プロローグ
人間大くらいの巨大な蜂――キラービーの毒針が、今まさに俺の身体に突き刺さろうとしていた。これだけのサイズの蜂である。刺されれば、毒以前に刺された衝撃で即死しかねない。
過去の記憶が、俺の脳裏を巡る。これが走馬灯と言うやつか。いくら理由が理由とは言え、ダンジョン配信なんてやるんじゃなかった。
時間がゆっくりと流れているような感覚に陥る。針が刺さるまであと五センチ、四センチ、三センチ――。
と、次の瞬間。飛来したバールが、キラービーの頭部を吹き飛ばした。バールはそのまま、直線状にあった木に突き刺さり、その威力のほどを見せ付ける。
「ちょっと、勝手に死なないでよね。あんたが死んだら、誰があたしを撮影するのよ」
声の主は、颯爽と俺の前に立ち、キラービーと対峙した。俺よりも身長の低い少女だと言うのに、何と頼もしい背中だろう。光を受けてキラキラと輝く、艶やかな黒髪ボブヘアーが、俺と視聴者の目を釘付けにする。
彼女の名前は徳村花子。とある廃校で出会った、正真正銘、本物の『トイレの花子さん』だ。詳しい話は後で語るが、とにかく俺は、トイレの花子さんとともにダンジョン配信に挑んでいる訳である。
花子さんは素早くバールを回収すると、そのままキラービーの群れに突撃し、ばったばったとなぎ倒して行った。そしてそれを、スマホで撮影する俺。
撮影した動画は、リアルタイムでネット上で公開中。そして今、全世界一万人近い人々が、この配信を視聴している。
「花子さ~ん。助けられたばっかりで大変申し訳ないんだけど、あんまり背中ばっか見せてると視聴者受けが悪いから、もうちょいこっち向きながら戦ってくれないかな」
「はぁ? カメラアングルは撮影係であるあんたの担当でしょ? 私は戦うので忙しいんだから、あんたが回り込みなさい!」
今や、ネット動画投稿サイト――YuiTubeには無数のダンジョン配信が存在する。
予め撮影した動画を編集してから投稿する動画型や、今の俺達みたいにリアルタイムで配信を行うライブ型など、手法は様々であるものの、いわゆるバズる動画はほんの一握り。よくバズっているのは、女性配信者が『ダンジョンで〇〇してみた』系の動画なのだが、中にはダンジョンで男女が出会って、恋愛に発展して行く系の動画も混ざっていたりする。
ダンジョン配信はとにかく母数が多いので、その中で生き残るのは至難の業。にもかかわらず、チャンネル登録者数が百万どころか一万にも満たない俺は、花子とともに、こうしてダンジョン配信を行っているのだ。
「嫌だよ。そっちはキラービーの巣がある方じゃないか。花子さんと違って俺は刺されたら死ぬんだし、あんまり無茶を言わないでよ」
「これだから人間って嫌ね! 自分の都合ばっかりで、私達怪異の都合なんてこれっぽっちも考えてくれないんだも、の!」
「の!」の部分で、バールを大振りして、数匹のキラービーをまとめて破砕して見せる花子さん。その際に、一瞬カメラに向って、バチンとウインクして見せるのだから、大した人である。
「自分の都合ばっかりなのは花子さんの方でしょ? 俺はただ心霊スポット巡りの配信がしたかっただけなのに」
「私一人じゃダンジョンに入れないんだから仕方ないでしょ? それに、こんな可愛い女子と二人きりで行動出来るんだから、少しは喜んで見せたらどうなのよ?」
「相手が生身の人間で、不自由な呪いなんてかけられていなきゃ、大いに喜んだところだよ」
呪いによって、近くにトイレがなければ生きて行けない身体にされてしまった俺は、それを解除してもらうため、こうして花子さんの望みであるダンジョン配信に付き合っていた。
とは言え、事実として花子が美少女なのは本当である。その見た目は、俺が今までに出会ったどの女子よりも、美しく、可憐。年の頃は十代半ばと言ったところか。黒髪ボブヘアは俺の好みのど真ん中。大き過ぎないバストも、むっちりとした太ももも、俺の性癖を刺激してやまない。これが生きた人間であったら、どれほどよかっただろうか。
そんな花子の弱点はと言えば、やはりトイレがないと存在出来ないということ。花子がこのダンジョンに来れている理由は、俺が持ち歩いている災害時用簡易トイレにある。花子が提唱した「便器がある仕切られた空間は、すなわちトイレ」という理論によって、現在このダンジョンは、花子にとってはトイレの中と言う扱いになっているらしい。
「悪かったわね、怪異で。でも、あんたにとってはそれも本望でしょ? 怪異オタクの孝志くん?」
元々数々心霊スポットを巡って、それぞれのスポットを紹介する動画を投稿していた俺は怪異オタクと言われても仕方がない。まさか本物の怪異現象に出会うとは思っていなかったので、花子に遭遇出来たこと自体は、天に感謝を捧げてもいいと思っている。
俺は専門家ではないので、実際にどのような状態なのかはわからないが、トイレの花子さんに取り憑かれているとも言える現状。それを祓うためには、憑いている本人である彼女に協力するしかないのだから、仕方なく、こうしてダンジョンに足を運んでいる次第だ。
「名前で呼ばれたくらいでどぎまぎすると思ったら大間違いだよ? 妹にすら名前で呼び捨てにされていた俺だからね。女子に名前で呼ばれるのには慣れてる」
「それ、言ってて悲しくならない?」
「いいんだよ、俺のことは! とりあえず、花子さんがちょっかいかけたせいで襲われてるんだ。さっさと全滅させてよ!」
俺の方を向いていたせいで、背中ががら空きの花子。そんな花子の背後からキラービーが迫る。しかし、花子は振り返ることもせずに後ろにバールを振って、キラービーを仕留めた。
「言われるまでもないわ! せっかくダンジョンに来られるようになったんだもの! 精一杯楽しまないと損よ!」
そうして、花子はキラービーの巣へと突撃して行く。巣からは、次々とキラービーが湧いているが、実体のない花子には、キラービーの針も毒も関係ない。一方的な虐殺と言うやつだ。何故バールを持てているのかは、彼女のみが知るところ。俺は安全圏からその姿をカメラに収め、配信を途切れさせないようにするだけだ。
「私の勇姿! とくとその目に焼き付けなさい! 私は徳村花子! 今は無き古出高校のトイレの花子さんよ!」
こうして、世界は彼女の存在を知る。これが俺のバズり人生の始まりになるなど、この時はまだ、思っても見なかった。
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