大好きな幼馴染に嫌われた陰キャ令嬢は、隠して生きるのをやめました――今さら婚約を申し込まれても、十年の恋はもう終わりましたので……
「ねえねえ、ミネルバ。レイ様に贈るなら、どちらがいいと思う?」
大好きな幼馴染のアイル様が、二本のリボンを私に見せた。屈託のない笑顔。
私は赤い薔薇の模様の方を指した。
「……こちらが、お似合いになると思います」
「そう? じゃあ、これにしよう。流石、僕の幼馴染だね、ミネルバ!」
私も笑った。この胸の苦しさには、もう慣れていた。
私、ミネルバ・セピアは、十年前からずっとアイル様が好きだった。
人気者の伯爵令息なのに、引っ込み思案な私にも、いつも話しかけてくださる。
手を繋いで登校するのが当たり前だった。
彼に好きな人が出来ると、私は相談相手になった。
『ミネルバも一緒に来てよ。君がいた方が話しやすいし』
『誰とも結婚できなかったら、君にお願いしようかな』
『あいつと別れたんだけど、君の悪口言うんだよ? ムカついちゃったよ』
私たちは恋人ではない。だから、嫉妬なんてしてはいけない。
でも、友人としては距離が近すぎる。
「でね、レイは魔法剣が得意なんだ」
レイ・ルージュ。一つ上の先輩で……アイル様の新しい、二十八番目の彼女。
「……レイ様って、強いんですね」
「ああ。配信決闘で十五連勝だよ。今度は捕獲竜の公開討伐にも出るんだって」
前に、剣を振るう女の子は怖いと言っていたのに。
口には出さなかった。アイル様が私の手を取る。
「やばい、遅れちゃうぞ! ほら、俺につかまって! 転ばないで!」
なんで、こんなに魅力的に見えるんだろう。
***
その日の昼休み、レイ・ルージュ様が私の教室へ来た。
赤い髪をした美しい方。水晶配信では《薔薇の魔剣士》と呼ばれている。
水晶端末を通して、強者同士の決闘が見られる水晶配信。
レイ様は、新しい配信団体『ナイトランカーズ』のトップランカーだ。
「あなたがミネルバですわね? アイルが、いつも話していますわ」
「え、ええ……」
縦巻きロールが鋭角的で、とても攻撃的に見える。帝都の最先端のファッション。
顔に当たらないように手で払う。
「幼馴染だからって、アイル様に近づかないでもらえますか? いつもいつも、あなたの話ばかり……。陰キャは陰キャらしく、隅っこでうつむいているといいですわ!」
教室が静かになった。
「あ、あの、アイル様が――」
「シャラップ! 罪人の娘が近くにいたら、アイル様にも迷惑がかかるでしょう?」
息が止まった。
学園の誰も、知らないはずだった。
「……な、なんで父のことを――」
「ほほっ、我がナイトランカーズに調べられないことはないわ。その反応、話は本当だったのですね?」
父は、洗脳魔法によって錯乱した皇族を斬った。
罪人とされたが、皇族の麻薬使用や、他国への情報漏洩も認められた。それでも、父は釈放されず、行方不明になってしまった。
「あら、やっぱり殺したことは本当なのね。アイルには、ずっと隠していたの? 随分と図々しいのね」
周りの生徒が囁く。人殺しの令嬢。
違う、父は本当は――。
「待ってください、話を聞いてください!」
袖へ手を伸ばした瞬間、レイ様が大きくよろめいた。
「痛いわ……! 何をするの……あなたは私に攻撃するの?」
触れていない。
なのに、彼女は机に手をつき、怯えた顔をした。
「ちょ、ミネルバ!? 何してるの!」
入り口にアイル様が立っていた。
レイ様が駆け寄り、彼の胸へ顔を伏せる。
「私は彼女のお父様の心配をしただけなのに……頬が痛いですわ」
顔を隠すレイ様の目は、笑っていた。
「……父親のことを隠して、そのうえ暴力かよ。ミネルバ、見損なったよ!」
アイル様は、貧民街で見かけた浮浪者を蔑む時の目つきを、私に向けた。
「もう、俺に近づかないでくれ」
