死にたい夜の過ごし方
ー死にたい夜の過ごし方 と検索して何が出てくると思う?
いい天気だ。
長かった梅雨が明けて、蝉が頭に響く様に鳴く。
今年は、花火も夏祭りもない。
暑さと、刺す様な太陽と、蝉だけが主役の夏だ。
それだけで、寂しいと思ってしまうのは、間違いだろうか。
仕事を辞めた。
合わなかった、簡潔に言うと、適性がなかった。
精神科医の先生が書いてくれた診断書のおかげで、すごく急だったのに、仕事を辞められた。
職場の人が悪かった訳じゃない、むしろ凄く迷惑を掛けていたし、仕事が出来ない私はフォローされ続けていて、それでも仕事を教えてくれた方々は、とても親切だったと思う。
ただ、一人一人がある程度のレベルを求められていて、それに圧倒的に足らなかった。
3ヶ月足らずだったけど、新人扱いはあまりなくて、叱られてしまう時は、若干、人格否定もあったなぁ、という気がする。
毎日混乱していて、自分が悪いと内側からも外側からも、じわじわ感情が失くなっていった。
なんで、こんなにも空っぽになってしまったのかな。
こんな状態で人に優しく出来る訳もなかった。
友達も恋人も家族も居て、仕事を辞めた事を話しても、皆、今はゆっくり休んでねと、温かい言葉をくれる。
誰も、私を責めない。
みんな私の味方だ。
これでどこが不幸だというのだろう。
むしろ、仕事から逃げ出して、数年ぶりの夏休みを獲得して、今幸せだ、と浸ってすらいい。
可哀想なんかじゃない、楽な方にいったんだ。
心配される価値もない。
ましてや、死にたいと思う価値なんて、もっとない。
仕事を辞めて、死ぬ理由を一つ得たと思った。
人生の責任が一つ減った。
でも、私には他にも大切なものが多すぎる。
部屋も借りているし、荷物も暮らすためのまま。
これを家族が片すのかと思ったら、たまらない。
自分で引っ越さなきゃ、とりあえず実家に帰らせてもらわなきゃ。
そうは思うけど、まだ次のステージに行く準備が出来ない。
私の死にたい、なんて、この部屋からじゃ飛び降りても死ねないなとか、手首に刃物も当てられない様な、そんな、ちっぽけなものだ。
結局、死ぬことが怖い。
でも、生き続ける事が、それ以上に怖い。
若いのに死ぬなんて、人生これからなのに
って、今死んだら、言われるんだろうな。
まだ若いから、この先も死にたいと思い続けながら、生きる事が恐ろしいから、死にたいんだよ。
なんて、誰も納得しない。
だって、みんな私の味方で、
私に幸せになってほしくて、死んで欲しくない。
生きていて欲しい。自分から死ぬ様な私と、みんな仲良くなりたかった訳じゃない。
笑って、みんなの事が大好きで、真面目で、気は弱くても、芯はしっかりしている私が、みんな好き。
そんな私だから、好きで居てくれる、心配してくれる。
でも、私は、それを返せる人間じゃなくなってしまった。
人の為にもう生きられない。
こんなに自分の事で一杯一杯な私が、私は凄く嫌いだ。
死んじゃえって、この世界で唯1人、私だけが、私に思う。
それを赦すのは自分だけで、他の人の方が、私を大事にしてくれる。そんな事を私に言うのが、私であっても、赦されない。
優しい人達に囲まれた私はすごく恵まれている。
でも、その誰も、私の人生を変わってくれはしないのだ。
私が私しか居ないから、生きなきゃいけない。
なんて
なんて、窮屈で寂しい。
こんな世界なら、明日滅んでしまえば良いのに。
心の底からそんな事を思ってしまう日が、これから先も絶対にある。
死にたいと思う事が悪い事だと言うのなら、もっと他に、悪い事は沢山あるのに。
でもそんな事を言っても、他に悪いこと、があまり浮かんでこない。
本当は、死ぬ事が悪い事だって、解っているのだ。
そう言う私が、死を一番否定しているのかも知れない。
独りになりたくはないけど、結局の所、死ぬ時は独りだ。
誰かに自分を解って貰えない時も、否定された時も、避けられた時も、見てくれだけを褒められた時も、全部全部、みんな、独りだと感じる。
心が成長しているのか、駄々を捏ねているのか、もうよく分からない。
でも、死ぬまで独りなら、今独りになっても、変わらない筈でしょう?
私の死にたいは、拙くて、とても下らないものだけど、誰かの、死にたい夜には一緒に居られたら、と本当に思うんだ。