21. 居たたまれない
チェスは、当初話していた通り、国王対セラフィーナとアルバートによるペアの対戦となった。
王妃はチェスはやらないと言うので、そのまま立ち去るかと思ったのだが、にこにこと楽しそうに笑いながら見守っている。
(これ、思っていたよりずっと難しいわ……)
セラフィーナの知識は、チェスのルールブックを読んだ程度だった。
知っているのは、各駒がどう動けるのかと、勝敗の決まり方くらいである。
実際に盤を目の前にすると、動かせる駒が分かったところでどれを動かせばいいかわからないし、現状が勝っているか負けているかも判断つかない。
困ったセラフィーナは、ついすぐ傍に座るアルバートを縋るように見つめてしまう。
「うん、大丈夫だよ。僕が教えてあげるから、一緒に考えよう?」
「ひあっ」
優しく言われた言葉は、今のセラフィーナにとっては、非常にありがたいものだった。
しかし、同時にふわりと身体が浮き上がる感覚がするのは、絶対おかしい。
「あ、アルっ!!」
浮き上がったセラフィーナの身体が降ろされたのは、チェス盤の正面に座り直したアルバートの膝の上。
いたたまれなさから、顔を赤くしながらも抗議するようにアルバートの名を呼べば、国王と王妃から楽しそうな声があがる。
「おお、ようやくか」
「あらあら、よかったわね、アル」
殿下、と呼ばれるたびにアルバートが呼び名を訂正する光景は、国王と王妃も王宮内で何度も目撃したのである。
実は少し前から、セラフィーナはアルバートの努力の甲斐もあってか、自然と愛称でアルバートを呼ぶことができるようになってきていた。
しかしこうしてあらためて指摘を受けると、恥ずかしさが込み上げる。
アルバートの膝の上に座らされている恥ずかしさとの相乗効果で、さらに赤くなってしまった顔はとても上げることができず、セラフィーナは俯くしかなかった。
(恥ずかしすぎるわ……っ)
せめて、この場から移動すれば、とアルバートから降りようと試みた。
だが、おっと危ない、なんて言いながら座り直させられるだけで、上手くはいかない。
「お、おろし、て……っ」
「どうして?」
恥ずかしさに震えながらも訴えたセラフィーナの言葉は、すんなりとは受け入れられなかった。
どうして、なんて聞かずともわかるだろう、とアルバートを見上げてみたものの、そんなセラフィーナ心の声はアルバートには届いていないようである。
「お、おもい、から……」
本当は、ただただ恥ずかしくて耐えられないから。
でも、なぜだか正直には言い辛くて、セラフィーナは全く違う理由を口にしてしまう。
「大丈夫だよ、セフィは小さくて、軽いから」
なんとなく、そう言われてしまいそうな予感は、セラフィーナにもあった。
「お、落ち着かない、し……」
「すぐ、慣れるよ」
慣れたくない、と叫びたい気持ちを、セラフィーナはぐっと耐えた。
アルバートに訴えたところで、のらりくらりとかわされてしまうだけのような気がして、セラフィーナは縋るように国王と王妃に目を向けた。
だが二人からすれば、セラフィーナはただの6歳の少女でしかない。
微笑ましそうな視線を向けられるだけだった。
再度、上を見上げてみたところで、アルバートもまたにこにこと笑うだけ。
(アルバート殿下は、こんな性格だったかしら……)
古い記憶を呼び起こしたところで、親密に過ごした時間の記憶などほぼない。
同じ年齢だった時は、当然膝の上に乗せられるような経験も、しているはずもない。
ただ、婚約者だっただけで、それほどアルバートについて知っていたわけではないのかもしれない、そう思うだけだった。
結局アルバートの膝から降りることが叶わないまま、チェスは続いた。
駒が動くたび、アルバートが耳元で解説してくれたけれど、いろいろ落ち着かなくてセラフィーナの頭にはまるで入ってこない。
結果は当然のごとく国王の勝ちだったけれど、最早セラフィーナにとって勝ち負けなんかどうでもよく、早く終わらせてこの状況から脱したい思いでいっぱいだった。
幼子相手に大人げない、と王妃に叱られ肩を落としながらも、王妃とともに部屋を後にする国王の背中を見送って、セラフィーナはようやくアルバートの膝の上から降りられたことにほっと息を吐いた。
「チェスは、どうだった?」
「えっと……む、難しかった、ですかね……」
正直なところ、落ち着かなさと恥ずかしさの記憶が大半を占めるのだけれど。
それでも、それらを取り除いて、しいていうならばそんなところ、というのがセラフィーナの感想である。
