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ユージン

 

 初日は朝の散歩を狙うことになった。

 付き添いは新造さんだ。一つ目のレンズをこちらに向けて、ウォーミングアップだと言って私の写真を撮りまくっていた。

「あおいー、表情が硬い」

 勝手に撮影しているフォトグラファーの駄目出しに、反論もしたくなるというもの。

「そもそも無許可だし。写真撮られるのめちゃ気になって仕方ない」

 すると語気強めで返された。

「閻魔様のハートをゲットしたいなら、許可とか小さい事言うな。カメラを空気と思えるくらい慣れろ」

 ハートをゲット……その言葉は心を桃色に染めた。

「わかった、閻魔様のハートをゲットしたいから空気と思うことにする」

「そうそうその意気だ。意識をこっちに向けなくていい」

「わかった。意識しない」

「俺は空気だ」

「新造さんは空気」

「いや、俺は空気じゃないから」

「空気だって言ったじゃん」

「フォトグラファーの俺が空気なの」

「だから新造さんでしょ?」

「新造はフォトグラファーじゃない俺」

「わかりずら……んじゃさ、こうしない? フォトグラファー用の名前を付けるの。源氏名的な」

「なるほど、悪くないな」

「でしょう!」

「でも俺、そういう面倒事は得意じゃないから、あおいに任せる」

「私が名前付けていいの?」

「あー。善は急げだから考えろ、今すぐ」

「えっ」

「さん数えるうちに言え。適当だったら半目の写真ばら撒く」

「え、ちょ! それはやめ――!」

「はい三、二、」

「カウントはやっ、」

「いち、」

「ユージン! ユージンでどう!」

 沈黙が訪れて、私は新造さんの大きな一つ目をじっと見つめて合否判定を待つ。

 二秒、三秒と時が過ぎ。体感的に六秒ほど経った時、新造さんはぱちっと瞬きをして笑みを見せた。

「ユージン。いいじゃん」

 そう言って歩き出した背中はご機嫌に見えた。

「はぁ……」

 半目写真をばら撒かれずに済んでよかった。胸を撫で下ろしたとき、すぐ傍に白い野花が咲いているのを見つけて、一本手折った。

 閻魔様の散歩コースだと聞かされた道で、摘んだ花を胸元で握り締めて待ち構える。

 背後の茂みに新造さん、もといユージンは隠れて準備万端だった。

 十分くらい待ったろうか。下草を踏む音が段々近付いてくる。見た事も聞いたことも無いけれどあの穏やかな歩みは閻魔様に違いない。

 推しの足音にこんなに興奮するなんて! 新たな発見に胸が躍った。

 ついに足音はそこまで迫って、心臓が口から飛び出しそうになっている刹那。木陰からそのお姿が現れた。

 艶のある黒髪はトップ長めのツーブロック、赤みがかった肌はすべすべ毛穴レス、意志の強そうな眉に切れ長の目、しゅっとした鼻、淡い茶色の瞳……ブロマイドと同一人物が立体的になって目の前に現れた衝撃!

 DVDで観るのと実際コンサートへ行くのとの違いだ、神々しすぎる、新造さんが神棚に写真を飾る気持ちがはじめてわかった。ユージン、そのレンズで見ていますか、写真撮れたら私にも一枚焼き増ししてください……!


 木陰から出てきた閻魔様は、すぐに足を止めてこちらを睨みつけた。その背筋が伸びた佇まいは威厳があった。年の頃なら私と同じくらい、高校生くらいだろうに。彼ほどの威厳を放つ同世代の男の子を見たことがない。

 それに、彼が着ているものも威厳を感じさせる要因だろう。清兵衛さんは着物と言っていたが、あれは漢服に似ている。光沢のある生地、体の前で結んだ長い帯、大きくて長い袖、優雅な流れの羽織りもの。上等な服も彼を際立たせるカスミソウだった。

 私の喜びが駄々漏れしていて、気付かれてしまったらしい。鋭い一言が飛んできた。

「何者だ」

 咄嗟に後ろの藪を振り返ると、ユージンは『行け』と言わんばかりに手を振る。

 そうだ、行くしかない。まず知り合わなければ発展も無いのだから。

 意を決しても、踏み出せたのは一歩が限界だった。それ以上行けば閻魔様のテリトリーに入ってしまう気がして躊躇してしまったんだ。

「閻魔様! 私はあおいといいます、お、お、お友達になってください!」

 野花を突き出して頭を下げ、彼の返事を待つ。受け取ってくれるだろうか、お友達になってもらえるだろうか……?