言いたいことは沢山あった。でも、私はそんなに口がうまくない。
ただ、うつむいたまま「はい……」と答えたような気がした。
***
噂は、驚くべき速さで広まった。
教科書は燃やされ、鞄は焼却炉に捨てられ、靴は池に落ちていた。
机には『罪人の娘は罰を受けろ』という張り紙。
悲しくても、涙は出なかった。
私は素足のまま、家へ向かった。
帰り道、友人のプリムに呼び止められた。怒った顔だった。
「ちょっと、ミネルバ! あの噂って何なのよ! どうして黙って――」
「……ごめん、プリム。もう、私と話さない方がいいよ」
彼女が私の胸ぐらを掴んだ。
ほら。やっぱり、怒っている。
私は彼女を振りほどき、逃げるように帰った。
友達から絶縁されたら……悲しくて泣いちゃうから。
翌朝、屋敷の前でアイル様と出会った。
同じ時間に家を出る習慣は、変えられなかった。
「あの……アイル様。昨日はごめんなさい……」
彼が頭を掻いた。どうでもいい時の仕草。
「君のことは大切だよ。でも、父親があれじゃ……分かるだろ? 俺にも立場があるんだ。当分、話しかけてこないでほしい」
私の目を見ないまま、学園へ向かっていった。
私も、行かなきゃ。
なのに、足が動かない。
あの視線。あの嫌がらせ。
それに、アイル様は私を避ける。
「……行かなきゃ。家族に、心配かけちゃ……」
後ろで扉が開いた。
笑顔に切り替えて、振り向く。
「あっ、お祖父様。すぐに学園へ――」
お祖父様は、何も言わずに私を抱きしめた。
「……行かなくていい。今日は休め」
大きくて、傷だらけの、昔は騎士だったお祖父様。
今でも、父は無実だと信じているお祖父様。
「わしも、今日は稽古を休む。お前も休め」
「……おじい、さま……私……」
言葉が出なかった。
感情が決壊して、子供みたいに泣いてしまった。
***
目を覚ますと、居間から大きな笑い声が聞こえた。
「おお、ミネルバ。よく寝たか!」
「腹が減ったろ。ほら、肉も食え」
お祖父様の友人たちが集まっていた。
父と一緒に戦った、騎士や冒険者の方々だ。
「お前の父親がいなければ、俺はとっくに死んでいたぞ」
片腕のない騎士が笑った。
「誰に何を言われたか知らんが、あいつの娘であることを恥じることはない」
私は俯いて、頷いた。
お父様を、そんなふうに覚えている人もいる。
「……ミネルバ。いつまで入り口にいるんだ?」
窓際に、見覚えのある青年がいた。
「ランスロット?」
「久しぶり。手紙の返事が来ないから、嫌われたのかと思った」
ランスロット・ノアール。
毎日のように一緒に木剣を振っていた、もう一人の幼馴染。
北へ引っ越した後も、年に一度は会っていた。
「……背、また伸びた? 無駄にかっこよくなってるね」
「君は変わらないな」
「失礼ね。少しは伸びたよ」
「ははっ、君はそのままでいいのさ」
ランスロットが笑う。私も釣られて笑った。
食後、二人で庭へ出た。
明日から同じ学園へ通うらしい。
「剣、続けてる?」
「うん、朝練だけだけどね。お祖父様には、まだ全然勝てないよ」
「あの人に勝てる人間が、そうそういるか」
父がいなくなってからも、稽古は続けていた。
でも、学園では剣を持たなくなった。
「アイル様が……大人しい女の子の方が好きだって。私には、剣を持ってほしくないって……」
ランスロットは、何も言わなかった。
剣だけじゃない。
彼が苦手な乗馬にも行かなくなった。歌劇も、お菓子も、彼の好きなものを選んでいた。
「……私、何をしてたんだろう。ずっとアイル様に合わせていて……」
「なあ、何かやりたいことは、ないのか?」
「分からない……。でも、今日から本格的に稽古を再開しようか」
「はっ、なら俺も混ざるぜ」
木剣を抱えて走り回っていた頃の彼を、昨日のことのように思い出した。
あれは、とても素晴らしい日々だったんだ。
