所変われば美醜も変わる
現代から始まりますが、転移先はあくまで異世界。
時代背景も呼称も適当です。
江戸時代の大奥っぽいものとして、お読みください。
世界三大美女の一人と言われている小野小町は、本当に美人だったのだろうか。
歴史の教科書に載った肖像画を見て思う。
白い肌はともかく、ふっくらを通り越えて飴玉でも入っているかのような頬。目が開いているのか疑問が出るような細く垂れた瞳。鼻は頬に埋もれ、口も窄まっている。
これが本当に美人なのか。福笑いのそれにしか見えないんだが。
そんなことを考えてはや何年が経ったか、思い返したくもない。なのになぜ考え続けているか、といえば。
そっくりだからに他ならない。
悔しいかな。私の顔は白い餅肌に細すぎる瞳。おちょぼ口。加えてぽっちゃりとした輪郭。
ぽっちゃりしているのは顔だけでなく体もだが。
大人になったら胸が大きくなり、痩せてくびれると信じていた自分を殴りたい。
そんな私は、教科書に載った肖像画をクラスメイトが発見したその日から、『小野小町』と呼ばれるようになった。ちなみに浮世絵も大抵似ていると言われる。
鏡を見るたびに思う。
確かにそっくりだ!!
だけど、これが美人て嘘でしょ!!
実際モテた試しもない。
あれか、美人とは性格の良さが滲み出てくるものだとでも言いたいのか。
確かに私は性格が超絶いいです、とは言い難いけど。
鏡に映る自分の顔を見て唸り声を上げる。
「いっそマロ眉にでもしたらいいの?」
毎日鏡で顔を見るたびやるせない気持ちになっていた私も一端の社会人となった。
同じフロアで働く、社内一のイケメンと噂高い高峯先輩の顔をこっそり拝むのが、私の密かな楽しみ。
陽の光を浴びると薄く茶色がかる色素の薄い髪。長いまつ毛に大きな瞳。色艶、形のいい唇。
女性から見ても可愛らしい中性的な美少年である。
老若男女問わずモテて人気者。その上仕事も出来るパーフェクトマン。
しかも女性の好みは性格がいい人で見た目は関係ない。と言い切っていた。
いるんだな、こんな漫画の主人公みたいな人。
話すことはほとんどない。私のアイドル的存在だ。
そう思っていた。昼休みの給湯室でその会話を耳にするまでは。
「高峯君、彼女出来たっぽいよ」
「えー、マジ?狙ってたのに」
「営業の佐藤さんが見たらしいんだよね
あの矢澤さんと二人で飲んでるとこ
しかもカップル席で!」
「げ、マジかー」
矢澤さんとは会社内で1番の美女である。
ふんわりとした巻き毛に大きく意思の強そうな瞳。唇はふっくらしていて、小顔。体型だってシュッとしていて、それでいて出るとこは出ている。
シャツをインしたウエストは誤魔化しようもなく細い。
見た目だけなら誰だって憧れるだろう。
性格は知らないが、女性社員の噂ではあまり良くないらしい。
とはいえ上司の受けはいいし、実際役職にも付いている。
女性の嫉妬心故の噂か、真実か。判断は難しいところである。
そんなことより、私は自分の身体の異変に戸惑っていた。
一気に引いた血の気。心臓はうるさいくらいに動いていることを主張しているが、頭はぼんやりとし、手足は冷たくなっていく。
立っていることもままならず、壁に寄りかかる。いや、倒れかかると言った方が正しいだろう。
徐々に思考も白く塗りつぶされていく。
高峯先輩と矢澤先輩…お似合いだよなぁ。
なのにどうしてこんなにショックを受けているの?
彼なら恋人がいない方がおかしい。
なのに…まさか、本気で、好きだった、とでも…?
