道祖神
「ぬし、なぜ看板を見落としたのだ?」
すごく平板な声で大塚は言った。
「いや、そんな看板なかったって。それより大塚が『わらわに任せろ』って言ったじゃないか。」
「いたいけな女の子に責任をとらせるつもりなのか?」
「誰が『いたいけ』なんだよ?」
車は鬱蒼とした森の中をじりじりと進んでいく。
道は既に車幅いっぱいだ。
Uターンはおろか、すれ違いができなくなって、奇跡的に対向車も無く30分以上進んで来ている。
もう後戻りはできない。
とりあえず進むしかない。
ナビは既に山奥過ぎて緑一色。道の表示すらない。
事の発端は大塚の間違えだ。
除霊の依頼があって隣の県まで行った帰り道、高速でサービスエリアに寄ろうと思ってインターチェンジを降りてしまったのだ。
確かに高速道路の表示看板が近接してて、解りにくい表示だったのは認める。
降りてしまったんだから、また高速に乗ったら良かったのだ。
なのに大塚が
『この目の前の山を越えたら国道に出れる』
と言って…確かにナビの広域地図でもそうなってはいたが…一般道を帰る事になったのだ。
しかしその道は大渋滞。
辟易してたら建物の隙間に錆びた古い看板が見えたんだ。
○○市って文字と矢印。
大塚に言うとすぐにその道に車を入れた。
確かに最初は農道みたいで快適だったのだが、段々狭くなって今みたいな状態になった次第。
途中で何度もUターンしようって言ったのに…
路面は舗装こそしてあるけど落ち葉や枝、石ころが沢山散らばっている。
ここ暫く車は通っていない様だ。
「高山、あれを見よ」
大塚の指す先にはトンネル。
その入り口には非情にも『通行止』の表示とチェーン。
やられたっ!
旧道と言うより廃道に入り込んでいたらしい。
車を降りてチェーンを見ると錆び付いた大きな南京錠が掛かっている。
もし外れたにしてもトンネル内がどうなっているのか解らない。
「弱ったのう…」
「このトンネルの向こうはどうなってるんだろうな…」
「そうか。ぬし、行ってくれるか」
「そんな事、言ってないっ」
既に時間は午後8時。
ザワザワと木立が泣く。
まだ8月なのだが何故か肌寒い。
霧が立ち込める。
「仕方ない。下田に助けを呼んでもらおう。下田達ならバイクで…」
「無理じゃ。携帯は圏外だ。」
妙に静かなのに気付いた。
車のエンジンが止まっていた。
「エンジン切ったの?」
「うにゃ。勝手に止まった」
首を横に振りながら言う。
車に乗り込んでキーを回すが、うんともすんともいわない。
無言の二人の間に風が通る。
「どうする?」
「こういう時は男がどうにかするものだろう」
勝手な意見の様な気もするが、まぁそうなんだろうな。
「…解った。一緒にトンネルを越えよう。先に何かあるかもしれないから。」
「ん。」
大塚は車から懐中電灯を持って来た。
さて、行くか!と思ったら
「あれは何じゃ?」
大塚は森の中を指して言った。
「え?」
大塚が懐中電灯で照らす先に黄色い光が見える。
白熱灯か?
黒っぽい笠も付いてるみたいだ。
「高山、行こう。助けてもらおう。」
「待てよ。こんな車も来ない山奥に住んでるって…曰わく付きの人かも知れないだろ…って…おい。」
「特に嫌な感じはせぬ」
そう言いながら、大塚はガサガサと木々の間に入って行った。
仕方ない…行くか…
森に入り込むとすぐにその家はあった。
日本家屋っていうのか、板塀の古めかしい平屋の瓦屋根の建物だった。
家の周りはちゃんと綺麗になっていて敷地内は草も生えていない。
人が住んでいる様だ。
「こんばんは。夜分遅くにすみません。」
曇りガラスの入った引き戸を叩いてみる。
奥に電気が点いてガタガタと音を立てながら引き戸が開いて中から腰の曲がったお婆さんが出てきた。
「どうしなすった?」
優しい目のお婆さんだ。
「実は…」大塚が事情を説明すると中に通してくれた。
小綺麗な客間に通されてお茶を勧められた。
お客なんて久しぶりだと、いたく喜んでくれて、何にもないが泊まって行けと言った。
トンネル前に車を置いてある話をしたら、少し戻った所に見えにくいがUターンできる場所があるらしい。
しかし暗いと解らないと言う。
泊まって行くしか無さそうだ。
お婆さんが奥に引っ込んだ後、大塚と話をする。
「助かったな」
「全くだ。わらわが明かりを見つけたからじゃ。」
お茶を啜りながら大塚は自慢気だ。
「…。それはともかく、明日には帰れそうだな。」
「エンジンが掛かればな」
「…そうだったな」大事な事を思い出してちょっと凹んだ。
「まだ起きとるかな?」
襖の向こうから声がした。
「大した物も無いが夕御飯食べなされ。用意したから」
お腹が空いていた事を思い出した。
大塚もそうだったらしく嬉しそうに、返事をして、にっこり笑った。
襖の向こうには居間があった。茶箪笥と古いラジオがある。
真ん中の卓袱台のに、炊きたてのご飯に沢山の漬け物、魚の塩焼き、キノコ汁が並んでいた。
いい匂いが立ち込めている。
質素と思うかも知れないが、お腹が空いていた事をさっ引いてもどれも美味しかった。
二人が食べてる間、お婆さんは隣でニコニコとしていた。
食後お婆さんが煎れてくれたお茶を飲みながら三人で少し話をした。
「ごちそうさまでした。
美味しかったです。
お婆さんは一人暮らしですか?お寂しいでしょう。」
「お粗末様で。若い人の口に合ったならよいのだが…。
一人暮らしかい?いやぁ、もう慣れたな。」
そう言って笑った。
「お買い物とかはどうされてるんです?」
「電話をかければ下から移動販売車も来てくれるしな。…あんたらは何をされとる人だ?」
「僕は学生です。で、こっちは…」
「古物商とお祓いの真似事をしております。」
「ほぉ。…光を持っとる訳じゃ。」
「光?」
「…そう。光がキラキラしとる。婆には眩しい。」そう言ってお婆さんはただでさえ細い目を更に細めた。
僕は大塚を見たが普通の大塚だったが。
「今夜泊めて頂くお礼はどうしたら良いでしょう?
