風邪 〈短編・非霊〉
夏休みの暑いある日の夕方。
僕は自転車を漕いでいた。
スーパーに寄って色々と買い物して来た。母さんに頼んで炊いておいて貰った『お粥』もタッパーに詰めて持ってきた。
大塚の家に何があるか解らないから一応準備して行った訳だ。 何でこんな状態かと言うと… 大塚から電話があったんだ。
いつもと全く違う低いガラガラ声で。
「高山か?今までありがとうな」
「どうしたいきなり?」
「わらわは死ぬかもしれぬ」
「何で?」
「高熱が出て、頭が痛くて、喉も痛くて、寒いのだ。きっと末期だ。では元気でな…」カチャ
電話が切れた。
末期って何の末期だよ?風邪の末期だろ?
しかし気になる。
黄梅院の二階で生活してると思うんだけど。一緒に生活してる婆ちゃんが入院してるから今は独りなんだろうな。
あんな電話してくる位だからな…仕方ない。行ってやるか。
それでこの暑い夕陽に炙られながら自転車を漕いでいるのだ。
黄梅院に着くと入り口に手書きで『急病につきお休みします』と書いてある半紙が貼ってある。
…なんだか大袈裟だな…大塚らしいと言えば大塚らしいが。
「おーい!生きてるかー?」
声を掛けながら店に入る。
「…お…二階じゃ…」
「上がるぞー」と言いながら階段を上がる。
短い廊下の左右にふすまがあるが、右から声がする。
ふすまを開けると布団に大塚が寝ていた。
女の子の部屋に入ったのは久しぶりだ。…が、女の子の部屋らしくない。文机と言うのが近い様な低い机とレトロな電気スタンド。重々しい本棚に古そうな本。
女の子の部屋と言うよりお婆ちゃんの部屋みたいだ。
「具合どうだい?」
「死ぬかもしれない…」
熱が高いのだろうか赤い顔をしている。
「死なないよ。風邪だろ。ホレ、色々持ってきたぞ」
袋をだすとムクッと起きてきた。
小さな卓袱台の上に並べていく。おかゆのタッパー、ゼリー、バナナ、スポーツ飲料、ヨーグルト…次々並べて行くと大塚は嬉しそうな表情をした。
「あと、風邪薬と栄養ドリンク」
「すまぬな…」
一階のカウンターの所の小さなキッチンを借りてお粥を温めてくる。
「食べたら薬飲んで寝ろよ。何かあったら電話しろよ。」
「ん。ありがとうな」
布団から顔だけ出して頷く。
僕は戸締まりをちゃんとする様に言って黄梅院を出た。
それから2日して寄ってみると大塚がカウンターの中で牛乳を暖めていた。
「おー高山、助かったぞ。世話になったな。牛乳飲んだら電話しようと思っていたのだ」
「熱下がって良かったな」
「ん。『ふうじゃ』を追い出してやったのだ」
「ふうじゃって何だよ?」
カウンターのスツールに座りながら聞いてみる。
「『風邪』と書いて『ふうじゃ』と読むのだ。…まぁ例えてみれば小鬼じゃな。その、風邪が首の後ろの盆の窪辺りにある風門という気孔から入って悪さをするのだ」
「何?東洋医学ではそんなのが、そこら辺に居るってこと?」
「まぁそうだ。その風邪が入ると一番近くの喉を悪くする。その後、頭に登って頭痛や熱を起こさせてから下に降りていってお腹を壊す。」
大塚は人差し指で経路を差しながら説明する。
「…最初に喉が痛くなったり咳が出たりして頭痛が起きて熱が出て、こじらせるとお腹を壊す…風邪の症状そのままだな。」
「東洋医学の世界ではそう云われておる。だから灸で風邪を治す場合は、お腹から灸を始めて熱で上に『ふうじゃ』を追いやっていって風穴から追い出すのだ」
「…追い出された『風邪』は近くの人に入り込む…って事?」
追い出された小さな鬼が困った顔して誰かの首に入り込む姿を想像した。
「ん。感染だな。」
牛乳を飲みながら応えた。
「アチチ…だから、冬場にマフラー巻いて首周りを暖めて『風邪』を入り込ませない様にするのは理に叶っておるのだ。」
「ふぅん。じゃ大塚も灸で『風邪』を追い出したのか?」
「いや、ぬしに貰った風邪薬飲んで治したぞ。灸はせぬ。熱いからな。」
眉間にシワを寄せて嫌そうな顔をした。
「ハハッ…効いて良かったよ。てか、『ふうじゃ』は霊の類ではないの?熱が出たりするのは霊障でさ。その類なら大塚だったら祓えるだろ?」
「ん。わらわには見えぬ。風邪は霊では無いのかもしれぬな。ただ、『風邪』はその字のごとく、『邪気』なのじゃ。『悪い気』だな。それは『物の怪』に繋がるともいう。
そう考えると『霊』なんだがな。その辺りは分類が難しくての。
霊とは思念の塊と言う解釈なら説明はある程度付くがの。
わらわの仕事や立場なりの解釈はあるが、それはややこしいので、またいずれな。
ちなみに西洋医学においては粘膜にウイルスが付いて体内に取り込まれて風邪をひく。首周りは血管が多いから冷やせば体温が下がり抵抗力も下がる…という説明になるかの。
西洋医学は分かり易いの。」
そう言って小皿に移したビスコをかじった。
僕は何となくこの世の中に『ふうじゃ』がいる方が面白い様に感じるのだが…
大塚の背中の方からトボトボと出て行く小鬼の姿を想像してそんな風に思った。
おしまい