リア充にごはんをあげなくてもリア獣になるかもしれない状況?
途中で視点が変わりますのでご注意を…
「うがー! 全然駄目だろ! 何考えてるんだ、俺は!」
深夜の厨房に俺の叫びが響く。
夜食は作り置きをフロント横の保管庫に置いてあるので、この時間に厨房が動くことはない。
なのになぜ俺が厨房にいるのか?
それは俺の料理長権限で使えるようにしたからだ。
現在、新作料理の試作中だ。
「桜君、君を正式に料理長に任命する」
先日、支配人からいきなり言い渡された。
それだけならいい、肩書なんざ大した意味がないからな。
問題はその後だった。
「新料理長の作った新しいフルコース、今度のキャンペーンの売りにします」
何の相談もなかった。
この人はいつもそうだ。
前任の料理長の腰の状況が芳しくなく、現場復帰の目途がたっていないので、俺が『代理』から正式に昇格したわけだ。
「あなたのセンスに期待しますよ?」
そうやって余計なプレッシャーをかけやがる。
全く…最近は他のホテルもレベルが上がってきてるし…
料理長ってのは大変だよ、全く。
「おはようッス………あれ? 何でこの時間に開いてるッスか?」
そんな溝口の声で目が覚めた。
どうやら味の組み合わせを考えているうちに寝落ちしたらしい。
コンロの火を落とした状態で助かった…。
「誰かいるんすか………うわ! 先輩? 何してるんすか?」
「何って…見りゃわかるだろ。新メニューの開発だよ」
「…顔中にご飯粒つけてどうやって開発するんすか?」
ジト目で指摘する溝口に、慌てて鏡を見る。
どうやら試作したリゾットに顔を埋めていたらしい。
冷めた状態で本当によかった…。
窒息しなくて本当に良かった…。
もしそれで死んだら「死因はリゾットで窒息」とかニュースで言われる…。
それだけは断固回避したい。
「あー…ここんとこ試作につきっきりで睡眠不足なんだよ」
「あんまり無理しないでほしいっすよ? 先輩…じゃなかった、料理長がいなくなったらウチは回らないんすから」
…何だろう。
こいつなりに気遣ってくれてるんだろうけど…
どこか違和感がある。
なんかこう…少し距離が出てきたような感じがする。
俺の考えすぎか?
「以上が今日の仕入れ担当からの連絡事項だ。他に質問はあるか?」
「デザートからですが、フルーツの高騰の影響が出てます。今まで通りの量を使っていたら赤字になりそうです…」
「…デザートの素材の品質を落とすわけにもいかないだろ、デザートはそのままでいいぞ。仕入れ担当には俺からも言っておく。場合によっては直での仕入れも視野に入れてもらうとしよう」
いつもの打ち合わせでの高津の発言だ。
確かに最近の天候不順のせいで果物が高騰してる。
だが、そんなことはどうでもいい。
やっぱり違和感がある。
何なんだよ、これは。
いまいち実態が掴めなくて苛々する。
「こんな仕上がりで客に出すつもりか! 舐めてんのかテメエ!」
「は、はい! すみません!」
前菜担当の出した皿がふと目についた。
何だよ、その盛り付けは。
ただカット野菜を皿に乗せただけのもので金なんざ取れるか!
もう少し考えて料理作れっての。
「せんぱ………料理長、ちょっと厳しすぎじゃないっすか?」
「いいか? 料理ってのは盛り付けも大事な要素なんだよ。ここは居酒屋じゃねぇんだ。それなりに高い金取る以上、見た目でもしっかりと満足させなきゃならねぇんだよ」
「そりゃそうっすけど…」
何でこう苛々してる時に限ってこんなふざけた真似をしてくれるんだよ。
もう少し考えてくれよ、全く。
【溝口視点】
「日吉さん、桜少しおかしくないですか?」
「そうっすよ、前から厳しかったっすけど、最近はなんか怖いっす」
アタシと高津さんは先輩のことで日吉さんに相談しにきてる。
最近の先輩は…なんかおかしい。
料理長を正式に任されてから、少しずつだけど…。
それに、先輩が料理を試作するのは前々からあったけど、そこで寝てしまうなんて今までになかった。
「…わかった、後で話してみる」
「「 お願いします 」」
日吉さんは先輩が頭が上がらない人の1人だ。
この人の言葉なら先輩も耳を貸すかもしれない。
最近は厨房の雰囲気も悪くなってる。
そんな空気の中で作った料理に気持ちなんか乗るわけない。
口ではどんなに悪く言ってたって、先輩の料理に対する思いは真直ぐだった。
でも、今の先輩はそんなことも気付かなくなってる。
このまま悪い方向に進んでしまうんじゃないかって考えると…
立っていられないくらいに怖い。
先輩のことを支えたいのに、それができない。
不安に負けてしまいそうになる。
先輩…どうしてしまったの?
