第6話 〜うっま〜
「はぁっ! はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
————良かった〜 熱はなさそうだね
「オエェェェェェェッッッッッッッッッッッッ!」
今日、何回目かも分からない嘔吐。もう胃液も出し切って出てくるのは少量の血だった。便器に溜まっている水が赤色に染まっていくのを見ながら何度も何度も吐く行為を勇人はし続けた。
————初めてまとまな言葉が聞けて嬉しいな
————だーれだ?
————私 橘藍
蘇るのは藍との記憶。その全てに気持ち悪いが詰まっている。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
思っいっきり走って家に着いて直ぐに吐き続けた為、貧弱な勇人はもう体力の限界だった。トイレとお風呂がある部屋の壁に背をつけ座り込む。
その顔はいつもより酷い顔色になっていた。誰が見ても体調不慮を伺う程の顔色。
人が違えば救急車を呼ぶだろうその顔色。
————ピンポーン
「勇人君、居る? なんか私、悪いことしちゃった?」
ドア越しのため籠る音でよく聞えないが、この声は藍の声だと直ぐに分かった。勇人は藍の声が聞こえないようにするために両耳を両手で塞ぐ。
「やめろ……やめてくれ……」
もう、勇人にとって藍の声は恐怖の対象でしかなかった。
もう吐きたくない、もう気持ち悪くなりたくない。
なのに、気持ち悪いは直ぐにやってくる。
「気持ち悪い……気持ち悪い……!」
勇人の背中が壁から滑り落ち、床に丸まる。
そのまま勇人は意識を失った。
「勇人君、大丈夫かな?」
勇人のインターホンを鳴らした次の日。藍は学校に遅刻するギリギリまで、外で勇人が出てくるのを待っていた。
本当にギリギリまで待っていたが勇人は部屋からは出て来なかった。
藍は心配になりながらも学校に着き、もしかしたらもう学校に居るのではと淡い期待を胸に教室に入り、直ぐに勇人の席を見る。
そこには勇人の姿は見えなかった。
1時間目、2時間目、3時間目、4時間目が終わり、お昼休みに突入しても勇人はまだ来ていない。
空席を見つめる藍は自然と勇人を心配する言葉を零していた。
「大丈夫ですよ藍さん! あいつは休む時の方が多いですから!」
好きな人が落ち込んでいると、朝から気づいていた日佐人は藍の零した言葉にいち早く応答し、藍を元気づけようとした。
日佐人の励ましのある言葉を聞いた藍はいつものように作り笑いで喋る。
「う〜ん、なら大丈夫かな?」
「はい! 大丈夫ですよ!」
「水……」
勇人は意識を失い、12時間寝ていた。それに加えて日中の嘔吐の連続。
そのせいで中度の脱水症状になっていた。水を一気に摂取すると胃が受けつなく、直ぐに吐いてしまう。
だから、ちょっとずつ水を飲んでいた。
藍と関わらず、1日経過しているため気持ち悪さも無くなり順調に回復に勤しんでいた。
————ピンポーン
学校が終わる頃、少し時間が過ぎた時、勇人の部屋にインターホンが鳴る。
勇人はインターホンの音を聞いて直ぐに頭から毛布を被る。それに加えて耳栓をして耳を手で覆う。
「勇人君、大丈夫?」
毛布を被って数秒、勇人は無音の暗闇の中で生きていた。
何も聞こえないし、藍の声も聞こえない。だから、インターホンを鳴らしたのは藍じゃないかもしれない。
これで気持ち悪くならない。勇人は安心しきる。
「体調悪かったら絶対に私に言ってね」
————気持ち悪く
心が嘆いた……気持ち悪いと。
何も聞こえない筈なのに藍の心の通った声は聞こえた。聞こえなくてもなんて言っているかは聞こえる。
それが仕方がないほど気持ち悪かった。
あいつといると、怖い俺がいる。
あいつといると、悲しい俺がいる。
あいつといると、安心する俺がいる。
あいつといると、苛立ちを覚える俺がいる。
あいつといると、後悔する俺がいる。
怖い、悲しい、嬉しい、苛立ち、後悔。この5種類の気持ちが俺の心の中を掻き回す。掻き回して掻き回して、俺を気持ち悪くさせる。
「魔法少女プリティ、参上!」
なんで魔法少女は怪物だけを倒すのか?
怪物に傷つけられた人の心は? 身体は? なんで、怪物を倒しただけで全て解決したって顔をしているんだ? 傷つけられた心は一生痛いのに。なのに、なんで? なんでなんでなんだ?
