捻くれ少女、恐怖する
――お兄ちゃん。
脳内に優しく響く、妹の声。
鮮明に思い出せるそれはまるで、今も隣に妹がいるのだと錯覚してしまう。
男は頭を振り、目の前のことに集中する。
彼の足元には魔法陣が展開されていた。
「……待っててくれ。――必ず、約束は果たしてみせるから」
古い本に記された呪文を唱える。
――次第に、眩しい光が暗く、湿っぽい部屋を包み込んだ。
光が収まった時、すでに男の姿はなく……彼の持っていた本が、無造作に床へと落ちていた。
開かれたページからのぞく、ひび割れた赤い花弁。
それは世界の運命を表すかのように、チリとなって消滅した――
「勇者さま! 朝で――いえ、もうお昼前です!
ほら、今日はヴェルモンド神殿に行かなきゃならないんですよー!?」
「……うるさい」
耳に響く高さの声に、渋々リタは体を起こす。
夢見が悪かったせいでリタは少し不機嫌だった。
それに加え、頭が痛い。昨日負傷した左腕や脇腹よりも。
(……昨日と言えば、いつ寝たっけ……?)
昨夜、自力でベッドまで来た記憶はない。
頭を捻り、必死に昨日の記憶を思い出そうとする。布団にくるまったまま。
「とりあえず布団から出ましょう、ね?」
「えぇ……。……って、なんであんたがここにいるのよ」
青い髪の少女――コーネリアは、腰に手を当ててため息を吐いた。やれやれだぜ、というかのように。
投げた枕は簡単に避けられ、彼女の口からここにいる経緯が語られた。
ヴェルモンド神殿まで自分たちを案内するよう、大臣に頼まれたらしい。
恐らくサボらないようにするための見張り役なのだろう。あまり信用されていないようだ……。
「観念して起きてくださーい!!」
布団を掴み、抵抗する。
しかし非力そうな見た目にも関わらず、彼女の方が布団を強く引っ張っていた。どこにこんな力があるというのか……。
ついにリタは、布団をはぎ取られてしまった。
「愛しの布団が……っ!!」
「もう! 勇者ともあろう人がこんな時間まで寝るなんて、だらしないですよ?」
「勇者じゃなくていいから……だから、もっと寝かせて……」
一瞬の隙を突きコーネリアから布団を奪い返す。
この温もり、触り心地――なるほど、ここが天国か。
まどろんでいると、上からため息を吐く音が聞こえた。遠慮のないやつめ。
「何時間寝るつもりなんですか……」
「ざっと二十四時間ぐらい? ……何か文句でも?」
「文句しか出てきませんよ!?」
耳をふさいで彼女の声を遮ろうとする。
――しかし、耳をふさいでも鼓膜は震える。恐るべし、コーネリアの声量……。
ふと、見慣れた女顔がいないことに気づく。
どこにいるのか探そうと、部屋を一望しようとした時だった。
扉が開かれたと同時に、腹の虫をくすぐる美味しそうな匂いが漂ってくる。
情けなく鳴ったお腹をさすり、リタは布団を蹴り上げ起き上がった。
「ただいまー。あ、おはようリタ」
「おはよう。ロイよ、命が惜しくばその食事をこちらに寄越すんだ」
「お、脅さなくてもちゃんと渡すから。はい、どうぞ」
「普段めんどくさがりなのに、睡眠欲と食欲には忠実なんですね……」
呆れたような声が聞こえてきたが気にしない。気にしたら負けだと思っている。
今日の宿屋の昼食はシチューらしい。木の器に盛られたシチューには野菜がたっぷりと入っている。
魚介類の方が多く獲れる水の大陸では、野菜が多い料理は珍しい。
美味しい匂いが湯気となり、リタの鼻孔をくすぐる。思わずヨダレが出てしまいそうである。
木のスプーンでシチューをすくう。
ごろりと大きく切られた野菜たちが、まるで「自分から先に食べてくれ!」と言わんばかりにスプーンの上に乗って来た。
供物を食す魔王の如き顔で、リタはスプーンを口へと運ぶ。
最初の一口はジャガイモと玉ねぎだった。
ジャガイモはホクホクと熱く、玉ねぎは噛む度に甘みが広がる。
もしかしたら召集されてから初めて、村を出てよかったと思った気がする。
「ああ……幸せだ……」
「……あの、勇者さま。そろそろ出ないと船に乗り遅れますよ……?」
「……諦めよう、コーネリア。こうなったリタはしばらくの間、元に戻らないんだ……」
リタが完食したのは、それから三十分も後のことだった。
国の運営する船着き場で、魔法の力で動く“魔力船”に乗ったリタたちは、しばし水上の旅を楽しんでいた。
リタはベンチに座り、移りゆく景色を眺める。だがその様子は心ここにあらず、といった感じで。
隣に座るロイから心配するような素振りをされるが、構わず朝見た夢のことを考える。