 閻魔様は何も言わなかったが、下草を踏む音で一歩踏み出した事がわかった。

 もしかしたら花を受け取ってくれるのではないか、そんな期待に胸がパンクしそうになっているところに。


 ―カシャ


 後ろの茂みからシャッター音が聞こえて、反射的に顔をあげてしまうと。私まであと五歩くらいのところで静止した閻魔様と目が合った。その目が驚きに見開かれのも一瞬、無表情……というか少し機嫌が悪そうな顔をして来た道を戻って行った。

「機嫌損ねたっぽぃ……」

 しかも軽く無視だった。突き出していた野花に視線を落とすと、惨敗感が胸を満たす。

「驚いただけさ」

 いつの間にか茂みから出てきたユージンが、肩をぽんと叩いてくれる。

「明日がある。作戦立て直すぞ」

 握り締めていた野花をそっと取り上げると、髪に挿してくれた。

「似合ってる」

「ありがと、ユージン」

 あなたが一緒に居てくれなかったら泥の様に泣き崩れてただろうから。



 ⁂



 朝一番の誰もいないオフィス。閻魔がいの一番に開いたのは閻魔帳だった。

 何かを探しているのか、瞳は忙しなく文字を追う。

 朝日の差し込む静かなオフィスでコーヒーを飲むのがルーティンだ。だのに今日はコーヒーの香りがほのかに漂うマイボトルに手をつけず、閻魔帳を数冊読み終えたあと。顎に手を当てて少々考え込んで。デスクの引き出しから『ゆくりなし』という出席簿帳のような黒表紙の簡単なつづりを出して目を通した。

 すると。真っ白だった名簿に青いインクが滲んで、まもなく文字が浮き上がった。

 ―島津あおい

 浮かび上がった文字を見て時が止まったのも一瞬。一瞬眉を寄せて背もたれへ体を預ければ、軋む音が静かなオフィスに響いた。


 マイボトルの栓を開ければ湯気がくゆり、一口。呼気を深く吐き出して窓へ目を向けた。

「迷い魂ですか」

 書類を持ってきた秘書の太山府君(たいざんふくん)が、デスクの上の黒表紙を見て言った。

「ああ」

 窓の向こうには審判を待つ死者の大行列が続いていた。




 ⁂





 うなだれて帰ると、豆腐小僧の夜叉丸がお茶会に誘ってくれた。

「目と目が合ったんだもん、収穫じゃん」

 焼き菓子の甘い香りが漂うツリーハウスのテラスで、夜叉丸はカップにお茶を注いでくれる。その傍らで私は肘を付いた姿勢で溜め息をこぼした。

 ティーポットから注がれる真紫のお茶をぼんやり眺めて、見た目とは裏腹な茶葉のいい香りに乗せて、思考を浮遊させる。じっくり考えていたら底なし沼にはまりそうだ。

「お茶はいったよ。おからクッキーも食べてみて。さっき焼きあがったの」

「ありがとう。いただきます」

 きつね色に焼けたクッキーは口の中でほろっと砕けて溶けてしまった。

「おいしぃ……こんな食感初めて」

「でしょ? お店でも人気の品だよ」

「夜叉丸はお店を持っているの?」

「持ってるというか、閻魔愛を語りつくす友の会で一軒のお店を共同管理してるんだよ。作ったものを持ち寄って売るんだ。店番は持ち回りで、今週は清兵衛が当番」

「共同経営、なんか素敵だね。私も何か力になれればいいんだけど」

 閻魔様を追いかけているだけじゃ、友の会のみんなに迷惑がかかるだろうから。できるだけ自分の手で稼ぐ方法を考えなくては。

「そういう考え嫌いじゃないよ。けど今あおいが考えるのは閻魔様とお近付きになること。それだけ考えてくれたらいいんだ、それが俺らの力になるから」

「閻魔様のことだけ考えると、みんなの力になるの?」

「そーいうこと。寝ても覚めても閻魔様とお近付きになること考えて、俺らに聞かせてよ。ね?」

「本当にそれでいいのかな」

「いいも何も、あおいが閻魔様と仲良くなってくれたら、閻魔様はまた俺の作った豆腐、食べてくれるかも知れないから」

 寂しげな瞳を紫のお茶に落として、夜叉丸は唇を引き結んだ。

「またってことは、前は食べてくれていたってこと……なんだよね?」

「昔はね。閻魔大王になる前の話だよ。一緒に遊んでさ、おやつには俺の作ったお豆腐を食べてくれたよ。美味しい美味しいって……懐かしいな」

 思い出を手繰るように視線を漂わせていた夜叉丸は、こちらに首を向けた。

「あおいと閻魔様が仲良くなったら、俺の作ったお豆腐食べてもらうんだ」

「じゃあさ、明日のアタックにお豆腐持っていこうよ。見知ったものなら受け取ってくれるかも」

 話のきっかけにもなる、そんな事を思いながら提案をすれば、夜叉丸は目を輝かせて言った。

「いい考えだね! 早速したくしなきゃ」

 がたんと椅子を転がして立ち上がると、

「ちょっと席外すけど、ゆっくりお茶飲んでよね。今夜はうちに泊まっていって。それから、豆腐を作っている間は厨を覗いちゃだめだからね? 約束ね、絶対だよ」

 念を押して、ツリーハウスへ消えていった。

 と思ったらすぐに戻ってきて、

「暇だったらこれ読んでて」

 数冊の雑誌や小説を置いて今度こそ戻っていった。

「何で豆腐作りを覗いちゃいけないんだろう……? って、これ夜叉丸……」

 雑誌の表紙は自然体で桶を抱いているの夜叉丸だった。ぱらぱらめくると、女性向けライフスタイル雑誌のようだ。

「……へぇ、森の中の豆腐屋……自然素材にこだわった豆腐作りとその店主夜叉丸さんのライフスタイルに密着、か」

 美味しいお茶とクッキーと雑誌をお供に、午後のひとときは過ぎていった。











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