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ウィンドブルム学院長は惰眠を貪りたい〜八百年生きたハイエルフの学院長、お昼寝時間を邪魔する悪党共を成敗する〜

作者: 名雲
掲載日:2026/06/26

「貴様! 平民の分際で、貴族たる俺の研究成果を盗むとはな!」


 学院の研究発表会が行われている講堂に、突如、怒声が響き渡った。

 会場に集まった学院の教師、生徒、来賓の貴族達が揃って突然の事態に固まる。


 サリスナーガ魔法学院――。

 貴族の子弟から裕福な平民、そして特別な才能を持つ特待生が通う名門中の名門。

 そんな場所で声を張り上げているのは、伯爵家嫡男のダリオ・ベルク。

 そして彼の横には、担当教師のロマノ師の姿もあった。


「全く、ミーナ君には失望したよ。他人の成果をあたかも自分の功績のように発表するとは……恥を知りたまえ」


 ため息と共に毒を含んだ言葉が、教師の口から吐かれた。

 彼らの視線の先には、壇上で新たな魔法術式を発表していた、ミーナ・ローレンの姿があった。

 しかし、この事態に平民特待生であるミーナは、動揺しながらも必死に否定する。


「盗んでなんかいません! これは……私が何度も何度も試行錯誤して完成させた魔法です!」


 彼女が発表していた【低位浄化魔法の改良術式】は、従来の半分以下の魔力消費で水を浄化出来るものである。

 地味ながらも、辺境の村や貧しい平民街では確実に命を救える魔法だった。


「黙れ、平民が!」


 ドンッ!と床を踏み付け、怒りの表情でミーナを睨みつけるダリオ。


「地味な魔法だが、俺のような由緒ある貴族が発表する事に価値があるのだ! お前のような卑しい平民が持っていても、何の価値も無い!」


 ダリオの言葉に、来賓席からクスクスと笑い声が聞こえてくる。


「それに、こちらには証拠もある!」


 そう言ったベルクの手には、分厚い紙束が握られていた。


 ミーナが「――それは!」と、壇上から身を乗り出して声を上げた。

 ダリオの手に握られている紙束は、ミーナが何カ月もかけて作り上げた浄化魔法の研究資料であった。

 必死の想いで形にした成果を奪われ、あまつさえ盗っ人と糾弾されている。


「ミーナ・ローレン君」


 ダリオに従うような立ち位置のロマノ師が、彼から資料を受け取ったあと、重々しく口を開いた。


「名門たるサリスナーガ魔法学院の名誉のため、素直に罪を認めなさい」

「違います、私は――」

「君が認めれば、全てが丸く収まるのだから」


 生徒を諭す良い教師の顔をしているが、口元は醜く歪んでいた。


「ベルク伯爵家嫡子である、このダリオ様から盗んだ罪は重いぞ!」


 ミーナは、貴族という言葉に反射的に口を閉じてしまう。

 その様子を見たダリオは、獲物を見つけた肉食獣のような笑みを浮かべて、低い声で凄んだ。


「貴様、覚悟は出来てるんだろうな……」


 顔を青くして震えるミーナだったが、その両手は爪が食い込むほどに強く握りしめられていた。


 ◇ ◇ ◇


 サリスナーガ魔法学院とは、悠久を生きるハイエルフが学院長を務める学院であり、近隣諸国からも生徒が集まる巨大な学園都市である。

 その学院の中心にある学院長室に、ドアをノックする音が響いた。


「学院長、事件です」


 そんな言葉と共に入室してきたのは、学院長付秘書官のアリシア・トリコロールだった。

 薄緑色の波打つ長髪に、トパーズの瞳を持つ美しい女性。

 年の頃は二十代前半に見えるが、やや尖った耳の先が、彼女の種族がエルフであることを示している。

 彼女の正面にある執務机はもぬけの殻だが、書類の脇に置かれた紅茶からは、まだ湯気が立ち昇っていた。


「全く……」


 アリシアはため息をひとつ吐くと、白いブラウスの中に手を差し入れる。

 彼女は、少し控えめなふくらみの中から白い紙切れを取り出すと、フッと息を吹きかけた。

 途端、青い炎に包まれた紙切れを、執務机の右脇に投げ放つ。

 ――――キィィン、と甲高い音が執務室に鳴り響いた。

 次の瞬間、空間が軋みを上げる。

 波を打つ湖面のように目の前の空間が歪んでいき、やがてその向こうに隠されていた景色が浮かび上がってきた。

 不可視の結界が消えたその先に、執務室には相応しくない、重厚な装飾が施された天蓋付きのベッドがある。

 そして、そのベッドの前でせっせと寝具を整えている老人の姿。

 アリシアはまた小さく息を吐きながら、老人の背中に向けて言った。


「学院長、事件です」

「嫌じゃ、断る」

「まだ内容を言っていませんが」

「ワシはこれから昼寝をするんじゃ。邪魔をするでない」


 背中を向けたまま、ひらひらと手を振って拒否している。


「全く、人が貼った結界をぶち壊すのは感心せんぞ……と、出来た出来た」


 ベッドメイクに満足したのか、羽織っていた深緑のマントを脱ぎ、革のトンガリ帽子から先っぽにポンポンが付いたナイトキャップに被り直している。


 この魔法学院の学院長にして理事長を務める、ウィンドブルム・トーリ・サザーランド。


 生徒達から「ウィル爺」などと呼ばれているこの老人は、齢八百歳のハイエルフにして、最強の魔法使いと呼ばれている――が、いかんせんヨボヨボの爺さんにしか見えない。


