第2章:研究所の日常
――あの日から、少女の生活は一変した。
両親を失った彼女を引き取ったのは、一人の研究者だった。
世間的には「善意ある保護者」に見えたが、その実態は異能力の研究に人生を捧げる男だった。
坩堝の身に宿る力を知り、その可能性を誰よりも早く嗅ぎ取ったのだ。
鉄の扉が軋む音を立てて閉じる。
そこが、彼女の新しい「家」――地下研究所だった。
白い壁、冷たい床。
窓はなく、外の景色は二度と見ることができない。
代わりに備え付けられたのは、無機質な照明と監視カメラ。
「ここなら安全だ。お前は特別な存在なんだ、坩堝」
研究者の言葉は優しい響きを持ちながらも、その瞳には光がなかった。
少女は、どこか「実験動物」として見られているような気がしていた。
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そんな日々の中、坩堝は一人の少年と出会う。
年は同じくらい。
研究者の息子であり、唯一この閉ざされた空間で「普通」に近い存在だった。
「……君が、坩堝?」
最初に交わした言葉は、ぎこちなく。
少年の目には、恐れと興味とが入り混じっていた。
最初のうちは、彼もまた彼女を「実験体」として扱っていた。
父の手伝いをするように彼女を観察し、能力の記録を取る。
だが、同じ時間を過ごすうちに、彼の態度は少しずつ変わっていった。
訓練の合間、二人だけで過ごす時間。
殺風景な食堂の隅で、こっそり分け合うお菓子。
夜、眠れない坩堝に付き合い、同じ壁にもたれて過ごす時間。
「……外の世界、知りたい?」
ある夜、少年はぽつりと聞いた。
坩堝は少しだけ笑った。
「……制服着て、学校に通ってみたい。お友達と駅で待ち合わせして……映画とか行ってみたい」
それは、彼女が滅多に見せない「普通の少女」としての願いだった。
少年は、ほんの少し躊躇してから、その手を握った。
温かい、現実感のある手だった。
「……俺が、連れて行ってやるよ。ここから」
「ほんとに?」
「本当だ。約束する」
その瞬間、少女の胸に芽生えたのは――恋だった。
だがそれは、決して許されない恋。
研究所の中で、研究者の目が光り続ける限り、
二人の関係は「監視」と「禁忌」の中で続いていくしかなかった。
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日常は、無慈悲に積み重なっていく。
訓練、記録、実験。
彼女は自らの意思に関わらず、力を使わされ、制御を強いられる。
時に物を消し、
時に壁を溶かし、
時に時間を巻き戻す。
能力が強まるほど、少女の心は擦り切れていった。
だが、それでも彼女の支えは一つ。
――少年の存在。
彼と交わした約束だけが、少女の心をつなぎ止めていた。