11. なんともない
「殿下にも、記憶が、あるのですか……?」
セラフィーナは震える声で、問いかけた。
何の、とまでは言っていないけれど、それだけでアルバートには十分伝わったようである。
「うん。ついさっき、思い出したんだ。その様子だと、セラフィーナにはもっと前から、あったみたいだね」
「あ……その……」
つまり見た目がどれほど幼くとも、中身は悪女として知れ渡ったセラフィーナなのだと、知られてしまったということになる。
他でもない、かつて自身に婚約解消を告げた、アルバート本人に。
今度こそ、同じ間違いを起こすことなく王家に尽くすつもりだったセラフィーナは、早くもそれが難しくなってしまったのではないかと不安になった。
(また、婚約解消になってしまうかもしれない……)
そうすれば両親にとって、またセラフィーナは不要な存在となり、死を迎えてしまうのかもしれない。
そんな未来を想像するだけで、セラフィーナの表情はどんどんと青ざめていく。
時間が巻き戻ろうとも、身体が幼い姿になろうとも、自身に訪れる未来にさして変化はないのではないか。
セラフィーナがそんな絶望感を覚え始めた時だった。
優しい手が、自身の頭を撫でてくれているのを感じ、セラフィーナはゆっくりと顔をあげる。
「でん、か……?」
「お互い、この件で話したいことも、いろいろあるだろうけど……」
そこで言葉を切ったアルバートは、ふわりとセラフィーナを抱き上げた。
「まずは、お医者様に診てもらおうか、セフィ」
「えっ!?わ、わたくしよりも、殿下が……」
先ほど蹲っていたアルバートは、セラフィーナよりもよっぽど具合が悪そうだった。
それにセラフィーナの頭痛は、あくまで父からの手紙に頭を悩ませているからであり、体調を崩しているというわけではない。
少なくとも、セラフィーナはそう思っている。
「僕のは大丈夫だよ、ちょっと情報量が多すぎただけだから」
アルバートは自身の頭痛は、一気に流れ込んで来たかつての記憶のせいだと思っている。
まだ、自身の頭で全てを処理しきれていない所為か、多少頭が重くは感じるものの、先ほど感じた強烈な痛みはもう消え去っていた。
「わ、わたくしも、大丈夫ですっ!」
セラフィーナはすぐさま自分も問題ないと、声をあげた。
だが、アルバートの目には、そうは映らなかった。
「なんとも、ない?」
「はい」
「そっか、じゃあ、やっぱり診てもらおうか」
「えっ?」
「僕、セラフィーナの『なんともない』が信用できないって、よく知ってるんだ」
そう言うと、決して楽しい話をしているわけではないはずなのに、アルバートは楽しそうににっこりと笑った。
表情は確かに笑っている、それなのに、セラフィーナはなぜかアルバートが笑っていない、むしろ怒っているような気がしてならなくて、アルバートの腕の中で身を固くした。
その後もセラフィーナは、何度もなんともない、大丈夫だと訴えてはみた。
けれど、聞き入れられることはなく、あっという間にベッドへと運ばれ、あっという間に医師による診察がはじまった。
結果はセラフィーナの予想通りで、身体に不調らしい不調は見当たらなかった。
しかし、どうやら、この結果はアルバートにとって不服であるようだ。
頭痛があるようだし顔色も悪い、何かあるのではないかと詰め寄られ、医師は非常に困っている。
「そ、そうですね……公女様、その、何かお悩みでも……?」
「あ、えっと、その……」
セラフィーナは、未だ手に持ったままの父からの手紙を思わず強く握りしめた。
本当ならアルバートが医師を呼びに行っている間に、見えない場所へとしまい込んでしまいたかったのだが、思いのほかアルバートが早く戻ってきたため、布団の中に隠すのがやっとだった。
そのため、診察の最中もずっと、布団の中でずっと手に持ったままだったのである。
「やはり、そういうことか。もういい、下がれ」
医師の言葉を聞いて、アルバートは医師に解決できることでもなさそうだと考え、医師を下がらせることにした。
さらに困惑の表情が濃くなったけれど、医師はアルバートとセラフィーナに一礼すると、それ以上何も言わずにすぐさまその場を立ち去った。
「見せて?」
すっと、アルバートの手が差し出される。
