絶望の只中を疾走する者
――タピオカ女学院・職員室
女生徒達が懸命に戦い続ける中、教職員は政府から派遣される部隊の到着を待って職員室に立てこもっていた。
現在の日本社会の実権を握ると言っても過言ではない禁中近衛十二将:第七席である絢瀬 榛慧が派遣した検非違使の部隊か、異世界から帰還した英雄である岩聖 慎太夫が創設した”永久機関”の戦闘職員のどちら側の勢力が来るかは分からないが、いずれにせよ、彼らさえ来ればこの事態を何とか打開できるのは間違いないと言っても過言ではないはずだった。
だがそんな中、颯爽と職員室から飛び出した者がいた。
数学教師にして、女生徒にセクハラ行為を繰り返していた中年男性:三浦 尻政である。
彼は『ウオォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!』と叫びながら、オークが蔓延る校内を勢いよく駆け出していく――!!
「ゲ、ゲヒヒッ……♡何でこうなったかは分からねぇが、これでこそ俺の出番だぜ~~~!!」
そう言いながら、眼を爛々と光らせながら疾走していく尻政。
その相貌には、紛れもない”狂気”が色濃く滲み出ていた。
”セクハラ教師”として名高い彼は、オークの軍勢に紛れて女生徒達に何かいやらしい事をするつもりなのだろうか?
しかし、このタピオカ女学院に出現したオーク達はそんな低価格帯のスケベゲームにいそうな性質ではなく、あくまで女子高生アイドルのスカウトが目的である以上、現場で自分達が売り出すための”商品”になりえる逸材に手を出すとは考えにくく、オーク達が女生徒達を騙くらかしてそういうスケベなビデオに出演させるのを待つにしても、これから時間がかかるのは明白である。
安易な性欲を満たすには、あまり向いていない事態のはずだが――尻政の狙いは別のところにあった。
(ゲヒヒ……例え異世界とやらから来た豚の化物だろうと、絢瀬が派遣する検非違使やら岩聖子飼いの戦闘部隊とやらがこの場に来たら、全て一瞬でカタをつけられるに決まっていやがる……!!)
信頼、などではない。
ただ、この国で生きる大人である以上、”検非違使”や”帰還英雄”が誇る強さ、影響力、恐ろしさは嫌と言うほど骨身に染みている。
そんな彼らどちらかの勢力がこの場に来れば、すぐにオークの軍勢が殲滅されることになるのは、疑いようもない事実であった。
――ゆえに、尻政は全てが終わるその前に、ただ一つの事を強く願う。
「――だったら、奴等が来るよりも先に!この俺が、『オークの軍勢から命を懸けて女子生徒達を守った英雄!』として、歴史に名を遺すんだぁ~~~ッ!!」
大型の数学定規を手にしながら、腹の底から絞るような声量で尻政が叫ぶ。
幸いにもまだオーク達の姿は見えないが、それでも構わないと言わんばかりに尻政は思いの丈を吐き出す。
「俺は!うだつの上がらない独身の中年セクハラオヤジなんかじゃねぇ!!俺は、ここで我が身も鑑みずに生徒共を救った英雄として、未来永劫この国……いや!全世界の人類から称えられる”宿命”を持っているんだ!俺こそが真の英雄だ!俺の華麗なる犠牲と引き換えに、この世界は新たな時代が始まるんだ!!……そうだ。もう、こんなクソみてぇな日常は全ておしまいにしてやるんだよぉ……ッ!!」
三浦にとって、性欲とは別に人生の全てではなかった。
もともと内向的で他の職員とも上手く行っておらず、年齢に追われるように、またはそんな周囲の視線から見栄を張るかのように知り合いの勧めで一度だけ結婚をしたことがあった。
だがそれも上手く行かず結局離婚する羽目になった尻政は、自身の人との接する人間関係に今まで以上に自信が持てなくなっていた。
そんな自分の内心が表情や態度に出ていたのか、周囲の同僚や生徒達がこれまで以上に自分の言葉に対して何の反応も示さなくなっているように、尻政は感じていた。
――嫌だ、嫌だ。
……このまま、誰にも相手にされずに終わるのは嫌だ!!
そう思いながらも打開策が見つからないまま日々を過ごしていたある日、荷物を運んでいた自身が担当しているクラスの大人しそうな女子を見た瞬間、悩みで頭が一杯だったのか特に考えもせずにポロっと口から言葉が出ていた。
「お前の尻って安産型だな」
その話は瞬く間に広まっており、教室に入った瞬間に怪訝な視線や小声で「サイッテー」という言葉を投げかけられる事となった。
幸いにも、言われた女生徒がそれほどクラス内での地位が高くなかったのと騒ぎ立てるのが苦手な性格だったこと、そしてこの学校の上層部が比較的教育に対して放任主義であったことから大事はならず、生徒達と職員の間に『三浦 尻政はセクハラ教師である』という共通認識が芽生える形で軽蔑される程度で済んでいた。
それでも、普通の神経を持った人間ならばこんな状況に置かれた時点で耐えられなくなるに違いない。
だが、尻政は違った。
彼は自身の言動を受けて驚きで目を見開いてから泣きそうになっていた女生徒や、他の人間からの軽蔑の視線を受けて、自身の中に”安堵”の感情が沸き起こっているのを自覚していた。
(あぁ、これで俺は無意味な存在なんかじゃない。……俺は、独りぼっちなんかじゃないんだ……!!)
