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愚者の園  作者: 木原あざみ
案件1.月の女王
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02:探偵と呪殺屋

 夕闇が近づくにつれ、雨脚は強さを増していた。

 薄く開いたビルの窓からも雨粒が入り込んでくる。多分な湿度をはらんだ、じっとりとした夏の風。

 だが、しかし。閑古鳥が鳴いて久しい事務所のクーラーは、外気温が三十五度を超えてから稼働させると決めている。

 所長である滝川行平は、本来の用途を果たしていない来客用ソファの片側に腰を沈めたまま、木目調の応接テーブルに目を落とした。

 散らばったカードの端が、温い風に煽られてひらりと浮き上がる。スペードのエース。行平が一度も出したことがない、ロイヤルストレートフラッシュだ。先ほど自身が叩きつけた凡庸なスリーカードが恨めしい。

 机を挟んで正面。ソファに踏ん反り返っていた法衣姿の若者は、行平の昔語りを聞き終えると小さく欠伸を噛み殺した。


「それはあんた、呪われたんだね。その少女とやらに」

「おい、呪殺屋」


 よりにもよって、人の初恋を呪いときたか。苦虫を噛んだ呼びかけに、美麗な顔に少女めいた笑みを浮かべることで「呪殺屋」は対抗した。


「なぁに、滝川さん。悔しかったら俺に勝てばいいだけでしょう? でも、これで俺の二十四戦全勝かぁ」


 白い指先が机上に散らばったカードをまとめて緩慢に繰り始める。


「次はどうする? ババ抜きでも神経衰弱でも七並べでもなんでもいいよ。あんたがもし勝ったら、今度は俺が『初恋の話』でもしてあげようか?」


 性別不詳の甘い声に、行平はぐっと文句を呑み込んだ。

 ゲームの勝者は、敗者になんでも質問をすることができる。敗者は決して嘘を吐いてはならない。

 半年前、行平がこのビルに移り住んだ当初に、先住者であった呪殺屋と暇つぶし半分で始めた戯れだ。常習化したのは、全戦全敗というおのれの不甲斐ない戦歴に対する意地ゆえである。

 勝ち飽きた感のある呪殺屋が、質問も尽きたとばかりにおざなりに上げたお題が、先だっての『初恋の話』だったわけだが。大切な記憶の蓋を十五年ぶりに開けて披露した結果がこれなのだから、なにひとつとして救われない。


「滝川さんが俺に勝てる日は、いつになるのかなぁ」


 楽しそうに嘯いた呪殺屋が、手品師のような手つきでカードを箱に仕舞い込んだ。


「まぁ、滝川さんが泣いて頼むんだったら、なにを話してあげてもいいんだけど、ね」


 黙殺した行平は、団扇で冷風を作り出すことに専念した。無論、自分のためである。人形のごとき容姿の呪殺屋は、光を吸収しやすいだろう衣服にもかかわらず、涼しそうな居住まいを崩さない。


「それにしても、今日も見事に閑古鳥だねぇ」

「俺が客だったら、こんな怪しげな事務所に来ようと思わないからな」

「それそれ。そもそもとして、所長さんに集客する気がないのが大問題だよね。ビルの掃除は嬉々としてやってるっていうのに」

「あのな、俺は一応、このビル全体の管理も頼まれてるんだよ。だからビルの掃除も仕事のうちなの。おまえと違って」

「よかったねぇ、滝川さん。探偵業が閑古鳥でも食べていける言い訳があって」


 減らず口を聞き流し、無心で団扇を動かす。

 七月に差し掛かったばかりだというのに、既にして猛暑の気配を見せている。このビルで夏を過ごすことははじめてだが、覚悟を決めたほうがよさそうだ。


「そうだ。滝川さん」


 唐突に、呪殺屋がうれしそうな声を出した。短髪とするには少し長めの襟足が揺れる。大学生でも通りそうな童顔に、有髪僧。修行を積んだ僧であるのかを訊いたことはないが、本人いわく「コスプレでは断じてない」。

 どちらにせよ、世間様に『呪殺屋』と称される商売を営んでいる時点で、怪しいことに変わりはないが。


「見沢が予言していたよ」

「見沢?」


 眉を上げた行平に、呪殺屋はにこりとほほえんだ。いつものことだが、胡散臭いのは見かけだけでなく、言動も含めてである。


「兄か? 妹か?」


 ビルに居住する自称占い師の兄妹の顔が頭に浮かび、行平の声音は自然と下がった。探偵事務所の上階で「みんちゃんの占い屋」を営む詐欺師のような風体の兄と、魔女のごとき容姿の妹。


「メイ」

「……詐欺師のほうか」

「そう嫌そうな顔をしなくても。悪い予言じゃないってば」


 行平の反応に喉を鳴らし、呪殺屋が目を細める。幼いころに妹が好きだった絵本でも、これと似たチェシャ猫が笑っていたような。


「今日は珍しく客が来る」


 一段と強くなった雨粒が窓を叩いていた。よりにもよってこの悪天候に、か。予言という不可思議が、行平は好きではない。否定も肯定もせず団扇を置いて立ち上がる。

 入り込む雨と室温。天秤にかけた末に、行平は窓を閉めた。外界の音から膜が張った屋内に響く、かすかな靴音。関知した物音に、ぎくりと固まる。なんてタイミングだ。

 戸惑いを如実に表す不定な間隔が、ビルの階段を揺らしている。


「ほら、当たった」


 しかたなく振り返れば、件の若者は一段と楽しそうに目を細めた。


「駄目だよ、滝川さん。見沢の予言を無下にしちゃ」


 しゃりん。風はなくなったはずなのに、無造作にソファに立てかけられていた呪殺屋の錫杖が、涼やかな音を立てた。

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