第10話 上陸、アクアシティ
翌日、イグニスはいまいち疲労のとれないまま目を覚ました。ネージュに密着された状態では、結局安眠できなかったのだ。そんな彼の様子とは裏腹に、ネージュは快眠だったようだ。
二人はこの日、明日からの旅に備えて必要なものを揃えることにした。
まずは武器屋でネージュが自ら破壊した刀の鍔を直した。彼女は刀について、「虚空旋風刃」で空気の刃を生み出すことができればそれで十分だと考えているらしい。実際にイグニスが見てみると、彼女の刀は店頭に並んでいるなかでも一番安かった。
そして、イグニスは耐熱性のグローブを購入した。昨日の戦闘のように、火炎魔法で手の皮膚が焼けないようにするためだ。彼自身は魔法を使えても、このオートマタの体には魔法に対する耐性がないらしい。
続いて、ネージュがイグニスに新しい服を買ってあげたいとしきりにねだったので、二人は服屋に着ていた。
「やっぱりフラムにはワンピースが似合うと思うのよね。どの色が良いと思う?……あ、こっちのパーカーなんかも似合いそう!」
「何でもいいから早く決めてくれ……」
一人ではしゃぐネージュと、それを眺めているイグニスの温度差は明白だった。結局ネージュは勝手にイグニスの服を5着ほど購入した。他にも、旅に必要な雑貨を一通り揃えた。
イグニスは終始ネージュに振り回され、店員の前では嫌々ながら少女の演技もさせられた。しかし段々と、悪い気分はしないと思うようになっていった。むしろ楽しいことにすら思えた。
彼は以前まで、勇者として日夜魔族と戦い、常に殺伐とした戦場に身を置いていたのだ。それに、四大勇者として人々の期待にも応えなければならなかった。今はそういった重圧を全て忘れて、買い物に来ている一人の少女になることができている。それがとても幸せなことに思えた。どうか、この幸せを魔王に支配された地上にももたらしたい……。彼は強くそう感じた。
こうして一日が終わり、二人はまた一緒に眠りについたのだった。
その夜、イグニスは夢を見た。真っ白い世界に立っており、ぼやけた視界の遙か遠くに霞んだ人影が見える。しかし、それが誰なのかは分からない。奇妙な夢だったが、イグニスはその夢を記憶することなく、目覚めと共に忘れてしまった。
しばらくするとネージュも目覚めた。彼女は相変わらず、イグニスを抱き枕のように抱きしめて眠っていたのだった。彼女は寝癖だらけの髪で目をこすると、普段の調子に戻って言った。
「さあ、今日はついに出発の日ね。浮遊都市アクアシティ行きの連絡飛行艇に乗りに行くわよ」
二人は着替えて簡単な朝食をとり、あらかじめまとめておいた荷物を手にすると、連絡飛行艇の発着場に向かっていった。
発着場は浮遊都市の縁の部分の一角にあった。しかし、一昨日に魔王軍と戦った場所からは遠く離れていた。旅客用連絡飛行艇は一隻につき50人乗りであり、数隻が稼働して代わる代わる発着している。
まだ朝だというのに多くの乗客たちが列になって控えていた。観光客と思われる家族連れやカップル、老夫婦、友人同士のグループなどがほとんどである。周囲の乗客から見れば、イグニスとネージュは姉妹か親戚のように見えたことだろう。
「浮遊都市アクアシティは水流魔法使いアクアの名を冠しているだけあって、水流魔法の総本山なのよ。町並みにも水がたくさん取り入れられていて、観光地としての人気も高いって聞くわ」
「そうか、それは楽しみだな」
話をしているうちに、二人の順番が回ってきた。他の搭乗者に続いて飛行艇に乗り込み、指定の席に座る。二人の座席は通路の左側で、イグニスが窓側、ネージュが通路側の席だ。アナウンスが流れ、注意事項が説明されると、間もなく連絡飛行艇はイグニスシティを出発した。
窓の外の光景にイグニスは見入った。空と海の色が混ざり合い、一面が青である。巨大な雲が次々に視界の後方へと流れていく。
「おお、すごい。飛んでいる!」
「あはは、フラムったらはしゃいじゃって」
イグニスは飛んでいるという実感に心を躍らせた。正確に言えば浮遊都市で目覚めた時点で飛んでいることと変わりなかったのだが、あちらは巨大すぎて浮遊していることが感じられなかったのだ。
しばらくすると、ネージュが窓の外を指差した。
「見て見て、フラム。あれがアクアシティよ」
ネージュが指す方を見てみると、乳白色の石でできた建造物が立ち並ぶ巨大な都市が浮遊しているのが見えた。圧巻の光景にイグニスはたちまち目を奪われた。
「すごい……きれい……」
「うふふ、本当ね。ねえフラム、お姉ちゃんとどっちがきれい?」
突然の強引な振りにイグニスの心の中には戸惑い、怒り、呆れ等の感情が同時に湧き上がってくる。しかし求められている答えは一つしかない。
「えっと……お姉ちゃんの方が、きれい!」
「ほんとーー!?お姉ちゃんうれしーー!!」
ネージュは満面の笑みを浮かべてイグニスを抱きしめる。
なぜこんな顔から火が出るほど恥ずかしい芝居をしなければならないのだ……。しかも、ネージュのことをお姉ちゃんとまで呼んでしまった。そう思いながら、イグニスが精神的に多大な疲労を募らせていると、
「おやおや、ずいぶん仲の良いお二人さんだねえ」
通路の反対側から声がした。そちらの方を見ると、老夫婦が微笑みながら二人の様子を眺めているではないか。一連のやりとりを全て見られていたらしい。イグニスはいよいよ逃げ出したい気分になった。
「お二人はごきょうだいかしら?」
老婦人が尋ねると、ネージュが答える。
「いえ、この子はオートマタなんです」
「へえ、オートマタなのかい。可愛らしいねえ。最近のオートマタはよくできているから、人間と見間違えるようだよ」
そう言って老婦人は笑う。
「本当?おばあちゃん、ありがとう!」
イグニスは精一杯の作り笑顔でそう言うと、疲れ切ったように座席にもたれかかった。
「だいぶ慣れてきたんじゃない?」
ネージュが笑いながら囁きかける。
「慣れていいものなのか?もう勘弁してくれ……」
そうこうしているうちに連絡飛行艇はアクアシティに接近し、発着場へゆっくりと到着した。
飛行艇を降り発着場を出た二人は、神秘的な光景に出迎えられた。
「これは……」
発着場の前は広場となっていた。美しい石畳、迫力満点の噴水、透き通る水が流れる水路など、思わず見とれるような光景がそこには広がっていた。
「流石は水流魔法の総本山ね。ここに四大勇者アクアの子孫がいるんだわ」
「よし、探しに行くとしよう。まずはこの景色を堪能してからな」
二人はひとしきりこの美しい光景を眺めた後、街の中へ向かっていった。




