ロリ顔少年、助けられる
目の前には一体のゴブリン。
攻撃手段のないロイには、逃げる選択肢しかなかった。
「どうして、僕はいつも……」
――逃げてばっかりなんだろう。
棍棒を紙一重で避け、右手にあった分かれ道へ転がり込む。
涙を拭うことさえせずに、ロイはひたすら走った。
後ろからは“死”が刻一刻と迫っている。
「ハァ……ハァ……!」
足が棒になったみたいだ。
体力のない体は少し走っただけでも大量の汗が吹き出し、頬を伝う。
足音が先ほどよりも大きく聞こえるのは、気のせいではないのだろう。
傷を負っていたというのに、囮になってくれたリタのためにも、必ず逃げなければならない。
『今さら自分が足手まといだって自覚したの?』
『あんたを守って戦うのはきついの!』
「……っ」
胸がズキズキと、痛む。運動不足のせいなのかはわからないが……涙が次々と溢れていた。
長年一緒にいたというのに、どうしてリタの気持ちに気づかなかったのか。
彼女の、お荷物になっていただなんて。
きっと僕に、涙を流して悲しむ資格など――ない。
「あっ」
考え事をしていたせいで、ロイは石につまずいた。
顎を強打し、水が顔にかかる。
顎を擦りながら、水を袖で拭ったが……湿っていた袖では何の意味もなさない。
今日はよく体をぶつける日だな、と現実逃避する。
しかしそれは、背後から足音がしなくなったことで止められた。
振り返ると……血走った目のゴブリンが自身を見下ろしていた。いつの間にか三体にまで増えている。
来ないで、と呟いても相手は魔物。言葉が通じるわけもなく。
棍棒が、振り上げられた。
「う、うわああああっ!!!」
頭を抱え、目をつぶるが――衝撃は一向にやってこない。
恐る恐る目を開けると、鮮やかな青髪の少女がゴブリンの棍棒を受け止めていた。
その手には両刃の剣が握られている。
どこかで見たことあるような少女は棍棒を弾き、隙だらけの腹を斬り裂いた。
鮮血が飛び散り、彼女を濡らす。
汚れることに構う様子もなく、彼女は残り二体のゴブリンへ剣を振るうのだった。
それはまるで剣舞のようで、とても力強く、美しい。
見惚れている間に決着がついたらしく、「あっ!」という少女の声でロイは我に返る。
「あなた、もしかして昼間の……?」
「……あ、僕がぶつかっちゃった人かな……?」
彼女は前方不注意のロイがぶつかってしまったというのに、何度も謝罪してきた少女だった。
昼間のことを謝罪し、名前を呼ぼうとして――名前を知らないことに気づく。
彼女もどうやらそれに気づいたようで、向こうから名乗ってくれた。
コーネリアというらしい。覚えるために何度も復唱する。
「あなたのお名前は?」
「ぼ、僕はロイっていいます。助けてくれてありがとう」
微笑むと、何故か赤面される。熱でもあるのだろうか。
心配するロイに、コーネリアは何でもないと言い張る。
首を傾げるが、今はそれどころじゃないということを思い出した。
この間にも、リタが危機に陥っているかもしれないのだ!