————ピンポーン
「勇人君、聞こえる? 本当に大丈夫?」
ああ、気持ち悪い。あいつの声はいつ聞いても気持ち悪い。吐いても吐いても、俺を追い詰めてくる。もう止めてくれ。
————ピンポーン
「勇人君、風邪引いてない? 引いてたら、絶対に言ってよ」
もう黙ってくれ、もう話さないでくれ、もう俺に関わらないでくれ。頼む、なんでもするから……頼む……頼む……。
————ピンポーン
「ここに、飲み物とか置いておくから。好きな時に飲んでね」
要らねぇよ……。その善意が俺を苦しめるんだよ。もう、何回吐けばいいんだよ。
————ピンポーン
「勇人君、今日は冷えるってニュースで言ってたから、ちゃんと暖房付けてね」
俺に関わらないでくれ、お母さんじゃないのになんでこんなに俺を構うんだよ。
————ピンポーン
「今日は、昨日と違って暖かくて気持ちい日だよ」
それがどうしたんだよ。それだけの為だけに俺に話しかけないでくれ。
————ピンポーン
————ピンポーン
————ピンポーン
————ピンポーン
————ピンポーン
————ピンポーン
止めろ! 止めてくれ! もう俺を気持ち悪くさせないでくれ……! 本当に……!
————ピンポーン
「おい、勇人! お前が居ないと、橘さんが悲しい顔をするんだよ! ………………早く、学校にこいよ」
今度はお前かよ……もう黙れよ。
もう、消えろよ。うざいんだよ。あいつが居るから俺は学校に行けないんだよ、あいつが居なければ、あいつが居なければ……
————果たしてそうなのか?
どういういう事だ? 俺はあいつが居なければ学校に行ける
俺は自由になれるんだ
————お前の呪縛はそのままだぞ?
黙れ。 呪縛ってなんだよ!? 言ってみろよ! 俺の呪縛がなんなのか!
————それが、本当に正解なのか?
正解? 正解がなんだよ? もう黙ってくれ!
————お前は勘違いしているのではないか?
「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 黙れ! 黙れよ!」
————黙らない。お前が真実を見つけるまで
「真実!? そんなもんねぇよ! この世界にはヒーローも!勇者も! 魔法少女も! 人間も! 誰も! 誰も! 俺を、助けようとしねぇ!? 真実を見つけても、傷ついた心は癒されない!」
そんなの.......見つけない方が……もっと……楽なんだよ……!
————夢を見た
「蕾ちゃんは、四つ葉のクローバー見つけるの本当に下手くそだね」
幼い頃だったら誰でも無意識に悪辣な言い方をしてしまう。そんな悪辣な言い方をしたからだろう、俺の言葉に蕾ちゃんは頬を膨らせる。
「勇人君、酷いよ。私だって1週間に1回は見つけられるよ!」
「蕾ちゃんは、1週間に1回でしょ? でも僕は……ほら! ここにあった!」
俺は、近くにあった四葉のクローバーを引っこ抜いて蕾ちゃんに見せた。
「あー! そこ、私が今見てたのに! ずるいよ、勇人君!」
「早い者勝ちだからしょうがないよ」
俺が笑顔になりながらふざけて言った言葉を聞いて更に頬を膨らませ、蕾ちゃんは首を右に曲げ俺の事を嫌いと表現する。
素直な俺は本当に嫌われたと勘違いして慌てふためく。
「蕾ちゃん?」
俺の言葉を無視してそっぽを向いたままの蕾ちゃん。
この時は悲しかったな。人に行為に無視されるのは嫌だったな。
「蕾ちゃん、ごめん。あんな言い方もうしないから許してよ」
「……」
「ごめんて、ごめん。だから————」
「嘘だよーー!」
蕾ちゃんは俺の方に振り返り、俺の所に人を襲う男のように倒れてくる。俺は蕾ちゃんよ体重によって倒れてしまう。
蕾ちゃんとの顔が近い。嗚呼、なんて可愛い顔なのだろう。そのくっきりとした、ダイヤモンドみたいな色の目も、その空みたいに美しい青色の髪も、全て、全て、愛おしかった。
「キスして.......いい?」
蕾ちゃんのその囁いた声も、蕾ちゃんの全てが好きだった。
「駄目だよ、キスするのは、将来結婚するひとがするんだよ」
俺の理想論は本当に馬鹿だ。蕾ちゃんもちょっと困った顔をしている。
「じゃあ————」
蕾ちゃんの、唇が近い。この後、俺はどうしたんだっけ?
