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病葉の隣で  作者: 上葵
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冬への手紙


 四年前に始めたギターも、最近ようやく様になってきた。

 廃工場で暗闇に向かって小さく歌う。

 望んだように弾けるようになると、音楽とともに思い出が甦って来る。

 私が一番始めに弾けるようになったのはイーグルスのホテルカリフォルニアだった。


「できたっ!」

 水曜日は六時間目が無くていつもより早く帰れる。

 十一歳の冬。

 フォークソングブームのときの叔父さんに相棒だったアコースティックギターを借り、彼の好きだった名曲を、苦心の末、ようやくまともに演奏できるようになった。

 はやく叔父さんに披露したくて堪らなかった。これが弾けるようになったら、正式にアコースティックギターを譲り受ける約束になっていたからだ。

 私はリビングで自らを褒め称え、初めてできたセットリストの一曲目を上機嫌に爪弾いていた。何度も何度も欲しかったオモチャを手に入れた子供のように夢中になって弾き続けた。

 腕が疲れて、少し休憩しているときに、叔母さんがパートから帰って来て、郵便ポストから喜色満面で私宛の手紙を持ってきてくれた。

「若葉。あなた宛よ」

「……誰から?」

 叔母は小さく喉をならし、封筒に記載されていた名前を読み上げた。差出人はかつて私が傷付けた友人からのものだった。


「あ……」 

 いつもそうだ。

 なにか良いことがあると、それを打ち消すように悪いことが起こる。


 その場で嘔吐した私の背中を叔母が優しく擦ってくれた。

 忘れたい過去が便箋にはつまっていた。

 大したことのない人生で、それでも私なりに後悔はある。

 小学五年生の残滓。

 私は彼を呪って、そして死のうと思った。

「これは、処分しておくわね」

 叔母の小さな提案を、私は必死に頭を振って拒否した。

「若葉、大丈夫?」

「読む、から……」

 彼のことを思い出そうとすると、どうしてもトラックのヘッドライトが脳裏に浮かぶ。


 衝動で道路に飛び出たら、タイミングよくトラックがやって来て、私をぐちゃぐちゃにしてくれた。助かったと思った。これでもう辛い目に合わなくて済むんだと。

 だけどお医者様が頑張ってくれて、お陰さまで一命を取り止めてしまった。

 罰として右足が不自由になったけど、生きていくことは許された。

 カタワな小娘なんて誰も引き取りたがらないと思っていたが、世の中には奇特な人もいるもんで、叔母が私の面倒を見てくれる事になった。

 感謝してもしきれない。

 だから私は過去を忘れて前だけを向いて生きていけるはずだった。一日中沈んだ顔をしていたら、叔母さんが悲しそうな表情を浮かべ、一緒にお風呂に入ってくれた。髪をドライヤーで乾かしてくれて、「あなたには幸せになる権利がある」なんていうもんだから、心の奥底の勇気を振り絞って、私は過去と相対することに決めた。

