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愚者の園  作者: 木原あざみ
案件3.天狗の遠吠え
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19:八月十四日

 八月十四日は、この二日の荒天が嘘のような晴天だった。日課の朝の散歩を終えた犬は、ぺろぺろと勢いよく水を飲んでいる。

 『妹』がいたあいだ、どことなく本調子ではなかった犬も、今日は心行くまでのんびりと過ごしているようだ。いいことだと目を細める。なにせ、この犬は、昨夜、行平が戻ったとき、玄関でお座りをして待っていたのだ。

 まさか、そんな忠犬のような性能が備えついていたとは。行平は心底感動した。明日はエサを奮発してやろうとまで思った。動物のお涙頂戴番組に昔から行平は弱い。その後ろで、呪殺屋と詐欺師は単純だのなんのと笑っていたが、構うことではない。


 手つかずだった数日で増えた新聞の山を前に、行平は軽く頭を押さえた。それからひとつ、嘆息する。

 手を伸ばした一番古い新聞の日付は七日前。『妹』が現れた翌日のものだった。


「相沢さんに、連絡しないとまずいよな」


 言い聞かせるように言葉にしたくせに、行平の手が携帯電話に伸びることはなかった。先延ばしにして、紙面を捲る。

 犯罪率が上がっただの下がっただの、猟奇的な事件が増えただの、いや昔のほうが多かっただの。統計をもとに議論を繰り広げたところで、あまり意味はないのだと行平は思う。

 事件はいつの時代でも起こりうる。そして、巻き込まれた誰かがいる限り、不幸が減ることはないのだから。



「寒い! なに、この部屋、寒くない?」


 朝の静けさを打ち消す大声で事務所に入ってきた呪殺屋に、行平は目を丸くした。


「寒い?」

「そうだよ、あんたの部屋、いっつも無駄に暑いから、わざわざやって来たのに」


 言葉通り呪殺屋は二の腕を両手で擦っている。チャコールグレーの長そでのブイネックに、黒のズボン。相も変わらず黒一色ではあるが、この男の洋装ははじめて見たかもしれない。


「おまえ、普通の格好してると、普通の人間に見えるな」

「滝川さんは俺をなんだと思ってんの、失礼な。というか、ねぇ、ちょっと、本当に寒いんだけど。なんで今日に限って朝っぱらからクーラーつけてんの」

「いや、つけてねぇし」


 行平としては、暑いくらいだ。首を傾げた行平に、呪殺屋が声を裏返らせた。


「はぁ!?」


 その声が若干、鼻声なことに行平は今更ながら気が付いた。


「おまえ、風邪引いたんじゃないのか?」

「……風邪」


 呪殺屋が不思議そうに繰り返した。


「昨日の雨の所為か? 俺は大丈夫だったんだけどな」

「もうちょっと自分の所為かもしれない、ごめん。みたいな感覚はないの。滝川さんには。あー……、でも、そっか、ふぅん」


 そう思ってみれば、微かに顔が赤い。


「これが風邪かぁ」

「あほなこと言ってねぇで、とっとと寝ろ。食料ないなら、あとで買ってきてやるから」

「えぇ? 俺の部屋まで戻るの、俺」


 嫌そうに眉をしかめた呪殺屋に、行平はパンと勢いよく新聞を閉じた。心なしか、犬が心配そうに呪殺屋と行平を見比べている。


「寝室、貸してやる」


 どうやら風邪とは無縁だったらしい男だ。おまけに、大元の風邪の原因は自分であるらしい。

 立ち上がって居住区のドアを開けると、呪殺屋が瞳を瞬かせた。


「俺の所為で死なれた日には、呪い殺されそうだからな」


 行平の照れ隠しに、呪殺屋がはは、と短く笑った。


「駄目だな、滝川さん。それはちょっと洒落にならない」

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