内容は覚えていないのだが――とても、心を揺さぶられた気がする。
うなるリタは徐々に……面倒になってきたので思考を放棄した。
わからないことをずっと考えるのは得意じゃない。
ちなみに、コーネリアは先ほど、男三人組に話しかけられているのを最後に、それっきり見かけていない。
「間もなくーヴェルモンド神殿~。ヴェルモンド神殿でーございます~」
船内アナウンスが聞こえてくるが、一向にコーネリアは戻って来なかった。
ロイが不安そうな表情で何度もこちらを見てくるので、仕方なく安心させてやる。
「さっき観光客らしき男たちに話しかけられてたわよ。その時に話が盛り上がって遅れてるんじゃない?」
「そ、それってまさか、巷で噂の“ナンパ”!?」
田舎ではまず起きることがないナンパ。
美しい女の周りを複数の男が囲い、無理やり人気のない場所へと連れ込む極悪非道なものだとか。
余計不安になった様子のロイ。安心させるどころか不安をあおっただけのリタだった……。
ロイに強制され、到着時間も迫ってきていたため、リタはコーネリアを捜すことに。
二人は船内を歩き回り、部屋をくまなく探す。
しかしコーネリアは見つからないまま、タイムリミットを迎えてしまった。
「仕方ない、降りるわよ」
「で、でも……」
「あいつも行き先がヴェルモンド神殿だってことわかってるんだし、どこかで会うでしょ」
船を降り、ごたつく船着き場を出る。
少し遠くには、ヴェルモンド神殿と思しき建物が目に入った。
(結構大きいのね。さすが水の国オヴェリアの観光名所……)
「――あれ、勇者さま?」
聞き覚えのある声と呼び方に、リタは振り返る。
予想通りコーネリアが驚いた顔で、こちらを見ていた。
「よかった、コーネリア! 僕、人さらいに遭ったのかと……」
「ほんと、どこ行ってたのよ。ロイがうるさくて大変だったのよ? それに、私の手を煩わせるなんて……」
「後半の方が本音ですよね、それ……」
彼女曰く、観光客にオヴェリアのことを教えていたらつい熱くなってしまい、自分たちのことを忘れてしまっていたそうだ。
申し訳なさそうな顔をする彼女を半目で見る。なんと薄情なやつか。
コーネリアが口を開こうとしたその時、隣の女顔が「リタもコーネリアを置いて行こうとしてたでしょ」と、いらぬことを告げ口されてしまった。
ゾク、と肌があわ立つ感覚に、勢いよく振り返る。
笑顔なのに目が笑っていない、コーネリアと目が合ってしまった。きっとこいつが魔王だ。間違いない。
「勇者さま? 何か言いたいことあればどうぞ?」
「……別――」
「言いたいことは?」
「……悪かった、わよ」
リタの脳内に“コーネリアは危険人物”という認識が生まれた。恐ろしい。
コーネリアから距離を取り、ヴェルモンド神殿までの道のりを歩む。
冷たい空気に耐えながらも、ようやく辿り着いた神殿は壮大であった。
神殿は白い石や柱で作られており、首が痛くなるほど大きい。
そして島周辺は水で囲まれているため水面が輝き、とても幻想的な光景だ。
――そりゃ観光客も多いわけだ。
擦れ違う観光客らしき人たちには男女二人組が多く見られた。……たまに男二人組や女二人組も見かけるが。
三人は花で飾られたアーチをくぐり、中に入る。
部屋の中央には慈愛に満ちた顔で出迎える、女神ヴェネラの神像がまつられていた。
「わぁ……」
その美しさに、リタでさえも思わず感嘆する。
ロイもコーネリアも感動しているようだ。口が開いたままになっており、間抜け面をしていた。
もっと前で見ようとロイが腕を引っ張ったため、ロイを先頭に人混みをかき分け前へと進む。
こういう時には行動力がある男。それがロイである。
「何度来ても感動しちゃいます……」
「ヴェネラ様の神像って結構小さいんだね。僕、もっと大きいのかと思ってたよ」
「大きいと作るのが大変だからでしょ」
「えっ、そんなリアルな理由……?」
「いやいや……。そんなわけありませんからね!?」
コーネリアに「適当なこと言っちゃダメですよ!」と怒られた。ただからかっただけだというのに。
彼女曰く、この神像は等身大の大きさらしい。
自身と同じくらいの身長をした女神が、この大陸を守っているのか……。
「……なんだか不安になるわね」
「何が?」
「この女神サマ、小さ過ぎて弱そうだなと思って」
「罰当たりですよ!?」
この女神相手なら勝てそうな気がしなくもない。なんたって小さいから。
さっさと祈りとやらを済ませようとして――ふと、気づく。
(……どう祈ればいいんだ?)