「面倒事が起きていますが、放置されるのですか?」

「お主たちでなんとかせい。ワシは忙しいんじゃ」

「ただ惰眠を貪ろうとされているようにしか見えませんが?」


 老人にも容赦ないアリシア。

 炎も凍りつきそうな声がウィルに突き刺さるが、ウィルも負けていない。


「うるさいわい! ワシは五百年ずっと寝る間も惜しんで働きまくったんじゃ。じゃから、あと五十年は寝て過ごすと決めたんじゃ! 邪魔するでない」


 ウィルはそう言うと、しわしわの手で布団を捲り、よっこらしょと口にしながら布団に潜り込もうとするウィル爺さん。


「新たな魔法の発表会で、盗作騒動が起きています」


 老人の拒絶などどこ吹く風と、淡々と説明を始めるアリシア。

 【盗作】の言葉にウィルがぴくりと反応した。


「……盗作とは穏やかではないが、昔にも似たような事があったじゃろ」

「その通りですが、今回は組み合わせが最悪です」


 アリシアが手元にある紙に目を落として説明する。


「片方は平民の特待生、もう片方は伯爵家出身の令息ですね。ちなみに、騒いでいるのは伯爵家令息の方です」

「そいつは確かに面倒な組み合わせじゃが……でも嫌じゃ。ワシは昼寝がしたいんじゃ!」

「特待生OBと貴族主義のOBたちが今回の件で騒ぎ出せば……」


 顔を伏せて表情が窺えないアリシアの様子に、ウィルは思わず「騒ぎ出せば……?」と、聞き返してしまう。


「今の五倍、面倒な事になりますが?」

「それは嫌じゃ」


 ハァ、と盛大に溜息を吐いたウィルが、渋々といった感じで体を起こした。


「やれやれ、研究発表会の盗作騒ぎと言っておったかの?」

「はい、平民特待生のミーナ・ローレンが、伯爵家令息のダリオ・ベルクに糾弾されています。ダリオの研究成果を、ミーナが盗んだという訴えですね」

「研究内容は何じゃ?」

「低位浄化魔法の改良術式です」

「ほう……それはそれは、なかなかに目の付け所の良い研究じゃのう」


 ウィルが長く真っ白なあごひげを摩りながら呟く。


「そして、ミーナが研究成果を盗んだとして、彼女の退学処分が申請されております」

「退学処分? 調査は終わっておるのか?」

「いえ、少なくとも、調査結果の報告書が提出された事実はございません」


 アリシアが手元の資料を確認して答える。

 その美しい顔には、呆れたような表情が浮かんでいた。


「それはなんとまぁ……調査より処分が先とはな」


 ウィルは呆れたようにため息を吐くと、更に質問を重ねていく。


「処分申請は、そのダリオとかいう男子生徒が出したのか?」

「いえ、彼の担当教師である、ロマノ・ベルク師が提出しています」

「それはなんとも妙じゃな。その申請が出されたのは今日なのかの?」

「いえ、前日に提出されております」

「準備がいいと言うべきか、お粗末と言うべきか……わかったのじゃ。あとは歩きながら聞こう」


 ウィルがベッドから腰を上げ、学院長室の入り口に向かって歩き出す。

 その途中で「おっと」と声を上げたと思うと、軽く指を鳴らす。

 すると、ポンポンの付いた帽子を被った格好から、渋い色味のローブ姿に一瞬で変わった。


「やれやれ、面倒なことはさっさと終わらせて、早く昼寝に戻るとするかの」


 ◇ ◇ ◇


 静まり返った講堂の中にダリオの足音だけが響く。

 ミーナはその光景に体を固くしながらも、まだ諦めていなかった。

 彼女の目が忙しなく動いていて、この窮地を乗り切る手立てを必死に考えているのが見て取れる。


「ふん、無駄なあがきを」


 ぼそりと呟いたダリオの声は、周囲にいる観客には届かない。

 そのままダリオはミーナに近づき、彼女にだけ聞こえる声で囁いた。


「ちょっと単位が足りないんだ。地味な魔法だが、この際仕方ない。この俺が上手く使ってやるから感謝しろ」

「……この術式は、貧しい人達が安全な水を飲めるようにするための、大事なものなんです」

「これがか? わかったわかった、ちゃんと俺が使ってやる。これなら文句ないだろう?」


 嘘だ。

 ミーナは胸の奥で叫び声を上げた。

 この魔法は、貧しくても自分をこの学院に送り出してくれた村への恩返しになるはずだった。

 村のために必死に考えて、やっと完成した魔法だったのに。


「お前だって知ってるだろう? 貴族に逆らった奴らの末路をな」


 ミーナもよく知っていた。

 貴族に逆らった人間の末路が、どのような結果になるのかを。


「…………」


 小刻みに震えていた体が潮が引いたように静かになり、握られていた拳がだらりと力なく垂れ下がる。

 諦めと絶望の色に染まったその瞳で、口を開こうとしたその時――


「これは何事じゃ」


 講堂の入り口から、しわがれた声が響いた。

 一斉に視線が声の主のもとへ注がれる。


「ウィルお爺さん……」


 ミーナの口からその名前が紡がれた瞬間、ダリオが動いた。


「これはこれは、ウィル学園長。なに、大した事ではありませんよ」


 ダリオがあからさまに見下した表情のまま、ウィルに話しかけた。

 その目は「老いぼれは引っ込んでいろ」と、如実に物語っている。


「この平民が、俺の研究成果を盗んで勝手に発表していたので、証拠を突き付けて糾弾していたところです。もう終わりますので、ご退席頂いて結構ですよ……そうだよな、ロマノ師?」


