遠い記憶
春・花言葉企画参加作品です。
ばあちゃん、今年も綺麗に咲いたよ
庭の片隅に咲いている沈丁花の前に膝をつき、話しかけた。
同じ時期、空を覆うように咲く華やかな桜と相反するように、低くひっそりと咲く沈丁花。
でも、その姿とはうってかわって辺りに漂う香りは、私にとってどの花よりも存在感があるんだ。
甘酸っぱいその香りは、私の全身に浸みわたって幼い頃の記憶を刺激するから……
大きくなるに従って、薄れていく幼い頃の記憶。
衝撃的な事や嬉しかった事、悲しかった事は覚えているけれど、日常の些細な出来事は頭の片隅にも残る事なく消えていく。
けれど、そんな些細な日常も、匂いと共に有る記憶は、鮮明に覚えていたり、普段は忘れてもいても再びその香りを嗅いだ時には、フラッシュバックのように脳裏に現れたりするもので。
独特な塩素の匂いを嗅ぐと、あの照りつける日差しと共に仲間と泳ぐ学校のプールを思いだしたり、ビーフシチューの匂いを嗅ぐと初めて食べた時の友人宅の食事風景を思い出したり。
その中でも私にとって、一番心を揺さぶるのは。
沈丁花――
その花の香りにふれる度に、私を瞬時に幼い頃に引き戻すのだった。
昔からの農家で育った私。
土地だけが広く、家は古く隙間風だらけ。
友達の新しい家が羨ましくて堪らなかった子供の頃。
家に帰るのが憂鬱でしかたなかった。
もっとも子供頃は憂鬱なんて言葉しらなかったけれど。
そんな私が唯一好きだった場所。
それが、ばあちゃんの部屋だった。
無条件に私を可愛がってくれたばあちゃん。
家の中は何処でも同じような造りのはずなのに、この部屋だけはいつも暖かったような気がする。それはお陽様のような笑顔のばあちゃんの人柄のせいかもしれない。
私が生まれる前からいるという猫のミケも私同様ばあちゃんの部屋がお気に入りだったんだ。
花が好きなばあちゃんはいろいろな花の話をしてくれた。
陽のあたる縁側で、幼かった私はばあちゃんの膝の上に座って庭を眺めながら、その話を聞くのが大好きだった。
日陰にひっそりと咲いているスズランを見ては『あれは天使の涙の形だよ』
夏の日差しにも負けずに真直ぐと上を向く向日葵を見ては『あれは太陽の子供なんだよ』
などと、ちょっとおとぎ話のようなそんなお話。
いろいろ話をしてくれた中で、一番印象強かったのが沈丁花の話だった。
『沈丁花はね、神様の落し物なんだよ。けれど口のきけない沈丁花は一生懸命自分はここだよって訴えるんだ。神様が大好きな香りを放ってね』
ばあちゃんの旦那さん、つまり私のじいちゃんは戦争で亡くなってしまったそうだ。
嫁いで3年目の事だったと、当時を思い出しているのか目を細めながら語ってくれたばあちゃん。
庭にある沈丁花は結婚の記念にと2人で植えたと言っていた。
特別な花なんだよと言葉を添えて。
中学になると、友人も行動範囲も増えていって私は家に寄り付かなくなっていった。
ばあちゃんの事は変わらず大好きだったけれど、生活リズムの違う私とばあちゃんでは、同じ家にいても顔を合わさない日が続いていた。
暗くなるまで部活をしたり、友人と遊び歩いていたりで家に帰る頃には既にばあちゃんは寝てしまっていたし、ぎりぎりまで寝ている朝は朝食も食べずに出かけて行くので自分の部屋から玄関へと直行だった。
そんなある日、珍しく母親が私の部屋の扉を叩いた。
私が幼い頃から、仕事をしていた両親。あまりかまってくれた記憶は無くて。両親へのその思いは成長するに従って歪んでいった。大きくなり反抗的な態度をとる私に掛けられる声は非難の言葉ばかり。うんざりする私は必要最低限の会話しかしなかった。
「ちょっといい?」
親の癖に遠慮気味に話すのにイラッとした。
少しだけ目線を合わせると、それが了承の合図だと解った母親は
「ばあちゃんの具合、あんまり良くないんだよ」
そう言葉すくなに語った。
だらしなく布団に寝っころがっていた半身を起して、母親の顔を見つめると母は大きく頷いた。
「もう今日は遅いから」
という母の言葉を無視して、ギシギシとなる廊下を踏みしめながらその部屋に向かう。
まるで、ストップオッチの秒針のように細かく動く心臓。
その前まで辿り着くと、はやる気持ちとは反対に部屋の仕切りの障子をそっと開けた。
部屋の真ん中に敷かれた布団に真直ぐに寝ているばあちゃん。
あんまり綺麗な寝ぞうなので、もしかしてと不安になった。
自分の息を潜め、凝らしてみると、少し布団が上下しているのみてほっと息をつく。
枕元にしゃがみ込んで、ばあちゃんの顔を覗きこんだ。
ちょっとの間みないだけだったのに、ふっくらとしていた頬が随分とこけてしまったように感じた。
ばあちゃんの布団の足もとにはミケが丸くなって寝ていた。
ミケもまた随分と小さくなってしまったような気がした。
翌日から、私は放課後部活を終えると真直ぐ家に向かった。
後悔したくなかったから。
歳も歳だ、私とばあちゃんの1年の進みが違うという事を思い知らされてから、少しでも一緒にいたいと思ったから。
