【第1話】ソフィアになる前
あの日。
正確な日付は忘れてしまったが、時間はよく覚えている。午前6時の少し前。
仕事先のバーは始発の時間に合わせて店を閉めるので、片付けをして帰路につくと大体その時間だった。
まだ日が昇る前の、薄暗い街を歩いていた。
吹き付ける風が冷たくて、隙間を埋めるようにマフラーをしっかりと巻きなおした。
(それにしても、懐かしいな……)
その時手にしていたのはゲームのパッケージ。
洋風の学園を背景に、煌びやかな男女のイラストがデザインされている。いかにも乙女ゲームらしい。
高校生の時、乙女ゲームが好きな友達がいて、すすめられて何本もプレイしていた。当時はそれなりにハマっていて、自分で選んで買ったこともある。
でも、大学に進学して、その友達と疎遠になってからは自然とゲームをしなくなり、代わりに酒にハマっていった。あれこれ飲んでいるうちに通っていた店で働きだし、バーテンダーになった。アルコールと共に人生を歩んでいた。
その日は、例の友達が偶然来店した。
学生の時より少し垢抜けていて確信は持てずにいたが、注文された時、聞き覚えのある声に思わず「レイコだよね?」と声をかけた。レイコは「えっ?!」と驚いた声を出して目をぱちくりさせ、「まさか、マリちゃん?!」と私の名前を呼んだ。
「そうだよ~、久しぶりだね」
「久しぶり……、あっ、すぐに気付かなくてごめんね、その、見た目が」
「ああ、髪も化粧もね……、結構印象変わるよね」
「うん、でもすごく素敵だよ!美人過ぎて気付かなかった!」
「すぐ人のこと褒めるんだから、ふふ、なんだか懐かしいな」
そんなことないと否定しながら笑うレイコに「お酒を作るから」と伝えて、一度その場を離れ、注文されたカクテルを作る。ウォッカとオレンジジュースを注いでステアする。仕上げにカットしたオレンジを飾ってからタンブラーをカウンターに置くと、レイコはスマホで写真を撮っていた。
マスターに一声かけてから自分の分も酒をつくり、写真を撮り終えたレイコと再会を祝して乾杯した。
そこからは色々お互いのことを話していたけど、レイコの仕事の話になったところで「そうだ!これよかったら!」とゲームのパッケージと名刺を渡された。受け取った名刺にはデザイナーと肩書があった。
「あのね、ゲーム関係の会社で働いてるの。これも少し関わったんだ……えへへ……」
少し恥ずかしそうにしていたレイコ。
「すごい」と伝えながら、受け取ったパッケージをよく見ると、知っている作品だった。
「これって……、私がやってたやつ……?」
「そう!マリちゃん、これ好きじゃなかったっけ?あの時、自分で選んで買ってたから、気に入ってるのかなと思ってたんだけど……」
「……うん、そう、自分で買ったやつだと思う。懐かしいな。」
昔の記憶を引っ張り出せば、レイコに付き添ってもらい買いに行った時のことを思い出した。
そこかしこにアニメやゲームのグッズが並ぶ専門店のような場所に一人で入る勇気がなかったのだ。
「……あれ?でも、じゃあ新しく開発されたってこと?」
「ううん、ハード移行……、復刻版みたいな感じかな」
ハードという単語に少しわからない素振りをみせた私に、レイコが追加で説明をしてくれた。要は昔のゲームが最新のゲーム機で遊べるようになったということらしい。なるほど。
「ルートクリア後のシナリオが追加されてたり、攻略キャラが追加されたりもしてるよ」
「へぇ~……、久しぶりにやってみようかな!」
「ぜひ!マリちゃんに遊んでもらえたら、嬉しいよ」
レイコは嬉しそうに笑っていた。
これが、乙女ゲームをやらなくなった私がこのパッケージを持っていた理由。
あの後改めてレイコと連絡先を交換した。また、昔みたいに気兼ねない関係に戻れるように頑張りたいな、と思っていた。
幸い、必要なゲーム機は持っていた。去年のクリスマスに、当時付き合っていた人からプレゼントでもらった。「いっしょに一狩りしようぜ!」とソフトもくれたが、そちらはあんまりやっていない。年下の彼とはイマイチ趣味が合わなかった。
(早くプレイしたいな…)
家までの徒歩15分、いつもは気付いたら玄関についていることが多いのに(酔ってるせいで帰宅時の記憶が朧げなことが多い)、その日はやたら長く感じた。
白い息を吐きながら、近道になる路地に入っていく。すると、
ガシッ
急に肩を掴まれ、後ろに引っぱられた。
目の前には、男性。
年齢に比べて若く見える顔は、酷く歪んでいる。
「……また、待ち伏せ?……いい加減にして、復縁するつもりは……っ!」
そいつは急に私のマフラーを掴んで引っ張り始めた。首が締まる。息ができない。
咄嗟に腕を振る。相手の頭にヒットしたが、マフラーが緩む気配はない。
もう一度腕を振ろうとすると、腹を思いっきり蹴り飛ばされた。さらに体勢を崩した私をマフラーで引っ張り、うつぶせに地面に倒したと思ったら背中にまたがってきた。そして、マフラーを引く力を強めたのだ。
クソ!クソ!ふざけんな!
浮気したお前が悪いんだろうが!
しかも年下の若い女と!
口をあけても言葉は出ない。息が漏れるだけ。
まともに息が吸えずに、喉からはカヒュと情けない音がする。
もがく力もなくなってきた。
徐々に意識が薄れていく。
ドラマや映画で見るよりもっと長い時間首を絞められていたような気がした。
マフラーに太さがあるせいかな。
視界がどんどん霞んでいく。
ふと、狭くなったマリの世界で、明るい色味のパッケージが酷く目立った。
(あ……、ごめんね……)
(感想伝えたかったな……)
視界が真っ暗になった。
ここまでが、小竹真理の人生。
***
「その男、最低ですわね!!付き合ってた時からメンヘラストーカー男だったんですか?!」
少女は私の話を聞いて怒っているように見える。
まだ、お互いのことを少ししか知らない関係なのに親身にされて、どこかくすぐったさを感じている。
「う~ん……、付き合ってた時はただ甘えたで、束縛がちょっと強めなくらいの印象だったんだけど、別れてから一変して……、かなり付きまとわれて大変だったね。」
「ストーカー被害という事で、警察を頼ったりはされましたか?」
「あ~……、そいつが警察っていうか……」
「ひぃ……!やっぱり警察なんて信用できないですわね……!」
当時、警察に相談することは何度も考えていたが、共通の知り合いにうっすら触りだけ相談したところ「あいつは立派なお巡りさんで、浮気するようなやつでも無ければ、何があっても法に触れるようなことをする人間じゃない!」とベラベラ語られてしまった。
元々外面のいい奴ではあったが、(これはもしかすると、私以外の人はみんなこんな感じの印象なんだろうか……)と思うと、奴の勤務先である警察署へ相談してもまともに取り合ってもらえるか分からない。そう考えて一人で抱え込んでいた。
と、当時の事を思い出したところで、さっきの少女のセリフに違和感があったので、それをぶつけてみる。
「あの、『やっぱり警察なんて信用できない』っていうのがちょっと気になったんだけど……、なにかあったの?」
「えぇ、まぁ色々ありましたし、あとで私のことをお話しする時に改めて説明するつもりでいますわ。今はマリさんの話を聞いてしまいたいですもの。」
少女は居住まいを正すと、私に続きを話すように促した。