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愚者の園  作者: 木原あざみ
案件3.天狗の遠吠え
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15:『土人形』

「滝川さん」


 神野が畳に膝をついて、女を見上げた。トン、と錫杖の先が畳を叩く。先ほどまでの静けさが嘘のように、遊環は揺れ始めていた。


「あんたの娘は、年をとらない」


 凛々と鳴り響く音に、女は呆然と目を見開いた。


「だから、九歳にもならない」

「あなた、ひどいこと言うのね」

「そうかな。あんたを騙そうとしているお医者様のほうが、よっぽどあんたにひどいことをしていると思うよ」


 神野は先ほどまでの能面を消し落としたように、笑みを張り付けていた。静かな声だった。土人形しか映していなかった女の瞳に、明確な敵意が生まれる。


「あんたの娘は帰らない」


 行平が魔物だと称する、金色の瞳。その瞳でまっすぐに女を見据え、神野が断言する。


「そして、あんたの息子もこのままいけば、帰らない」


 呪殺屋とはよく言ったものだ。見沢が思うに、この子どものそれは催眠術に近い。久方ぶりに間近で見る芸当に、見沢は腕を組んだ。


「あんたの娘は戻らない。でも、息子はあんたが引き留めることはできる。それを壊せば」


 神野の指が、ベッドの上の『娘』を示す。この家から、――行平から、ずっと漂っていた土の匂いの発生源。

 見沢の見通す眼には、今にも崩れそうな土人形でしかない。だが、女の眼には生身の人間に映っているのだろう。この家は、病んでいる。見沢は胸中で繰り返した。『お医者様』とやらが来なくとも、きっとずっと、病んでいた。


「ひどいことを言うのね。ここちゃんが可哀そうだわ」

「兄は可哀そうじゃないのか。あんたにとっては同じ子どもだろう」


 問いかけは、やはり静かだった。純粋に疑問を抱いた幼い子どものようにも、答えを承知しているのに、一縷の望みをかけた少年の問いのようにも響く。不思議な声音だった。合わさるように錫杖の鐘は鳴る。しゃなり、しゃなりと。

 女の眼が虚ろいだ。


「でも、あの子は一人で生きていけるから。ここちゃんは私がいないと駄目なのよ。可哀そうでしょう。あの子とは違うの」

「違うのは、あんたの認識だろう。あれも子どもだったはずだ。あんたの庇護が必要な」


 溜息のような微笑を漏らした神野が、指をさらに伸ばした。その手が土人形に触れた瞬間、女が金切り声で叫んだ。


「やめて! やめて! その子に触らないで! その子はまだ完璧じゃないの! 明日にならないと駄目なの! 触らないで!」


 悲鳴と共鳴するように、より一層錫杖のけたたましさが増す。その不協和音に眉をしかめ、見沢は片耳を押さえた。


「ちょっとぉ、神ちゃん。あなた、穏やかに引き渡してもらうんじゃなかったの?」

「十分、穏やかだと思うんだけどね、俺としては」


 煩いと主張する見沢を一瞥して、神野は、女の手から人形を奪い取った。立ち上がりざま、錫杖を打ち鳴らす。


「これは、俺が預かる。あんたの娘はもういないが、その代わり、あんたの息子はそれで助かる」


 行平が求めているのかどうかは定かでないが、この子どもが求めていることに違いない。見沢はひっそりと肩をすくめた。

 相も変わらず錫杖は鳴り響いている。時の止まった子ども部屋に。鳴らしているのは、神野だ。


「嫌よ、返して! 返して、その子だけなの! その子が私のすべてなの!」

「仮にも、あれもあんたの息子だろう! 死んだ娘に生きている息子を引っ張られても、それでいいのか!」


 よくその口で言うわねぇ、と思ったが、思うだけだ。口を挟むつもりはない。なにせ、ある意味で、この男は公平なのだ。たった一人を除いて、ほかのすべてのものに対しては。

 しゃにむに神野から『娘』を取り返そうとしていた女の動きが止まる。


「忘れたいなら、忘れたらいい」


 それはまた傲慢な台詞だと、見沢は目を細めた。錫杖の音が止んだが、女は叫ばなかった。ただ茫然と『呪殺屋』を見ている。


「覚えていたいなら、生者に迷惑をかけるな」

「少なくとも、あなたの息子は、生きているわ。まだ、ね」


 自死でもされたらかなわない。懐柔にかかった見沢に、女ははっとした顔で縋りついた。


「ここちゃんだって死んでないわ! だって、そこにいるじゃない! そこにいるのよ!」

「死んでるよ、十五年も前に」


 吐き捨てて、神野が錫杖を畳に叩きつけた。一度だけ、高い音が響く。


「いるわけがない」


 それでも、神野の腕は優しく土人形を抱いていた。


「こんなところに、いるわけがないんだ」


 腐り落ちそうな土の匂い。それを人形たらしめているのは、土を塗り固める愛情と、それを括り付ける、呪い。それだけだ。


「あんたには、息子がいるだろう、それでも」


 神野が女に背を向ける。女は追おうとしなかった。魂が抜けたようにベッドに座り込んでいる。自分に縋った女の力は、まさしく火事場の馬鹿力であったらしい。手首についた痕をしげしげと見つめ、見沢は階段を下りていく背に語りかけた。


「死ななわいよ、あの人も。あなたのおかげで」


 よかったわね、とは言わない。神野が笑った。


「死ねなくなったの間違いだろう」

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