幼かったあの頃、いつも一緒にいてくれたばあちゃん。
日に日に言葉少なくなっていくばあちゃんを見ていると、別れが近づいているのだろうとそう思わざるおえなかった。
そんなある日曜日、部活も休みで私は朝からばあちゃんの部屋に入り浸っていた。
ばあちゃんはその日とても体調が良さそうで、顔色はいつもよりも赤みがさしているようだった。
「瑞香ちゃん」
しわがれてしまったばあちゃんの声。
だけどその声はとても優しく響く。
「今日はね、お願いがあるの、とても大切なお願い」
そう言って庭先を見つめる。
視線の先は沈丁花だった。
「何? 何でも言って」
自分でもこんなに優しい声がでるものかと驚いた。
そのお願いは、私にとってとても辛いものだった。
ばあちゃんの部屋にある仏壇。
そこにある私のじいちゃんにあたる人の写真。
その顔はまだ若く、ちょっと年上のお兄さんみたいで、とてもじいちゃんなどとは呼べる年ではない。その人がにっこり私にほほ笑んでいるように思えた。
「お願いだよ」
まるでそう言っているように。
それから数日後、あんなに調子良かったばあちゃんは眠るように息を引き取ってしまった。
少しだけ、覚悟をしていたから泣き崩れる事は無かった。
違うな、私の使命を終えるまで泣いちゃいけないと思ったんだ。
お通夜が終わり、皆が部屋に戻った深夜。
私が名乗り出て、線香を絶やさぬように番をしている。
今が決行の時だね。
ばあちゃんは
「予め用意しておくから、仏壇の引き出しに入っているからね」そう言っていた。
仏壇のじいちゃんに手を合わせその小さな引き出しを開けた。
そこには、布でくるまれた爪切りとハサミ。
何度も出入りをしているこの部屋にあったというのに初めて見る物だった。
一目で年代物だろうと解るそれら。だけど丁寧に手入れされていることも同時に気がついた。
そして、その引き出しには
「瑞香ちゃんへ」
と書かれた手紙も一通入っていた。
手紙をばあちゃんの枕元に置くと、震える右手を左手で抑える。
ペンチのような爪切りでばあちゃんの爪を切った。
そして、同じように綺麗な銀髪にハサミを入れた。
爪切りとハサミをくるんでいた布にばあちゃんのかけらを包む。
「忘れずに、任務遂行してるよ、最後の仕上げしてくるからね」
そう声を掛けて、新しい線香に火をつける。
きしむ廊下を音をたてないように足裏を滑らせながら、上がりばなまで辿りつくと、サンダルを履いてそっと玄関の戸を引いた。
キーッと木の擦れる音。
遅くまでお酒を呑んでいた両親や親せきの人は寝入っているようだが、気づかれないように細心の注意をはらって庭先にでた。
線香が消える前までに戻らなくては。
月明かりの中、私は一人沈丁花の根元を掘り返した。
きっと、ばあちゃんもこうやってこの根元を掘ったに違いない。
この布は、じいちゃんのそれを包んだ布の片割れだと言っていた。
ばあちゃんの埋めた、その布までは見つけられなかったけれど、ここでいいよね。
「ばあちゃん、これからもずっと大好きだよ」
布をゆっくりと穴に置くと、そっと土をかぶせた。
これからはじいちゃんと一緒だね。
最後にそう呟いてみた。
時季外れで、咲いているはずがないのに、ふんわりと沈丁花の香りがしたような気がした。
まるで
「ありがとう」
そう言われているような感じがした。
その後、ミケもばあちゃんの後を追うように濡縁の下で冷たくなってしまっていた。
迷う事なく、私は沈丁花の根元にミケを眠らせた。
あれから、15年経った。
あの時貰った手紙は大切な私の宝物。
そこには、ばあちゃんの優しい言葉が溢れていた。
辛い時、何度も何度も読み返してきた。
その手紙の最後には私の名前の事が書いてあった。
「瑞香」
それは沈丁花の中国名だと。
じいちゃんが戦争に行く時にばあちゃんのお腹の中で宿っていた命。
女の子だったらこの名前にしよう。そう戦地から手紙が届いたそうだ。
産まれたのは父さんだったから、つけられなかったその名前。
その話を聞かされていた父さんは、迷わずその名前を私につけてくれたそうだ。
ばあちゃんの手紙は長い間抱いていた両親への歪んだ気持ちも和らげてくれた。
自分のお腹に手をやる。
私、ばあちゃんみたいになれるかな。
もうすぐ産まれてくる我が子。
暖かくなってきた風にのって甘酸っぱい沈丁花の香りが庭中に広がる。
大きく息を吸って、その香りを全身にいきわたらせた。
ばあちゃんやじいちゃんそしてミケが私に
「大丈夫だよ」
と応援してくれているような気がした。
毎年、この香りが漂うと思い出すばあちゃんの事。
子供が生まれてきたら、いっぱい話してあげよう。
幼い頃、ばあちゃんから聞いたおとぎ話のような花の話を。
永遠。
それは沈丁花の花ことば。
じいちゃんが、ばあちゃんの心の中にあったように、
ばあちゃんは私の中でずっと生き続けているから。
いまでもはっきりと思い浮かぶ。
お陽様のようなばあちゃんの笑顔が。