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愚者の園  作者: 木原あざみ
案件1.月の女王
13/61

13:呪いの結末

 ――恭子は。


 少女の声だ。投げやりに突き放したような、それでいて甘えを含んだ声。


 気がつかないあいだに、呪殺屋が近くまで来ていたのだろうか。けれど、気配を感じ取ることはできなかった。

 ただ、しゃん、しゃん、と。あの錫杖が奏でる音がどこかで響いている。


 ――恭子はちょっと甘えすぎじゃないのかな。

 ――そうかな。そんなつもりないんだけどな、ごめんね。悠ちゃん。


 明島恭子だった。週刊誌に掲載されていた写真よりも、いくらか幼く見える。この少女と一緒にいるからであるのかもしれない。

 眉根を寄せた少女は、明島恭子から視線を外すとスマートフォンを手に取った。場所は、少女たちのうちのどちらかの部屋なのだろう。ベッドに座ってスマートフォンを触る少女を、困ったふうに明島恭子は見つめている。


 ――いつも、いつも。そうやって私に愚痴ばっかり。本当に嫌なら、鳴沢さんたちから離れたらいいじゃん。

 ――でも、新しいクラスに悠ちゃんはいないし、英佳ちゃんとまなみちゃんとまた同じだし。無理だよ。英佳ちゃん、私を一人にさせるのうまいんだ。きっとほかのグループには入れてもらえないよ。


 気弱な笑みを浮かべた恭子に少女は苛立った。いつも、私の家にやってきて夜を過ごす幼馴染。


 ――ずっと夜だったらいいのに。


 寂しそうにはにかむ幼馴染が心配で、できるだけ話は聞いていたつもりだ。けれど彼女の話は堂々巡りで、なにも進歩がない。だから、ほんのちょっと発破をかけるつもりで、でも意地悪な気持ちも僅かにあった。


 ――どっちにしろ、本当の友達じゃないもんね。いいように利用されてるだけじゃん。それなのに一人になるのが怖いなんて、ばかみたい。私なら一人のほうがずっとずっと気楽だよ。恭子がいなくても、私だったら一人でやれるのに。


 本当に。本当に、些細な棘だったのだ。

 隣の家に住んでいて、生まれたころからずっと知っている幼馴染。少女がなにを言っても、恭子は笑っていた。恭子ならわかってくれると勝手に信じていた。


 ――そうだね、ごめんね、悠ちゃん。悠ちゃんに甘えてばかりで、駄目だね、私。


 その日も恭子は笑っていた。いや、笑っていたのだろうか。少女はそのとき、スマートフォンでクラスの友人たちとLINEをしていた。べつにどうでもいい話だった。既読。既読。どうでもいい。

 それなのに顔を上げなかったのは、小さな悪意だった。ねぇ、恭子。あなたは、こんな些細なやりとりをする相手もいないんでしょう?


 明島恭子が首を吊ったのは、その日の夜だった。遺書はなかった。けれど、少女は知っていたのだ。恭子がひっそりといじめられていたことも、その主犯であった彼女たちが反省しないことも。


 しゃん、しゃんとまた音がする。その音は、波のように寄せては引く断続的なリズムで行平の耳の中で鳴り続けていた。


「自殺だったのか……」


 呟いた自分の声は、ひどく乾いていた。明島恭子は、本当に自ら命を絶っていたのだ。グループ内でいじめを受けて。


「俺にはそんなことはどうでもいいんだけど、『視えた』みたいだね、滝川さん」


 背後からかけられた声に、少女の肩から手を外して振り返る。


「呪殺屋」


 声に安堵が滲んだことを自覚したまま応じると、呪殺屋がそっと唇を吊り上げた。


「視えるのも善し悪しだね、本当に。お人好しなあんたは、これでその子どもを糾弾できなくなった」


 この男も『視た』のだろうか。戦慄いた少女の声に、行平は視線を彼女に戻した。


「呪殺、屋……?」

「そう。きみが呪った少女Aに縋られた程度のご縁だけどね。とは言っても、依頼は受けていないから安心したらいい」


 呪殺屋がトンと軽い音を立てて錫杖をアスファルトに突き立てる。


「ところで、きみは、素人が手を出す『呪殺』の恐ろしさを、ちゃんとわかっているのかな」


 ぞっとする声音だった。響きだけで言えば柔らかく甘いようにも感じるのに、耳に落ちた瞬間に底なし沼に引きずり込んでいきそうな、声。


「なによ」


 少女の声は震えていた。


「呪ったから、あたしは地獄に落ちるとでも言いたいの!?」

「さぁね。死んだらわかるんじゃない?」

「おい、呪殺屋!」


 低い声で諌めた行平に、呪殺屋が目を瞬かせる。


「だって、地獄があるどうかなんて知るわけがないでしょう。さすがに俺も死んだことはないし」

「そういう問題じゃねぇだろう! ここは説得するところだ。地獄でもなんでもうまく使えばいいだろうが! おまえの舌先三寸で!」

「ひどいなぁ。滝川さん。こう見えても、俺は嘘は吐かないがモットーなんだけどな」


 言霊には力があるからね。

 ぼそりと口にした呪殺屋を行平は僅かに凝視した。その話も、俺はこの男にしたのだろうか。


「誰かを救うための嘘は美しいって、ひどい偽善だと俺は思うよ」


 あるいは自己の正当化だ。


「まぁでも、人を呪わば穴二つとはよく言ったものでね。それは地獄に落ちるという間接的な結末じゃなくてさ」


 言葉を切って呪殺屋は空を見上げた。ごご、と地鳴りのような音がする。つられて見上げた先で、行平は瞠目した。


「なんだ、これ」

「呪いだよ」


 静かな声だった。夜空には黒い渦がある。竜のようにも蛇のようにも見える、黒いもやのようなもの。本能のようなもので、雨雲ではないとわかった。そうして、自分たち以外には、きっと見えていないことも。

 へたりと座り込んだ少女の姿が視界の端に映る。


「正確に言えば、この子の邪念だね」


 憎い憎いと吐き出し続けた呪詛だ。相手を呪い殺して、それでも足りなくて、最後はこの子どもを食らっておしまいにしようとしている。


「あんたには、あれを食らうだけの気概があったの? それとも食われる覚悟でも用意していたつもりだった?」


 青ざめた顔で少女が首を振る。口はぱくぱくとせわしなく開くだけで、なにも音になることはない。


「これが最後だ。あの邪念は元凶を食らえば消える。謎の連続自殺とやらもおしまいだよ。最後は、――心筋梗塞ってところかな」


 あぁ、自殺ではないか。病死だね、突然死。うっそりと微笑む呪殺屋を行平は呆然と見ていた。呪殺屋は、夕方、なんと言っていた?

 俺ならできる。止められる。


「呪殺屋っ……!」


 気がつけば、縋るような呼びかけがこぼれていた。自分ではどうにもできないものを、俺にはできると平然と笑う男。結局、俺にはなにもできない。できて、いない。

 後ろに這いずろうとする少女の視界を防ぐように覆いかぶさる。切り替わる世界の最後で、呪殺屋が笑ったことがわかった。


「せいぜい俺がここにいたことに感謝したらいいよ、滝川さん。本当に『おわり』だ」


 錫杖の金属音がより一層けたたましく鳴り響く。震える少女を行平の腕が抱き留める。


 ――ごめんなさい、ごめんなさい。


 誰にとは知れない。ただ少女の思念はずっとなにかに謝り続けていた。


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