「…………………」
「…………!」
営業時間が終わった後、先輩と日吉さんが別室に籠って話し合ってる。
アタシ達は廊下で聞き耳を立ててる。
そりゃ心配にもなる。
先輩はウチの料理長で、他のホテルからも一目置かれる実力の持ち主だ。
昔は料理コンテスト荒らしみたいなことをしてたらしいけど、そのことを聞いてもはぐらかされた。
本人曰く『黒歴史』らしいけど…
と、唐突に扉が開いた。
「…何してんだよ、お前等。さっさと仕込みに戻れ! 」
先輩の怒鳴り声…あんまり変わってないような…変わっているような…
「どうなんですか、日吉さん?」
高津さんが日吉さんに話しかける。
でも、日吉さんの顔は険しいままだ。
…てゆーか、日吉さんはいつも険しい顔してるからいまいち判別できないけど…
「…とりあえず、今すぐにあいつがどうこうできる状態じゃないってことだけはわかった」
「…どういう事なんですか?」
「今は説明してる時間はない。…溝口」
「ひゃ、ひゃい!」
いきなり日吉さんに名前を呼ばれて吃驚した。
返事を噛んじゃったよ…
日吉さんと話すことなんてほとんどないから…
「桜から目を離すな。お前はまだ厨房内での役割も少ないから動きやすいだろう」
「…わ、わかりましたっす…」
何だろう、意味がわかんない。
よく見て覚えろってことなのかな?
それならいつもしてるけど…
結局、不安だけが残っちゃった。
嫌だよぅ、こんな状態で仕事なんてできないよう…
【桜視点】
「おい、このソース味が薄いんじゃないか?」
仕上がりのチェックをして気付いた。
色合いは問題ないし、材料の分量も問題なかったと思うんだが…
「それにこの肉、味が無ぇ。何だこれ? もう一度見直ししろ」
「…ですが、これは昨日料理長がOKを出したものをそのまま再現したんですよ?」
「んなこたぁ分かってる。それでも味が違うんだから見直せって言ってるんだろ!」
どうにも苛々する。
何でこうもイメージ通りに進まないんだよ!
おまけに身体も重くてどうにもならない。
俺の包丁はこんなに重かったか?
調理台までの距離がやけに遠く感じる。
自分の身体だという感覚が全くない。
あれ? この厨房にこんなに人数いたっけ?
いつもの3倍くらいの人数じゃないのか?
何してんだよ、多けりゃいいってもんじゃないだろ?
…段々、暗くなってきた…
照明が切れてるのか…
設備部に文句言っておかないと…
劣悪な環境じゃ腕前だって上達しないだろ…
これじゃ、いつまでたっても…
おい、真っ暗だ…
こんな悪戯するんじゃねぇ…
今は大事な仕込み中だろう…
大事な…
…………
………
……
…
【溝口視点】
先輩が自分の調理台に向かう。
でも、足取りが一定じゃないみたい。
「!?」
いきなり先輩が崩れ落ちた。
何?
どうして?
考えが追いつかない。
「桜! しっかりしろ!」
日吉さんがその音を聞きつけて駆けこんできた。
手早く調理服の襟元を開ける。
先輩の顔は蒼白だ。
日吉さんの呼び掛けにも反応しない。
死んじゃう。
先輩が…死んじゃう。
身体の震えが止まらない。
嫌だ。
こんな終わり方は絶対に…
結局、先輩は救急車で搬送された。
付き添いには綱島さんが付いていった。
アタシ達には…レストランの営業があるから…
いくら先輩が倒れたといっても、予約してくれたお客さんには何の関係もない。
「とりあえず今週のメニューは全部決まってるから心配はない。随時指示を出すから、試作の時の段取り通りにやれば問題ないはずだ」
日吉さんが臨時で厨房を取り仕切る。
「お前等は料理人だ。予約してくれた客を捌いて当然だ。今はそれだけを考えろ!」
普段は物静かな日吉さんの檄に皆の表情も変わる。
そうだよ、これでお客さんに愛想つかされるわけにはいかない。
アタシに出来ることは少ないけれど、しっかりと自分の仕事に専念しないと…
「料理長は過労だそうだ。3日ほど休養すれば退院できるらしい」
営業時間も終り、片付けを済ませると皆がホールに集まった。
綱島さんから連絡を受けた日吉さんの説明に、皆が胸をなでおろす。
でも、そこに続く日吉さんの言葉に、頭から血が引くような気がした。
「料理長がこのレストランを辞めるかもしれない」
「どうして! 何でアイツが!」
高津さんの感情むき出しの声。
それ以外の人たちも、不安げな声を漏らす。
アタシだって不安だ。
何で先輩が辞めるの?
