食欲
本屋に行くとダイエットの本が沢山並んでいるコーナーがある。
何人か『必要のなさそうな』女性が立ち読みしたりしてる。
若い女性向けの雑誌にもダイエット特集が組んであったりする。
面白いのは読んだ方が良さそうな恰幅のいいおじさんやおばさんは見ない人が多いようだ。
…ともかく、痩せたいと思っている人は多い様だ。
今回はそんなダイエットが関係してる話を。
大学二年の夏のことだ
自転車を漕いで走ってる間は風を受けるから汗もかかないが、僕が『黄梅院』に着いて中に入った瞬間、全身からドッと汗が噴き出した。
元々汗かきなのだ。
「おー、高山。早かったな。…風呂上がりか?」
カウンターの中でいつもの様に本を読んでいたようだ。
「解るだろうが汗だ。早くしなきゃ溶けちゃうからな。ホラ」
僕はスーパーのアイスコーナーで買ってきた『あずきバー』を渡した。
「すまぬな。ホレ、汗を拭け。」
タオルを貸してくれた。
じゃんけんで負けた方がアイスを買いにいく事にしたのだが…
負けたのだ。
あずきバーをかじる。
「高山、食べたら出かけるぞ」
いきなりかよ…
「どこへ?今の間に依頼があったのか?どんな依頼なんだ?」
「婆ちゃんからな。依頼者の娘の食欲が凄いんだそうだ。」
「はぁ?」
これだけ暑い日が連日続いてれば食欲もなくなりそうなものだがな…
「止められないんだと。病院でも全く異常はないんだそうだ。」
「健康で食欲があるなら問題ないだろ?」
「行きたくないと言うのか?」
「できたら…」
どうせ霊的な話しになるのは目に見えている。
君子危うきに近寄らず。だな。
大塚は眉間にシワを寄せて僕をみていたが、
「では、ぬしの『あずきバー』が当たりなら行かずとも良い。」
と言った。
10分後、僕はいつもの大塚の黒いセダンの助手席に座っていた。
「残念だったな。」楽しそうに言う。
「まぁ、どうしても行く事になるだろうと思っていたからな。でも一応、抵抗してみたんだ。
でもさ、何で大塚のだけが『当たり』なんだよ…」
「日頃の行いだな」
とあっさり言った。
車は20分程走って隣町のスポーツセンターで止まった。
ここからは歩きらしい。
メモに書いた手書きの地図を見ながら歩く。
この辺りは旧市街で迷路みたいに路地が入り組んでいる。
「なぁ、高山はダイエットしたことあるか?」
歩きながら訪ねられた。
「ないな。中学と高校でサッカーしてたからかな。高校の時に友達がしてたよ。彼女に言われてダイエットしたんだけど…リバウンドして大変な事になったんだよ。大塚は?」
「ないのぉ。」
「ダイエットって難しいみたいだな。色々あるみたいだけど。」
「ぬしはマリアカラスって知っておるか?ソプラノ歌手の。」
「…名前位ならな」
「彼女は太ってな。諸事情から痩せなくてはならない状態になったのだ。
そこで彼女は魔女から魔法のカプセルを買ったのだ。」
「ほぉ」
「みるみる痩せたのだ。実は食べる量も全く変えずにな。」
「すごいな。そんな薬あるんだな。」
「薬ではない…まぁ良い。さて、着いたぞ。」
着いたのは普通の一戸建ての家だった。
白い二階建てで芝生のある小さな庭がある。
インターホンを押すと中から品の良さそうなおばさんが出てきた。
中に通されて台所へ。
ごく普通の台所だ。
…が、冷蔵庫が開いていて、その扉の影に女の子がいた。
我々が来たのにも気付いていない様だ。
夢中で何かを口に入れている。
気付いて驚いた。
豆腐をパックからダイレクトに手掴みで食べ、冷凍のエビフライをそのまま口に運んでいる。
「ずっとこんな感じで…」
「摂食障害なのでは?」本やテレビでこういう姿を見たことがあるので聞いてみた。
「いえ…あの…病院でもそう言われて診察と治療を受けたのですが。全く体調は問題ないと言われたんです。
でも、病院から帰ってもトイレにも全く行かないので…ただひたすら食べ続けるんです。
でも日に日にやせ衰えて…。
当人が落ち着く時間があるのでその時に話をするのですが、食べてる間の事は、聞いても覚えていない様なのです。
ただただ、空腹だそうで…。」
ほとほと困り果てている様だ。
客間に通される。
女の子は生米をポリポリ食べながら母親に連れてこられた。
明らかに異常だ。食べ続けてるはずなのにガリガリに痩せている。
頬は凹み、肌はくすんでボロボロ、眼だけがギラギラしている。
猫背で、お腹だけがぽっこりと出ているのが服の上からでも解る。
テレビでアフリカ難民の子供に良く似た姿を見たことがある。
あ、いる!