 ダリオが担当教師のロマノに確認をすると、彼も鷹揚に頷いて話し出した。


「ええ、その通りです。ミーナ君にはすでに退学処分申請も提出してありますので、学院長には決済だけ頂ければ問題ありません」


 そう言って、口元を歪めるロマノ。

 教師としての矜持や責任感など欠片も無く、ひたすらに事なかれ主義を貫いている。


「違います! この研究は、私が作り上げたものですっ!」


 ミーナは震えながらも、ウィルに向けて訴えた。

 ヨボヨボで、生徒や一部の教師達からも軽んじられている老人だが、この学院の長であることに間違いはない。

 藁にも縋る思いで、ミーナは自分の潔白を訴えようとするが——


「黙れ、平民!」


 ミーナの真横から鋭い声が突き刺さり、びくりと体を強張らせて口を噤んでしまった。

 俯き、肩を縮こまらせながら小さく震えている。


「ウィル学園長、こんな平民の戯言など聞く価値はありません。ご老体にはこの空気は毒でしょう、早くお帰りになられた方がいい」


 会場の一部からも、くすくすと笑い声が聴こえてくるが、当のウィルは平然とした顔で講堂の中を進んでいく。

 少し覚束ない足取りで演台の前まで来ると、二人に向けて口を開いた。


「話は聞いておる。して、どちらの言い分が正しいのじゃ?」


 いっそ厳かと言える口調で問いかけると、ダリオが一瞬だけ舌打ちしそうな表情を見せた。


「っ! だから、この平民が盗んだと言っているでしょう!」


 イライラとした様子で口調が荒れてくるダリオに対して、ウィルはチラリとも視線を向けずに、ミーナに問いかけた。


「小童はそう言っているが……お主はどうなんじゃ? このまま黙っていていいのか?」


 自分に向けられた言葉に、ミーナはハッとして顔を上げた。

 そして、その瞳が映した光景に息を呑んだ。

 目の前にいる老人が、一瞬だけ絶世の美男子に見えたのだ。


「――――――!??」


 驚きのあまり、心臓が止まりそうになる。

 しかし、瞬きの間に元の老人の顔に戻っていた。

 一瞬。

 本当に瞬きの間の出来事だったけれど、ミーナの脳裏に強烈に焼き付いてしまった。


「え……あ、なん……っ!?」


 言葉にならず、目を見開いて口をパクパクとさせるミーナ。

 そんな彼女の心情を知ってか知らずか、ウィルが重ねて問いかける。


「どうなんじゃ? このまま、盗人として処罰されてもいいのかの?」


 盗人――その言葉に、ミーナはハッとしてウィルに顔を向けた。

 その瞳には、先程まであった諦念が、綺麗さっぱり消え去っていた。

 深呼吸ほどの間が空いて、彼女は拳を力強く握りしめながら口を開く。


「私は――私は、盗人ではありません。この魔法は故郷への恩返しのために、私が作った魔法です。」


 力強く、ハッキリと意思を宿した言葉に、ウィルは少しだけ目を細めると、改めて両者を見比べる。


「さて、どちらも正しいということじゃな。では、目の前で再現してもらうとしようか」

「え、ここで……ですか?」

「…………っ!」


 ミーナが口元に手を当てて驚いている横で、ダリオが険しい顔を見せた。


「左様。自分が作り出した術式くらいは扱えるじゃろう?」


 ダリオは僅かに顔を引きつらせながら、ウィルの挑発に乗っかった。


「……もちろんです。ですが、どうやってここで術式を披露するのですか?」

「ああ、こんな事もあろうかと、すでに用意させておるよ……おぉ、ちょうどやって来たぞ」


 ウィルの視線を追うと、二つの大きな器を乗せたカートを押すアリシアの姿が見えた。

 それなりに大きな器の中には水が張られているが、泥水のように水面が濁っている。

 アリシアは無言のまま講堂のなかを進んでいくと、ウィルの前までやってくる。


「学院長、こちらでよろしかったでしょうか?」

「ああ、ありがとう。そっちで休んでおれ」

「かしこまりました」


 アリシアは軽く頭を下げた後、ロマノ師の真横に立つ。

 横から睨みを利かせて、彼の横槍を防ぐ防波堤となってウィルをサポートしていた。

 ウィルは軽く咳払いをすると、ミーナとダリオに向き直った。


「さあ、これから二人には術式を用いて、器の中身を浄化してもらう。両者とも、器の前に立ちなさい」