「ルールを知っているだけじゃ、上手くいきませんね」
「そうだね。最初は難しいよね。僕も、覚えたての頃は、父上にこてんぱんにされてばっかりだったよ」
「こてんぱん……」
初心者で、まだ6歳と幼いセラフィーナに対して、さすがに本気でなかったにしろ、しっかり勝ちをもぎ取っていった国王は、どうやら幼い息子相手に、手加減を知らなかったようである。
「チェス、嫌いになったりしませんでした?」
「父上とだけやってたら、なってたかもしれないね」
幼い子が、毎回チェスが得意らしい父親にこてんぱんに負かされていれば、嫌にもなってしまうだろうと思った。
今もその父親と時折チェスをしているのは、他者のおかげがあるようである。
「王妃様ともチェスを?」
今日はチェスに関しては完全な傍観者という感じだったけれど、アルバートが幼い頃には一緒にやっていたのかもしれない。
そう思ったけれど、アルバートはすぐに首を振った、どうやら違うらしい。
「母上は今日と一緒、基本的に僕らの対戦を観戦するばっかりなんだ」
では、いったい誰とやっていたのだろう。
アルバートの言葉からすると、誰か、国王とは違い、手加減をして、それこそ勝たせてくれたような人がいる気がする。
だが、セラフィーナには、パッと思い当たる人物はいなかった。
「セフィにはちょっと意外かもしれないけど、実は、公爵が時折、付き合ってくれていたんだよ」
「えっ!?」
この国に、公爵、と呼ばれる人物はセラフィーナの父一人ではない。
けれどこの場合の公爵は、まぎれもなく、セラフィーナの父だろう。
「お父様が……」
セラフィーナはチェスをする姿すら、想像はできなかった。
けれど、国王に付き合ってチェスをしているという話は、聞いたことはあったようにも思う。
「そう、父上に負け続けて泣いている僕を見つけては、一局、場合によってはさらに何局か、よく付き合ってくれたんだ」
王家には身を粉にして尽くせと言い続けてきた父らしいかもしれない、とセラフィーナは思った。
きっと、これも、王家に尽くす、ということになのだろう。
「公爵は何気ない会話の中でヒントを与えたり、上手く誘導しながら、必ず僕を勝たせてくれるんだ」
それも当然だ、とセラフィーナは思った。
あの父が、王族に勝つようなこと、するはずがない。
きっと国王にだって勝つようなことはしなかっただろう、実際に勝てる実力があるかどうかセラフィーナは知らないけれど。
そこまで考えて、セラフィーナはあっ、と声をあげた。
「ど、どうしよう……」
そう、王族に、簡単に勝ってはいけないのは、父だけの話ではない。
セラフィーナだって、上手く王族を勝たせなければいけない立場だった。
だが、トランプではしっかり楽しんで、勝てる時はしっかり勝ってしまった。
特に神経衰弱なんて、ほぼ一人勝ちである。
それを思い、セラフィーナは顔面蒼白になった。
「ああ、ごめん。セフィは勝っていいんだよ。確かにあの時は僕も子どもだったし、公爵の手加減にも気づかなかったから、純粋に勝てて嬉しかったけど、今でも公爵に同じことして欲しい、とは思ってないから」
言いながら、アルバートはセラフィーナの頭を撫でる。
今のアルバートは、公爵に手加減をされたいだなんて微塵も思っていない。
むしろ本気の公爵と対戦をしてみたい気持ちもある。
しかし、公爵は相変わらずアルバートを勝たせるような戦い方しかしないため、最近ではともにチェスをすることはなくなってしまった。
知らない時は楽しめたけれど、気づいてしまうとそれはそれでおもしろくないものである。
「チェスも勝てるように練習しよっか。教えてあげるから」
「でも、忙しいのでは……?」
花冠の時はつい甘えてしまったけれど。
それほどいつもいつもセラフィーナに時間を割けるほど、アルバートは暇な立場では決してない。
自由な時間がないわけではないだろうけれど、アルバートだってそれを全てセラフィーナに使いたくはないだろう。
何より、花冠を作るほど単純ではないだけに、かなり時間を要してしまう気がしている。
「まぁ、さすがに毎日とはいかないけど、たまになら大丈夫だよ」
ふわりと笑うアルバートの言葉に、セラフィーナは今回もまた頷いてしまう。
「せっかくなら父上をこてんぱんにできるように、がんばろっか」
国王をこてんぱんに、なんてチェス盤の上であっても、セラフィーナの父なら絶対に許しはしないだろう。
でも、一度くらい、こてんぱんにされる国王の姿も見てみたいかもしれない、そう思うとセラフィーナはより一層チェスの練習が楽しみになる気がした。