女の子の後ろに人影が見えた。ガリガリに痩せた男に見える。
「餓鬼じゃな。」
大塚はポツリと言った。
「ガキ?」
確かに若いけど…
「違う、餓鬼憑きじゃ。」
「…それは何なの?」
娘が懇願するような眼をして聞く。
大塚は冷たい声で言った。
「ぬし、何処へ行った?何をした?」
「…」
黙ってしまった。
米を噛むのだけは止められない様だが。
「ヨウコ!あなた一体何をしたのっっ!?」お母さんが娘に怒鳴る。
僕らの方が驚いてビクッとする。
女の子はポツリポツリと話し始めた。
――――――――――――
私、その日、塾を無断で休んだの。
ユウタに会う約束してたから。
待ち合わせ場所でユウタを待ってたら黒いビッグスクーターがヨウコの前に停まった。
「ユウタ!ホントにバイク買ったんだ!?」
「そう言ったろ!まぁ乗れよ。ちょっと遠出しようぜ」いつも格好良いと思ってたけど今日はいつになく明るい笑顔で素敵だった。
私はユウタのバイクの後ろに乗った。
ユウタは彼氏だ。
高校は違ったが同じ電車で通学してて仲良くなったんだ。
バイクは南へ向かった。
K市方面だ。
海岸沿いを走るのだろう。
バイクに乗るのは初めてだ。
後ろに小さな背もたれは付いてるけど、私はユウタの背中に抱きついていた。
薄いTシャツを通してユウタの心臓の鼓動が聞こえる。
ずっとこうして居たいと思った。
トンネルを抜けると海岸線に出る。
目の前に青い海が広がった。
右折して海岸線に沿って走る。
真夏の日差しもバイクで風を受けてる間は暑くない。
途中のちょっとだけ広い路肩にバイクを停める。
車は置けるスペースがないがバイクなら大丈夫。
二人で手を繋いで砂浜に降りる。
目の前の海上にはラッコみたいに何人ものサーファーがプカプカ浮いている。
二人で砂浜に座って色んな話しをした。
沢山笑った。
学校の補習授業と塾の受験対策講座で夏休みなんて名前だけの日々だったからか、本当に楽しかった。
ずっとストレス溜まってたんだ。
少し日が傾いたので帰る事にした。
時計を見て驚いた。私の門限まで時間がない。
「どうしよう…」
ユウタに言うと笑って近道してやるから大丈夫って言ってくれた。
ユウタは渋滞する車の脇を抜けてバイクを山道に向けた。
山を海岸線を使って迂回するより、狭い道だけど、山越えした方がずっと早い。バイクだから出来る事だとユウタは言った。
まだ夕方なのに薄暗い道だった。
しばらくして峠を越えた。
峠を越えて少し安心したのか、ユウタがカーブで後輪を滑らせたらしく、転んでしまった。
弾みで私も道の外に飛ばされたけど、元々スピードも出ていなかったからか、倒れた場所に沢山の落ち葉があったからかケガはしなかった。
ユウタも少し離れた所に投げ出されてたけど、少し擦りむいただけで大丈夫だった。
バイクは傷が入っていてカウルが割れていた。
倒れた拍子に石でできた何かに当たったみたいだった。
ユウタは腹を立てて、その石を蹴飛ばした。
蹴った石はゴロリと横を向いた。
ユウタはバイクの事ばかりが気になってて、私の事も石の事もほったらかしだった。
ユウタは怒りが収まらないのかそれからの帰り道は終始無言だった。
もしかしたら、ユウタは私が門限があるって言ったから転んだと思っていたのかもしれない。
私も何も言わなかった。と言うか言えなかった。
…だってユウタが蹴ったあの石ってお地蔵さんだったんだもの。となりにも小さな石の塊があったから、他にもいくつか倒しちゃったかもしれない。
門限には間に合った。
家の側で私を下ろすとユウタはさっさと帰ってしまった。
それからユウタからメールも電話も来ない。