 どんな悪口雑言も受け入れよう。彼の謗りは、尤もだ。私は恩を仇で返した恥知らずなのだから。

 夜、ズキズキと頭蓋骨の中で響く頭痛を引き摺りながら、便箋を開けた。手紙にはただ一言。

「ウバメの森にセレビィはいない」

 とだけ、綴られていた。

「え」

 思わず呆けてしまった。なんだこれ。なんの話をしているのだろう。

 表裏とひっくり返してみても、他に文言は記載されていない。

 必死にグルグル考えて、ようやく思い出した。別れ際にやっていたゲームの話だ。

 なんだこれ。

「ふふ」

 思わず笑っていた。他愛のない告白になんだか無性に嬉しくなった。

 私は叔母に返信用の手紙をねだり、筆ペンを持って、返事を書こうとした。

 彼の優しさと無垢な微笑みを思い出す。

「……あっ」

 書きたいことはいくらでもあった。

 伝えたい言葉はいくらでもあった。

 あの頃に戻って笑い合えたらどんなにいいか。身の丈に合わない願望だけはある。

 だけど、私は別れ際、彼に『大嫌い』と言ったのだ。許されることではない。彼が怒っていないって、なに都合のよい自己解釈してるんだ。

 握っていたペンを壁に叩きつけて、枕に顔を埋めて謝罪の言葉をお経のように唱えた。弾んだペンが天井にぶら下がる蛍光灯にあたってリーンと音を立てた。

 そうして私は手紙の返事が出せないまま、憂鬱に沈んでいった。


 一週間が過ぎた。

 私は十二歳の誕生日を迎え、また一つ大人になった。

 学校でははみ出しものでも、誕生日を迎える朝は幸せだ。なにか変わるんじゃないかと期待して、いつも以上に上機嫌になる。

 友人の千紗が迎えに来てくれて、私を介助しながら付き添ってくれた。

 その日、私たちは一泊二日の林間学校(サマーキャンプ)に行く予定なっていた。

 千紗は、転校生の私を労ってくれる唯一の親友だ。足が悪い私をいつも支えてくれる。

 校門には何人かのクラスメート達が集まっていた。それから数分もたたないうちに全員揃い、出席確認ののち、バスに乗り込んでいく。

 ノンステップバスだったが、松葉杖がうまく上げられず、乗り込むのに少しだけ時間がかかった。先生と千紗の補助でなんとかシートについた私は後ろの女子の「またかよ」という呟きに心臓が握りつぶされるような気持ちになって、泣きたくなった。

 気分はいつも浮き沈み。良いことと悪いことは交互にやって来る。

 その日の夜、少年自然の家の固い布団を抜け出して、ラウンジで千紗と一緒に星を眺めた。

 街明かりが少ない郊外は本当に星が綺麗だ。

 未成年でまだ子供だけど、タバコが吸えたらな、なんて不良なことを考えてしまった。保健の授業でその有害性をいやというほど教えられてきたからだろうか。綺麗にまたたく星座を台無しにしたくて、肺を真っ黒にしたくて、早く死にたくて、私はタバコを吸いたいと思った。

 そんな他愛のないことを呟くと千紗は本当に悲しそうに瞳を潤せて「死なないてよぉ」なんて言うもんだから、思わず吹き出してしまった。

「なんで? 私が死んだってなんにもないよ」

 温かな言葉がほしくてわざとぶっきらぼうに煽ったら彼女は泣きながら、

「若葉が好きだからぁ」

 と告白された。

「私も千紗のこと好きだよ」

「違うの。そうじゃなくて……」

「え?」

「……愛してるの」

 言葉がじんわりと胸に浸透していく。

「……」

 予想外だった。

 彼女が私に抱くその感情は、ほとんどの人が異性に抱く恋愛感情に近いものらしい。甘くて切なくて苦いそんな感情。


 千紗のことは嫌いじゃない。だけど、その思いが一定のボーダーを越えることは無いだろう。それはたぶん何年経とうと変わらない。

 真摯に私の事を考えてくれている彼女に報いるため、私もこっちに来てから初めて、自分の事情を打ち明けることにした。


 私は昔、実の母に虐められていた。


 だから、叔母さんに育てられているのだ。

 苛めから救ってくれたのは、私に手紙をくれた少年だった。

 だけど当時の私は浅はかで愚かで無知で寂しがり屋だった。母と私を引き裂いたのが、彼だと逆恨みして、「大嫌い」なんて言ってしまった。

 それから直ぐに自己嫌悪に陥って、車道に飛び出し、骨が砕ける音を聞いた。

 そうして過去を清算し終えた私は心機一転とはいかないでも、こうして新しい土地踏むことができ、千紗と出会った。

 千紗は私の話を聞き終えると、悲しそうに睫を濡らし「その男の子のことが好きなんだね」と呟いた。彼女は話を聞いていたのだろうか、と一瞬だけ呆けてしまった。私は彼を傷付けたのだ。彼に顔を向ける権利はない。

「私にはわかるよ」

 千紗は鼻をすすりながら続けた。

「ずっと若葉の横顔見てきたから、ああそうか、それが恋してる顔なんだね」

 顔面が熱くなった。耳が赤くなる音を聞いた気がした。

 的外れだ。勘違いしている。勘違いしている。目がグルグル回った。

「若葉はちゃんと伝えるべきだよ。言葉にしなきゃ思いは伝わらないよ」

「でも、なんて言っていいのかわからないし」

「いま一番伝えたい気持ちはなに?」

 林間学校で友人に励まされた私は帰ってそうそう、彼に返事を書いた。書き出しの言葉は決まっていた。


『ごめんなさい』


 それから、『ありがとう』。

 大嫌いって言ったのは、嘘でした。

 

 最後にまたお返事もらえると嬉しいです。

 と結びの言葉にして、ポストに投函した。出してからものすごい後悔した。ああ、あそこの文章はもっとこうしたほうが良かったんじゃないか、とか、今さらどうしようもないことばっかり考えた。取り餅があれば、やり直せるのに、とモヤモヤと頭を抱えていたら、赤い車が停まって、ポストの中身を回収して走り去っていった。

