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愚者の園  作者: 木原あざみ
案件4.愚者の園
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14:探偵と呪殺屋2

 普段の歩行スピードより時間をかけて、石段を上る。騒めく心を落ち着かせる目的で数えた石段は、二十一段。この石段を、あの少女は深夜に一人、どんな心地で上ったのだろう。

 下りるときは、少しでも違う心境であればいい。ほんのわずかでも。そう願わずにはおれない気持ちだった。


 石段を上り切り、なるべく音を立てないように石畳を進む。行平の視界の先で、座り込んだ少女たちが抱き合っている。小さな子どもが悲しみを共有しているようにも、我武者羅に母親に抱きついているようにも見える光景だった。

 随分と長いあいだ、彼女たちはそうしていた。細い声が途切れ途切れに境内に響く。

 なにを話しているのかは、わからなかった。だが、自分にわかる必要はないと行平は思った。彼女たち二人が繋がるなにかが手繰り寄せることができたのなら、それでいい。

 石畳の上に人型が落ちたままになっていることを確認し、行平は踵を返した。自分が出る幕はないと悟ったからだ。

 石段に足をかけると、東の空は微かに白み始めたところだった。日はいつも上る。終わらない夜はない。それは、あの日。はじめて呪殺の終わりを視た夜に、念じるように祈ったことだった。


「来ないんじゃなかったのか」


 黒い塊が石段の中腹に座り込んでいる。その影に行平は知らず笑った。振り向かないまま、影が応える。


「俺にも監督責任ってやつがあってね」

「なんのだよ」


 不貞腐れたような声に、行平は数段降りて立ち止まった。振り返った先によく知る呪殺屋の顔があって、わずかに安堵する。同じような立ち居振る舞いでも、先程の『呪殺屋』とは違うとわかったからだ。

