8. かくれんぼ
部屋に戻ると、セラフィーナの穏やかな時間はあっけなく崩れ去った。
セラフィーナはまず、花を身にまとった自身の姿を見た。
確かにいつもと少し違う様子は、かわいく見えなくもないかもしれないけれど、セラフィーナの目には、アルバートのように花の妖精のようには映らなかった。
だが、それはまだ、別によかった。
問題は、その後のことだった。怒り狂った両親が、セラフィーナの元へ来襲してきたのだ。
父の手によって、せっかくアルバートに作ってもらった花冠は投げ捨てられ、首飾りは引きちぎられてしまった。
必死に隠した花の指輪だけは、セラフィーナの手に守られるようにして、かろうじてまだセラフィーナの指に残っている。
「今までいったいどこに居たのだ!?昨日の課題は全然終わっていないし、今日の分もまるで進められていないではないかっ」
怒号を浴びせられ、セラフィーナは恐怖に縮こまることしかできない。
「ご、ごめん、なしゃい……っ、いみゃから……っ」
「お前は自分の立場がわかっていないようだ。まずは、しっかりと罰を与え……っ」
「なら、その罰は、僕が受けないといけないかな」
罰、という言葉にセラフィーナが怯える中、この場に割り込んで来たのは、またしてもアルバートだった。
「昨日、課題を続けようとしたセフィを止めたのは僕だし、今日セフィに勉強させず、外に連れ出したのも僕だ。だから、不満があるなら僕が聞こう」
そう言ったアルバートはまだ16歳であるはずなのに、セラフィーナの父は妙に迫力を感じ少しばかり狼狽えた。
「い、いえ、殿下、これは我が家の問題でして……」
「僕には、婚約者と一緒に過ごし、親睦を深めるくらいの権利、あるはずだけど……セフィは僕よりも、勉強を優先しないといけないの?」
公爵であるセラフィーナの父が恐れるものなど、たいしてない。
だが、敵意すら感じるアルバートの目に、セラフィーナの父はわずかであるが恐れを感じていた。
「で、ですが、殿下はあと2年もすれば、アカデミーを卒業され国王陛下とともに政務を行うお立場になられます。それを補佐する立場となるセラフィーナは、急いで教養を身につけませんと……」
スッとアルバートが目を細めるのを感じ、セラフィーナの父の言葉が途切れる。
「ふーん……僕はよほど信用がないらしいね。こんな小さなセフィに、急いで僕と同じくらいの勉強をさせて補佐させないと、僕には政務なんて行えないってこと?」
「け、決してそのようなことは……っ」
「だったら、今すぐ課題の量を調整しろ。あれは、とても1日でこなせるような量ではない。セフィの年齢にあわせた教育にするんだ」
セラフィーナは、目を見開いた。
一瞬、目の前で何が起きているのか、理解さえできなかった。
誰も意見できなかったセラフィーナの両親の教育方針に、よりにもよってアルバートが異を唱えている。
「わ、かり、ました……」
セラフィーナの父は、決して、納得したわけではなかった。
だが、その場では、そうして頭を下げるしかなかったのである。
「ごめんなしゃい、ごめんなしゃい」
オールディス公爵夫妻が立ち去った後、散らばった花をかき集め、セラフィーナは泣きじゃくった。
(いい大人が情けない、でも、止められない……)
やはり、幼い身体に引っ張られているのか、セラフィーナにもわからない。
とっくに成人を迎えた自分が、こんなに泣くなんてありえない、いくらそう思ってみても、セラフィーナはその涙を止められなかった。
「泣かないで、セフィ、大丈夫だから。花冠も首飾りも指輪も、セフィが望むなら、何回だって作ってあげる。だから、もう、泣かないで、ね?」
あたたかな腕に抱きしめられ、頭も背中も、あやすように何度も撫でてもらった。
それでも、なかなかセラフィーナの涙は止まらない。
アルバートはセラフィーナが泣き止むまで、ずっとセラフィーナに付き合ってくれた。
翌日には、いろんなことが変わっていた。
セラフィーナの教育内容を、王家が常に監視するという名目で、セラフィーナは王宮で暮らすことになった。
教育内容も全て、王家が責任をもって決めることとなり、オールディス公爵家はセラフィーナの教育に一切口を挟むことができなくなったのだ。
かつてのセラフィーナには、到底考えられなかった変化に、セラフィーナは驚きを隠せない。
(年齢が変わるだけで、こんなにも状況が変わるものなの……?)
セラフィーナに日々与えられる課題は、セラフィーナが見たこともないほど、恐ろしく少ない量となっていた。
(こ、これだけで、いいの……?)