私達としても大した事は何もできませんが…何かありませんか?」
「そんな事、気にせんでいい。
人が来てくれただけで婆は嬉しいのだから」
お婆さんはそう言ってくれた。
その後、大塚がいつものリュックから取り出した『ビスコ』をみんなで食べながら、僕の学校の話や、お婆さんからキノコ汁の作り方のコツを聞いたりした。
お婆さんはビスコが気に入ったらしかった。
大塚はリュックから予備のビスコを取り出してお婆さんにあげた。
その後、お婆さんと大塚は二人で何やら話しながら食器の片付けをしてくれた。
順番にお風呂を借りてさっぱりした。
底板を足で沈めて入る五右衛門風呂は初めてだったけど凄く気持ち良かった。
お婆さんの指示で僕らの布団を客間に敷いた。
お婆さんはそろそろ寝ると奥の部屋に入っていった。
僕と大塚も布団に入る事にした。
「のう、高山」
真っ暗になってから大塚が話しかけてきた。
「うん、どした?」
「…いや、何でもない。おやすみ」
何が言いたかったのか少し気になったが、疲れから来る眠さには勝てずそのまま寝てしまった。
朝になってお味噌汁の匂いで目が覚めた。隣の大塚の布団は既に畳んであった。
起き出していくと
「お、起きたか?凄い寝癖だぞ」
と大塚は卓袱台を布巾で拭きながら言った。
鍋をかき回しているお婆さんにも挨拶をして洗面を済ませる。
三人で朝ご飯を食べて後片付けをしたら出発だ。
僕はお婆さんが肩に手を置いているのを見たので、お礼の意味もあって肩もみをする事にした。
後ろに立つとお婆さんが小さいのに改めて気付く。
左肩が痛そうだ。堅くなって石みたいになっている。
袂から覗く首の付け根が赤くなっている。
「お婆さん、肩痛そうだね。」
「ああ、左肩が痛くてねぇ…。でも揉んでもらうと気持ちいいよ。ありがとうねぇ」
僕の祖母は生まれる前に既に亡くなっているので知らないのだが、自分の祖母のつもりで肩を揉んだ。
大塚が何か自分にできる事はないかと言うとお婆さんは
「じゃあ、祠にお参りをして来てはくれないだろうか…」
と遠慮がちに言った。
お婆さんは奥から数本のヤマユリを手折ったものを新聞紙で巻いて渡して、祠の場所を教えてくれた。
そんなに遠くはないが途中に急な段差があって登れないのだそうだ。
僕らはそのヤマユリを持って祠へ向かった。
5分程進むと斜面が崩れている所に出た。
お婆さんに聞いたのはこの辺りなんだけど…
二人で手分けして探す。
「おい高山!ここじゃ!」
大塚が呼ぶ場所まで行くと崩れた崖の土砂に半分埋まった石仏が見えた。
「掘り出そう。」
僕は石仏から土砂を取り除き始めた。
元は小さな屋根が付いていたらしく、折れた木が石ころに混じって出てくる。
すぐ掘り出せると思ったのだが思ったより奥に大きな石仏みたいだ。
泥まみれになりながら何とか掘り出す事ができた。
掘り出して改めて見ると高さ40センチ横50センチ位の自然岩で表を削って二体の像が彫り込んである様だ。
右側が埋まっていたので左側だけが見えていたんだ。
ハンカチを出して像の周りを拭く。
向かって左側が女性、右側が男性みたいだ。
寄り添って仲良さそうに笑っているように見える。
「二体道祖神じゃな」
「道祖神って道端の神様って事か?」
「村の神様じゃな。村の境界線を示したり、悪霊が入り込まない様な結界であったり、子孫繁栄を祈願したり…形は変わっておるがお地蔵様の原形とも言われておる。
…以前はこの辺りも村があったのであろうな。
これは男女の二体が彫り込んであるから古いものだな。」
僕は道祖神を見ていて気が付いた。
向かって左側の女性像の頭の横に罅が入っている。
土砂が当たって割れたのだろうか。
罅の先は首の付け根の辺りで止まっている。
「…これってあのお婆さんの肩と同じ位置だよ…」
「やはりな。」
そう言って大塚はヤマユリが包んである新聞を僕に見せた。
『日二十月八年三十四治明』
明治43年8月12日…
『○○豪雨 被害甚大』
『行方不明多数』
の文字が見える。