自分自身信じられないまま、頭が真っ白になっていった。
そんな記憶を抱え私は今、田舎大名の娘をしている。
頭打ったのか、と言われそうだが、事実だから仕方ない。
正直気づいたらそうなっていたのだ。
これが俗にいう転生なのか、それとも前世の記憶持ちなのか、わからない。
歴史系列的に、前世というより後世と言った方が正しそうだけれど、無学な私にはわからない。
けれど気付いたらど田舎の大名やっている父がいた。それが事実だ。
そこで姫として十六を迎えようとしている。
ここはどうやら日本であって日本でないようだ。多分江戸時代っぽい感じではあるものの、歴史の教科書通りに事は進まず、江戸という名も聞かない。
わかっているのは、容姿が変わっていないという悲しい現実だけ。
とはいえ、父も母も二つ上の兄も優しい。侍女たちにも恵まれ、困ったことなど何もない幸せな日々を過ごしていた。
姫と呼ばれるのはいささか慣れないが。
「姫、急に呼び立ててすまなかったね」
心なしか悲しそうな表情でじっと見つめてくる父の視線に違和感を覚えた。
父は土地を治めるものとして相応しい覇気と知能を兼ね備えた者だ、と認識している。
ど田舎じゃなく、都でもやっていけるのでは。と思ったことは一度や二度ではない。
それが今はただただ困り顔を作っている。
何があったのだろうか。
「父上?」
促すように問い掛ければ、覚悟を決めたようで一度深呼吸をした。
「お前の嫁ぎ先が決まった
近日中に都に行ってもらう」
政略結婚、という言葉が頭を過ぎった。
この時代恋愛結婚は稀だ。それが地位のある者であればあるほど。
悲しくはない。ただ相手が気の毒だな。と思った。
いや、よく考えれば、すぐに妾を持たれるに決まっている。そう思えば、やはり自分が可哀想な気がした。
せめて本気で恋心を抱くようないい男ではなく、かといって正妻を酷く扱うモラハラ男でもなければいいと願った。
だがそれは父の言葉により、またもや覆された。
「帝の十八番目の妃となるのだ」
まさか、自分が側室とは!!
「恋愛結婚、とまではいかなくても、姫がいいと思う男の元へ正妻として送り出したかった
すまぬ
不甲斐ない父を許しておくれ」
小さく身体を丸めた父を見て、「本当だよ!」とはとても言えない。
「顔をあげてください、父上
都はこことは違い華やかで楽しく、大変便利なとこだと聞き及んでおります
そんなところに田舎者の私が嫁げるなんて、幸せです」
にっこり笑ってみせる。嘘ではない。父に嘘は通用しないから。
幼き頃から父には全てバレてしまう。だから精一杯の本音で、大きな不安を押し隠した。
それが十日前の事。
もう、父に軽々しく会うことは許されない。
後宮に足を踏み入れたその時から、私の身体は帝の物で、死して尚両親と同じ墓には入れない。血のつながりなど絶たれたも同然だ。
それだけが後髪を引いていた。
後宮で与えられた部屋は、今までの住まいより上等なものだった。
部屋から見える立派な庭園。田舎から一緒に連れ立ってきた侍女一名では不便だろうと、与えられた数名の侍女たちの出立ちも。
何もかもが今までより煌びやかだった。
後宮は街ほどの広さがあり、与えられた身分により部屋の作りも広さも違うらしい。
私が与えられた部屋は現段階では側室として最低限のものだ。
そう聞かされていたけれど、こんなに素敵な部屋を与えてもらえるなんて。
畳も新品じゃない。
井草のいいニオだわ。
「姫様、お疲れでは?」
与えられた侍女ではない。地元からわざわざ付き添ってくれた侍女兼幼馴染の梅が、心配そうに顔を歪めた。
「大丈夫よ」
元気に笑ってみせる。
実際これからの生活が楽しみだった。
生活水準は田舎のそれとは桁違いだ。
どのみち私のところに帝が通うことはない。だからよく聞く女同士の戦いとも無縁だろう。
ならば、忘れ去られた側室として自由にのんびり過ごしてやろう。
そう心に決めてきたのだ。
一つ気がかりなことといえば、一緒に来てくれた梅の婚期が遅れてしまうこと。一度後宮に入れば、侍女といえど年単位で出ることは叶わない。
万が一の可能性として、帝のお手付きともなれば、十九番目の側室になることもありうる。
それを考えれば、梅を連れてくるべきではなかったのだけれど、これは本人たっての希望だった。
私を一人で女の魔窟に放り込むことは出来ない、と。
目がクリクリとして小動物のような彼女は、性格も明るく仕事もできる。何より愛嬌がいい。
出来ることなら素敵な男性の元に嫁いで欲しいものである。
私の思いをよそに、新たに侍女として仕えてもらう事になった椿が仕切り始めた。
「ではお披露目の宴の準備をさせていただきます」
私が呆気に取られている隙にどんどん着物が運ばれてくる。
「そのような粗末な着物では帝の目が汚れますゆえ、こちらで側室として相応しい華美な物をご用意させていただきました
見た目だけはお美しいようですので、これで何とか取り繕えるかと思います」
私が現在着用している着物は、父上が頑張って用意してくれた、一張羅である。
都ででも引けを取らないように、と手を尽くしてくれた。
おそらく、この後宮という場所ではそんな嫌味は日常茶飯なのだろうが、ムッとしてしまう。
その一方で、トゲトゲの嫌味に塗れて『美しい』と言われたことが気になった。
世辞にしては言い回しがおかしくないか。
大名の姫としてちやほや育てられた私は『可愛らしい』『美しい』と言われ続けていたが、全てが姫ゆえに言われている言葉だと思い込んでいた。
あの前世だか何だかわからない記憶の弊害とも言える思い込み。
でも、もしかして本当にこのぽっちゃりで目の細い私が美しいとされる世界なのか!?
