00:カウントゼロ
あの子どもは、案外と臆病で、そして無欲だ。
「と、いうわけよ。心配ご無用。ちゃっちゃっとあの子が片付けちゃったもの」
あなたの目論見通りだわ。
微笑んだ見沢の視線の先で、相沢は鷹揚に微笑み返した。
「それはなによりだ。おかげで滝川の眼も覚めただろう?」
「そうね。神ちゃんのおかげでね」
「元を正せば、あいつの所為だろう」
見沢の嫌味に、相沢は笑みを深くして珈琲に口を付けた。相変わらず、弌の坊にほかの客の姿はない。行平は気が付こうとさえしていないが、この店の入り口は、ある一定の人種にしか視えないようにできている。そういう店なのだ。
見沢は長い脚をゆるりと組み替えた。カウンターの奥で、店主がひっそりと佇んでいる。
「それは正しくないわね。大元は、神埜でしょう」
相沢は応じなかった。
「引いて言えば、あなたじゃないの」
これみよがしに溜息を吐いて、続ける。
「あなた、大昔、あたしをあのビルに引き込んだときに言ったわよね。ここは愚者の園だって」
化け物だらけだろう、と嗤うのは、いつもこの男だ。
見沢は覚えている。はじめて、この男と逢ったときのことも、誘われたときのことも。人形のような顔で神野がやってきた日のことも、行平が冴えない顔で鍵を差し込んだ日のことも。
「不完全な愚か者が集まって、それぞれを補完していく。このビルはそういう場所だって」
そうして、人形に表情が灯り、行平に生気が戻っていくさまを、見沢はただ見ていた。
「あなたは、それを誰に授けたかったの?」
見沢の瞳に相沢が映る。見沢の眼は、なんでも写し取るのだ。
「さぁ、おまえはどう思ってるんだ?」
その、なんでも写し取るはずの瞳の中で、相沢が口元だけで笑う。見沢は小さく片眉を上げた。
「この、狸」
「おまえは詐欺師なんだろう?」
愉しんでいる男に向かって、見沢は視線を流した。
「あたしは誠実なつもりよ、少なくとも、あなたやゆきちゃんよりは、ね」
あの子どもよりは、強かだろうけれど。
相沢は笑っただけだった。見沢も笑った。化け物だらけのビルの中では、今頃、不完全同士が慰め合っている。それは、この男が求めた園なのだろうか。
わかりたいと思うには、まだ少し早い。わかりたいと思う日が来るかどうかもわからないが。
おざなりに微笑み、見沢は珈琲に口を付けた。




