第44話 疎外、そして寂寥
その夜、イグニスはプリュイの屋敷の一室で一人、ベッドに横たわっていた。プリュイはイグニスたちに屋敷の部屋をいくつか貸してくれたのだ。
イグニスはもう長いこと眠れずにいた。それは何も、窓から差す月明かりが眩しかったからではない。昼間に読んだアエルの手帳の内容が頭の中に焼き付いて離れなかったからだ。
そして何より、今の彼の隣には、今までなら一緒に寝ていたはずのネージュがいなかった。
あの後、イグニスはベルタンと共に屋敷の玄関へと戻り、すでに戻っていたリヴィエルとマッキナと合流した。しかし、ネージュの姿はどこにも見当たらなかった。
「ネージュはさっき、一足先にプリュイのところへ戻ってしまったよ」
「ネージュさん、やっぱりご両親の写真や遺品を見るのが辛かったみたいです……」
リヴィエルとマッキナはそう言った。ネージュは自分がガーディアンとして孤独に過ごしている間に、両親が何食わぬ顔でプリュイと幸せに過ごしていたという事実を目の当たりにしたのだ。耐えられなくなるのも無理はないだろう。
イグニスは自分も早くネージュを追い、彼女に寄り添ってやらねばならないと思った。それに、アエルの手帳を読んで分かったことを皆に知らせる必要もある。イグニスたちはベルタンに連れられ、再びプリュイの待つ病院へと向かった。
プリュイの病室の前まで来たとき、病室の中から楽しげな談笑の声が聞こえた。ネージュとプリュイが話しているのだ。イグニスは前を歩くベルタンの袖を引っ張り、病室に入ろうとする足を止めさせた。そして自らも足を止め、中から聞こえてくる話し声に耳を澄ませた。
「それでね、ガーディアン養成学校の給食のまずさと言ったらありゃしないのよ。特に最悪だったのが、よく分からない魚のオレンジソースがけ! 魚そのものもへにゃへにゃだっていうのに、全く味が合わないオレンジソースなんてかかってるのよ! だから私は諦めて、自分で料理を作ることにしたの」
「そうなの? じゃあお姉ちゃん、料理は得意なんだね」
「いいえ、全部インスタントよ。私面倒くさがりだもの」
「あはは、お姉ちゃんったらそれじゃだめじゃない。いつか身体壊しちゃうよ」
ネージュとプリュイは、顔を合わせたばかりだというのにすっかり打ち解けていた。まるで最初から姉妹として共に育ってきたかのように、ごくありふれた会話を楽しんでいた。
イグニスは奇妙な疎外感を覚える。いや、本来ならばこれで良かったはずなのだ。ネージュはずっと妹を欲しがっていたし、プリュイだって生き別れの姉に会いたかったはずだ。その二人が、元凶となった両親の悪意など忘れ、共に笑い合っている。これ以上望むものなどあるだろうか?
しかしイグニスはそれでも、どこか寂しさを覚えずにはいられなかった。アエルシティに向かう連絡飛行艇の中で、ネージュはこう尋ねてきた。大気魔法使いの子孫が見つかったら、自分は不必要となるのではないか、と。だが実際にはそれとは逆に、イグニスがネージュにとって無用の存在になってしまったかのようだった。
そして今、イグニスの隣にネージュはいない。彼女は病院で、プリュイと共に眠っているのだ。ネージュに抱きつかれ、暑苦しくて眠れなかった頃が懐かしい。所詮自分は彼女にとって、本当の妹が見つかるまでの埋め合わせの存在に過ぎなかったのだろうか?
いや、そんなことに思い悩んでいる暇はない。アエルの日記を読んで初めて分かった、自分が500年後の世界にいる理由。そちらの方が重要だろう……。しかし、ようやくアエルの真意が分かったというのに、自分は今その遠い子孫である女性を恋しがっているのだ。こんなに奇妙なことがあるだろうか。イグニスは空っぽの毛布を抱きしめながら、一人苦笑を浮かべた。
次第に彼は、微睡みの引力に引かれていく。
「お姉ちゃん……」
意識が薄れる中、彼の口からはそんな言葉がこぼれていた。