***
翌日、ランスロットは私と一緒に登校した。
「な、何よ、あのイケメン……」
「罪人と歩いているわよ」
「レイ様に報告しないと……」
彼が手を振ると、黄色い歓声が飛んだ。
「はっ、くだらないな。……誰か来るぞ」
校舎の前で、プリムが仁王立ちしていた。
「ミネルバ! よくも私の話を聞かずに逃げたわね!」
駆け寄ってきて、私の腕を掴む。
「勘違いしないでよ! お父様に色々あったとしても、関係ないの! 私は、あんたの友達なのよ!」
「……でも、怒っていたから……」
「そりゃ怒るわよ! 話を聞かずに帰るから! ていうか、足が速すぎよ! ば、ばか!」
彼女の目が潤んでいた。
私は知っている。口は悪いけど、とても心が優しい子だって。
「……ほら、行くわよ」
プリムは私の腕を放さなかった。
「よかったな」
「……うん」
「ていうか、何よ、このイケメン! ミネルバと距離が近いんじゃないの!」
そんな些細なやり取りが嬉しくて、心が温かくなった。
数日後、アイル様が教室へ来た。
白い歯を煌めかせて、笑顔を振りまく。
彼が私に寄り添うのは、彼女とうまくいかない時だ。
「ミネルバ。あの日は少し言いすぎたよ。今日は一緒に帰ろう。好きなお菓子を買ってあげるから」
どうして、そんなに普通に話せるんだろう。
あの夜、私は、もう好きでいるのをやめようと何度も考えていたのに。
「……今日は、約束があります」
アイル様はランスロットを見て、眉を寄せた。
「幼馴染の俺より、その男を優先するの?」
扉の外で、靴音が止まった。
「アイル……こんなところにいたのね」
レイ様が彼の手首を掴み、強く引いた。
「ちょ、待て! レイ!」
「待ちません」
「君は少ししつこいんだよ!」
「あんなに愛し合ったのに?」
「君の愛が、重くて怖いんだ!」
レイ様はため息を吐いた。
「配信で、二人の永遠の愛を誓う約束ですわ」
「痛いって……!」
私は立ち上がり、その手を押さえた。
「放してください。痛がっています」
「またあなた? 罪人の娘は、人のものを奪うのが得意ですわね。親の顔が見たいわ……あら、罪人でもう死んでいましたわね」
胸の奥が熱くなった。
「……取り消してください。父への侮辱を」
「あらあら、雑魚が喚いているわ」
挑発するように顔を寄せてくる。
私は、その目を見返した。
「なら、決闘で決めましょう……あなた、暴力がお得意なんでしょう?」
私は、その手首を放した。
「……分かりました」
「ちょっと待ってよ!」
プリムが叫んだ。
「相手はナイトランカーズ序列九位の薔薇のレイよ! ミネルバが戦うなんて……!」
焦るプリム。青い顔のアイル様。
ランスロットだけは、私の隣で静かに頷いた。
***
決闘は、そのまま学園内の闘技場で行われることになった。
今日は、低位の捕獲竜をトップ配信者たちが公開討伐する予定だった。
配信設備もスタッフも、既に揃っていた。
『薔薇の魔剣士と、幼馴染を奪われた罪人の娘!』
宣伝を見たランスロットが顔をしかめる。
「訂正させるか」
「……ううん。今は、いい」
父の剣の柄を握り直した。飾りも魔石もない、使い慣れた剣。
「大丈夫か? 少し、緊張しているみたいだな」
「……怖いのかな」
「そりゃ怖いだろ。人に見られるの、嫌いだったしな」
彼が私の髪を後ろでまとめる。
子供の頃も、目に入って邪魔だと、よく結んでくれた。
「これで、よく見える」
「……うん、ありがとう」
プリムが、私の背中を押した。
「怪我する前に降参するのよ! 帰ったら焼肉を食べるわよ。そこのランスロットのおごりで!」
「マジか……なら、無事に帰ってこなきゃな、ミネルバ」
「うんっ!」
大きく頷いて、闘技場の土を蹴った。
***
プリム
私は、決闘配信が大好きだ。だって、あんなに面白いものはないじゃない?
