10. 変わらない
アルバートは知っている。
オールディス公爵からセラフィーナへと届いた手紙の内容が、決してセラフィーナが言うような内容ではないことを。
アルバートは内容を知った上で、セラフィーナにその手紙を届けさせていた。
幼いセラフィーナには難しすぎる内容であるが故、内容がわからないと困るか、もしくは幼いながらもその内容を理解した上で、その要求内容に困惑するか。
どちらにせよ、その結果自身を頼ってくれることを期待してのことだった。
だが、残念ながら、セラフィーナが手紙の内容のことでアルバートを頼ることもなければ、オールディス公爵に従い手紙に書かれた要求通りに行動することもなかった。
手紙に目を通すたびに、セラフィーナは表情を曇らせ、頭痛でもするのか頭を押さえている。
そして今もまた公爵から手紙を手に、頭痛に耐えるかのようなセラフィーナの様子を少し離れたところから見ていたアルバートは、深いため息をついた。
「手紙に、なんて書いてあったの?」
いつもなら、手紙を読み終わった頃を見計らって、声をかけてからセラフィーナの部屋へと入るアルバート。
だが、この日だけは、アルバートはまだ読み終わっていないうちに、いきなり部屋へと押し入った。
セラフィーナは手紙を引き出しへと隠す暇もなく、慌ててパッと自身の後ろに手紙を隠し、ごまかすように笑うのが精一杯でした。
「い、いつもと、同じような内容ですよ」
「そう。じゃあ、僕にも見せて」
すっと差し出されたアルバートの手を見て、セラフィーナは顔面蒼白になった。
アルバートが内容を知っていることなど知らないセラフィーナからすれば、手紙は何がなんでも見せることができない内容なのだ。
しかし、たいした内容ではないと言えば、尚更それならば見せて問題ないだろうとしか言われないような気がした。
だからといって、とんでもない内容だから見せられない、と馬鹿正直に内容を明かすわけにもいかない。
セラフィーナはずきりと頭が痛むような気がして、思わず手を頭にあててしまう。
「どうしたの?頭が、痛いの?」
「いいえ、なんともありません」
『いいえ、なんともありません』
アルバートの中で、慌てて首を振るセラフィーナの声に重なるように、もう一つ声が聞こえた気がした。
目の前のセラフィーナの声によく似た、けれどもっと大人びた落ち着いた声だった。
(なんだ、今のは……)
知らない声のはずなのに、どこかなつかしさを覚える声だった。
「殿下……?」
『殿下……?』
自身に呼びかけるセラフィーナの声までも、またしても誰かの声と重なった。
本当なら、いつものように『アル』と呼ぶように言うはずなのに、今のアルバートにはそんな余裕がなかった。
(僕は、この声を、知っている……)
そう思った瞬間、アルバートは頭に強烈な痛みを覚え、その場に蹲った。
アルバートの脳内には、遠い遠い昔の記憶が蘇っていた。
そこに見えるのはアルバート自身と、それからセラフィーナによく似た、アルバートと同じ年齢くらいの女の子。
目の前にいるセラフィーナとはまるで年齢があわないのに、不思議とアルバートは瞬時にその少女をセラフィーナだと思った。
『セラフィーナ、どこか具合が悪いの?』
その日、アルバートはふらつくセラフィーナを見かけて、声をかけた。
普段あまり言葉を交わさないといっても、相手は自分の婚約者。
黙って通り過ぎるほど、アルバートは薄情ではないつもりだった。
しかし、セラフィーナは視界にアルバートを捉えるや否や、すぐさま表情を引き締めた。
『いいえ、なんともありません。殿下こそ、何かお困りのことでも?』
先ほどまで、顔色も悪く見えたはずなのに、そんな様子は一切なくなってしまった。
そして、アルバートが何か声をかけてくるなら、それなりの用があるはずだと言わんばかりの一言。
アルバートは、自身の心が冷えていくような感覚を覚えた。
『殿下……?』
『いや、何もないならいいんだ』
『そうですか。何かお困りのことがありましたら、お声がけください。対処いたします』
まるで臣下であるかのように、セラフィーナは一礼する。
(僕には弱味なんて、見せられないってことか……)
セラフィーナが頼れる相手は自分ではない、アルバートはそう言われているような気がした。
また、別の日、アルバートは頭を押さえるセラフィーナを見かけた。
『セラフィーナ、頭が痛いの?』
またもアルバートは声をかけた。
前回から、そう日にちも経っていなかったし、やはり無理をしているのではないかと心配だったから。
しかし、セラフィーナはすぐに頭から手を放し、何事もなかったかのように装う。
『いいえ、なんともありません。ご心配をおかけして、申し訳ございません。殿下は、何かございましたか?』
やはり先日と同じような返答に、またしてもアルバートの心は冷えていく。
(そんなにも僕は、頼りないのか)
苛立ちを覚え、アルバートはその場を立ち去った、その数時間後のことだった。
『頭痛?』
『はい、ここ数日、ずっと続いているので、お薬をいただけないかと……』
偶然、医務室の傍を通りがかった時、中からセラフィーナの声が聞こえた。
(僕にはなんともないって、言ったじゃないか……っ!やっぱり、あれから、ずっと……)
数日続くような頭痛であっても、アルバートには打ち明けてはもらえなかった。
アルバートはやるせない気持ちを抱え、逃げるようにその場を立ち去った。
「今のは……」
突如自身の脳裏に流れた遠い記憶に戸惑いを覚えるアルバートの元に、気づけばセラフィーナが駆け寄っていた。
アルバートが記憶を見ている間、全く反応がなかったために、ものすごく心配したのだろう。
その瞳には、今にも流れ落ちてしまいそうなほど、涙が溜まってしまっていた。
「殿下、大丈夫ですか、殿下っ!!」
心配そうに、そうして何度も声をかけているセラフィーナを、早く安心させてあげよう、アルバートがそう思ったときだった。
「殿下も、頭が痛いのですか!?」
そう問われて、アルバートはパシッとセラフィーナの腕を掴んだ。
掴まれた腕は決して痛くはなかった。
アルバートは笑み浮かべている。
けれど、セラフィーナはアルバートが笑っているのに笑っていない気がして、逃がさない、とでも言われているような気分になった。
「今、僕も、って言った?」
「え……?」
「つまり、君も、頭が痛いのかな?」
そこでセラフィーナははじめて、自身の失言に気づいた。
「ち、ちがいます。そ、それより、早くお医者様を……っ」
セラフィーナはなんとかごまかして、この場を離れようとした。
しかし、掴まれた腕は、決して痛みを覚えるほど強く掴まれてはいないのに、幼いセラフィーナには振り払うことができなかった。
「で、殿下、あの……っ」
医者を呼ぶから、なんとか手を放してほしい、セラフィーナがそう伝えようとするとアルバートから深いため息が聞こえてきた。
「小さくなっても、君は変わらないんだね、セラフィーナ」
「え……?」
言われた言葉を飲み込むのに、セラフィーナは少し時間を要した。
セフィではなく、セラフィーナと呼ぶアルバートの姿は、セラフィーナに死を迎える前のアルバートを思い起こさせるのには十分だった。
(殿下も、以前の記憶があるの……?)
小さくなった、と言うことは、きっとそうなのだろうとセラフィーナは思った。
いつからその記憶があったのか、アルバートはこの事象について何か知っているのか、そんな疑問を抱えながら、セラフィーナは驚愕の表情でアルバートを見つめた。