 ウィルがそう告げると、ミーナは少し緊張した様子で泥水が満たされた器の前に立つ。

 一方のダリオは、心なしか硬い表情を見せていた。


「では二人とも、水を浄化して見せよ」


 ウィルの掛け声と共に、両者から魔力がこぼれ出た。

 ミーナは白銀、ダリオからは赤銅色の魔力が体を伝って床に広がる。

 同心円上に広がるそれぞれの魔力が、一度床の中に染み込んで消えた。

 数瞬のあと、床から一条の光が立ち昇り、幾何学模様を描いていく。

 丸や四角、文字のようなものから複雑な図形まで、様々な紋様を描きながら、魔法陣が一つの術式を形作るその光景を、皆が息を潜めて見守っていた。


 誰かのゴクリと唾を飲み込む音が響いた、その時。

 両者、ほぼ同時に詠唱が始まった。


『我、求めるは、澄み渡りし原初の泉』


 詠唱に応えるように、足元の魔法陣が光を放つ。

 立ち上る白銀と赤銅の光が、それぞれ体の周りを螺旋状に巡り、やがて掲げられた右手の先へと収束していく。


『我が求めに応じ、祓い清めよ!』


 掌から放たれた光が、泥水を満たした器を包み込んだ。


「――おぉ!」


 いつの間にか近くに寄って来ていた生徒や来賓達が、感嘆の声を上げた。

 茶色く濁った水面が、徐々に澄んだ水面へと変化していく。


「……完了です」


 ふぅ、と軽く息を吐いたミーナが、浄化魔法の完了を告げた。


「どうなったんだ?」

「どっちの水も綺麗に見えるけど……」


 野次馬と化した生徒達が、結果を見て困惑の声を上げている。


「ふん、出来て当然だ。自分で作った術式だからな!」


 やや乱暴に髪をかき上げながら、大きく息を吐いたダリオ。

 若干、息が上がって、額に汗をかいている。


「……どうするんです、学園長? どちらの生徒も魔法を成功させましたが」


 アリシアの隣に立つロマノ師が、苛立たしげに声をかけた。


「ミーナ君は、ダリオ君の研究資料を盗んだんです。その内容を覚えて、真似する事は出来てもおかしくはないでしょう」


 ロマノ師は、わざとらしくため息を吐いて見せたあと、ダリオに目配せを送る。


「そうだ! こんな方法では、この平民が盗んだ証拠にはならないではないか!」


 ダリオがウィルに向けて、高圧的な態度で糾弾したが、当のウィルは気にした風もなく、右手に握る杖を掲げた。


「では、次はこうしてみようかの……」


 世界樹から切り出された杖――そう噂されるウィルの杖から、黄金の光が立ち上る。

 その輝きを見て、ダリオも一瞬で声を失っていた。


 世界最高の魔法使い。


 目の前の老人が、そう呼ばれていることを思い出したのだ。

 魔法陣もなく、詠唱も必要としないまま、ウィルの魔法が完成する。

 そしてミーナとダリオの前に置かれた器に向けて、黄金の光が降り注いだかと思うと――

 器の水が、毒々しい紫色になり、ポコポコと泡立つ水面からは刺激臭が鼻を突いた。


「な、なんだコレは!?」

「……!?」


 得体の知れないものに変わった器の中身を見て、ミーナとダリオが顔色を失う。

 周囲もウィルの魔法を目にして騒然としている。


「さて、次はコイツを浄化してみせよ」


 簡単じゃろ?とでも言いたげに、軽い調子でウィルが告げる。


「え、この……毒みたいなものを、浄化するんですか?」


 ミーナが、信じられないといった様子でウィルを見た。


「そうじゃよ。術式を見たが、あれは水を綺麗にするだけではないぞ。ちょっと弄れば、毒沼すらも清廉な泉に変えられるだけの可能性を秘めておる」

「……そんな、馬鹿な! ただの低位浄化魔法だぞ!?」


 ウィルの言葉に、ダリオが驚いた声をあげる。


「――――――――あ」


 喚くダリオの横で、ミーナがハッと表情を変えた。


「もしかして……これなら出来る……?」


 ブツブツと何事かを呟き、毒々しい水面を見つめている。


「さあ二人とも、この毒水となった器の中身を浄化するんじゃ。そして、その水をひと口飲んでみせよ。なに、死にはせんよ」

「――なっ!?」


 ウィルの出した条件に、ダリオと周囲の野次馬達が息を呑んだ。


「そ、そんな事が出来るわけないだろう! なにかあったらどうする!」


 血相を変えて拒否するダリオ。


「そうです! も、もし何かあったら、問題になりますよ!」