それを必死に説明すると、彼女は何かを思い出すようにうなっていた。
「リタ……? 金髪の人、ですか?」
「うん! 僕を逃がすために、囮になってくれて……怪我も、してるんだ……」
「そうなんですか……よし、一緒に捜しましょう!」
「え、いいの……? 君も候補者でしょ……?」
大丈夫ですよ、と笑う彼女に涙が溢れる。
突然泣き出したロイにコーネリアは慌てているようだった。
涙を乱暴に拭い、ロイは腹をくくる。
「あの、二手に分かれて捜そう」
「えっ……でも、ロイちゃんは攻撃手段がなさそうですが……」
途中引っかかる言葉はあったが、それより今は、一刻も早くリタを見つけるのが先決だ。
ロイの覚悟を感じ取ったのだろう。彼女は頷き、また会うことを約束して走って行った。
彼女を見送ってからロイも走る。
体力は完全に回復していなかったが、やるしかない。
逃げて来た道を戻る。今度は助けるために。
荒い息と水を切る足音だけが、洞窟内に木霊するのだった。
何十分走っただろうか。いや、もしかしたらほんの数分しか走っていないのかもしれない。
呼吸を整えるため、ロイは立ち止まった。
あたりに魔物の気配はない。
「……リタ、どこに……」
思わず呟いた言葉は、腕を引っ張られたことで遮られた。
ゴブリンか!? と叫ぼうとするロイの口を、誰かの手がふさぐ。
動かせる目だけであたりを見る。
明かりが灯されておらず、暗いことから小部屋か何かなのだろう。
もしかしたら魔物の巣かもしれない。
(僕、ここで死んじゃうのかな……)
諦めて目を閉じると、聞き慣れた声が鼓膜を揺らす。
聞きたかった、彼女の声。
どこにいるのか叫ぶために、口をふさぐ手に噛みつく。
頭上から、何故か彼女の声が聞こえた。
手がどかされ、間抜けな声が漏れるよりも早く。
頭に隕石が落とされたような、すさまじい威力の拳骨を食らわされた。
この威力は、間違いない……。
「り、リタ……生きててよかった、よ……。とてつもなく頭が痛いけど……」
「私は噛まれた手が痛いけどね。
……ったく、せっかく助けてあげたっていうのにひどい仕打ちじゃない? 恩を仇で返すとはまさにこのことね」
「ご、ごめん……まさかリタだと思ってなくて……」
治癒魔法を唱えようとして――顔から血の気が引いていくのがわかった。
彼女はノースリーブの服を着ているため、見えてしまったのだ。とても痛々しいアザを。
幸い腕は折れてないようだが、リタ曰く「使い物にならない」らしい。
治癒魔法は表面上の傷しか、治せない。
怪我した時の痺れや、病気は治癒することができないのだ。
「もう少し早く、駆けつけられてたら……っ」
「別に、あんたのせいじゃないし。それよりさっきの悲鳴は何だったのよ」
「う、うん。えっと――」
「ブゴァアアア!」
魔物の咆哮に、空気が張り詰める。
まだ遠いようだが、足音は確実にこちらへと近づいている。
「……私が行くから、あんたはここで隠れてなさい」
「でも、リタ一人であいつらと戦うの!?」
「呼ばれていなければ、残りはあいつ一体のはずだから。……私を信じられないの?」
安心させるように微笑むリタに、嫌な予感がする。
剣を握りしめた彼女は、小部屋から出て行こうと立ち上がる。
彼女を止めるために伸ばした手は、空を切った。
*****
正直言って、勝ち目があるかどうかはわからない。
利き手ではないにせよ、左手は思うように動かせない。水の染み込んだ靴は重枷となり、リタの動きを制限する。
そして、後ろにはロイが隠れている。
村で一番強いリタでも、ここまで不利な状況には遭遇したことがない。
相打ち覚悟で、リタは目の前のキングゴブリンを睨む。
「私みたいな捻くれた女が生きるより……あいつが生きた方が、村のやつらもきっと喜ぶわ」
人目を忍び、治癒魔法で村人を助ける姿を、遠くからよく目にしていた。
私にバレれたら怒られる、とでも思っていたのだろう。
「本当に、馬鹿なやつよね……私なんかに構ってなけりゃ、今頃人気者になれただろうに」
横に薙ぎ払われた斧をジャンプして避ける。
そしてがら空きの頭へ剣を振り下ろした。
