17. 複雑な思い
「んーと……セフィは知ってるかな、王宮の奥にある、王族だけが入れる神殿のこと」
「聞いたことはあります」
足を踏み入れることができるのは、王族のみ。
王太子の婚約者という立場でも、決して中に入るどころか、神殿の場所さえ教えてはもらえなかった。
それでも、そういう場所があるということは、死を迎える前のセラフィーナにも教えられていた。
「そこには、王族が強く願えば、どんな願いも叶えてくれると言い伝えられている女神が祀られていてね」
その話も、やっぱりセラフィーナには聞き覚えがあった。
「歴代の国王の中には、女神に願うことで一夜にして困窮する国を救った国王もいるという伝承もあるんだ」
それもまた、セラフィーナは聞き覚えがあるような気がした。
(でも、その話、何か……)
それだけで終わる話ではなかったような気がして、でもすぐには思い出せなくてセラフィーナは思い出そうと必死に記憶を辿る。
「だから、僕も願ってみたんだよ」
「なに、を……?」
なぜだかこの時、セラフィーナは嫌な予感がした。
「来世なんてものがあるのかはわからないけど、もし君に次の人生があるなら、今度こそ何にも縛られることなく、自由で幸せになって欲しいって」
その言葉はあまりに予想外で、セラフィーナは意味を理解するのに時間を要した。
だが、そんなセラフィーナの反応も、アルバートにとっては予想の範囲内だった。
「そして、できるなら、僕が一番近くでその姿を見守りたいって」
どうして、そんなことをアルバートが願うのか理解できず、セラフィーナは自身の耳を疑った。
「だから、きっと、女神がその願いを叶えてくれた結果、こうなったのかなって思ったんだ」
本当にアルバートがそんなことを、強く願ったのだろうか。
ただ、強く願っただけで、本当にその願いが叶って、今の状況があるのだろうか。
セラフィーナはその時、信じられない気持ちでいっぱいだった。
だが、ふとあることを思い出して、ハッとする。
「殿下っ」
「だから……」
「国を救った国王のお話、ただ強く願っただけでは、ないはずですっ」
きっと、アルバートは、呼び方を訂正させようとしたのだろう。
けれど珍しく、セラフィーナはそんなアルバートの言葉まで遮って、アルバートへと詰め寄った。
セラフィーナが王族の言葉を遮るということは、めったにないことで、アルバートは驚きを隠せない。
「女神に必ず願いを聞き届けてもらうには、代償が必要だったのではないですか?」
「……っ」
アルバートは言葉に詰まった。
それが何よりの肯定だと、セラフィーナは思った。
「あの神殿は、王家の血をひく人間の心臓と血を捧げることで、どんな願いも叶えてくれる場所では?」
伝承で一夜で国を救ったという国王は、自身の息子の心臓と血を捧げたといわれている。
それでも、息子を犠牲にしてまで国を救う選択をしたその国王は、国民からは英雄と称されたとされているが。
その代償が大きい分、普段は王族であっても、あまり足を踏み入れることはない。
国が本当に窮地に陥った時だけに、祈りをささげる場所だと聞いていたことを、セラフィーナはようやく思い出したのだ。
「よく、知ってるね」
「殿下も、捧げたんですか?」
「うん」
「誰の……?」
「僕の個人的な願いなのに、他の人間のを捧げるわけにはいかないだろ?もちろん、僕自身のだよ」
「そ、んな……っ」
それは、つまり、セラフィーナが死を迎えたあと、アルバートも自ら死を選んだことになる。
それもあるかさえもわからない、セラフィーナの来世のために。
「神殿には短剣が奉納されていてね。それで、王家の血を引く者の心臓を突き刺すんだ。そうすると、女神に心臓と血を捧げられるって言われている」
僕も半信半疑だったんだけど、とアルバートは笑ったが、セラフィーナには到底笑えるような内容ではなかった。
「殿下は、王太子なんですよ!?」
それは今も、そしてかつてセラフィーナが死を迎えた時も、変わらないことだ。
「それなのに、そんな、くだらないことのために……っ」
「くだらなくなんかないっ!!」
それだけは、聞き捨てならないとアルバートは声を荒げた。
セラフィーナなら、きっとそう言うだろうと、アルバートも予想はしていた。
けれど、きっとセラフィーナは怒るだろうけれど、それでもその時のアルバートにとってはそれが最も重要なことだったのだ。