私もあれからユウタが信じられなくなったし、それから数日してから急にこんな状態になったから敢えて連絡もしてない。
話し終わるかどうかと言う時にバシッと音がした。
母親が娘の頬を張った。
やせ細った娘はそのまま突っ伏して泣き出した。
母親も泣いている。
仕方ないよ…
母子家庭の僕はそう思った。
女の子の気持ちも解るけど…
「お互いの気持ちは解るが、しばし待て。まずはその餓鬼をどうにかせねば。」
そう言って娘を起こした。
正座をさせて向かいに立ち、真言を唱えはじめた。
娘の背中にしがみついているように見える餓鬼は大塚を睨んでいる。
しばらく唱えると、餓鬼はゆらゆらと揺れながら姿が薄くなって見えなくなった。
大塚は何やら唱えながら娘の肩と背中を掌で強く叩いた。
娘はふらふらとその場に倒れた。
母親が駆け寄り娘を抱き起こす。
「お母さん、すぐに娘さんを病院へ連れて行かれよ。…栄養失調と言われると思うがな。」
大塚はそう言った。
二人が病院に向かう前に僕らは娘からその事故を起こした場所とユウタの連絡先を聞いた。ユウタも只では済んでいないだろう。
僕らはユウタの携帯電話に連絡をしたが全く繋がらない。
電源が入っていない様だ。
大塚はスポーツセンターまで戻って車を出した。
「…不安だが…まずはK市の事故現場へ行こう」
ハンドルを切りながら大塚はそう言った。
海岸沿いから入る道しか解らないので渋滞に巻き込まれイライラしながら進む。
もっともイライラしてたのは僕だけだったが。
途中でコンビニに寄って大塚の指示でおにぎりとお茶とカップ酒を買う。
狭い道に無理やり大きなセダンを乗り入れて山道を進む。
左右は深く木々に覆われている。
道幅減少や警笛鳴らせの標識をみながらトロトロ進む。
前から車が来たら交わすこともできない。ヒヤヒヤする。
峠を越えると下りになり、少し道幅が広くなった。
左右に回るブラインドカーブの幾つか目を越えた所で石が幾つか見える場所があった。
車から降りてみて驚いた。
何体もの餓鬼が特徴的な容姿でその石の周りにいる。
座っていたり這っていたり。
昔、どこかの絵で似たような画を見た気がした。
…地獄絵図だったか…
大塚は餓鬼に真言を唱えた。
大塚の声が木々に吸い込まれていくように感じる。
餓鬼は次第に見えなくなっていった。
「ほれ、石を元の位置に戻すのじゃ。」
僕は大塚の何か唱える声の中で石を直していった。
ヨウコの言ったお地蔵様もあった。
それ以外の石は何か表面に彫ってあったが風化していたり苔が生えたりしていて何だかわからない。
僕が直すと大塚はおにぎりとお茶とカップ酒をお地蔵様にお供えして手を合わせた。
街に戻る道すがら大塚は話してくれた。
「簡単に言うとな、餓鬼には沢山の分類があるのだ。
基本的には前世で食べ物が関与した悪行が元で餓鬼道に堕ちる。
いずれの餓鬼になっても、永遠に食べ物で苦しむのだ。
報いじゃの。
餓鬼は性根が悪いから、近くを行く人に憑いて、自分と同じ思いを他のものにもしてやろうとするのだ。憑かれた人は餓鬼と同じ空腹感を感じて食べねばならない状態になる。
基本的に餓鬼は地縛されておるのでその場に来たものに憑く。
詳しくは解らぬがこの峠にも餓鬼がおり、以前から通る人を襲ったのであろう。
恐らく落ち武者か何かが餓鬼になったものではないかな。
それを誰かが供養して封じたのがあの石じゃ。
」
「…それを倒したからあの二人は憑かれたのか?」
「恐らくな」
「あのお地蔵様は?」
「ああ、色々とあるのだが、ここの餓鬼はお地蔵様にお供えした物だけは食べる事が許される餓鬼の様だな。」
「…食べ物を粗末に扱うと恐いな。」
「当たり前じゃ」
