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愚者の園  作者: 木原あざみ
案件1.月の女王
14/61

14:ある夜の終わり

 まるで、すべてを浄化するような音だった。しゃんしゃんと鳴り響く鈴にも似た音色。世界のおわり。

 その音が完全に鳴り止んだ瞬間、路地を包む空気が変わったことがわかった。固まったままの少女の肩を擦って、顔を上げる。

 これといった感慨も見せず、呪殺屋は闇の中に立っていた。湿度をはらんだ風が呪殺屋の法衣の裾をはためかせている。不思議なことにその肩に再度ひっかけられた錫杖は、新たな音を生み出しはしなかった。


「これで『おしまい』」


 めでたし、めでたし? そうクエスチョンマークを伴う御伽噺の終焉。それを謳う道化師のように、呪殺屋が口の端を上げた。


「いや、まだだ」


 半ば義務感で応答した行平は、白い顔の少女に向き直った。


「恭子さんの部屋にどうして人型があったのか、知ってる?」


 相沢はどの現場にも人型は落ちていたと言っていた。一人目が自殺だったというのなら。彼女が殺していないというのなら。明島恭子の部屋には、なぜそれがあったのだろう。

 行平の手の下で、少女の身体が身じろぐ。そうして、色を無くしていた瞳に、ぼんやりと自我が映り出した。行平を見て、ぎこちなく頭を振る。


「あたしが見つけたの。置いたのは、恭子よ。でも、……あれはただの人型だった。誰も呪ってなんてなかった」

「それはどういうこと?」

「小さなメモと一緒に、恭子の机の引き出しに入ってたの。それを見て思い出した。恭子が言ってた都市伝説のこと」

「都市伝説?」


 法衣の呪殺屋を仰ぎ見たが、呪殺屋はなにも言わなかった。


 ――この世は、人を呪いたい人間でいっぱいだ。


 呪殺屋が嘯いていた台詞である。不意に思い出したそれを振り切って、行平は少女に視線を戻した。

 迷うように唇を噛んでいた彼女だったが、辛抱強く待っていると、ゆっくりと話し出した。


「本当に誰かを呪いたいと思えば、たどり着けるサイトがあるっていう噂。そこに書き込みをすれば呪殺屋に会うことができるんだって。それで、呪いの人型をくれるって」


 本当に、都市伝説のような話だ。やるせなさを呑んで、そっと息を吐く。

 嫌いな相手を呪いたいと思ってしまう心の闇は、きっと誰でも持っている。けれど、それはいつしか消化されるべきはずのもので、安易に成就していいものではないはずだ。


「その人型にね、呪いたい誰かの名前を書いて、恨めばいいんだって。その恨みが呪いに変わるって聞いた。でも、恭子は……恭子は、最後の最後で、誰の名前も書けなかったのよ」


 そうして、自分が死ぬことを選んだ。自分の死で、彼女たちが反省してくれることを望んだ。


「でも、そんなことしたって、あいつらが反省するわけない。恭子のお葬式で、あいつらが盛大に嘘泣きしてるのを見て、本当に殺してやろうかと思った。でも、でも、恭子は……」


 震える声で言い切った少女は、そこで小さく息を吸った。そうして鋭く吐き捨てる。


「あたしは恭子とは違う。だから、呪殺屋に会いに行ったのよ」

「呪い殺してやろう、って?」


 静かに聞き返した行平を、少女は睨んだ。その瞳に、うっすらとした涙の膜が張り始める。


「朝が来るのが怖かった。ずっと夜のままならって、何度も恭子は願ってたの。それでも朝が来るから、恭子は死んだ。だから恭子が怖がっていた朝が来ないようにしたのよ、それのなにがいけないの!」


