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愚者の園  作者: 木原あざみ
案件3.天狗の遠吠え
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17:過去と今と探偵と呪殺屋

「呪殺屋」


 喘ぐような声にしかならなかった。まるで干からびる寸前の、からからの音。妹の指先から視線を外し、振り返る。途端、雨に濡れた藍色が視界を覆った。しゃなりしゃなりと鳴る音が、みるみると強さを増していく。


「紛い物だと言っただろう」


 それは、いつも通りの呪殺屋の声だった。呪殺屋の錫杖の先は、ぬかるんだ斜面に突き刺さっている。暗い山肌に鈍い金色が光る。


「呪殺、屋」


 幻覚かと疑ったのは、先ほど脳内に浮かんだものとまったく同じ台詞だったからだ。


「それはあんたの妹じゃない」


 断罪するそれに、高い声が脳に響く。


「お兄ちゃん!」

「……このみ」


 けれど、やっぱりそれは『妹』の声なのだ。行平は緩慢に視線を戻した。妹は、半分崩れかかった必死の形相で行平を見つめている。


「お兄ちゃん、ねぇ、お兄ちゃん!」


 その場を動くことが出来ないのだろうか。妹はただ叫んでいる。お兄ちゃん、と自分を呼んでいる。比喩ではなく、本当に妹の顔がどろりと崩れ落ちかけているように見え、行平は小さく息を呑んだ。

 リン、と一際高い金属音が鳴り響いた。山の木々を木霊して、音が上っていく。


「だからそれは紛い物だと言っているだろう! それとも、あんたの妹は、あんたを地獄に引きずり込む怪物なのか! 正気に戻れ、滝川行平!」


 いつのまにか、すぐ傍に呪殺屋が立っていた。視界いっぱいに広がる藍色を、行平はただ見ていた。そうして、その白い手がなにかを持っていることに気が付いた。

 妹の人形だった。妹の姿をした、小さな人形。


「呪殺屋、それ……!」

「あんたの妹だ」


 静かなくせに、いやに響く声で、あぁ呪殺屋だとなぜか得心した。冷たい声音で、正論をぶつけてくる。けれど、そのくせ、どこかで甘い。


「あんたの母親が生み出した、あんたの妹だ」


 行平の目の前に、妹の顔をした人形があった。ピンク色の上着に白いスカートを着せられた人形。それがようやく、土で出来たものだと理解する。先ほどまで、行平の眼には、なぜか妹そっくりの精巧な人形に見えていたのだ。


「これを俺が壊したら、それで終わりだ。あっというまだ。あんたの妹はまた、あんたの目前から消え失せる」


 お兄ちゃん、と高い妹の声が聞こえた。それは、脳内に残っている行平自身の記憶なのだろうか。願望なのだろうか。


「でも」


 土で出来た人形の顔はつるつるとしていて、何の凹凸もない。ただただ流れ落ちる雨を弾いている。

 なぜこれが精巧な人形に見えていたのだろうか。妹がいるだろう方向に視線を向けることが、急に恐ろしくなった。『妹』は笑っているだろうか。記憶通りの形状を保っているだろうか。この土人形のように、能面のような顔になっていないだろうか。崩れて、流れ落ちていないだろうか。


「決めるのはあんただ」


 呪殺屋はまっすぐに行平を見ていた。この男は、いつも行平から目をそらさない。そらすのは、いつも行平だった。


「このみは、いないのか。ほんのひとかけらでも、あの中に」

「それはあんたの願望だろう。あるいはあんたが罪悪感を顕在化させているだけだ」


 そうして、それでもと縋る行平の弱さを、切り払ってみせる。さも、冷然と。


「それとも、あんたの妹は、あんたを憑り殺したいと願うような子どもだったのか?」


 呪殺屋の瞳が、ゆっくりと笑みを象る。それは、ずるいと思った。ずるい。そして、甘い。そんな言い方をすれば、自分が折れざるを得ないと知っているのだ、この男は。


「あんたを恨んでいたのか?」


 お兄ちゃんと。甘えた声で呼んで、自分の後ろを着いてくる妹が可愛かった。守るべき存在だと思っていた。なのに、妹が消えたその日、自分は近くにいなかった。背に庇ってやることも、見つけてやることもできなかった。

 それでも。


「あんたが決めたらいい」


 雨が冷たかった。顔にくっつく雨で濡れた前髪が鬱陶しい。身体に張り付く衣服が煩わしい。しゃなりしゃなりと鳴る金属音と、蝉の声。生きている、と思った。生きている。

 それでも、俺は生きている。

 行平の手は、妹へではなく、人形へと伸びていた。

 瞬間、通電したような衝撃があった。


 ――ここちゃんは。


 母親の声。それは、もうずっと、聞いていない、幸せそうな母の声だった。


 ――ここちゃんは、ちょっと調子が悪いだけなんですって。こうしていれば、元気になるって教えてもらったの。


 母が擦っているのは、小さな妹だった。妹のベッドの上に寝かせた土人形の頭だ。


 ――お母さんがね、愛を込めて撫でてあげたら、またお喋りしてくれるんですって。懐かしいわねぇ。もっと小さかったころは、お腹が痛いときも、お母さんが撫でてあげたら治ったものねぇ。


 妹のことを語る母は、いつだって幸せそうだった。そして、夢を見ているようだった。

 その隣にいることが、辛くなったのは、行平で、――父だった。

 行平は、一度そっと目を閉じた。過去を思い返すことは、いつだって苦しい。それは、今を突き付けられるからだ。このみのいない、今を。このみを救えなかった、過去を。

 そして、もう一度、目を開けた。


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