 ロマノ師も慌てながら止めようとしている。

 無謀な条件に、周囲の野次馬たちも眉をひそめながら小声で話している。

 そんな中、ミーナは両手を強く握りしめると、ゆっくりと顔を上げた。


「……わかりました、やってみます」


 そう言ったミーナの瞳には、強い光が宿っていた。


「よく言ったのぅ。では、やってみせるがよい」

「はい!」


 自分を鼓舞するように力強く返事を返したミーナは、目を閉じて集中する。

 先ほどと同じように溢れ出す白銀の魔力。


『我、求めるは、澄み渡りし原初の泉』


 繰り返される詠唱が講堂に響き、魔法陣が描かれて、右手に魔力が集まってくる。


『我が求めに応じ、《毒水を》祓い清めよ!』


 僅かに変えられた詠唱。

 それを受けて、右手から迸る魔法がうねりをあげた。

 器の周りを螺旋を描いて周り、小規模な竜巻のようになっている。


「これは……すごい」


 野次馬の中から、感嘆の声が漏れた。

 やがて、魔力の竜巻が消え失せ、周囲に静寂が戻る。

 器の前に立つミーナは、器の中身を見つめていた。そして、そっと手を差し出すと、手で中身を掬い上げ――口に含んだ。


 静まり返る講堂の中で、ふぅ、とミーナが息を吐くと、ウィルに顔を向ける。


「……大丈夫みたいです。成功しました」


 そう言って、花が咲くような笑顔を見せた。


「……馬鹿な! 毒をただの浄化魔法で消し去るなんて……!」


 ダリオはワナワナと震えながら、ミーナの前にある澄んだ水を凝視している。

 周りを囲む人達も、この状況に様々な反応を見せていた。

 驚き、困惑、畏怖、疑念、嫉妬。

 人々の生々しい感情が、ミーナに向けられる――その時。


「では、次はお主の番じゃの」


 ウィルがダリオに向けて口を開いた。

 その結果、ミーナに注がれるはずの視線が、ダリオに向けられる事となる。

 蒼褪めた顔で体を震わせるダリオは、注がれる視線に気付いて慌てふためいている。


「お主の研究なんじゃろう? ならば、同じ事が出来るはずじゃがな」

「…………っ!」


 何も言えないダリオに向けて、ウィルが更に言葉を重ねる。


「さっきも言ったが、この術式を考えた者ならすぐに気付けるものじゃ。雑に表面だけ真似た者には、わからぬだろうがな」


 動けないダリオを庇うように、ロマノ師が慌てた様子で口を挟んできた。


「待ってください! ダリオ様は次期当主としての身分があります!」


 顔を青ざめさながら、必死に止めようとしている。

 しかも、教師であるロマノ師が、生徒を「様」付けして呼んでいる。


「命の軽い平民とは違います!」


 あからさまな貴族主義の言い分に、ミーナは顔をしかめてしまう。


「命が軽い……?」


 ウィルが不思議そうな顔でロマノ師を見る。


「当然です。彼は名門であるダリオ伯爵家の嫡子ですよ?」


 自分の考えが当然だと言わんばかりに、口元を歪めている――が、ウィルの表情は微塵も変わっていなかった。


「知らん」

「へ?」


 ロマノ師が、気の抜けた声を出して目を見開いた。


「伯爵家など知らぬ。ワシから見れば、平民も、貴族も、国王も。みな等しく若造じゃ」


 それに……と、ウィルが言葉を続ける。


「ここは学び舎じゃ。権力が知恵に変わるのか? 家名で魔法陣は描けん、爵位で術式は生まれてこぬ」


 ウィルが、一呼吸おいてロマノ師を見た。

 一瞬。

 ほんの一瞬だけ、ウィルの魔力がロマノ師に向けて放たれる。


「――――――ヒィッ!?」


 刹那の刻に、ロマノ師は自分の死を見せられた。

 圧倒的な力の差。

 存在自体の次元が違うことを、魂レベルで思い知らされた。


「この学院で、権力の横暴は罷り通らぬと思え」


 青を通り越して真っ白になったロマノ師が、小刻みに震えながら立ち尽くしている。

 その様子を見たウィルは、興味を失ったように視線を移動させて、アリシアを見た。


「かしこまりました。ではロマノ先生、お持ちになっている術式の研究ノートをお渡しください」


 ウィルの意図に気付いたアリシアが、冷静な声で要求する。

 既にウィルに格の違いを見せつけられたロマノ師は、震える手でノートを差し出した。

 受け取ったアリシアが壇上に上がり、ウィルに差し出す。


