第42話 記録、そして記憶
ベルタンに案内され、イグニスたちは病院の近くの区画にあるプリュイの屋敷を訪れていた。その外観は木造であり、リヴィエルの屋敷とは趣が大きく異なるものの、やはり巨大であった。吹き抜けになった広い玄関で、彼らは二手に分かれることにした。イグニスとベルタンは、アエルの遺品のある地下室へ、ネージュ、リヴィエル、マッキナはネージュの両親の遺品のある上階の部屋へと向かっていった。
イグニスはベルタンの後に続いて廊下を進み、突き当たりのドアに入る。そして石造りの階段を降りていくと、そこには広大な地下室が広がっており、木箱が収納された棚がいくつもの列をなして並べられていた。
「イグニス様、こちらでございます」
イグニスが歩み寄ると、ベルタンは棚から一つの木箱を取り出して彼に手渡した。イグニスは木箱を手に急いで壁際の机へと向かう。そして、夢中で木箱を開き、中を覗きこんだ。
「これは……」
そこに入っていたのは、アエルがいつも携帯していた革袋だった。経年劣化が進んではいるものの、イグニスの記憶の中のそれと色も形も大きさも一致する。イグニスは革袋を抱え上げ、しばらくの間呆然としていた。
「それは、四大勇者のアクアが魔王に敗れて脱出する際に回収したものと伝えられております。袋の中には、さまざまな小物が入れられたままになっているようです」
ベルタンが静かに説明する。イグニスは袋の中のものを次々と取り出し、机の上に並べていく。木製の水筒、小型のナイフ、着古された上着……。どれもこれも、見たことのあるものばかりだ。イグニスは、まるでまだアエルが生きているかのような奇妙な感覚に陥る。
だが、いずれの物品にも見られる劣化の兆候が、ここが確かに500年後の世界であることを証明していた。やっとこの時代に慣れてきたというのに、自分が500年後の世界にいるという事実から再び現実感が失われていくかのようだった。
革袋は徐々に空になっていき、もう入っている品物は何もないかと思われた時、イグニスは袋の一番奥で何かを掴んだ。
取り出してみると、それは古びて変色した小さな手帳だった。紙が貴重な時代だったというのに、アエルはこんなものを持っていたのか……。イグニスは意外に思いながら、見覚えのないその手帳をそっと開いた。
劣化して黄ばんだページの一枚一枚に、流麗ながらも力強い文字が所狭しと書き込まれていた。イグニスがアエルの文字をはっきりと見たのはこれが初めてだったが、その筆跡からは確かにアエルの姿を感じ取ることができた。
一番始めのページの冒頭には、500年前の日付と共に、このような文言が書かれていた。
『先日の魔族討伐でまとまった収入が入り、欲しかった手帳をようやく手に入れた。僕がこのような高価なものを勝手に買ったことを知ったら、几帳面なアクアはきっと怒るに違いないし、テラはきっと、自分にも買ってくれとせがんでくるだろう。だからこの手帳のことは僕だけの秘密だ。今日からこれに、日記というものを書いてみようと思う。アクア、テラ、それからイグニス。親愛なる仲間たちと共に戦った記憶を、いつまでも留めておきたいから、なんてね』
アエルはこの手帳のことをイグニスたちからずっと隠していたのだ。彼の秘密を勝手に覗くことにイグニスは幾ばくかの躊躇を感じたものの、好奇心の方が勝った。イグニスは続きを読み進めた。
『アグリコラ村の宝物庫を狙う魔王軍甲殻族と会敵した。100体近い軍勢ではあったものの、所詮下っ端である彼らは僕らの敵ではなかった。特にイグニスの戦果は圧倒的で、約半数を彼が討伐したといっていい。悔しいが、やはり僕の力は彼には及ばないようだ。それに彼は強いだけじゃない。逃げ遅れた村民の子どもを庇いながら戦ったのだ。イグニスの背中を見つめるあの少年の瞳が輝いていたのが忘れられない。僕もイグニスのような戦い方ができる戦士になりたいものだ』
『依頼人の待つ街に向かうため、アルボル山付近の森を抜けようとしたところ、僕らは迷子になってしまった。魔王軍の勢力圏も近いというのに日が暮れて、森の中で不安な夜を過ごすことになった。4人とも眠れないままでいたら、テラが地元に伝わるという笑い話をいくつか語って、皆の気分を和ませてくれた。このような時、彼女の明朗快活な性格は本当に心の支えになる』
『昼間に小屋で休んでいたら、外からアクアの凄まじい怒声と、イグニスの情けない悲鳴が聞こえた。どうやらイグニスが誤って、アクアが川で水浴をしているのを見てしまったらしい。生真面目な彼が、このようなへまをやらかすとは意外なものだ。彼は怒ったアクアに手足を氷付けにされて、顔面に水流魔法を浴びせられていた。その様子を見て僕とテラは腹がよじれるくらい笑った』
イグニスは夢中になって読み続けていた。度重なる魔族との戦いや、4人で過ごした日常の他愛のない出来事。その全てが、まるで昨日のことのように鮮明に蘇ってくる。だが彼は、その日々を、アエルたちを、遙か昔の500年前に置き去りにしてしまったのだ。イグニスは手帳に描写された過去を追体験しつつも、それらがもう二度と戻らないという事実に虚しさを抑えられなかった。
読み進めるうち、ふとイグニスは気になる記述に目を留めた。それは次のようなものだった。
『魔族たちが逃げ去り、もぬけの殻になった魔王軍の砦で、奇妙なペンダントを拾った。それは赤黒い水晶玉を掴む魔族の手のような形状だ。僕のお得意の勘という奴だが、このペンダントはただの装飾品ではない気がする。何か強大な力を秘めているように思えるのだ。ひとまず僕はこれをそっと隠し持っておくことにした』
イグニスは確信する。そのペンダントとは他でもない、魔王城に向かう前夜、アエルがイグニスに手渡したものだ。あのペンダントは一体なんだったのだろうか。アエルは一体どのような意図で、イグニスにそれを渡したのだろうか。その手がかりが記されてはいないかと、イグニスは急いで先を読み進めた。だが、後のページにそれらしき記述は見当たらなかった。
そして、イグニスはとうとう日記の書かれている最後のページへと辿り着いた。日記の中の日付は、魔王城に向かう前夜のものとなっていた。
そこに書かれていた内容を目にした途端、イグニスは衝撃のあまり思わず息を呑んだ。
『イグニス、今君はこの日記を読んでいるだろうか? もしそうなら、僕のささやかな計画は成功したことになる』