「だって、あんまりじゃないか。君は、あれほど両親にずっと従ってきたのに、あんな終わり方をするなんて」
アルバートは当初、父がなかなか婚約解消を許してくれなかったのは、公爵家との繋がりを簡単には手放せないからだと思っていた。
けれど、セラフィーナの死を知ってから、もしかしたら父の頭の片隅には、この最悪の可能性も思い浮かんでいたのではないか、そんな考えが頭をよぎった。
「父上は最後まで、君との婚約解消に反対だった。だから、僕があんな愚かな考えを抱かなければ、君は今も生きていたかもしれない」
自分だけが何も見えてなかったのだとしたら、その所為でセラフィーナを喪ってしまったのだとしたら、何度も何度もそんな考えが浮かんで、その度にアルバートはただひたすらに安易に婚約解消した自分を責めた。
それこそ、この世から消えてなくなってしまいたい、とまで思うほどに。
そんなアルバートにとって、自分の命と引き換えに願いを叶えてくれるという女神の存在は、むしろ渡りに船だった。
「あれは、決して、殿下のせいではありません。殿下が気にする必要は、何も……」
「君ならきっと、そう言うだろうと思った」
やはり、どれほど小さくなっても、あの時のセラフィーナと中身はまるで変わっていない。
改めてそんな実感を覚えながら、アルバートはセラフィーナの頭をそっと撫でた。
「でも、結局僕は、最期まで君に何もしてあげられなかった。そんな僕に、少しでも君のためにできることがあるかもしれない、そう思ったら、僕には迷いなんてなかったんだ」
セラフィーナの表情が今にも泣きそうに見えて、アルバートは再びセラフィーナの頭を撫でる。
「そんな顔、しないで。なんで君が小さくなったのかはわからないけど、女神のおかげで今があるんだとしたら、僕にとってはいいことなんだから」
だから笑って、アルバートにそう言われたけれどセラフィーナは笑えなかった。
「忘れてた、今日はこれを渡そうと思っていたんだった」
ふと思い出したように、アルバートが胸ポケットを探り、一通の手紙を取り出した。
一目でセラフィーナの実家から届いたとわかるそれは、もう隠す必要がなくなったのか、一度封を開けられていることもまた一目でわかった。
「父から、ですか?」
「うん、読んでみて」
なぜか、アルバートが妙に楽しそうな表情に見えて、不思議に思いながらも、セラフィーナはおそるおそる手紙を開いた。
いつもと同じように、びっしりと文字が書かれているだろうと思ったが、意外にもそこに書かれているのは、たった一言だけだった。
「これ、本当に、父が……?」
「うん、そうだよ」
読み返すほどの長さもない文章を、それでもセラフィーナは何度も何度も見直した。
間違いなくセラフィーナもよく知る父の筆跡だ、何度も確認してようやくそう確信できると自然と涙が零れ落ちた。
――よくやった。
書かれていたのは、ただそれだけだった。
けれど、生まれてはじめて父に認めてもらえたような気がして、セラフィーナはぎゅっとその手紙抱きしめた。
「よかったね、セフィ。今の状況が本当に女神のおかげなら、きっとこれからセフィには、もっともっといいことが起きるよ」
なぜなら、それがアルバートが願ったことだから。
けれど、セラフィーナはそれが女神のおかげだというのは違うと思った。
(全部、殿下のおかげだわ)
父の一言は、おそらく王宮への出入りが許可されたからこそのもの。
きっとそれがセラフィーナのおかげであると伝わっているのだろうけれど、実際のところはアルバートがそう告げているだけにすぎない。
もしかしたら、今手の中にある手紙だって、セラフィーナの父が自発的に書いたものではなく、アルバートが書くよう促した可能性だって否定できなかった。
そして、今の現状に至ってもそうである。
時間が巻き戻り、さらにはなぜかセラフィーナだけが幼くなるというこの不可思議な現象は、もしかしたら本当に女神の力によるところなのかもしれない。
だが、そうだとするならば、そのきっかけを作ったのは、やはりアルバートということになる。
そう考えると、セラフィーナはアルバートに対し、申し訳ない気持ちが沸き上がった。
だが、同時に嬉しいと思う自分もいて、自身の中にある複雑な感情にセラフィーナはただただ困惑した。