 ずっとこのままだったらいいのに。少女の思念の中で聞いた明島恭子の声は寂しそうで、だが、幸福そうでもあった。そう囁く瞬間だけは、寂しくなんてなかったからだ。


「きみがいけなかったと思っているのは、たった一度でも、恭子さんをないがしろにしてしまったきみ自身だろう」


 明島恭子が恐れていたのは、味方のいない一人ぼっちの朝だったはずだ。この少女がいるから、夜であれば幸せだったのだ。隣に友人がいるから。大切な人がいたから。

 ほかの誰がそのことを知らなくても、責めなくても。彼女自身が彼女を許せないのだろう。少女の白い手が、きつくきつく握り込まれていく。


 大切な誰かがいなくなったとき、一番に責める相手はおのれだと行平は知っている。あのとき違う道を選んでいれば。あのときあんなことを言わなければ。

 けれど。行平は静かに少女を見据えた。


「彼女が死んだことは、きみの所為じゃない。でも、ほかの少女たちの死を招いたのは、きみだ」


 理由がどうあれ、少女にとっては正当な復讐だったのだろうが、それでも。

 明島恭子を死に追いやった少女たちにも、彼女たちを大切に思う誰かは存在しているはずなのだ。


「死んでほしかったわけじゃなかったの、最初は」


 独白の調子で、少女が呟く。


「本当に恭子に悪いと思ってさえくれたら、死ななかったのよ。そういう呪いだって聞いたもの」

「それも呪殺屋から?」


 口を閉ざした少女に、行平は溜息を吐いた。座り込んだままの少女の肩を叩いて立ち上がる。


「この世に蔓延している呪い、か」


 この少女を裁く法は、現代日本にはない。けれど、それでも、と願わずにはいられなかった。

 せめて死んでしまった彼女たちの魂が安らかであらんことを。いつかこの少女が朝を期待できることを。


「月は孤独な夜の女王ってね」

「おまえは夜が怖かったことなんてないクチだろう」


 路地の入口にもたれていた呪殺屋が小さな笑みを刻む。


「またそうやって俺を過大評価する。滝川さんこそどうなわけ?」

「俺は」


 行平は一度夜空を見上げた。故郷と違い、都会の夜は明るい。


「どうだろうな」


 溜息のような声になった。応じず、呪殺屋が低く笑う。


「いい加減、腹くくって開業し直したら? 滝川万探偵事務所にでもさ」

「万か」


 苦笑した行平に、呪殺屋は続けた。


「聞きたいことがあるなら教えてあげるって、俺はずっと言ってるのに」

「俺は、なにも変わってないのかもしれないな」

「そんなことないよ、あんたは変わった」


 自嘲に思いのほか優しい応えがあって、思わず行平は呪殺屋を見た。


「月の逆位置。見沢の言うとおりだ。あんたはきちんと回避することができた。四人目も死んではいない。あの子もあんたが繋ぎ止めた」

「……」

「昔のあんたは、俺の希望だった」


 呪殺屋の唇が小さな笑みを象っていくのを、ただ見ていることしかできない。言葉もなにも出なかった。


「言霊には力があるというのは本当だ、滝川さん。嘘は吐かないほうがいい」


 さぁっと強い風が路地を吹き抜けていく。

 呪殺屋の黒い髪が風に舞う。違う、黒じゃない。あれは、――濃い、藍色。

 やはり、言葉は出なかった。再び呪殺屋の瞳がチェシャ猫のように細くなる。光る、きんいろ。


「じゃあね、滝川さん」


 ひらりと呪殺屋は身を翻した。細い背中が去っていく最中、相対する影が迫ってくる。背の高いシルエット。

 相沢だった。

 呪殺屋はすれ違いざま、なにか囁いたようだった。


「相沢さん」


 半ば呆然と呼びかけた行平に、相沢が片眉を上げる。


「だから言っただろう。あのビルは化け物ばかりだってな」


 反論しようとして、けれど、曖昧に頷くことを行平は選んだ。

 たしかに、化け物ばかりだ。けれど、まったくわかり合えないわけではないのかもしれない。夜がいつか明けることと同じように。

 生きてさえいれば、夜は明ける。孤独な夜も、いつか終わる。きっと、いつか。いつか終わる。


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