だが、キングゴブリンに避けられてしまったため、剣は頭ではなくそいつの左腕を斬った。
満足に動かせなくなった左腕に、怒り狂ったキングゴブリンは力任せに斧を振り回す。
冷静さを欠いた攻撃など、避けるのは簡単だ。
――そう、思っていたのだが。
「……なっ!」
重すぎた靴は簡単にバランスを崩させた。
尻餅をついたリタに、キングゴブリンは好機とばかりに迫る。
醜い見た目に荒い吐息。それがすぐそこまで迫っているというのにリタは動けなかった。
背後からロイの声が、聞こえたから。
時間を稼ぐためにも、逃げ出してはダメなのだ。
震える足で立ち上がり、目を見開いて斧を見つめていた。
これを避けることはもう、無理だろう。
「リタァァアアア!!!」
最期に幼馴染の声が聞ける私は幸せ者なのだろうな、と構えていると。
胃を掴まれたような圧迫感を、腹部に感じた。
ごふ、と息が漏れ、酸素を取り込もうと口を開けた時。
顔はおろか、体中が水浸しになる感覚。もちろん、口を開けていたので口の中に水が入ってきた。
「グフッ!?」
「り、リタ!? 生きてる、大丈夫!?」
「……さっさと私から降りろ馬鹿ロイがァァアア!!」
殴り飛ばした後、口の中に入った水を吐き出す。
キングゴブリンの方を見れば、壁に斧が突き刺さったようで、必死に引き抜こうともがいていた。
一応、ロイに助けられたらしい。礼はまあ、こいつを倒せば十分だろう、と勝手に決めつけ剣を薙ぎ払う。
頭に直撃した斬撃で、確実に仕留められると思っていたのだが……結構しぶといようだ。
血を吐きながらも拳を振るうキングゴブリン。
避けるのは、簡単過ぎた。
「……もう、死になさい」
心臓に、剣を突き刺す。
ゆっくりとキングゴブリンは地に倒れ……そのまま動くことはなかった。
「や、やった! すごいよリタ!」
「ふん、当たり前じゃない。……それよりロイ、どうして逃げなかったの」
言葉を詰まらせるロイ。どうしてこいつはこんなにもお人好しなのか。
親に叱られた子供のように、落ち込むロイを見るとなんだか調子が狂う。
きっと自身の言葉と、先ほど出会った連中の言葉を気にしているのだろう。
――確かにまあ、少し言い過ぎた。元はと言えば、言葉を遮ったゴブリンたちが悪いのだが。
私はいつの間にか、プテラの風弾を食らっていたのだろう。柄にもない言葉を、つい口にしていた。
「あんたはどうしようもないバカで、お人好しだわ。……だけど、バカみたいな優しさを持ってるのは世界中探してもあんただけよ。
もっと自信、持ちなさいよ。男の子でしょ」
その言葉に、ロイは顔を上げる。
なんだか顔が熱い。動きすぎたせいだろうか。
徐々に輝きを取り戻す彼を見て、リタは恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「とりあえず、さっさと宝石を回収しに行くわよ。
番人は倒したのに宝石は取られてました、ってオチは全然面白くないしね」
「うん!」
アクアマリンまでの道を辿り、十字路に差しかかった時。
左側の道から青髪が舞う。
「あ! ロイちゃん、こんなところにいたんですね!」
知り合いか、とロイに聞くよりも早く、少女が大きな声を出す。……耳に響いて痛い。
何故か赤面した彼女はリタから距離を取る。
どこかで見たことのある、この対応。
「昼間、僕がぶつかっちゃった子だよ。彼女はコーネリア。
コーネリア、こっちは僕の幼馴染のリタだよ」
「ああ……助けてやったのに、礼も言わずに去って行った……」
「そ、その節は誠に申し訳ございませんでしたっ!!」
一度受けた仇は忘れない。リタはそういう少女だ。
何度も謝る少女を見て、確信した。
コーネリアは、いじりがいのある人間だと。
「ほらほら、とっとと宝石を回収しに行くわよ」
アクアマリンが他のやつらに取られていないことを祈って、台座までの道のりを歩む。
まあ、もしも……他の誰かが取っていたならば――
「ぶっ潰して奪えばいいよね」
「急に何言ってるの!?」
二人の後ろでは、コーネリアが苦笑いを浮かべていた。