蕾ちゃんに愛を伝えたんだっけ? キスをしたんだっけ? 全然覚えてない。
嗚呼、なんで忘れてしまったのだろう。
「だからなんで.......こんなに懐かしい夢をみるんだよ……!?」
勇人は目を覚ます。勇人はこんなにも短い期間の中で蕾ちゃんの夢を見て心が不思議気分になっている。
しかし、それ以上にあの後の事はまるっきり覚えてない事に不思議な気分になる。
勇人はあやふやな気持ちのまま、また生きてるのを確認する。
生きていた事を確認した勇人は涙を流さない。何故なら今は蕾ちゃんの夢を見れて素晴らしい気分だからだ。
勇人はベットから起き上がると、お腹が空いている事に気づく。
勇人は立ち上がりキッチンに行く。棚を開けて、牛乳パンを出そうとするが、棚は空っぽだった。
勇人はため息をつき、部屋の鍵を持って部屋の外に出る。
外はもう夜だった。もう1週間も引き篭ってる為、日程感覚も時間感覚もない。
「もう止めてくれよ……」
外に出て階段の方に行こうとすると藍が自分の部屋の前で毛布を被って寝ていた。藍を見た勇人は、蕾ちゃんの夢を見て良かったと思う。
蕾ちゃんの夢を見てなかったらこんなに気持ちが穏やかじゃなかった。
蕾ちゃんの夢を見ていなかったら勇人は直ぐに気持ちが悪くなって部屋に即戻り、吐いていただろう。
勇人は藍を起こさなように忍び足で、静かに藍の横を素通りした。
「勇人くん」
後ろから藍の声が聞こえた。
藍の凛とした声に、勇人は止まる。止まってはいけないのは知っている。
だが、勇人は止まってしまった。それは勇人自身なぜ止まったのかは分からない。だけど、体が勝手に止まったのだ。
だから、勇人は後ろを振り向く。
藍はいつの間にか立って勇人の事を見ていた。
勇人は、藍の顔を見る。初めてちゃんと見たその顔は、月光に照らされとても美しかった。
数秒間の静寂が続き、勇人は真剣な顔つきで質問する。
「お前は、四つ葉のクローバーを見つけるのは得意か?」
勇人から出る初めて聞いたまともな質問。そして、まともな言葉。
意味が分からない質問に藍は戸惑う。
藍は「う〜ん」と顔を傾げ、昔のことを思い出そうとしている。
「私は、探しても1週間に1個ぐらいしか見つけれなかったかな?」
藍の答えを聴いた勇人は笑ってしまった。
ああ、やっぱりこいつは蕾ちゃんに似ているのか
それは勇人が認めなたくなかったこと。それを認めたらもっと藍と関わったら気持ち悪くなる。
そんなの当たり前だ。守れなかった女に似ている女が目の前に居たら誰しも昔の事を思い浮かべ、昔に後悔をする。
勇人はその後悔が誰よりも大きいのだ。大きすぎで制御ができない。だから、勇人は吐くことしかできなかった。
後悔することしか出来ないならもっと藍を突き放さなければいけない。
「俺は、お前のことが嫌いだ」
「うん」
「だから、俺に近寄らないで欲しい」
「絶対に嫌」
その分かり切っていた言葉に、勇人はまた思わず笑ってしまう。
もうこれは不毛な争いだと。勇人はもう藍に近寄りたくない、接したくない。だが、藍は絶対に近寄ってきて、絶対に接してくる。
その答えに辿り着いた瞬間、勇人の中で何かが解き放たれた。それをきっかけに何故か心が軽くなる。
「本当に、お前って気持ち悪いんだな」
「気持ち悪くて結構。私は、絶対に勇人君と友達になるから」
一時の静寂。
勇人はもう藍に聞きたいことがなくなった、だからコンビニに牛乳パンを買いに行こうとする。
すると……
「ちょっと、待って!」
藍の言葉を聞いて勇人は階段へ振り向くのを止める。
すると、藍は自分の部屋の扉を開けて自分の部屋に入っていった。
数十秒後、藍は平のお皿を持ってきた。
藍は勇人に近づき、そのお皿を勇人の前にだす。
「お腹空いたんでしょ? これ、私の自信作のお好み焼き」
勇人は無言で、何も言わずにお好み焼きを取る。後で絶対に後悔するだろうその行動。しかし、今は後悔はなかった。
勇人は、藍の横を通り自分の部屋に戻ろうとする。
「明日、また待ってるから」
藍の言葉を聞いて、勇人は部屋に入る。
勇人は机にお皿を置き床に座った。
電子レンジが無いのでそのままサランラップを外し、箸を使ってお好み焼きを口に運ぶ。
「うまっ」
思わず零れてしまった言葉に、勇人はまた笑みを零した。自分が笑っていることにも気が付かないで、自分の心が何故こんなに軽くなった理由も気が付かない。
何故こんなに気持ちが軽くなったのか?
その答えもまた”呪縛”だった。
分かりずらいかもしれませんが、1週間ぐらい勇人は引き篭ってました。