有名な試合は何度も見返す。主要な闘士はチェック済みだ。
だから、私は怖かった。
序列第9位は伊達じゃない。レイは強い。恐ろしく強い。
魔法と剣のバランスに優れていて、性格さえ除けば、最高の選手候補と呼ばれている。
「マジでどうすんのよ……。ミネルバは虫も殺せない優しい女の子なのよ」
「ああ、知ってる」
「あんたムカつくわね! ちゃんと心配しなさいよ!」
ランスロットの冷静さがちょっとムカつく。何なのよ、その信頼感は?
あっ、レイが剣を抜いた。配信の画面と闘技場の画面がリンクする。水晶魔法により、音声が増幅される。
「泣いて謝るなら、まだ許してあげるわよ。おほほっ」
彼女の剣に炎が絡みつく。
ミネルバは、何の光も放たない剣を両手で構えた。
「初等科の教本みたいな構えね。お父様に習ったのかしら?」
「……ええ、尊敬する父から」
配信画面からコメントが滝のように流れる。
『一瞬で終わるだろ』『罪人の娘ってマジ?』『瞬殺瞬殺!』『今日のレイ様のステータス、調子いいね!』『ダンジョンで新しく手に入れた武器が見れた!』『相手の子、素人じゃね? 可哀想……』
鐘が鳴った。
レイが踏み込む。炎がミネルバの肩を――通り過ぎた。
え?
『え?』『なんで?』『当たらなかった??』
レイが怪訝な顔をしていた。それでも、剣を連続で振るう。
金属音。炎が、誰もいない地面を焼いた。
上から、横から。何人もの剣士を倒したレイの連続攻撃。
でも、当たらない。
ミネルバは逃げ回らず、レイの目の前にいる。おかしい、こんな技、見たことなかった。
「逃げてばかり……!」
レイが大きく跳び退き、剣を掲げた。
広範囲を焼く魔法剣――その前に、ミネルバが前へ出た。
剣の根元を、こつんと押す。
「なっ!? いつの間に――」
腕が外へ流れ、膨れ上がった炎が闘技場の隅で弾けた。
「……くっ」
何かをしようとする前に、止めてしまう。
ほとんど剣を振っていないのに。
闘技場は静かだった。歓声は配信画面の中でしか起こらず、生徒たちは何が起こっているか分からなかった。
『マジでやべえぞ、こいつ本物だ』『剣だけで、魔法剣を抑えてるぞ!』『なあなあ、さっき髪が舞って、ミネルバの顔が見えたけど、超可愛いね』『あの剣技、どっかで見たことあるような……』
レイが大きな舌打ちをし――。
「シット! このわたくしが、知らぬ間に手加減していたのね……。次は本気で殺しに行くわ」
数多の配信を観たオタクの私には分かった。レイは初めから本気だった。自分を鼓舞するために、強気な台詞を吐いただけ。
ほら、足が震えている。格上と戦う時に出る癖。それにしても――。
「ランスロット……ミネルバって……」
「ああ。昔から、ああいう戦い方だ」
昔から?
人前では声も出なくなる、あの子が?