ロイを見れば同じくわからない様子。コーネリアを見れば――
「おい、なんで目をそらす、オイ。こっちを見ようか、コーネリアちゃん?」
「痛い、痛いです勇者さま……。正直に言いますから、頭グリグリだけはやめてくださぁい……」
解放してやると、涙目になったコーネリアは頭をさすりながら「忘れてしまいました」と正直に白状する。案の定だったよ。
祈りの方法は神官が知っているらしく、コーネリアの案内で神官の部屋まで向かうことに。
神官の部屋である、金縁の扉の前に立つ。
そして誰がノックするかということでしばし討論。
結果、コーネリアが代表に選ばれた。
コーネリアは扉を数回、ノックする。
しばらくしてから出て来たのは、眼鏡をかけた老婆の神官だった。
「あの……僕たち、聖なる力を授かるため、神像に祈りを捧げに来たんですが……」
「……もしかして勇者様ですか?」
「不本意ながらそうね」
「お、怒られちゃいますよ勇者さまっ!」
コーネリアには叱られ、ロイには口をふさがれた。洞窟内での恨み、今ここで晴らしてやろうか。
ロイの手を噛もうと考えるリタをよそに、神官は顔をしわくちゃにさせて笑う。
思わず毒気が抜かれる笑みだ。
「女神ヴェネラ様……我らの希望、勇者様がお越しくださいました。ああ……ありがたや、ありがたや……」
天に祈りを捧げる神官に、リタは少し引いてしまう。
ここまで女神を崇拝する相手に会ったことがない。
「それでは実際に、私が御神体の御前で祈りを捧げますね」
リタたちは神官の案内でまた神像の元へと向かう。
神像の前に着くと神官はその場にひざまずき、胸の前で手を組む。
そして、彼女が祈りを捧げようとした時――
神殿の一部が破壊された。
ガレキが飛び散り、土煙が立つ。
わめく観光客が、我先にと出口へ押しかける。
それはまるで、せき止められたダムが崩壊したかのような勢いだった。
「みなさん、落ち着いてください! 慌てず、ゆっくり避難を!」
血相を変えた神官が、観光客を落ち着かせようとするがあまり意味をなさない。
身動きの取れない状況に、リタは舌打ちを打つ。
こんな状態で誰かに襲われようものなら、抵抗できずにやられてしまいそうである。
――その時、後ろから悲鳴が聞こえた。
まるで信じられない、という声色。
リタは声の持ち主の神官へと振り返る。
目を見開いた神官は部屋の中央を、凝視していた。
「そ、そんな……! 御神体が……!!」
先ほどまであったはずの神像が――消えていた。
泣き崩れる神官を、ロイとコーネリアが支えるのを横目に、リタは周囲を確認する。
犯人らしき姿は見えないことから、もう逃げたと思っていいだろう。
「……なんでこう、面倒事が起こるかねぇ」
誰にも聞かれないよう呟いた言葉は、哀愁に満ちていた。
黄昏ていると、少し立ち直った様子の神官にすがりつかれる。
彼女に神像を取り戻してほしいと懇願されるが、正直関わり合いたくない。
しかし、ロイとコーネリアがやる気満々のようだ。
「……敵の人数がわからないのに、たった三人で挑むつもりなの?」
「大丈夫です! 援軍を呼びに行きますから!」
(確かにあんたの美貌があれば、そこら辺の男どもがホイホイ着いて来そうだわ……)
違うことを考えていると、ロイに肩を揺らされたことで現実へと戻ってきた。コーネリアより威力は弱いものの、酔いそうだ。
なんだこいつ、コーネリアの真似か。二人して私を殺そうって腹なのか。そうか、それならこっちにだって考えが――
「リタ、行くよ!」
「勇者さま、行きますよ!」
現実逃避しているリタの両腕を二人は掴み、引きずって行く。
リタは心底思った。
こいつらとやっていける気がしない!! と……。