第一話. 『伝承破り』
海底には、誰も知らない世界が広がっている。
光も音も、私たちの知る現実とは少しだけ違う、静かで神秘的な世界。
そこに生きる私――マーメイドプリンセス カノ――は、ずっと一つの夢を抱いていた。
海の上に広がる未知の世界を、この目で確かめること。
でも、海の規則は厳しい。危険がいっぱい。行ってはいけないと何度も言われてきた。
それでも、心の奥底で呼ぶ声があった。
「見てみたい――本当に世界は、こんなにも広いのだろうか」
これは、好奇心と冒険に突き動かされた、ひとりの少女の物語――。
人間と海の世界の狭間で、私が初めて知ったこと、感じたこと、すべてをあなたに伝えたい。
北太平洋の海の底、人間が未発見の秘境にマーメイドの国はあった。
海底の城は、白い珊瑚をかすみのように積み重ねてつくられていた。
真珠のような小さな窓から淡い光がにじみ出し、障子越しの灯のように珊瑚の壁をやさしく照らしている。
その光は海のきらめきを映しながら、訪れる者を柔らかく迎え、不思議と懐かしい美しさを感じさせた。
北太平洋のマーメイドプリンセス、カノは城の窓から海面の方向を見上げていた。
(海の上って、どんな世界なんだろう…)と、心の中でつぶやく。
親たちや親友は、
「危ないから行っちゃダメだよ。海の上には怖いものがたくさんいる」
と言っていたけれど、カノの好奇心はどうしても抑えられなかった。
カノはもう13歳になる。身体はすっかり大きくなったし、お勉強も順調だ。
幼い頃からの先生にも、
「カノおひぃ様は(昔より)すっかり大人びていらして、おおきゅうなられました。」
とほめてもらえることもしばしばだ。
副音声で聞こえてくる気がする”昔より”が少し気になる気がするが…
とにかく、もう大人の仲間入りといっても過言ではないはず。
その夜、カノは皆が寝静まったころ、そっと城を抜け出した。
目的地はもちろん海の上である。カノの胸は高鳴った。
なんだかちょっといけない気分。
初めての海上に出て、カノは驚いた。
広大な真っ暗な空間…空?に浮かぶ光(星?)が反射し、水面がキラキラしている。
なんだかすごい。そして、何より海上はすごく…!
「スースーする…」
不思議だ。新感覚。面白い。でもずっといたら乾燥しそう。
肌がパキパキの未来が見えた。
その感覚を不思議がりながらも堪能し、他に面白いものはないかと改めて見渡すと、カノは見つけた。
それは豪華客船だった。
ただし、初めて見るカノには最初わからなかった。
何やらピカピカした物体(あれは船だ!図鑑で見たことある)が動いているのが分かり、カノの興味はそそられた。
こっそり豪華客船の近くまで行ってみると、突然、大きな音とともに夜空に火花が打ち上がった。
豪華客船のイベントの花火だった。その時のカノにはわからなかったが。
星明りがあるとはいえ、真っ暗だった海上が瞬く間に色鮮やかな火花が散り、空一面に広がる。
カノは息をのんだ。
初めは花火に目が奪われていたが、しだいに船の上の自分と似た生き物たちに関心が移った。
(私と同じ、上半身はほぼ一緒かしら。違うところは…ひれがみあたらないところか。)
船上の生き物たちは、驚くことにカノとほとんどよく似た姿だった。
ただ一つ、違うところは海を泳ぐための尾がないこと。
代わりに泳ぐのには不便そうな、コンパクトな”足”がついていた。
カノはこの生き物が何なのか、図鑑に載っていたため知っていた。
実際にこそ見るのは初めてだがーーー
「”ヒト”だ…」
図鑑には、”ヒト=人間は網で命をからめ取り、毒をしみ込ませ、砕けた瓶や鋼鉄の欠片を投げ捨てる。
そうしてヒト=人間は海をはじめ、色々な場所によからぬ爪痕を残し、自然を汚す。”とあった。
ヒト=人間がいるため、海上は昔よりはるかに危険になったのだ、と、親や爺などの大人たちは言っていた。
人間はわれらと姿形が似ているが極悪非道の害しかない生き物だと。
だから海上へはいってはいけないとーーー
船上のヒトはとても嫌な奴には見えない。
空に打ちあがる花火は人工的でありながらも綺麗で、どう考えても自然現象ではない。
ヒトが作り上げたものだ。
(ヒト…”人間”は魔法を咲かせられる。海の妖精の力を借りても、こんな壮大なことできるかな?)
見上げる人間たちは獰猛なことをするようには見えなかった。
見上げた顔に花火の光が反射し、明るく照らし出された皆の顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。
花火があがるたび歓声が少し上がり、喜びが伝わってくる。
「こんなことができる人間って、すごい…!」
人間の発達した高度な科学を知らず、まだ未発達の海洋科学と、海の妖精のわずかな奇跡をおこす魔法しか知らないカノにとって、それはまるで大きな奇跡のように思えた。
海の中では、こんな大規模な魔法や海洋科学はまだ存在しないはず。
カノは花火の美しさと人々の表情に心を奪われながらも、海の上の生物には近づいてはいけないという教えを思い出す。
それでも、胸の奥で、海上への強い興味と憧れが、ゆっくり、確かに芽生えた。
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