表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愚者の園  作者: 木原あざみ
案件3.天狗の遠吠え
42/61

18:雨の結末

 降り止まない雨。雨に濡れる木々、姿の見えない、夏の蝉。そして、宙に浮いた『妹』。

 雨の中、ピンクのレインコートだけがいやにはっきりと目に付いた。妹が半ば以上透けているからだ。妹も、身に纏っているピンクのパーカーも、白いスカートも、グレーのタイツも、全部、全部。


「お兄ちゃん」


 妹の声とは程遠い、甲高い機械のような声だった。白い瞳が、恨めしそうに行平を見る。


「お兄ちゃんは、一緒に来てくれないの。あたしを信じてくれないの」


 呪殺屋は、なにも言わなかった。けれど、行平のすぐそばにいることはたしかで、それだけは疑いようがなかった。鈴は、もう鳴らない。


「いつか、絶対、このみの傍に行く。絶対に、このみを見つける。でも、それは今じゃないんだ」


 行平は空に浮く『妹』を見上げた。


「ごめんな、このみ」


 そして、それを言う相手も、きっと、この子ではないのだろうけれど。わかっていて、行平は視線を外さなかった。

 『妹』の顔が泣きそうに歪む。崩れる。消える。無くなってしまう。そして、終わる。


「お……、ゃん」


 人形の土は、行平の手の内で剥がれ崩れかけていた。宙に浮く『妹』も、どんどんと透明な部分が増えている。行平の視線の先で『妹』は消えつつあった。

 それでも、行平は視線をそらさなかった。


「お兄ちゃ……、やきゅ、試合……だ、った?」


 消え失せる最後、崩れかけた顔で、『妹』が笑ったと思った。


「この、み」


 瞠目して、思わず手を伸ばす。だが、その先で『妹』は崩れ落ちるように霧散した。ぱら、とレインコートだけがぬかるんだ地面に落ちる。

 拾おうと手を伸ばし、足を一歩踏み出した行平は愕然とした。切り立った斜面の淵だったからだ。あと一歩、妹の手を取るために進んでいたら、落ちていた。


「だから、言っただろう。あれはあんたの可愛い妹じゃない」


 呪殺屋の手が、落ちたレインコートをかすめ取っていく。風にあおられたピンクの裾が視界の端を揺らめいていた。


「なぁ、呪殺……」

「あの紛い物が家にいるあいだ、あんたはしなかっただろう。生産的なことは、なにも」


 母親に引き合わせることもしなければ、神隠しの原因を探ることもしなかった。


「それが答えでいいんじゃないか。今は」


 呪殺屋の手の内から、レインコートが飛び立った。切り立った山腹の底に、ピンクがひらりひらりと舞い落ちていく。行平はそっと目を伏せた。

 雨にあおられながら落ちたそれは、岩に引っかかって止まったようだった。妹も、こうであれば、すぐに見つけてもらえたのだろうか。


 ――いや、生きている。きっと、どこかで。


 悔恨を振り切るように行平は視線を上げた。行平の隣で、呪殺屋は涼しい顔でどこか遠いところを見ている。

 雨が呪殺屋の髪を止めどなく濡らしていた。やはり、藍色だと思った。


「試合は勝った」

「はぁ? いつの試合の話で、なんの試合なの」


 突飛な行平の発言に、呪殺屋が眉を上げる。それが妙に幼く見え、行平は笑った。直後、笑っている自分に少し驚く。だが、当たり前のことなのかもしれなかった。生きているのだから。


「もう辞めたけどな。野球」


 妹が居なくなったと知った日に、行平はグローブを置いた。この男は、行平の感傷だと嗤うのだろうか。

 白球を握ることができなくなったのだ。あれは、行平からすべての日常を奪い去った。


「ふぅん。まぁ、やりたくなったらやったらいいんじゃない」

「そうだな。やりたくなったら、な」


 いつか、そんな日が来るのだろうか。来たところで、鈍った身体は動かないに違いない。だが、それでいいのかもしれない。

 どこか不思議そうに行平を見上げていた呪殺屋が、濡れそぼった前髪を後ろにかき上げた。


「麓で見沢が待ってる」

「あいつも来てたのか」

「この雨の中、山に入るのは馬鹿すぎてごめんだったらしいけどね」


 スーツの詐欺師がぬかるんだ山道を嫌がる姿は、容易に想像がついた。


「おまえは?」

「なにが」

「嫌じゃなかったのか、ここまでやってくるのは」


 行平の問いに、呪殺屋は微かに目を見開いた。そして、呆れたように嘆息する。


「あんたがいなくなったら、『犬』の世話は誰がするんだ」

「……あ」


 すっかり忘れていた。見事に忘れていた。事務所に置き去りにした犬の状況が俄然気になってきてしまった。


「やばい、一応冷房は利かせといたけど! やばい! 帰るぞ、呪殺屋!」

「だから困るんだよ、あんたがいないと」


 溜息染みた台詞で応じ、呪殺屋が踵を返した。そういえば、この男は、自分以上に山に入る装備を携えていない。着流しを引っかけただけの細身の足元は雪駄だ。


「滑るなよ?」

「誰が。あんたじゃあるまいし」


 言うなり、錫杖の先を杖代わりに山道をさくさくと歩き出す。その背中を、行平も急いで追いかけた。

 家では犬が待っている。麓では詐欺師が待っている。

 そして、帰るべき家がある。今は、まだ。明日は、雨が上がるだろうか。

 明日は、妹の二十四回目の誕生日だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