動揺する私は気付けば湯浴みの真っ最中。
腕やら脚やら口にするのも恥ずかしいあんなところまで磨かれてしまっていた。
帝の側室ともなるとこれが当たり前になる、と思えば戸惑いしかない。正直ここで暮らしていける気がしなかった。
「いいですか、姫様
帝には子がおりません
故に貴女のような知識も教養も足りない、見た目だけの姫を迎え入れたのです
せいぜい着飾って子作りに励んでくださいませ」
部屋付きたちはやはりこちらが似合う。いやそっちの方が、など散々着せ替え人形にして遊んだ挙句、椿が言い放った。
「…私彼女に何かした?」
褒めてるのか貶してるのか、はっきりして欲しい。
戸惑いを隠せない私に、梅は困ったような笑みを浮かべた。
「田舎出の者が気に食わないのでしょう
けれど姫様のお美しさは、ご寵愛を受けるに値するものです
だから複雑なのですわ」
「複雑?」
田舎者はやっぱりたいしたことないわ、とか。田舎者が美しくて気に入らないというならわかるのだけれど。
「ご寵愛を受ければ側室としての身分も上がります
もしお腹様ともなれば、正妻も夢ではございません」
なるほど、私が寵愛を受ければ受けるほど、結果として部屋付きの身分も上がる。けれど田舎者が寵愛を受けるのも気に食わない、と。
複雑な乙女心ってやつか。
そう呑気に考えていたが、私が寵愛を受けなければどうなるか、という考えにたどり着き、まだ見ぬ女の怖さに一瞬背筋を寒くした。
そうなったらなったらで、もっと有望な側室へ移ってもらうしかあるまい。
侍女なんて、梅一人いればそれでいいのだから。
後宮の側室だけで私を入れて十八人。それにつきそう侍女は複数人。それだけでも大層な人数となる。
そこに帝、その生母、それらの護衛となれば、披露目の宴は盛大なものとなった。
人の多さに眩暈がする。御簾があってよかった、と心底思った。
今は誰からも顔も姿も見えていない。宴の最後に顔をお披露目するのだ。
だというのに、悪口だけは聞こえてくる。
「嫌だわ、田舎臭い匂いが…」
「美しいと言っても所詮は田舎
都で通じるわけがないじゃない」
「舞を披露するらしいけれど、どじょうすくいじゃないでしょうね」
「恥をかく前に田舎へ帰ればよろしいのに」
嫌味のオンパレードだ。何より気になるのが、美しいとされていることだ。
実際はオカメ顔なのだからハードルを上げないでほしい。
ほーら、やっぱり。という声がすぐそこで聞こえる気がした。
流石に凹む。
それでも宴は進み、とうとう御簾が上げられた。
それまでガヤガヤとしていた辺りがしんと静まり返る。
琴と笛の音、鼓の音色が響き渡った。
思いの外注目されていて、やりずらい。私は目を伏せて舞に集中した。
舞が終わって、頭をさげてからもガヤつく事はない。ゆっくりと顔を上げれば無数の視線が突き刺さる。
その中の一つに私の視線は絡み取られた。
真正面に対峙する形で見据える視線を放つ、帝である。
私が息をするのも忘れて見惚れている間に宴は閉じた。
「素晴らしかったですわ」
梅が自分のことのように嬉しそうに笑う。
正直楽しむ私自身は余裕はなかったし、今は帝のことで頭がいっぱいだったが、梅が喜んでくれているのは純粋に嬉しい。
何よりこれでゆっくりできる。と思った矢先、椿が大慌てで入ってきた。
「今宵、お通りがありますっ
急いで準備なさってください」
お通り、とは帝が部屋へ訪れる事を指す。夜来る理由は一つしかない。
夜伽だ。
側室といえど、手付かずのまま純潔を保つ妃もいるというのに。
どうしたわけか、側室になって早々夜伽をするはめになってしまったわけだ。
部屋付きが慌てて夜伽の指導を始める。
「ま、待ってっ
そんな、急に…言われても…」
あからさまな言葉の数々に私の顔は火照る一方だ。
前世だか来世だかの記憶があろうと、私は身体を重ねた経験なんて無い。何処をどう探しても無い。
お付き合いした記憶すらなかった。
色々思い出して情けなくなる私に、梅は冷たく言い放つ。
「貴女様はもう側室となられたのです
何を恥ずかしがっているのですか
夜伽は立派なお役目ですよ
何事も最初が肝心です
しっかりなさってくださいまし」
ど正論で捲し立てられ、半泣きになっていれば、本日二度目の湯浴みをさせられた。