「どうぞ」

「うむ」


 ノートを手にしたウィルが、杖を頭上に掲げたかと思うと、軽く石突きで床を叩いた。

 すると、一瞬のうちに足元に魔法陣が広がり、金色の魔力が立ち上る。

 神々しい光景に周囲が息を呑む中、ウィルは手にしたノートを放り投げると、そのまま地面に落ちずに金色の空間にふわりと浮かんだ。


「さて、どうなるかのぅ……」


 重力を無視して浮かぶノートに、右手を翳している。

 深呼吸ほどの間が空いた後、ノートの表面に赤銅色の魔力が浮かび上がった。


「あれは、ダリオの魔力痕!?」


 周囲の人垣から、驚きの声が上がった。

 魔力痕の痕跡を調べる魔法。

 存在は知っていても目にする機会などほぼ無い。

 最上級に位置する魔法の顕現に、皆が固唾を飲んで見守っていた。


「色が……」


 ノートの表面を覆っていた赤銅色の魔力が剥がれ落ち、その奥にある白銀の魔力が浮かび上がってくるのが見えた。


「決まりじゃな」


 黄金の光に包まれながら、ウィルがニヤリと笑った。

 目の前に浮かぶノートからは、白銀の魔力が溢れ出ていて、ミーナがどれほどの時間をこのノートに触れていたのかが、一目で理解出来た。


「このノートに染みついた魔力は、ほとんどがミーナのものじゃ。赤銅色の魔力は、表面を雑に覆っていただけじゃな」

「ち、違う……!」


 ウィルの言葉に、ダリオが顔を青ざめさせながらも反論するが……


「魔力は嘘を吐かぬ」

「――――――!?」


 ウィルの静かな、それでいて有無を言わさぬ声音に、ダリオは二の句を告げずにいた。

 ウィルはぐるりと周囲を見回すと、魔法陣を消してノートを手に取った。


「皆の者、見ての通りじゃ。研究の成果となる資料には、ミーナの魔力が刻まれておった。これは紛れもなく、ミーナ自身の研究成果じゃ」


 ウィルの宣言に、周囲の人たちは湧き上がった。

 ミーナを懐疑的な目で見ていた者達も、こぞってミーナに「おめでとう」と声を掛けている。


「ありがとうございます」


 ミーナが周りに感謝を伝えているその横で、ダリオが口惜しげに唇を噛んで、床を睨んでいた。


「……っ」


 ダリオがボソッと何かを呟いた。

 その剣呑な雰囲気に気付いたミーナが顔を向けるのと、ダリオの体から赤銅色の魔力が噴き出すのが、ほぼ同時だった。


「ふざけるな……ふざけるなぁ!!」


 ダリオが目を血走らせながら叫んだ。


「俺はベルク伯爵家の嫡子だぞ! この愚図な平民がぁ! 貴様が反抗するからこんな事に……!」


 吹き出した魔力が荒れ狂い、室内に暴風が吹き荒れた。

 突然の突風にバランスを崩したミーナは、踏ん張れずに吹き飛ばされてしまう。


「きゃあああっ!」


 そのまま壁に激突すると思ったその時、ミーナを飛ばしていた暴風が、フッと消滅した。

 そして、ミーナの体は誰かに優しく抱き止められる。


「――――えっ?」


 助かった。

 そう思って抱き止めてくれた人物にお礼を言おうと顔を上げたミーナは、心臓が止まりそうになった。


「〜〜〜〜〜〜っ!!??」


 目の前に、先程見た絶世の美男子の顔面が。

 至近距離で交わされた視線に、ミーナの心臓が破裂するんじゃないかと思うくらいに激しく脈打つ。


「怪我は無さそうじゃの」


 そう言って細められた目元に、またミーナの心臓が爆発するように跳ねた。


「あの小僧には仕置きが必要じゃな。仕出かした報いをくれてやるから、ここで見ておれ」


 神々の福音かと勘違いしそうな程の美声が、耳元に注がれる。

 けれども、老人のような言葉遣いとのアンバランスさに、目眩がしそうになる。

 ただ、声は違っていても、話し方には聞き覚えがあって――――


「この話し方……」


 あり得ない想像に口をあんぐりと開けていると、その美青年がミーナをそっと床に下ろした。

 そして、一歩前に出たその瞬間、ミーナの視界がゆらりと揺らいだ。

 夜空のような黒髪も、透き通るような白い肌も、美しい黄金の瞳も全て、霞のように薄れていく。

 コツリと足音がミーナの耳に届いた時には、目の前にあるのはいつものヨボヨボの老人の背中だった。


「え……」


 ミーナが呆然と目を見開く。

 今のは何だったのか?

