表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愚者の園  作者: 木原あざみ
案件3.天狗の遠吠え
44/61

20:八月十四日2

 昨今のコンビニエンスストアは、デザート類の品揃えも豊富過ぎるくらいである。デザートの並ぶ棚を前に、行平はしばし熟考した。

 ショートケーキ。マンゴーのムース。プリン・ア・ラ・モード。シュークリームに、フルーツ入りのヨーグルト。

 あの男にはどれも今一つ似合わない気はするが、風邪を引いているときは、喉の通りの良いものが適している、はずだ。

 清涼飲料水のペットボトルが三本、すでに籠に入っている。行平はショートケーキに手を伸ばしかけ、やっぱりとプリンを取った。どう考えても、食べやすいのはこちらである。

 あともうひとつ、ゼリーにしようかと迷いながら、行平は棚に手を伸ばした。


 コンビニエンスストアから一歩外に出た途端、むわりとした夏の湿気に襲われ、行平は目を眇めた。

 蜃気楼で道の先が揺れる。警察官だった折もお盆休みとは無縁だったが、今もあってないようなものだ。帰るべき実家もあってないようなものなので、構わないと言えば構わないのだが。

 コンビニ袋を揺らしながらビルに戻るだけで、Tシャツが汗で肌に張り付く始末だ。ふう、と行平は息を吐いた。


 ――これを寒いってか。


 呪殺屋のしかめ面が浮かんで、歩む足を速める。

 その足が止まったのは、ビルの軒先にたどり着いたときだった。ポケットに入れていた携帯電話が震えている。相沢だろうか。

 嫌な予感を覚えつつ、着信先を確認する。表示されていたのは、予想外の名前だった。


「はい」


 瞬時の躊躇いのあとで、行平は通話ボタンを押した。声が緊張していることが自分でもわかる。けれど、同じくらい相手も緊張しているようだった。


「――行平?」

「母さん」


 その声で名前を呼ばれること自体が、ひどく久しぶりだった。最後に聞いたのは、警察を辞めたと事後報告をしたときだっただろうか。


「久しぶりね。元気にしている?」

「大丈夫だよ、母さんは?」


 ぎこちない社交辞令の応酬に笑おうと試みたものの、乾いたものにしかならなかった。だが、これが長年培ってきた、行平たち親子の距離感なのだ。

 母はなにも言わない。胃に訴える沈黙に、切るための言葉を発そうとした瞬間、通話先で相手が息を吐く気配がした。


「あのね、行平。こんなことを私が言うのもなんだけれど、たまには帰っていらっしゃい。あなたの都合の良い時で構わないから。ここはあなたの家でもあるのよ」

「……そうだね」


 行平の都合を優先してみせる母の口調も久しぶりであれば、家に戻ってこいと誘われることも本当に久しぶりのことだった。

 疑惑を押し込み、行平は応じた。


「そうだね」


 軒先に居てもなおじりじりと肌を焼く太陽から遠ざけようと、ビニル袋を自身の身体で隠す。


「今日はこのみの誕生日だね」

「そうね」


 考えるような沈黙のあとで、母が呟いた。


「あの子はいったい、いくつになるのかしら」


 ――生きていれば、二十四歳だ。


 応えを呑み込んで、行平は曖昧に通話を切った。今の母の中で、果たして妹は何歳なのか。その答えを聞くことが、恐ろしかったのだ。


「あらぁ、ゆきちゃん。朝からお買い物? 昨日の今日で元気ねぇ」


 欠伸交じりにビルから現れた詐欺師が、行平を見止めて目を細める。


「あぁ、まぁ。……おまえこそ、朝からどこ行くんだ?」


 いつも通りの黒のジャケットを身に着けた詐欺師が、その言葉に大袈裟に頬を膨らませた。


「ゆきちゃんが連絡しないからじゃないのぉ。おかげさまで大家からあたしのほうに連絡がきっぱなしなの。神ちゃんもお家にいないし」

「あ、呪殺屋なら。家で寝てるけど」

「あら。あら、あら。いったいどうしたのよ」

「いや、おまえ、絶対、変な想像しただろ。違うからな。風邪だ、風邪。案外、熱が高くてな、どうも昨日の雨が原因らしいし」


 瞳を輝かせた詐欺師に、手に下げていた袋を持ち上げる。


「あら。あの子、風邪なの。ふぅん。でも、まぁ、一昨日も雨に降られていたものねぇ」

「一昨日も? じゃあ俺の所為ばっかりじゃねぇじゃねぇか!」

「そういう問題でもないと思うけど。まぁ、じゃあいいわよ。大家のほうはあたしに任せてちょうだい。その代わり、神ちゃんをどうぞよろしく」


 喚いた行平を意に介すことなくひらりと手を振り、詐欺師が炎天下に足を踏み出す。


「おい、なぁ、見沢!」

「なぁに、どうしたの。ゆきちゃんがあたしを名前で呼ぶなんて珍しい」


 太陽の光の下で、詐欺師はゆっくり振り返った。その表情はまったく読めない。呪殺屋にしても、この男にしても。


「おまえ、俺の家、行ったろ」


 詐欺師が微笑んだ。にっこりと、頬に手を当てて。


「あたしはただ付き合わされただけよ。ゆきちゃんに聞かせてあげたかったわぁ。神ちゃんの啖呵」


 ウインクをひとつ残して、見沢がまた背を向ける。その背中が街中へ消えるのを見送り、行平は思わず呟いた。


「なんだ、それ」


 間抜けに持ち上げたままだったビニル袋は、汗を掻き始めている。このままでは中身が温くなる。言い訳としては上出来だった。行平はビルの階段に足をかけた。


 ――なぜ、母親があんなものを造れたのだろうか。


 今はそれだけでいいじゃないか。懸念を吹き飛ばすように、鼓膜に響いたのは、昨日。呪殺屋がおざなりに告げた台詞だった。

 あんたは母親にそれを逢わせなかった。それだけが答えでいいんじゃないか、今は、まだ。

 もし、もし自分が母親に『妹』を引き合わせていたら、母は死んでいたのだろうか。『妹』の笑みに引きずられ、奈落の底へ落ちていたのだろうか。

 けれど、と行平は思った。きっと母親は笑って落ちていっただろう。偽りの妹を腕に抱いて、幸せに包まれたまま。それは彼女にとって、果たして不幸だったのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