それは、あまりの少なさに、セラフィーナが逆に不安を覚えてしまうほど。
一度だけ、セラフィーナはもう少し量を増やしても大丈夫だと、主張してみたことがある。
それを聞いた国王と王妃は、少しだけ増やしてみてもいいかもしれない、と考えなくもなかったのだが。
アルバートが全力で反対したため、結局増えないままに終わったのだった。
「かくりぇんぼ、でしゅか?」
その日、セラフィーナはまた、アルバートによって外に連れ出された。
足の怪我はすっかり治ったものの、舌っ足らずな発音は変わらずなのが、今のセラフィーナの悩みだった。
「うん。やったことある?」
セラフィーナは左右に首を振った。
かつての自分も、もちろん今の自分も、知識として知ってはいるが実際にやったことはない。
「そっか。じゃあ、まず僕が鬼をやってみるから、セフィは僕に見つからないように隠れてね」
2人だけでは、つまらないと思ったのか、そこにはアルバートによって招集された、メイドや執事や兵士なんかがいる。
仕事の真っ最中だろうに、こんなことに巻き込んでしまい、セラフィーナは申し訳なく思ったが、招集された者たちは皆それなりに楽しんでいるため気にしていなかった。
「セフィ、みぃつけた」
1度目、セラフィーナはあっさりとアルバートの見つけられてしまった。
はじめてだったのだ、仕方がない、次はもっと上手く隠れよう、セラフィーナはそう思ったのだが。
2回目、3回目、と回を重ね、鬼が変わっても尚、よほど隠れる才能が乏しいのか、セラフィーナはすぐに見つかってしまう。
(ううっ、どうすればいいの……)
セラフィーナはこれまで多くのことを学んできたが、かくれんぼの上手な隠れ方は、当然誰も教えてくれなかった。
困った表情で、鬼が数を数えるのを聞きながら、セラフィーナは必至に周囲を見渡した。
そんなセラフィーナの目に、葉が生い茂る大きな木が映る。
(あそこなら……っ)
セラフィーナはその日はじめて、木登りをした。
必死だったから、なのかもしれない。登るだけなら、なんてことはなかった。
しかし、登ってからが大変だった。
緩やかな風が吹くたびに、周囲の葉が揺れ、同時にセラフィーナの足場となっている太い枝まで揺れているように感じる。
下を見てしまうと、想像以上に高く、セラフィーナの両足はがくがくと震え、とても自分で降りられる気はしなかった。
怖くてしがみついた太い幹は、手をかけられるところがなく、どこか頼りなく感じる。
さらに、よくよく見れば、木に上る過程でせっかくのワンピースは汚れてしまっており、手のひらも傷だらけだった。
あまりにも考えなしな行動を取ってしまったと、セラフィーナは後悔に襲われる。
いろんな感情が入り混ざり、セラフィーナは今にも泣いてしまいそうだった。
(はやく、はやく、見つけて……っ)
そう願うけれど、誰も予想すらしない場所だったのかもしれない。
なかなか誰もセラフィーナを見つけ出してくれない。
近くを通ったとしても、すぐに離れてしまう。
気づけば残るのはセラフィーナだけとなったようで、皆してセラフィーナを探しているようだが、それでも見つけてはもらえなかった。
「困ったな……」
アルバートの呟きが、セラフィーナの真下から聞こえた。
セラフィーナは、もうとっくに限界で、アルバートの姿を見るだけで涙が溢れた。
「ある、たしゅけて……っ」
小さな小さな呟きだったけど、アルバートにはしっかりと届いたらしい。
すぐに上を見上げたアルバートが、驚いた表情を浮かべている。
「セフィ!?もしかして、降りられないの?」
問われてセラフィーナはこくりと頷いた。
すると、アルバートは両手を広げる。
「セフィ、そこから飛び降りられる?僕が、絶対に受け止めるから」
アルバートは真っ直ぐに、セラフィーナを見つめる。
その言葉に、きっと嘘はない、セラフィーナはそう思うけれど、だからといって簡単には飛べない。
(そんなこと、言われても……)
あまりの高さに、恐怖感が身体を支配する。
けれど、風が吹くたび時折揺れる今の足場も、恐怖でいっぱいだ。
いつ落ちるかもわからない、そう思ってセラフィーナは覚悟を決めた。
ぎゅっと目を閉じてから、セラフィーナはアルバートめがけて飛び降りた。
飛び降りるセラフィーナの勢いに負け、アルバートはどすんと音を立てて尻もちをついたが、それでもしっかりとその両手にセラフィーナを受け止めてくれていた。
「どこか、痛いところ、ない?」
「ない、でしゅ。あるは、ない……?」
「心配してくれて、ありがとう。僕も大丈夫だよ。でも、ちょっとかっこ悪かったね」
受け止める過程で尻もちをついてしまったことを笑い飛ばすように、アルバートが言う。
けれど、セラフィーナはぶんぶんと首を振った。
「ある、かっこわりゅく、にゃいっ」
「ふふ、ありがとう、セフィ」
アルバートはセラフィーナを抱きかかえたまま、ゆっくりと立ち上がる。
「セフィってば、急にかくれんぼ上手になっちゃって。すぐに見つけてあげられなくて、ごめんね」
なぜあんなところに隠れたのか、そう責めるような言葉は一言もなかった。
アルバートはただ、もう大丈夫だよ、と優しくセラフィーナの頭を撫でるだけ。
「ごめ……っ、ごめん、なしゃい……っ」
セラフィーナは安堵から、泣きじゃくった。
中身は18歳なだけに、恥ずかしいと思う気持ちもあるのに、その涙を止めることはできなかった。
それでも、やはりアルバートは、セラフィーナを責めたりはしない。
セラフィーナが落ち着くまで、ただ大丈夫だと何度も繰り返すだけだった。