ミネルバが膝を曲げた瞬間、地面が揺れた。ミネルバが足を止め、地下へ続く扉を見た。
「ええっ!? ちょっと、運営、何してんのよ!!」
鉄扉が、内側から大きく膨らんだ。
「ぎゃーーっ!! 逃げろ逃げろ!! 竜の拘束が切れたぞ!! なんで上級竜に変わってんだ!」
鉄扉が吹き飛ぶ。
赤い鱗の竜が、千切れた鎖を引きずって這い出してきた。身体が震え、鱗の隙間から赤い光が漏れる。
「覚醒だ! 高位へ移行している! 結界を強化しろ!」
首の拘束具が弾けた。
鱗が黒ずみ、翼が大きく広がる。
「あ、あわわ、ランスロット……あれって上級紅竜じゃん……ね、ねえ、逃げないと……」
映像で見たことがあった。精鋭騎士団が犠牲を払い、ようやく討伐した竜だ。
その尾が、決闘用の結界を砕いた。
観客席が一斉に動く。
私の横でアイルが転んだ。私は腕を掴んで引き起こす。
嫌いな男だ。でも、死ねばいいとまでは思っていない。
「ちょ、こっちに来るじゃん!!」
レイが炎の槍を放った。黒い鱗の上を滑って、火花が散る。竜のターゲットがレイへと変わる。
竜の爪が、彼女へ振り下ろされた。
「伏せて!」
竜の一撃が――ミネルバの剣によって切り裂かれた――。
熱したナイフでバターを切るような気軽さ。そう見えるだけで、とんでもない技量が伴っているのが分かる。
鋼鉄の竜の手が切り裂かれ、竜は自分でも何が起こっているか分かっていないようであった。
そして、竜は目の前にいる少女を見つめて吠える。
「ええ、あなたの相手は私」
ミネルバがそう言った瞬間――空気が変わった。
背筋が寒くなった……、私の勘が告げる。ミネルバの戦闘力は通常ランカーの比じゃない――。
竜が一瞬だけひるんだ。だが、竜種の意地で、口を大きく開けて炎を吐く。
不思議な動きだった。ミネルバは、剣を一度、鞘にしまって、構えた。
閃光が見えた――。
閃光が炎を切り裂き――そのまま竜の首を落とすのであった。
「おぉぉぉっ!!! すごいわ、ミネルバ!!」
『マジすげえ』『あの子、新しい闘士?』『剣だけで竜って倒せるんだ……』
ミネルバが剣を鞘に入れると、雰囲気が元に戻った。そして……。
「あっ、魔法使うの忘れてた……」
――魔法も使えるんかいっ!
***
ミネルバ。
流石に少し疲れちゃった。
「お疲れ」
ランスロットが来た。差し出された手を軽く叩く。
「ミネルバ、やっぱり鈍ったか? 魔法忘れてただろ……」
「うん、まあ、使わなくても大丈夫そうだったしね」
なんだか、このやり取りが懐かしい。模擬戦の後、私たちは反省会をしていたんだ。
「……け、決闘は、まだ終わっていませんわ」
レイ様がボロボロの姿で立っていた。
「え、えっと、本当にいいんですか? 私、容赦しませんよ」
「か、構いませんわ! わたくしは序列第9――」
そこに割り込む声。
「決闘は中止です! 負傷者の確認を優先します! その身体では無理です!」
審判が彼女の剣を預かる。レイ様は悔しそうだった。
私が立ち去ろうとした時――。
「待って……。…………くっ、わたくしはレイ・ルージュ、伯爵令嬢であり、誇り高き序列第9位……。――取り消すわ。あなたのお父様への侮辱と、あなたへの非礼を」
私は「あ、は、はい」としか言えなかった。
レイ様は縦巻きロールを翻し、闘技場を去るのであった。
「ミネルバ! 火傷してない!?」
プリムが駆け寄り、私の身体を調べる。
「大丈夫。帰ったら、焼肉でしょ?」
「……沢山食べるのよ! 絶対よ!」
涙を拭う彼女の隣で、ランスロットが財布へ手を当てた。
少し、笑ってしまった。
水晶からも観客席からも、私の名前が聞こえる。
もう隠したくなかった。
大好きな父が教えてくれた剣技を――。
***
闘技場を抜け出し、教室へ戻ると、アイル様が息を切らしながらやってきた。
ランスロットとプリムは、廊下で待ってくれている。
「ミネルバ……君、あんなに強かったんだな」
私は、腰にある剣を見た。
「俺のことを助けてくれたんだろ? やっぱり君は、俺のことが……ふっ、これ以上は野暮だな。いつもみたいに一緒に帰ろう」
伸ばされた手から、半歩下がる。
「人を助けるのは当たり前のことです」
アイル様が微笑んだ。……以前はその笑顔が素敵だと思った。……今も、嫌いではない。でも、瞳の奥から空虚な何かが見え隠れした。アイル様の考えていることが分からない。
何事もなかったかのように、軽い口調で話すアイル様。
「悪かった。もう他の女の子の話はしない。君が嫉妬して、本当の気持ちを言ってくれるかと思ったんだ」
嫉妬?