 行平の心情を知ってか知らずか、呪殺屋が口の端をかすかに吊り上げる。


「あんたを無駄死にさせない」

「呪……」

「すごいでしょう」


 にんまりと笑みを深くした呪殺屋に、脱力した行平は「すごいな、それは」と投げやりに頷いた。


「有り難すぎて、笑えてきそうだ」

「でしょう」


 したり顔で呪殺屋が笑う。この男は案外とよく笑うのだ。どこまで本心なのかは知れないけれど。


「笑ってたらいいよ、あんたは。小難しいことは知らなくていい」


 それが、この男の答えなのだろうか。『呪殺屋』に関わることを良しとしなかった、この男の。


「おまえは『天野』なのか」


 嫌だと主張する代わりに、静かに問いかける。退けなくなった、とどこかで思った。

 嫌だろうから、聞かない。踏み込まない、という逃げを自ら解いてしまった。


「俺の名前をもう忘れたの、滝川さん」


 呪殺屋は微笑う。


「俺を神野と呼んだのは、あんただろう」

「相沢さんも、天野の関係者だと見沢は言っていた」

「その見沢を詐欺師呼ばわりしていたくせに、それは信じるわけだ」


 茶化す言に、行平は応じなかった。


「おまえは違うのか」


 違うと言うのなら、俺は信じる。言外に匂わしたわけではない。だが、無駄に敏いこの男が、気が付かないはずがなかった。

 呪殺屋から一瞬、笑みが消えた。そして否定する。


「違う」

「なら、いい」


 自分がどこかで安堵していることに、行平は驚いた。その複雑さを見透かすように、呪殺屋が静かに笑う。


「俺がしているのは、呪術ではないんだ、基本的には。勿論、できるけれどね。でも、俺の専門は、それじゃない」


 この男が自分のことを『呪殺屋』と名乗ったことはたしかに一度もなかった。行平が勝手にそう呼んでいるだけで。


「俺たちの世界では、よく並び称される名前だ。東の神埜と西の天野。天野は、はるか昔から京の都で怨霊や悪霊とともに生きてきた古い一族でね、あの男は、そこの出身だ」


 呪殺屋が傍らに置いていた錫杖をおもむろに持ち上げた。しゃん、と短い音が生まれる。「神埜は、違う」


「神埜の神殺しの鐘が鳴る。すべてを意のままに操るために」


 しゃんしゃん、と遊環が涼やかな音を立てていた。神社が呼応して微かに揺れるような恐ろしさが湧いて、消える。


「これは、神埜を指した皮肉ではあるんだけれど、ある意味、正論でね。もし天野であれば、神に祈り、交渉する。神埜は神を殺してでも奪う。だから滝川さん」


 呪殺屋の瞳がゆっくりと行平を射抜いた。錫杖の音は鳴り止んでいる。


「十五年前のあんたの行動は、少しも間違っていない」


 十五年前。行平の脳裏に浮かんだのは、塀伝いを必死に走る幼い自分の姿だった。あともう少し。もう少しであそこに着く。あそこに着けば、――。

 すべてが解決するような、そんな馬鹿な幻想を抱いていた。


「神様とやらに奪われたものを取り戻したいと願ったあんたが、神埜を頼ったのは少しも間違っていないんだ」


 呪殺屋の瞳の中に、幼い自分が映っているような妙な心地がした。呪殺屋の声はいたって静かだった。


「あんたはいつも正しい。少なくとも、俺にとって」

「神野」

「あんたの運が悪かったのは、神埜の家までやってきて、なのに頼れる相手が、俺しかいなかったという一点だけだ。紛い物だったからね、それは」


 ――あたしの、名前は――――。


 高い声が、行平の記憶の渦を引きずり回し、そして消え失せていった。

 あたしの、名前は。


「どうしたの、滝川さん。青い顔して」


 呪殺屋は変わらない顔で微笑んでいた。


「俺は嘘は吐かないよ。前に言ったとおりだ。だから、もし、万が一、あんたの妹の居場所が知れたなら、取り戻してあげる」


 なぜ、今またその話なのか、と。訊きたいのに、訊くことはできなかった。


「あんたがあの呪殺屋を止めたいと言うのなら、手を貸してもいい。あんたが広げる手の範囲内でくらいなら、奇跡を起こしてやってもいい」

「……神野」

「あんたが望むなら」


 この名前を忘れないで。この名前をきみが覚えていてくれるなら、それはいつかきっときみの助けになる。だから。


 頼りない蝋燭の灯りの中、あの子は最後、なんと言っていた? なぜ、自分の記憶は靄がかっている。

 「呪われている」と告げた男の指先が目前に迫ったような感覚に、行平は頭を振った。

 にこりと口元だけ笑って、呪殺屋が立ち上がる。そうして、あっさりと行平の横をすり抜け、石段を下りていく。

 境内の少女たちとその背中を天秤にかけ、行平は結局、石段を下りた。



「馬鹿だね、滝川さん」


 隣に並んだ行平をちらりと見上げ、呪殺屋が嘯いた。だが、それはお互いさまのはずだった。肩をすくめて、空を仰ぐ。


「俺にできることからやっていくことにする」

「あんたにできること?」

「前に、おまえが言っただろ。万探偵事務所にでもするかって」

「あぁ、そういえば、そんなこともあったねぇ」


 永原悠と出逢った日だった。本来であれば、今この場にいなかったかもしれない少女。彼女を救ったのは、間違いなくこの男なのだ。


「誰にも言えない不可思議で悩んでいる誰かの手助けを、少しでもできればと思う」

「へぇ。それはまた大きな心境の変化だね、滝川さん」


 不可思議を避けていた自分への揶揄に、行平は立ち止まった。


「おまえのせいだ」

「はぁ?」

「おまえらのせいで、変化したんだよ、俺も」


 瞳を瞬かせた呪殺屋の顔が次第に複雑そうに歪んでいく。


「ふつう、『おかげ』って言わないかな、そういう場合」

「手伝ってくれるなら、嬉しい。でも、おまえに厄介ごとのすべてを押し付けたいわけじゃない」


 言っていることは伝わっているのだろうか。行平を見つめていた呪殺屋の瞳に呆れの色が乗る。そして失笑した。


「あんたらしい」


 それこそ、おまえたちのおかげかもしれない。あのビルの中で、きっと自分は変化している。良いことばかりではないのかもしれないけれど。

 空は本格的に白み出していた。朝が明ける瞬間、誰かが隣にいてくれることが、かけがえのない幸せであることを行平は知っている。きっとあの二人の少女にとっても。自分にとっても。

 家に帰ろう、と思った。あの、化け物だらけのビルに。

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