 私の手紙はあの人の心に届くだろうか。


 ところで記憶というのは思っている以上に曖昧なものらしい。

 数年後、河川敷を散歩しながら、サマーキャンプのことを懐かしんでいたら、千紗は私の思い出には間違いがあると指摘してきた。

 なんでも告白したときにはすでに,手紙のやり取りをしていた、というのだ。

 すこし考えたが、そうだったかもしれないな、とぼんやりと思うだけで、特に思い出が形成されることはなかった。

 なんにしても、彼から返事が来たのはたしかなのだ。


 はじめの一文は酷くぶっきらぼうで、粗暴だが温もりが溢れる筆致をしていた。

『返事遅えーよ』

 胸が熱くなる。

 夕焼けの竹林。禁じられた遊び。

 あの頃のように笑い合えるようになるまで時間はかからなかった。


 やり取りは一週間に一度ぐらいのスパンで続けられた。小学を卒業して、千紗と別れて、中学に入学してからも、私は手紙を書き続けた。メールやSNSか発達した時代に前時代的なコミュニケーションを用いるのは、なんだが奥ゆかしくて、自分でいうのも、なんだが、……私たちにあっていた。

 学校から帰宅するとポストを開けて、一喜一憂する。下らないと笑われるかも知れないが、遠くに離れて文字だけのやり取りをしているいまのほうが、私は彼の事を強く思うようになっていた。


「お元気ですか?

 私は元気です。こちらは冬の寒さが落ち着いてようやく暖かくなってきました。中学生になってからお手紙を書くのは初めてで、すこし緊張しています。

 入学式では上級生の人たちが、新入生に向けて合唱をプレゼントしてくれました。正直しょうもないな、なんて思ってましたが、気付けば純粋な気持ちで拍手していました。

 歌はいいですね。あなたはなにか好きな歌はありますか。叔父さんの車に乗っているときに古い洋楽ばかりが流れるので最近の曲にはあまり詳しくありません。よかったらオススメ教えて下さい」


 そんな他愛も無いし、中身もない内容だ。

 だけど、手紙の近況報告は中学二年生の冬に途絶えることになる。

 理由は簡単だ、私が嘘をついていたから。


 彼は私が事故に遭ったと聞いて地元(転校前の学校)で、死亡説が流れたと書いていたが、それはあながち間違いではない。


 女としての私は死んだのだ。


 私の顔面には醜い傷が走っている。

 畑の土なら顔を覗かせるダイコンミミズみたいな太くて長い縫い痕だ。

 現在の整形外科の技術をもってすれば、無くすまでとは言わないでも、限りなく傷痕が目立たないようにすることは可能だろう。

 それをしなかったのはお世話になっているおじさんとおばさんに金銭面で迷惑をかけてしまうからだ。それにもうひとつ理由があった。

 この傷はわざとつけた傷だ。

 もう誰からも愛されることがないように。

 傷つけられることがないように、自らを傷付けたのだ。

 トラックに飛び込んで、右足がまともに機能しなくなったあの時、熱くて痛くて堪らなかったが、消えかける意識の底で「たぶん死ぬことはできない」と僅かに悟った私は二度と誰からも愛されないように、自らナイフのように尖ったバンパーで引き裂いたのだ。それが夢かどうか覚えていないが、私の顔には醜い曲線が走っている。

