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第56話 重傷、そして抱擁

「う……ぐッ……」


 瓦礫と土煙の中で倒れていたネージュは、呻きながら何とか身体を起こした。彼女はベルムの背中にしがみついて建物への突撃に耐えていたものの、この8階の一室で遂に限界を迎え、手を離して振り落とされてしまったのだ。彼女は辺りを見回す。集合住宅の一室と思われるこの部屋の壁と床には、無残にも大穴が開けられ、崩れ落ちた建材と家具が辺り一面に転がっている。


 ネージュは床についた左手に違和感を覚える。見ると、サイボーグ化された手首が少しへしゃげてしまっていた。振り落とされて受身をとった衝撃で歪んでしまったのだろう。彼女は何度か掌を開閉し、指の動きに問題がないことを確かめた。その他、身体のあちこちが切り傷や痣で痛むものの、幸い重篤なダメージには至っていない。


「フラムは……!?」


 ネージュはイグニスの姿が見えないことに思い当たった。ベルムの背中にいたときは、衝撃に耐えるのに夢中でイグニスが無事なのか注意する暇もなかった。彼女はひとまず、壁に空いた大穴を通って隣の部屋へと移った。すると、入って正面の壁にもやはり穴が空いている。どうやらベルムはいくつもの部屋を一直線に突き抜けていったようだ。ネージュは壁に空いた穴を伝って、部屋から部屋へと移動し続けた。


 5つ目の穴を抜けたとき、彼女は途端に顔を真っ青にして叫んだ。


「フラム!!」


 イグニスは部屋に入って左側の壁にめり込むようにして座り込んでいた。顔も腕も脚もボロボロで、ところどころ人工皮膚が裂け内部機構が露出してしまっている。ネージュは一目散に駆け寄り、イグニスの肩を揺らす。


「フラム、しっかりして! 返事をして!」


 イグニスはしばらくの間うなだれたまま反応を示さなかったが、やっと顔を少し上げて微かな声を発した。


「ネー……ジュ……」


「フラム……!!」


 ネージュは目を潤ませ、安堵の笑みを溢した。だが彼の様子を見るに、受けたダメージは相当なものだ。恐らくネージュよりも長い間、建物への突撃に耐え続けていたのだろう。イグニスはか細い声で言葉を発した。


「すまない……ネージュ……」


「何言ってるの、あなたが無事だっただけで十分よ。でもその状態じゃ戦うのは厳しいわ。早くシェルターに向かわないと」


 ネージュはイグニスを立ち上がらせようとするが、彼は全身に力が入らない様子だ。イグニスはまるで夢でも見ているかのような口調で言葉を続けた。


「こんなところで倒れているようでは……俺は到底魔王など倒せないな……」


 イグニスの自嘲的な表情に、ネージュは衝撃を受けた。彼のこんな弱気な姿など見たことがない。


「どうしたのよ。そんなことないわ、あなたはやれるだけのことはやった。後は私たちに任せて。必ずベルムを倒して、魔王を討伐しに行くのよ」


「いや……俺には……魔王を倒す資格などないのかもしれない……。500年前もそうだった。俺は魔王に対面する前に死に、後世では笑い者だ……」


 ネージュの励ましも虚しく、イグニスが力なく笑う。ネージュは胸が詰まるあまり、何と声をかけていいか分からない。確かにいつもイグニスは決意と情熱に満ち溢れ、どんな逆境でも乗り越えてきた。だが彼が背負ってきた責任を、重圧を、自分はどれほど理解しているというのだろうか? 重傷を負った今彼の口から発される言葉は、そんな彼の隠された本音なのかもしれない。イグニスは続ける。


「そればかりか俺はこの少女の姿になって……勇者でなく本当にただの少女でいられたらなどと考えている……。お前の妹でいられたらなどど考え……お前の本当の妹であるプリュイに嫉妬し……俺は……こんな俺が……勇者など……魔王を倒すなど……」


 今にも消え入りそうなイグニスの声に、ネージュは耐えきれなくなった。気がつくと、彼女はイグニスの弱々しく傷ついた身体を抱きしめていた。


「ごめん……ごめんなさい、イグニス。全部私のせいよ。私はあなたに自分の妹の代わりを押しつけていた。そして本当の妹が見つかったら、用済みとばかりにあなたを捨ててしまった。あなたが本当はどう思っているかなんて、何一つ考えていなかったの。ごめんなさい……辛い思いをさせて……」


 ネージュの謝罪と久々の抱擁にイグニスは驚きを隠せなかったが、すぐに優しい声音で言った。


「いいんだ。お前の妹を演じているときだけは、自分が四大勇者であるという重圧を忘れられた。だが……」


「あなたはフラムである前に、イグニスだったんだわ。でも、良いじゃない。いつでも気丈に戦える完璧な人間なんていないもの。あなたは私の大切な仲間のイグニスで、大切な妹のフラムなの。ずっと、ずっとね」


「そうか……」


 ネージュの言葉に、イグニスは柔らかな笑みを溢した。勇者としてのイグニスと、少女としてのフラム。どちらか一方である必要などなかったのだ。ネージュもそんなイグニスの姿を見て安堵する。ようやくここ数日のわだかまりを解消することができた。二人はまた元通りの仲間に、そして姉妹に戻ったのだった。


 その時、けたたましい轟音が二人のいる建物を揺らした。ネージュは弾かれたように立ち上がり、割れた窓から外を見る。窓の外では、ベルムが上空を旋回しながら火球を雨あられと降らせ、街のあちこちを焼き尽くしていた。その一発がこの建物にも命中したのだろう。ベルムはどうやら本当にこの街ごとイグニスたちを亡き者ににようとしているらしい。ネージュは焦燥に駆られながら呟く。


「どうしよう、早くベルムを止めないと……ってフラ……イグニス、立って大丈夫なの!?」


 ネージュは背後でイグニスがよろめきながら立ち上がったのに気づき、慌ててその身体を支えた。


「心配するな。それから俺のことはフラムでいい。お前にはやはりその呼ばれ方の方がしっくりくる」


「……分かったわ。フラム、その身体で本当に戦えるの?」


「魔法を使うだけならば何とかなるだろう。そしてさっきので、戦う算段もついた」


「一体どうやって?」


 ネージュが問いかけると、イグニスは小さくも力強い声でその内容を伝えた。ネージュは固く頷いた後、イグニスから距離をとって抜刀し、外に面した壁に向かって叫んだ。


「『虚空旋風刃』!!」


 彼女が放つ無数の空気の刃が建物の外壁を円状に切り裂き、くり抜かれた壁が外に落下する。むき出しになった部屋の外では、ベルムが相変わらず飛び回りながら火球を放っているのが見えた。視界に移った倒すべき敵に対し、イグニスとネージュは決断的な視線を向ける。


「ネージュ、反撃を始めるぞ!」


「ええ!」

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