しかし、昔の新聞には見えない。今朝刷りたての様だ。
「おい、これって…」
「恐らくその災害でここにあった村は無くなったのだろう。
この道祖神の居た村がな。」
「でも…この道祖神が埋まってからそんなに経ってはいないだろ?」
「ああ、それとこれとは別じゃな。まずは明治に水害でここの村が無くなり、道祖神だけが残った。
下に新しい道が出来て…さっき段差を登っただろ?この高台が旧道だ。
もっとも、その新道も今では廃道になっていたがな。
そのままこの道祖神は忘れられた。
そして、最近の土砂崩れで道祖神が埋まった。」
「うん。そういう流れかな。
…でも、あのお婆さんは住んでたじゃん。
祠の話もしてたし。
みんなが忘れた訳じゃないだろ」
「あのお婆さんが実在すればな…」
「何言ってんだよ。世話にもなっただろ?話もしたし、肩もみも…ってか、まさか…?」
大塚は僕をみて頷いた。
僕達は道祖神を雨の当たりにくい大きな岩の影に動かしてヤマユリを供えて手を合わせた。
大塚は何やら唱えていた。
終わると高台を下りてお婆さんのいた家に戻る。
案の定、お婆さんの家は無かった。
車の所まで行き、行き直したのだが、森だけが続いていた。
ただ家のあったあたりに昨日、大塚があのお婆さんにあげたビスコの箱が立てた状態で置いてあった。
赤い箱が緑の下草の上に場違いの様に見えた。
家が無かったのと同じ様に、案の定、車のエンジンは直ぐ掛かった。
しかも車を10メートル程バックさせると見落とすはずの無い位、大きな迂回路の看板が建っていて、左に少し太い道がちゃんと延びていた。
迂回路に入ると直ぐ山道の農道に当たり30分もしないで国道に出れた。
「やっぱりあのお婆さんは道祖神だったのかなぁ」
「多分そうであろうな。」呟く様に言った。
「大塚は気付いていたんだろ?」
カマを掛けてみる。
「ああ。あの家を見つけた時にはな。」
「何?そんなに早く解ってたのかよ?何で解ったんだ?」
「あの家には電気が来ておらん。
電柱なぞどこにも無かったであろう。
客間にも居間にも電話も無かったろ。
寝室にあるのかも知らんが…
車も暫く通った跡もなかったよな。なのに焼き魚が出たろ?
あれはチヌ。海水魚じゃ。
洗い物の時に見たが、台所には冷蔵庫も無かった。
どうやって手に入れたんだ?
あと、我らはどうやってあの家にたどり着いた?祠に行くときは?」
「ガサガサと森の中を歩いたな…」
「そうじゃ。あの家には元々アクセスする道が無いのだ。」
僕の記憶に足元でパキパキと折れる小枝の感触が蘇る。
「…じゃあ何故、大塚は誘いに載ったんだよ?」
「困っておったからだ。
敵意があるなら最初からカーブで幻影を見せて谷底へでも落とせばいい。
看板や迂回路を見せない様にできるのだからワケあるまい。
そうせず我らを呼んだのは困っての事だ。
…我らも困っておったがの。」
そう言って苦笑いしながら話を続けた。
「憶測じゃが、忘れさられて誰も来てくれなくなっても、祠が壊れても、道祖神の二人は仲良くおったのだろう。
しかし崖が崩れて半分埋まってしまった。誰かに助けてもらうしか無いが、生憎とトンネルが封鎖されて迂回路までできた。
誰も近付かん。
そこに我らがフラフラと現れた訳だ。」
「一宿一飯と引き替えに救助か…。」
「それだけではない。
ぬしもだろうが、心がホッとしておらぬか?暖かい気持ちが。」
僕は自分の祖母は知らないが何だか夏休みにおばあちゃんの家に行ってきた様な気分になっている自分に気付いた。
「確かに。」
車は見慣れた市街地まで戻ってきた。
「なぁ、昨日寝る前にさ、僕に何か話そうとしてただろ?あれって何だったんだ?」
「ああ、ぬしに『山姥』ヤマンバの話をしてやろうかと思ったのだ。」
「ヤマンバ?」
「道に迷った旅人を泊めてやり夜中に殺すのだ。夜中に鎌を研ぐ音がしたら逃げぬとやられる。」
「…おいおい、僕はぐっすり眠ってたぞ。ヤマンバなら殺されてたって事か?」
大塚はイタズラっぽく笑った。
おしまい