 洗面所で鏡に写る傷痕をそっと撫でる。

 もとの私はなかなか可愛い顔立ちをしていたと思う。自画自賛だが、どうせもう戻ることがないのだ。私はこの傷で女を捨てた。愛されたくないし、愛したくもなかった。

 ただ一人を除いては。

 どうか神様、都合がいいとおっしゃらないでください。圧し殺した本音が、喉元まで込み上げてくる。

 何度読んだともしれない手紙を強く胸に当て、

「好き……」

 だけど、彼の前ではまだ女でいたいと再認識した。

 小さく呟くと、涙がこぼれた。

 手紙でのやり取りで事故の後遺症のことはすべて伏せていた。

 彼は私の右足が不自由になったことも、顔に傷があることも知らない。

 わりと可愛らしかったころの私しか知らないのだ。それならその時の思い出だけを持っておいてもらったほうが幾分も楽な気持ちになる。

 涙が止まらない。

 最後に彼から送られてきた手紙には、『今度の冬休みにそっちに行こうと思う。会えないかな?』とデートのお誘いが書かれていた。

 本当なら行きたいし、一緒に町をぶらぶらしたい。青葉山公園に行って伊達政宗の像をバックに一緒に写真とりたいし、松島をフェリーで巡りたい。

 でもできないのだ。

 いっしょに彼の隣を歩くことができない。

「ううっ……」

 嗚咽が洗面所に響いた。

 過去を引きずる私が彼と歩いたら、彼も後ろ向きの人間になってしまう。前を向いて歩かないと、こけてしまうかもしれないから。


 私は手紙を燃やすことにした。思い出も感傷もすべて無くしてしまおうとと思った。

 親友の手を借りて。

 最後の手紙には、何を勘違いしているのか、古い洋楽のオススメを知りたがっていると解釈した彼のイチオシの楽曲名が綴られていた。

 ホテルカリフォルニアだった。


 ホテルカリフォルニアは哀愁漂うメロディーと叙述的な歌詞で有名になったイーグルスの名曲だ。

 歌詞にはストーリーがあり、読み手によっては様々な解釈が与えられる。


 夜の砂漠を夜通し走っていた主人公は、休憩をとるために小綺麗なホテルに数日滞在することになる。

 享楽的で開放的なホテルカリフォルニアは夢のような場所だったが、ここに留まっていてはダメになると、主人公は出口に向かい走る。だが、外に出ることは叶わず、

 最後、主人公に警備員が告げるのだ。

「落ち着いて。あなたは好きな時にチェックアウトすることが出来る。だけど逃れることは決して出来ないんだ」


 歌詞の和訳を読んだとき、まったく意味がわからなかった。

 インターネットで調べると麻薬中毒者の幻覚やロックシーンの変遷について嘆いているなどと多数の考察が出てきたが、いまいちしっくり来なかった。高校生になってある程度の分別を身につけた今、改めて歌詞を読んだ私は、もしかしたら一種の希死念慮について語っているのではないかと考えた。

 人生のチェックアウトはいつでもできても、過去から逃れることはできない。過去と不幸と哀惜は常に私たちに付きまとっているのだ。

 どうすれば人生楽になれるのだろうか。

 いまだにわからない。


 手紙を燃やしたあと、何日か最悪な気分を引きずった。一人きりになった私にすがるものなんてなくて、何日も泣きはらした。冬休みに入ってからも変わらず、夜眠れなくて、明け方ようやく安心して、眠っては、翌日の夕方に目を覚ます不規則な生活リズムで長期休暇を無為に過ごしていた。思春期真っ只中な中学二年生だ。些細なことが大事であり、私にとって手紙は半身といっても相違ないぐらい大切なものだった。

 何度も燃やしたことを後悔した。

 なんであんなことしてしまったんだろう。

 なにも処分しなくても良かったんじゃないか。返事を書かないだけでいいのに、なんであんなことをしてしまったのだろう。

 後悔先に立たずとはよくいったものである。


 グズグズと最悪な気持ちを引きずったままの私は冬休みを過ごした。

 ある日の夕暮れ時、チャイムの音で起こされた。

 家には私だけらしい。仕方ないので、眠い目を越すって玄関を開けると、彼がいた。

 私と目が合い、人懐っこい笑顔を向ける。

 幻覚かとおもった。夢かと思った、だけど確かに彼はそこにいた。

「はやく返事出せよ」

 私のキズと足を見ても表情を変えることなく彼は言った。白い歯が眩しい。

 遠くの山に沈んだ夕日が私の影を長く伸ばしていく。

「なんで……」

 思わず的外れな事を呟いた私に「住所知ってるから」と呟かれた。人によってはストーカーと判断し恐怖する場面かもしれないが、少なくとも私は彼に会えて嬉しかったし、大声で拒絶すれば二度と彼は現れないとわかっていたから、それをすることができなかった。

「私、顔が……」

「ああ、かっこよくなったな」

 事も無げに彼は言って、あの頃と変わらない笑顔で私に手をさしのべた。

「はやく森崎のオススメスポット教えてくれよ」

「やだ」

「はあ?」

 目頭が熱くなった。彼は昔と変わらないように努めて笑顔を見せてくれている。でもそんなのは紛い物だ。嘘っぱちだ。

 過去は過去で、今は常に進み続けている。

 私は自らの右足を指差して、

「これじゃ、あなたの迷惑になるでしょ」

 ほんとは平坦に気取って言うつもりだったが、むせび泣くように声がしゃがれてしまった。

「なに訳のわからないこといってるんだよ。ほら」

 私の発言に一瞬だけ気色ばむと、彼は私の右手を無理やり掴み、照れたように微笑んだ。

「手を掴むいい口実じゃんか」

 この人、バカなんだな。

 なんて、思うと、自然と私も笑っていた。



 高校三年生になって、再び離ればなれになった私は、ひとりぼっちの廃工場で暗闇に向かって後悔の歌を歌う。

 あの頃は幸せだった。昔は良かった。

 いつしかそんな言葉が口癖になってしまった。

 だから、これは餞だ。

 形のないリズムで、朝を形作るように、私は別れを言葉にする。

 さようなら。

 もうお会いすることもないでしょう。



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