 幻覚か、魔法か、それとも……


「まさか……本当に?」


 激しく跳ねる鼓動を抑えながら、ミーナはウィルの後ろ姿を眺めていた。


「くそ、くそ、くそおおおぉぉぉぉぉ!」


 荒れ狂う暴風の中心で、ダリオが地団太を踏んでいた。

 癇癪を起した幼子のような未熟さだが、その魔力の強さが厄介だった。


 周囲にいた生徒や貴族達は、突然の事態に対応できずに、数人の教師たちが張った結界に守られているだけだった。

 無駄に魔力の高いダリオが見境なく魔力を放出しているため、一般教師では対応できず、特級教師陣の到着を待っていた。


「ダリオ様、おやめ下さい! こんな場所で攻撃魔法を使っては……」

「うるさい! そもそもお前が大丈夫と言ったんだろう! 何故こうなった!?」


 暴風の向こうで、ロマノ師とダリオの言い争いが繰り広げられている。

 ダリオに至っては、ほぼ自白に近いことを叫んでいるが、逆上した本人は気付いていないようだった。


「教師が生徒に向けて敬称を使うとはのう。これも妙な話じゃな」


 荒れ狂う風の音を裂いて、のんびりとした老人の声が周囲の人達に届いた。

 皆が驚いて声が聴こえた方へと顔を向けると、突然、黄金色の魔力が講堂を包んだ。

 その眩しさに、アリシアもミーナも目を閉じる。

 再び目を開けた時には、すでに暴風は止んでいた。


 壇上で立ち尽くすダリオの前に、悠々とウィルが立っていた。

 あれだけの暴風が一瞬で消失した事に、ダリオだけでなく、隣に立つロマノ師も呆然としている。

 同威力の魔法での相殺ではなく、消失。

 理解できない現象に、ダリオの顔が徐々に恐怖の色に染まっていく。


「ベルク伯爵家の小僧」


 しんと静まり返った講堂に、ウィルの声がこだました。

 ダリオはびくりと肩を震わせて、青くなった顔をウィルへと向ける。


「お前さん、やりすぎじゃ。研究を盗み、罪の無い者を貶め、証拠を突き付けられたら暴れる。ずいぶんと忙しない小僧じゃのう」


 ウィルの言葉で、周囲から忍び笑いが漏れた。

 それを耳にしたダリオは、青い顔を赤くしてウィルに言い返した。


「う、うるさい! 俺は伯爵家——」

「盗人じゃろう」


 その一言に、講堂が静まり返った。

 ダリオの目が見開かれ、半開きの口のまま固まる。


「それ以上でも、それ以下でもなかろう————アリシア」


 ウィルは興味を失ったように視線を外すと、アリシアを呼んだ。


「はい、ここに」


 いつの間にかウィルの隣に控えていたアリシアが応える。


「今回の処分案を」

「かしこまりました」


 すっと一礼したアリシアが、一歩前へ出る。


「ダリオ・ベルクは研究発表資格、及び学院生資格の停止。研究資料盗作及び指定場所以外での攻撃魔法使用について正式調査」


 処分を聞いたダリオが、また顔を青く染めた。


「ロマノ・ベルクは担当授業を即時停止、査問会へ招集」


 ウィルの登場から静かだった男は、項垂れたまま何も言わなかった。


「ミーナ・ローレンの研究は学院長預かりとし、支援研究対象の再審査をいたします」


 ミーナの顔がぱあっと明るくなり、胸を撫でおろしていた。


「いいじゃろう」


 ウィルが鷹揚に頷いた。


「ダリオ・ベルク、ロマノ・ベルク。両名、ワシの昼寝の邪魔をした罪は重い……じゃのうて、この学院の平穏を脅かした罪は重い。追って沙汰が出るまで謹慎しておれ!」


 一瞬漏れた本音に、アリシアが白けた目を向けたが、ミーナも周囲の人間たちも気付かなかった。


 警備員に連行されていくダリオとロマノを見届けたウィルは、自分の役目は終わったとばかりに、さっさと講堂から出て行ってしまった。

 感謝の言葉を伝えられなかったミーナは、ウィルが出ていった出入口を見つめた後、深く頭を下げた。


 ◇ ◇ ◇


 学院の中央に位置する学院長室。

 その重厚な扉をノックする音が響いた。


「失礼します」


 書類を片手にアリシアが入室してくる。

 そして、アリシアが視線を執務机へと向けると、そこにはウィルはいなかった。

 いや、別の人物が学院長の椅子に座っていた。


