母さんでどうにかするから。」


エリも両親も泣いていた。


五十嵐と若い刑事を連れて僕は外に出た。

大塚と医者は残らなくてならないが、家族水入らずの時間を作ってあげたかったんだ。


五十嵐はナースセンターの電話であちこちに電話をいれていた。

それから一時間程してナースセンターがバタバタし始めた。

医者が何人も病室に入って行った。


看護師に両方から抱かれる様にして大塚が出てきた。


「大塚っ」


「大丈夫じゃ、疲れただけだ。」

大塚は近くのベンチに横になってそう言った。




それから2時間程してエリは旅立った。


両親に言われて見たエリの顔は、安堵に包まれた様な穏やかな表情だった。

僕はゆっくり眠って欲しいと心からそう思った。



――――――――――――



「なんだか虚しいな」


黄梅院に戻って大塚とコーヒーを飲みながら言った。


「そうじゃの…」


「最期はどんな話をしてたんだ?」


「聞いておらぬ。わらわにはデリカシーがあるからの。…真言の最中は集中しておるから何も聞こえぬのだ。」


「…僕さ、大塚すごいって思ったよ。医者も言ってたけど。話が出来る状態じゃ無かったんだろ?」


「当人も話したかったのだろう。わらわにはエリの昇天が近い事が解ったからの。最期に何をしたいか申してみよと言っただけなのだ。」


「しかし凄いよ…お前。」


「今頃気付いたのか。」


満更でも無いように少し照れながら大塚は言った。


「後はどうなるのかなぁ。エリはもう居ないんだろ?」


「エリはおらぬ。マサキやリサがどういう対応をするかに掛かっておるのではないかな。それにあの五十嵐が黙ってはおるまい。」


そう言ってニヤリと笑った。



――――――――――――



五十嵐から電話があったのはそれから暫く経ってからの事だった。


その後、タザキの母親は店を畳み、娘と一緒に街から姿が消えた。

親しくしていた黒服の話では田舎の病院に入院しているらしい。

リサの容疑が固まり次第、補導になるとの事だった。

但し、眼が覚めればと言う事だ。


学生…マサキは補導されて更正施設に入ったらしい。

親は仕事を失って今は地方にいる。


横光エリの両親宛てに時折タザキの母親から詫びの手紙が届くらしい。両親はリサ当人からの謝罪があるまでは許す気にはなれないと言った。


警察の捜査でリサと関係のあった覚醒剤販売組織は、幹部全員を逮捕した事で壊滅状態になった。今は薬物を卸していたグループを洗っているらしい。



因果応報。



   おしまい

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