そう言うと大塚はいつものリュックからビスコを取り出して食べた。
街に入って一息ついた時にヨウコの母親から電話があった。
やはり栄養失調と診断されて入院する事になったそうだ。
それと、同じ病院にユウタが入院しているという。
僕らは病院に大急ぎで向かった。
病室のネームプレートでユウタを探す。
廊下で泣いているおじさんとおばさんがいた。
そこがユウタの病室だった。
「ユウタさんのご両親ですか?」
と大塚が話し掛けると驚いた様に僕らを見た。
事情を簡単に説明すると母親の方が視てやって欲しいと頭を下げた。父親は懐疑的で反応しなかったが。
ユウタはヨウコより更に酷かった。正に骸骨そのものの様にやせ細り、肌は黄色く変色して髪も抜け落ちて頭皮があちこち見える酷い状態だった。
食べ物を探して暴れる為、手足と腰を皮のベルトで拘束してあり何本もの点滴チューブが腕に刺されていた。
僕らにはおぞましい姿の餓鬼が何体もユウタの周りにいるのが見えていた。
一体はユウタの上にも乗っている。
母親の話しでは、『転んだ』と言って帰って来た日から猛烈に食べはじめ、食べ物が無くなると蚊取り線香や座布団の綿まで食べ始めた。
両親は心配して病院に担ぎ込んだが原因も解らず、入院させてどんな高栄養点滴をしてもやせ細っていき、今では肝臓や腎臓も弱っているそうだ。このまま進行すると脳の萎縮も始まるらしい。
完全に栄養失調の症状なのだが、医師も原因が解らず手の施しようがないと言われたらしい。
正に僕らは最後の頼み綱の様だ。
ユウタに話し掛けると我々の言葉も解らない。
餓鬼が一斉にこっちを睨む。
大塚が真言を唱え始めるとユウタは痙攣の様に動き出した。その動きは段々と大きくなり、しまいにはベットの上で大きく跳ねる様に暴れはじめた。
ユウタが急に大人しくなると同時に見えていた餓鬼達がスウッと見えなくなった。
真言を唱え終わった大塚は目を開けてこちらを見ているユウタに言った。
「この罰当たりめが!ぬしが自分で何をしてきたか良く考えるのが良かろうっ!」
そう言うと部屋を出た。
大塚の怒鳴り声が聞こえたらしく親はオロオロしていた。
「もう大丈夫でしょう。但し、自らの過ちに気付き、改めねば再び憑かれるだろう。ちなみに次は命は無いものと思われよ。」
そう言うとスタスタとエレベーターに乗った。
黄梅院に帰る途中で大塚が話した。
「ユウタは性根が腐っておる。腐っておらねばあれだけ憑かれまい。
…食べ物も粗末に扱っておったのであろう。
彼女の扱いにしてもそうだが、物欲が支配しておったしな
…半分自らで餓鬼になっておったわ。
餓鬼にしたら仲間が増やせるので喜んだだろうにな。
今回あやつを助けたのはあそこで死ねば、あの餓鬼達があの病室に居座るからじゃ。
無論ユウタも餓鬼となる。
キリスト教ではないがユウタ自身が悔い改めれば良いがの」
大塚はそう言った。
僕は気になっていたことを聞いてみた。
「あのさ、マリアカラスが魔女から貰った薬って何だったんだ?」
「聞きたいか?」
「うん。そんな薬なら…いや、もしかして、それって餓鬼だったとか?」
大塚は笑って
「違う違う。寄生虫の卵だったのだ」
と言った。
「げっ!寄生虫?」
「ああ。それでみるみるうちに痩せたのだ。
痩せるだけではなく他にも色々症状があったと思うぞ。
痩せたいが為に寄生虫まで飼うとはの…
…まぁある意味、餓鬼みたいなものかもしらんな」
大塚はそう言って笑った。
世の中で痩せたいと思っている人は多いと思う。
確かに健康や美容からみたら肥満はいけない。
…でもね、痩せすぎて骨ばった人は魅力が半減するんだけどなって僕は思う。
特に女性はね。
あんまり無理しないようにね。
おしまい