常に風呂の準備がされているのが後宮の素晴らしいところだよなぁ。と現実逃避していれば、あっという間にその時はきた。
蝋燭の灯だけの部屋は薄暗い。真っ白な布団だけが、浮き上がるようにぼんやりと形取られている。
白い襦袢姿で長い黒髪を後ろに垂らして一つに纏めた私の姿は、幽霊みたいではないだろうか。
部屋の外から声が聞こえ、慌てて頭を下げる。帝から声がかかるまで顔をあげてはならない。
新たな灯とともに人の気配が感じられ、今まで感じたことのないくらい心臓が暴れる。
畳に付いた三つ指が震える。
「そう緊張しなくていい
楽にしろ」
優しい声が頭上から降り注いだ。ほんの少しだけ緊張が解けるが、身体はまだ強張っており、ぎこちなく顔を上げた。
そこにはよく知った人物が胡座をかいていた。
高峯先輩、その人である。
口から心臓が出そうになった。
なんとか止めた自分を褒めてあげたい。
言葉は発しなくても見開いた目は帝に誤解を与えた。
「すまないな
このようなナリでがっかりしたろう」
「え、いえ、そのような事は…」
何で私ががっかりしなきゃならないのか。
何故、帝が謝っているのか、私には理解できなかった。
この世で一番貴きお方が謝ることなど、天地がひっくり返ってもありえないと思っていたから。
動揺と驚きで上手く言葉が出てこない私を尻目に帝は淡々と語る。
「女子のようのな見目に、ひょろっこい身体だからの
威厳も何もない
稀代の醜男と言われておる」
高峯先輩が醜男!?
そりゃぁ、筋肉ムキムキの男らしさはないけれど、中性的な魅力はそんなもの凌駕するのにっ!!
口に出来ない思いが荒い鼻息となって出てしまうが、ありがたいことに帝は気にせず、極上の笑みを浮かべ私の頬を撫でた。
それに私の思考は全て持っていかれ、ただただ心音だけが煩く鳴っている。
「其方は絵に描いたような美しさだの
宴での舞も天女のようだった」
大きな瞳が飴玉のように甘く蕩けた。そこに私のオカメ顔が映る。
自分が美しいとは到底思えなかったが、帝の言葉に嘘偽りは無いのだ、と悟った。
「私は…私には帝の方が美しく思えます」
「世辞は辞め」
「本心です
本当に私にとっては貴方様こそが美しく見えるのです
逆に私は自分を醜女だと思っておりました」
「なっ…」
私の言い分に驚いた帝の長い睫毛はバサバサと何度も音を立てる。
私の美醜の価値観はこの世界での常識ではない。あちらの世界の常識。
でも高鳴る心臓に嘘はない。このトキメキは私自身のものだ。
手を伸ばすことを憚って、諦めていた存在が、今目の前にいて、自分を褒めてくれるのが嬉しい。
アイドル的な存在じゃない。
本当は好きだった。
思うことすら、自分には許されない気がしていて、自分すら騙していた。
もっと貴方の事が知りたい。
この想いを大事に育てたい。
帝の手を両手で包み込み、自分の胸へと押し当てた。
「お分かりいただけますか
私の心の臓が、今にも張り裂けそうに波打っております
皆様の前で舞ったあの時ですら、このようにはなりませんでした
これが恋でなくて何なのでしょう」
帝が高峯先輩の姿でよかった。と素直に思った。
帝だからと威張り散らすことも、無理難題を言いつけることもない。それどころか見目を気にして、側室に謝りさえする。
声音からも優しさが溢れている。
私はこの人の側室になれてよかった。
身体を捧げるだけじゃなくて、きっと心も捧げられる。
「其方は心まで美しいのだな」
綻んだ帝の顔が私の顔に影を落とす。
自分の小さな唇に熱を感じる時を思って、そっと目を閉じれば、「よいか?」と聞かれた。思わず笑ってしまった。
側室はそのために居るのに。
何故十七人もの側室がいて、お子が出来ないのか不思議だった。男性不妊なんて言葉が頭の隅にはあった。
でも違った。
彼は望まない女性に無理は言わない。命令なんてしない。
そのことが嬉しくて胸が締め付けられた。
「もちろんです
帝が貴方様でよかった
私は幸せです」
政略結婚なのだから、下手に恋心を抱きたくない。そう思っていた私の心は簡単に溶かされてしまった。
二人の間にお世継ぎが出来るまでそう時間はかからず、最終的には正妻となり五人もの子宝に恵まれることとなる。
だが、それまでの道のりはけして平坦ではない。なにせここは女の魔窟、後宮なのだから。