「どうして…だと? お前等、桜にどれだけ負担をかけてるか自覚ないのか?」
冷静に言葉を連ねる日吉さんに、誰も反論できない。
「確かにあいつは凄腕だ。だがな、お前等の意識があいつに追いついていない。腕前で追いつけなんてことは無理だが、せめて意識だけでも追い付こうとしていたか?」
確かに先輩は凄い。
今も時々、他のレストランから引き抜きの話が来てるらしい。
「それは…アイツが天才だから…」
「あいつはそんなもんじゃない。地道に経験を積み重ねてここまで来たんだよ。どんなメニューにも一切手を抜かない真剣さでここまできたんだ」
そうだった。
先輩は料理に関しては常に真剣だ。
自由気儘な振る舞いに隠れて誰も気付いてないけど。
「あいつは仲間を大事にする奴だ。だがな、あいつが料理長になった以上、効率の悪い料理人を切り捨てなきゃいけない時が来る。あいつはそれを防ぐために、お前達でも出来る1ランク、いや、2ランク上の料理を開発しようとしてるんだ」
アタシはデートだと思っていたけれど、先輩はアタシを連れて色々な店に食べに連れていってくれた。
『お前等みたいな若手こそ、様々な美味いものを食べて勉強しなきゃいけないんだよ。味の経験値を溜めることで、自分の味の表現力も上がっていくんだ』
あの時は年上の説教くらいにしか考えてなかったけど、アタシ達のことを考えていてくれたんだ…
なのに、アタシ達は全然成長してない…
先輩にそのフォローさせて…そのせいで…
「アタシらが…駄目なんすね……」
「何が駄目なんだよ! 俺達はよくやってるだろう!」
アタシの呟きに、一部の人たちが反論してくる。
言い返そうとしたとき、日吉さんが静かに口を開いた。
「それを決めるのは俺達じゃない、お客さんだ。そこまで言うなら明日のメイン、お前に任せるから好きに作っていいぞ」
「あ…いや…その…」
この人たちには無理でしょ。
先輩の考えたレシピをただ作ってるだけの人たちだから。
そう考えると、口の肥えた一癖も二癖もあるお客さんを満足させる料理を考える先輩の凄さが際立つ。
「あいつがここのところ苛立っていたのは、使えない料理人だとあの支配人が判断してしまう前に、お前達の技術の底上げをしたかったんだよ。お前達の誰よりも、必死だったんだよ。それを理解してた奴がいるのか!」
日吉さんが涙を滲ませながら、低く通った声で自身の思いを吐露する。
アタシだって知らなかった。
そんなことを先輩が考えていたなんて…
「…俺達はどうすれば…」
「そんなことを他人に頼るな。この答えすら出せないようなら、本当に不要な人材になり下がるぞ」
日吉さんが前掛けを外して厨房を出て行こうとする。
「どこ行くんすか?」
「もちろん、桜のところだ。あいつのことは親父さんが生きてたころからの知り合いだからな」
「アタシも行くっす!」
「それなら、お前の自慢の一品を作ってこい。あいつのことだから、病院食は不味いとか言ってそうだからな」
日吉さんの背中を見ながら、アタシは考える。
アタシの自慢できる料理といえば…
アレしかない。
先輩が初めて褒めてくれたアレを…
「よっし、やるっすよ!」
まだ皆が呆然としている中、アタシはコンロに鍋を乗せた。
「全く…みっともない姿をみせちまったな」
「心臓に悪いですよ。もっと自重してください」
綱島の棘のある口ぶりに、肩を竦めてみせる。
今俺がいるのは病室のベッドの上だ。
結局、慣れない『料理長』の肩書きに連日の睡眠不足、そして風邪。
色んな要素が絡み合って『過労』になってしまったらしい。
「…大丈夫か?」
「日吉さん、面倒かけちまったな」
「何言ってる。自分の体調も管理できない奴が偉そうに言うな」
「…それを言われると言葉がない」
日吉さんとは親父が生きてた頃からの知り合いだ。
