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第五話. 『好奇心と王族の責務②』

海底には、誰も知らない世界が広がっている。

光も音も、私たちの知る現実とは少しだけ違う、静かで神秘的な世界。

そこに生きる私――マーメイドプリンセス カノ――は、ずっと一つの夢を抱いていた。

海の上に広がる未知の世界を、この目で確かめること。


でも、海の規則は厳しい。危険がいっぱい。行ってはいけないと何度も言われてきた。

それでも、心の奥底で呼ぶ声があった。

「見てみたい――本当に世界は、こんなにも広いのだろうか」


これは、好奇心と冒険に突き動かされた、ひとりの少女の物語――。

人間と海の世界の狭間で、私が初めて知ったこと、感じたこと、すべてをあなたに伝えたい。


 カノはしばし逡巡したのち、静かに口を開いた。


「……私は、海の上で人間たちを見ました。」


 場の空気が張り詰める。


 宰相が小さく息を呑み、王は黙したまま視線で続きを促す。


「大きな船に、たくさんの人が乗っていました。

 月明かりの下で、彼らは笑い合い、歌い、そして……空に光を打ち上げていまし

 た。

 花火、と呼ばれるものだと思います。

 夜空が一瞬で明るくなり、海面に色が映えて、とても綺麗でした。」


 カノの声は少し震えながらも熱を帯びていく。


「その光を見上げる人たちの表情は、喜びに満ちていました。

 誰かを抱きしめたり、隣で驚き合ったり……。

 恐ろしいというより、むしろ私たちと同じように、何かを楽しんでいるように見

 えたのです。」


 そこで一度言葉を切り、胸に手を当てる。


「私は確かに規則を破りました。でも……その光景を見て、心が震えました。

 人間が本当に恐ろしい存在なら、あの笑顔は何なのでしょうか。

 ――父上、人間とは本当に恐ろしいものなのですか?」


 その問いは、玉座の間の静寂を深く揺らした。


 王はしばし沈黙したのち、深く息を吐き出した。


「……よいか、カノ。

 これから語るのは、海の底でも一握りの者しか知らぬ、極秘の記録だ。

 決して軽々しく口にしてはならぬ。」


 宰相が海藻の巻物を広げ、静かに文を読み上げる。


「記録には、このようにございます。

 ――“人の国には、古より伝わる噂あり。

 曰く――人魚の皮を身に付け、肉を喰らえば、不老不死を得られると。

 権を握る者らはこの話に心を奪われ、我ら同胞を追い詰め、命を奪い、その身を

 貪ろうとした”――

 このように、確かに記されております。」


 王の表情は厳しさを増し、声は低く響いた。


「実際、幾人もの仲間が捕らわれ、無残に失われた。

 権力に溺れた人間どもは、噂を信じ、ためらいなく血を流したのだ。」


 宰相は瞼を伏せ、さらに文を指でなぞりながら続ける。


「――“海を統べる者とて、かの悲しき声を止め得ず。

 同胞の肉は刃に裂かれ、尊厳もろとも火に投じられたり。

 これぞ人の欲望、底知れぬ闇の証なり”――

 ……このような痛ましき記録でございます。」


 王は娘を強く見据えた。


「カノよ。これが我らの抱える過去だ。

 人間を恐れるのは臆病ゆえではない。

 この歴史を、決して繰り返さぬためだ。」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 日々の王族としての勉強と公務をこなしつつも、カノの心はあの夜の光景に囚われていた。


 庶務室の席に座り、書類に目を通す手は正確に動く。

 しかし、頭の中では船の上で見上げた花火の輝きや、海上で目にした人の姿が、鮮やかに浮かび上がっては消えていく。


 数日間、誰もが気づかぬうちに、カノは思い悩んでいた。


 その沈黙は、公務を見守る側にもわずかな違和感を与えていた。


「……姫さま、少しお尋ねしてもよろしいでしょうか」


 側に控えるソミュンが、慎重に口を開く。


 カノは書類の束に目を落とし、一瞬のため息をつく。


「前に夜のこと、少し話してくださいましたよね……あの時、何を見たのですか」


 その問いかけに、カノは目を伏せる。


 口には出さずとも、心の奥底では答えを探していた。


 目撃した光景は、人魚の同胞に対する非道とはまた違った、何か目を奪われるような魅力を帯びていたのだ。


 カノの言葉を待つように、ソミュンは周囲の者たちを下がらせた。



 カノはゆっくりと息を整え、ソミュンの目を真っ直ぐに見つめた。


「ソミュン、私、想像以上の光景を目にしたの。

 空を彩る花火は鮮やかで、その光が反射した波間はまるで無数の宝石が散ら

 ばっているかのようで……本当に、息をのむほど美しかった。」


 ソミュンは目を見開き、静かに頷いた。


 そして、幼馴染であり、何よりも大切な友として、耳を傾けていた。


「……そんな景色を、直接見たのかい?」


 カノは手を軽く動かしながら、落ち着いた声で続ける。


「うん、人間たちが見せた技術には、本当に驚かされることがあったの。

 彼らは私たちよりも進んだ技術を持っていて、それを取り入れれば、この世界

 の暮らしをもっと豊かにできるかもしれない。

 でも同時に、ただ技術を振りかざす危険な存在なんじゃないか、とも思ったん

 だ。

 ……けれどね、船の上で美しい光景を見上げたとき、彼らは子どものように歓

 声を上げて、心から楽しんでいた。

 私と同じ景色を、同じように見て、楽しんでいたんだ。

 それに気づいたとき、ああ、彼ら“人間”とも心を通わせられるかもしれない、

 そう思ったのよ。」


 カノの声に、ほんの少しだけ諦めの色が混じった。


「……けれど、父に言われたことも忘れてはいないの。

 直接行くのは危険であり、またかつてのように同胞を再び失うことだけは、二

 度とあってはならない。 そう考えると、もうこれ以上深入りすることはでき

 ないのかもしれない。」


 ソミュンは小さく笑みを浮かべる。


「カノ……君らしいね。

 好奇心はそのままに、でも冷静さも忘れていない。」


 ソミュンは椅子を持ってくると隣に座り、カノの瞳をまっすぐ見つめる。


「……覚えてるかい、カノ。

 小さい頃、礁のあいだで海藻やサンゴを眺めていたときのこと。

『触っちゃいけない』って言われていたのに、君は夢中で手を伸ばしてたよね」


 カノはふっと笑みをこぼす。


「覚えているわ……。

 あのとき、指をちょっと傷つけちゃいましたけど、サンゴの形や海藻の仕組み

 がよく分かって」


「そうだろう。でも覚えておくんだ。どんなものも、扱う者次第だ。

 優しく触れれば美しさや知識を分けてもらえるけれど、悪意や軽率さは、必ず誰

 かを傷つける」


 カノは黙り込み、父王の言葉とソミュンの忠告が重なって胸に響く。


「……だから、直接行くのはやめておこう。危ないし、迷惑もかけちゃうしね」


 ソミュンは微笑み、資料を指さす。


「それなら、図書館から学べばいい。

 知識を集めることで、君は安全に、そして人々の役に立つ形で、好奇心を満たせ

 る」


 カノは小さく頷き、胸の高鳴りを抑えながらも、目を輝かせた。


「……わかったわ。じゃあ、まずは図書館で、できる限り知りたいことを調べるこ

 とにする」


 ソミュンは軽く頷き、そっと肩を叩いた。


「そうだ、それでいい。好奇心は大切だ。

 だが、何よりも君の命と、周りへの責任を忘れてはいけないんだ」



閲覧いただきありがとうございます!

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