以来尻政は、相手を選んで卑猥な発言を繰り返す”セクハラ教師”となった。
自分の発言に反応を見せてくれるのが嬉しい。
軽蔑でも嘲笑でも、自分の存在を認識してくれるのが嬉しい。
嬉しい。嬉しい。――嬉しいはずなのに。
気づけば、尻政は周囲からの侮蔑の視線に耐えられなくなっていた。
それも無理はなかったのかもしれない。
尻政はただ単に、離婚直後で自信喪失していたときに他者との関わりに”飢えて”いただけであり、そのため今までの自身の人生の中で向けられたことのない感情を前にして、新鮮さを覚えていただけなのだ。
それはただ単に生来他者とのコミュニケーションに慣れていなかったというだけであり、侮蔑も嘲笑も慣れてしまえば当然の如く、心は痛くて辛い。
尻政はそれらを快感に出来るほど達観した変態性や、それらを意にも介さぬ狂った感性を持った人間などではなく――どこまでも、”常識”の範疇に収まる感性を持っただけの普通の人間であった。
これ以上、嫌われるのは嫌だ。
けれど、この立場から脱するための方法を自分は知らない。
……何より、"セクハラ教師"以前の、いてもいなくても構わない空気扱いをされるよりかは遥かにマシだ。
――三浦 尻政という男にとって、”セクハラ”こそが自身が他者に取れる唯一のコミュニケーション手段であった。
だが、それも日を追うごとに周囲の非難は険しくなってきており、昨今の風潮を見てもこのまま行けば尻政の言動が本格的に問題として取り上げられるのは時間の問題であった。
八方ふさがりで徐々に精神的に追いつめられながらも、それに依存するしかなかった尻政にとって、今回のオーク軍襲来はそんな自身の現状を変える事が出来る唯一の希望であるように思えた。
人に唾棄されるうだつの上がらない”セクハラ教師”などではなく、生徒達のために己の命を擲って悪しき侵略者に立ち向かった”聖職者”として絶対的な名誉と自身の全てを燃やし尽くすかのような魂の充足を得たい、という激しすぎる英雄願望に憑りつかれていた。
雄たけびを上げながら、定規を手に廊下を疾走していた――そのときだった。
「――生徒の模範になるべきアタシ等教師が、率先して規則破ってどうするんですか。三浦先生」
刹那、尻政は背後から強い衝撃を受け、盛大に地面へと倒れ込む――!!
「ッ!?ガ、ガハッ!!」
瞬時にうつ伏せの形で組み伏せられる尻政。
彼にタックルを喰らわせ、組み敷いたのはサバサバ系女子を自称する女性体育教師:龍和 麻美であった。
職員室から勝手に飛び出した尻政を追ってきたらしく、他にも数名の教員が息を切らせながらこの場に集まってきていた。
そんな彼らにも構うことなく、尻政は必死の形相を浮かべながら先程と同じような言葉を叫び続ける。
「は、離してくれッ!!これが、俺にとっての唯一のチャンスなんだ!!……俺は、俺は、キモがられるセクハラ教師なんかじゃなくて、稀代の英雄として時代に名を遺すんだッ!!」
そう言うや否や、尻政は自分の動きを抑え込んでいる麻美をキッ!と強く睨みつける。
「――どうせ、お前等だって俺なんかがどうなろうと知った事じゃないだろ!?だったら良いじゃねぇか!……俺を英雄として死なせてくれてもよぉッ!!」
普段の尻政からは到底考えられない鬼気迫る表情と激情。
だが、それを前にしても麻美は全く物怖じすることはなく、憮然とした表情で彼を見下ろしていた。
「あぁ、そうだ。アタシはアンタみたいなオッサンがどうなろうと、知ったことじゃないさ。むしろ、アタシからすれば、人の顔色伺いながらビクビクしているくせに、何でセクハラなんて慣れない事してんのかって普段から疑問だったけど、大抵おやつのバナナを食べたらすぐに忘れるくらいの興味しかない存在だったよ、三浦の事は」
けどな、と麻美は続ける。
「生徒達は違う!生徒達は、オークの軍勢を前に政府からの応援を待つことしかせずに職員室に立てこもるくらいしか出来ないアタシ等みたいなくだらない教員と違って、この学校を守るために自分達の力だけで豚共と戦ってるんだ!!……そんなアイツ等の”覚悟”を、お前のしょうもない自殺なんかに巻き込むんじゃねぇッ!!」
「しょ、しょうもないだと……!!俺がどんな想いで!」
憤怒のあまり顔を真っ赤にする尻政だったが、それ以上の気迫で麻美は怒鳴り返す――!!
「親からもらった命を無駄に投げ捨てるような真似するような奴なんざ、英雄以前に教師失格に決まってんだろこのハゲッ!!……テメェ、そのザマでガキ共に一体、何を教えられるつもりだってんだ!?――テメェも良い年齢した大人なら、物語の中の英雄様になる事なんかじゃなくて、自分の人生を生き抜くほうがよっぽど人として立派で偉い事だって分かるだろッ!!」
「……ッ!?」
麻美の気迫と言葉を前に、絶句して息を呑む尻政。
――正直言うと、”ハゲ”という言葉に傷つきそうになったが、それ以上に麻美の『一人の人間として生き抜いてみせろ』という旨の言葉の方が響いた。
だが、それを簡単に認めるほど尻政は潔い性格をしていない。
年甲斐もなく嗚咽を漏らしながら、尻政はただ
「俺を……英雄にさせてくれぇ……!!」
と、うわごとのように呟き続けていた――。