 そこに居たのは、夜空を凝縮したような漆黒の髪に黄金の瞳を持つ、絶世の美男子。


 ミーナが目撃した男性が、長い足を組みながら我が物顔で学院長の席に座っていた。

 それを見たアリシアは、さして驚きもせずに机に歩み寄っていく。


「学院長、彼らの処分が完了しました」

「そうか、ご苦労じゃったな」


 絶世の美男子から老人のような言葉遣いが飛び出した。

 しかしアリシアは、それも慣れているとばかりに淡々と報告を続ける。


「ロマノ・ベルクは当学院から追放。中央の教育審議会にて査問会が開かれるとのことです」

「あいつらか、ねちっこくて嫌な奴らじゃが、不正はしないからいいじゃろう」


 アリシアが軽く頷いて「次に……」と報告を続ける。


「ダリオ・ベルクですが、親の意向もあり、退学処分が決定しました。彼が当学院に残した研究なども無いため、即日退去の命令が下されております」

「まあ、そうじゃろうな。貴族共は恥の上塗りを嫌うからのう」


 机に肩肘を付いて軽くため息を吐く姿は、天上の神々かと思うほどの美しさだった。

 無表情を装うアリシアの喉が、ごくりと鳴る。


「最後に、ミーナ・ローレンですが」

「おお、あの浄化魔法を改良した娘っ子じゃな。どうなった?」


 ぱっと顔を明るくして向けられた顔面に、一瞬だけアリシアが固まる。


「…………ミーナ・ローレンですが、研究内容に不備もなく、彼女の研究結果と認められたため、学院の研究員として採用することに決定しました」

「そうか、それは何よりじゃ。あの娘っ子は、魔力は大したことはないが、発想が面白い。世の中の役に立ってくれるじゃろうて」


 腕を組んでうんうんと頷いている美青年。いや、ウィル。


「報告は以上となります」


 姿勢を正してウィルに告げるアリシアが、ふっと体の力を抜いた。


「しかし……いつ見てもお美しいですね」


 仕事の緊張感が抜けたせいか、無表情だった顔が崩れていくアリシア。

 ウィルは興味なさげに手元の書類に目を落としている。


「いつも、そのお姿の方がよろしいですのに」


 アリシアが残念そうに頬を膨らました。


「断る。面倒じゃからな」


 すっぱりと断るウィルにため息を吐いたアリシアは、久しぶりに見たウィルの本来の姿を堪能するように見つめている。


「やはり、親衛隊の裾野をもっと広げて、不埒な者を取り締まるようにすれば、あるいは……」

「やめい。親衛隊など、ワシは公認しとらん。大体なんじゃ、ワシの絵姿なんぞ作って売り買いしおってからに」

「こればかりは、何と言われようとも辞めるつもりはございません。それに、会員はまだ増え続けておりますので……」


 ぐふふ、と含み笑いを漏らすアリシアは、ちょっと引いているウィルに気付いていない。

 頭が痛いとばかりに、こめかみに手を当てたウィルが、手元の書類に次々をサインをしていく。


「さあ、これで終わりじゃな。いやはや、これだけ働いたんじゃから、一か月は休まんと割に合わんわい」


 書類にサインを終えたウィルは、グイっと体を伸ばした後、いそいそと不可視の結界を解除して、ベッドの中に潜り込んだ。


「このまま、五日間だけ昼寝をする。誰か来ても追い返せ、起こすでないぞ」


 そう言って指を軽く鳴らすと、結界が閉じてウィルがベッドごと見えなくなった。


「仕方ありませんね……おやすみなさい」


 ため息を吐いたアリシアは、まだ湯気の経つ紅茶を片付けて、静かに部屋を後にした。


 ◇ ◇ ◇


 三日後。


「学院長、事件です」

「この学院、問題が多すぎじゃないかのう!?」


 こうして、惰眠を貪るために、また学院内の問題解決に奔走するウィルであった。


 END

読んでくださってありがとうございます。

初短編小説でしたが、いかがだったでしょうか?

面白かったら『★★★★★』とブックマーク、感想もよろしくお願いします。

いまいちかな〜と思っても、★だけでも頂けると嬉しいです。

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