何を、と言われてはいないけれど、セラフィーナはそれが手紙のことだとすぐわかってしまった。
それでも、それを簡単に差し出すこともできなくて、セラフィーナはわからない振りをする。
「なにを、でしょう?」
「わかっているだろう?今、手に持っているものだよ」
セラフィーナはわずかに身体を揺らしたが、それでも尚、わからない振りをしてやり過ごそうとした。
その姿見て、アルバートは深いため息をつく。
「セフィ、僕には隠さなくていいんだよ。どうせ僕は、その中身を知っているんだから」
セラフィーナは驚いたようにアルバートを見た。
「だから、ほら、出して」
優しくそう言われ、セラフィーナは思わず手に持っていた手紙を差し出しそうになった。
だが、すんでのところで、思い止まる。
(いいえ、殿下が中身をご存知のはずないわ。手紙が開封された跡なんて、なかったもの)
セラフィーナの元へと手紙が届けられた時、封蝋は割れていなかったのだ。
一度でも開封されていたのならば、中身を知ることなどできないだろう。
開封されていないのに中身を知る方法となれば、手紙を書いたセラフィーナの父が封蝋を施す前に見るしかない。
セラフィーナの父が事前に内容を見せたとは思えないし、まず不可能だろうとしか考えられなかった。
「封蝋を見て、僕が内容を知ってるわけないって、思ってる?」
「えっ?えっと……」
考えていたことを読まれてしまったかのようなタイミングで、セラフィーナはどきりとした。
まさにその通りなのだけれど、認めてしまえば、王太子であるアルバートが嘘をついていると疑っていると認めることにもなってしまうので、セラフィーナは簡単に頷くこともできなかった。
「セフィがそう思っているなら、上手くいったってことだね」
そう言うと、アルバートはセラフィーナに何かを差し出した。
セラフィーナは何かわからないままに、反射的にそれを受け取ってしまう。
「こ、れは……我が家の紋章……?」
受け取ったのは、封蝋を施すための印章だった。
アルバートが使うものであれば、本来王家の家紋が彫られているはずである。
だが、そこに彫られていたのは、セラフィーナの家であるオールディス公爵家の家紋だった。
「そう。一度開封した後、新しい封筒に入れて僕が封蝋を押してたんだ。細かく見れば違いもあったかもしれないけど、一見わからないだろう?」
中身はどう考えても父からの手紙で間違いはなく、何の疑いもなかったため、セラフィーナは封蝋が偽装されているかもしれないなんて、考えもしなかった。
だからこそ、そこまで封蝋を注意深く見るようなこともしていない。
もっとも、注意深く見たところで、本物と比較しながらでも見なければ、偽物だとは気づけないかもしれないが。
(なら、本当に殿下は、こんなとんでもない手紙の内容を、ご存知なの……?まさか、陛下まで……?)
そうなれば、もうオールディス公爵家に未来なんてないのではないか。
今日、明日にでも、何かしらお咎めがあるのではないか。
セラフィーナは、そんな不安に駆られた。
「心配しなくても大丈夫だよ。セフィのことは全て僕に任せてもらったから、知っているのは僕だけ。父上は見てないよ」
またしても心の内を読まれたかのようなアルバートの言葉に、セラフィーナは驚きを隠せない。
「本当はセフィに渡さず捨ててもよかったんだけどね、これを見たセフィがどうするか、ちょっと気になったんだ」
「あ、も、申し訳、ありません……」
セラフィーナは慌てて頭を下げた。
自分はその行動を試されていたのだ、そして、自身の行動は王家に身を捧げるべき者の行動としては、あるまじきものだと思ったから。
たとえそれが自身の父であっても、王家にとって害となる可能性があるならば、報告すべきだったのだ。
「別に、謝って欲しいわけじゃないんだ」
そう言うと、アルバートは安心させるようにセラフィーナの頭を撫でた。
「ただ、少しでも、僕を頼ってくれたらいいなって思っただけだったんだけど……でも、君があのセラフィーナなら、僕なんかを頼るはずがなかったんだよね」
そう言ったアルバートは、決して怒ってはいなかった。
ただ、今にも泣き出してしまいそうなほど悲し気な表情だと、セラフィーナは思った。