私がどんな気持ちで、あなたの彼女への贈り物を選んでいたか、知っていたの?
「……罪人の娘は嫌なんじゃないの?」
「ああ、少し驚いただけだ。親は親、君は君だろ?」
過去の記憶が思い出される。
アイル様に告白しようとした日が、一度だけあった。
帰省したランスロットに、背中を押されて。
その日、アイル様は別の令嬢について話していた。
『あいつの父親が収賄で捕まったんだって。冤罪だと言ってるけど、結婚なんて無理だよな。俺の家まで疑われる。だから、振ったんだよ、笑えるよな』
告白なんて出来るわけなかった。
アイル様は、そんな私の気持ちなんて知らない。
「君ほど俺を分かってくれる子はいないよ。趣味も、好きな食べ物も同じだし」
「……違うんです。それは合わせていただけです」
アイル様が舌打ちをし、困ったように笑う。
「何だよ、言ってくれれば――」
「……その舌打ちの癖は好きじゃなかったです」
「あ、そう? でね、俺は君が好きだって言ってるだろ。婚約しよう。これからは、ずっと一緒だ」
言葉が軽かった。
何年も、欲しかった言葉だった。それが聞けたら、泣いて喜ぶはずだった。
でも、思い浮かんだのは、私と模擬戦をするランスロット。
馬鹿な私を叱ってくれたプリム。
二人の前では、無理をしなくても話せた。だから――。
「……お断りします」
もう終わりにしよう。
「十年間、ありがとうございました。もう、関わりません」
アイル様の一瞬の困惑。でも、いつもの平気な顔に戻る。
「なんでだよ。俺が好きだったんだろ? 俺たちは幼馴染じゃないか……」
泣きそうな顔だった。本当に泣きそうなのか、演技なのか、私にはもう分からない。
「……はい。好きでした。でも、もう嫌いです」
ただ、その言葉を発した時、アイル様の表情が初めて変わった。
そんな表情を見たことがなかった。
私は固まっているアイル様を教室に置き去りにして、廊下へと出るのであった。
通路の角を曲がって、足が止まった。
これで終わった。
もう、贈り物を選ばなくていい。好きだと言われるのを、待たなくていい。
なのに、目の前が滲んだ。心が痛んだ。
手を繋いで歩いた道。
私を見つけて、嬉しそうに振ってくれた手。
苦しいことばかりではなかったから。
みんなに、心配をかけてしまう。
「……ミネルバ」
顔を上げる前に、温かい腕に包まれた。
「ランスロット……私……ちゃんと……、もう、平気、だと思って……」
「今は、何も言わなくていい」
ランスロットが私を背中から抱きしめる。
私は、その腕の中で、嗚咽をこらえるのをやめた……。
ありがとうございました!