親父の店によく食べにきてくれてた。
親父が病気で亡くなったときも、色々と世話してくれた。
「厨房の方はきちんと回ってるから心配するな。今はしっかりと身体を労われ」
「でも…味の質が…」
「うちの連中の底力を舐めるなよ? お前の無茶振りに何とかついてきた奴等だぞ?」
「…そうだな、たまには任せてみるか」
寝転んで無機質な天井を見上げる。
ずっと付いててくれた綱島の話だと、俺は昼過ぎの仕込み時に倒れてから、夜10時くらいまで寝ていたそうだ。
こんなにぐっすりと眠ったのはいつ以来だろう。
左腕に刺さったままの点滴のチューブが邪魔だなぁ。
「それはそうと、ここの病院食は不味い! 栄養のバランスを重視しすぎて味付けが疎かになってやがる」
「お前は…やっと元気になったと思えばそれか…」
「それかって…それは大事だろう。食は生命維持の根源だからな」
俺の力説する姿を見て、日吉さんと綱島が苦笑いしてる。
不味い飯は生きる気力を根こそぎ奪い去る。
もっと美味い飯を食べさせれば、病気なんざすぐにも治りそうだが…
「そう言うと思って差し入れを持ってきたぞ」
「日吉さん、いい仕事してる!」
「作ったのは俺じゃないがな。おい、入ってこい」
日吉さんに促されるようにして病室に入ってきたのは…鍋を持った溝口だった。
「ほう、これは『粥』か。しかも『中華粥』か」
「はい、先輩の身体に負担をかけないものがいいかなと思ったっす」
鍋の蓋を開けると、スープの優しい香りが鼻腔をくすぐる。
この香りからすると、トリガラと玉ねぎ、にんじんに、あとは…
「へぇ、金華ハムをダシに使ったのか、いい着眼点だ。若干焼き目をつけて香ばしさも出してる。ハム類は短時間で味が出る反面、煮出しすぎるとエグみも出るんだが、そのタイミングもぴったりだ」
「…全部言い当てられちゃったっすよ…」
愚痴る溝口を放置して、『粥』を一匙掬って口に含む。
柔らかく炊き上げた米粒は口に含んだ瞬間にその形を崩す。
崩れた米粒はペースト状になって、スープと混ざり合って絶妙な味を醸し出す。
「…うん、美味い。また腕を上げたな、溝口」
「ほ……本当っすか?」
「ああ、俺はお世辞を言うのは苦手だからな」
こいつの成長の早さは驚きだ。
俺が調理師学校を卒業したのは今のこいつと同じくらいの歳だったが、その当時に同期でこの味を出せた奴はいなかった。
「…もしそうなら…それは先輩の為に作ったからっすよ…」
「…え? 何か言ったか?」
「な、何でもないっす! それよりも、しっかりと休養してほしいっす。もっともっと色んなことを教えてほしいっすから」
「おう、心配かけてすまんな。びしびししごいてやるから覚悟しておけよ?」
「…そんなことだから、未だに独身なんすよ?」
「まずはお前らを一人前にすることが大事だからな。もしもの時はお前が貰ってくれるんだろ? 尤も、料理の腕と胸のサイズが今のままじゃ見向きもしないけどな」
俺は美味い『粥』を食べて気分が良くなったせいか、自然と笑顔が出た。
こいつがこんなに腕を上げていたなんて…
もう少し皆を頼っても…いいのかもしれないな。
(弱ってるところは狙わないっすよ…ちゃんと認めさせてあげるっす)
溝口のそんな呟きは、味に満足していた俺には聞こえなかった。
俺はこのとき、全く想定していなかった。
溝口の覚悟も、信じられないほどの料理の腕の成長率も…
そして………信じられないほどの『胸』の成長率も…
「身体を温めないと駄目っすよ…」
次の冬、風邪をひいた俺を、色々なところが驚異的成長を遂げた溝口が献身的な看病をするようになることを…
「…美味しいものを食べないと駄目っすよ?」
そう言われながら、溝口を美味しく頂くことになってしまうことを…