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第5話 夜明けの誓い、そして龍王の影

 人間保守団体によるデモ騒動が収束して数日。「炎の一献」には、奇妙な静けさと、どこか新しい空気が流れ始めていた。あれだけの大騒ぎは、グリュム・シティ中の噂となり、結果として「炎の一献」の名は良くも悪くも知れ渡ったのだ。

 意外なことに、恐る恐るではあるが、人間の客がぽつりぽつりと店を訪れるようになった。「あのパフォーマンスを見た」「デマだと分かったから」――理由は様々だが、彼らはレガルドの料理とミレーユの誠実な接客に触れ、少しずつ龍族への偏見を解いていくようだった。


 キルヴァンの炎のアートは、特に子供たちの間でちょっとした評判になった。店の窓から小さな顔を覗かせ、「トカゲのお兄ちゃん、またお空に絵を描いて!」とねだる子供たちの声が、店の新しい日常になりつつあった。

「へへーん、僕の炎はもう、ただの火遊びじゃないんだからな!」

 キルヴァンは得意満面で、小さな炎の蝶や花を窓の外に飛ばして見せる。その姿は、以前の自信なさげな彼とは別人のようだ。


 そんなある日、店の隅の席で、グレンが一人、ぶっきらぼうにレガルドの「岩塩焼きグリフォンステーキ」を頬張っていた。デモの後、彼は時折こうして顔を出すようになったが、相変わらず口数は少ない。ただ、以前のような剥き出しの敵意は薄れ、どこか複雑な感情をその赤い瞳に宿していた。

「……今日の肉、少し焼きが甘いんじゃないか?」

「そうか?俺は最高の出来だと思ったがな」

 レガルドも多くを語らず、ただ黙々と次の料理の準備をする。言葉には出さないが、グレンの小さな変化を、彼は確かに感じ取っていた。


「炉辺の約束」への確かな一歩。レガルドはそう感じていた。だが、アストリッドが最後に残した「これで終わりだと思うな」という言葉と、ゼノヴィオスが未だ掴みきれていない「列車事故の真相」が、心の隅に小さな棘のように引っかかっていた。


 その日、ミレーユは一人、自室で手紙を握りしめていた。差出人は、グリュム・シティの政府高官。先日、デモの際に穏健な対応を見せた警備隊長の上司にあたる人物からだった。

 内容は、彼女の勇気と異文化理解能力を高く評価し、新設される「龍族との共存推進アドバイザー兼、公的晩餐会の料理監修」という役職への正式なオファーだった。それは、彼女が夢見た、より大きなスケールで人間と龍族の架け橋となる道。両親の死を乗り越え、真の共存に貢献できるかもしれない、またとない機会だった。

 だが――「炎の一献」を離れる?レガルド様や、キルヴァン君、シリウスさん、ゼノヴィオス様……そして、あの温かい場所を?

 喜びと戸惑い、感謝と寂しさがないまぜになり、ミレーユの心は激しく揺れていた。


「ミレーユお姉ちゃん、最近元気ないね?お腹でも痛いの?」

 店の手伝いの合間、キルヴァンが心配そうに彼女の顔を覗き込む。その純粋な眼差しが、ミレーユの胸を締め付けた。

「ううん、大丈夫よ、キルヴァン君。ありがとう」

 彼女は無理に笑顔を作ったが、その心の内は誰にも打ち明けられずにいた。


 閉店後、一人残って帳簿をつけていたミレーユの元へ、ゼノヴィオスがそっと薬草茶を差し入れた。

「ミレーユ嬢、何か思い悩んでおるようじゃな」

 老龍の穏やかな声には、全てを見透かすような深みがある。

「……ゼノヴィオス様」

「道に迷うた時はな、無理に答えを出そうとせずともよい。ただ、己の心が最も温かいと感じる方角へ、ゆっくりと顔を向けてみるのじゃ。そうすれば、自ずと道は見えてくる」

 その言葉は、ミレーユの心に温かく染み渡った。そうだ、まずはレガルド様に相談してみよう。あの人なら、きっと――。


 翌日の閉店後。ミレーユは意を決し、厨房で片付けをするレガルドに声をかけようとした。

「あの、店主……レガルド様。少し、ご相談したいことが……」

 緊張で声が上ずる。レガルドが「ん?どうした、改まって」と振り返った、その時だった。


 ギィィ……。

 店の古びた扉が、まるでため息をつくように静かに開いた。

 そこに立っていたのは、一人の龍族。フードを目深にかぶり、その姿は影の中に沈んでいる。だが、その影から放たれる尋常ならざる威厳と、清冽なまでの気配に、レガルドもミレーユも、キルヴァンさえもが息をのんだ。店内の空気が、一瞬にして凍りついたかのようだ。


 フードの龍族は、一切の物音を立てずに店内を進み、まっすぐにレガルドの前に進み出た。そして、ゆっくりとフードを取る。

 現れたのは、白銀の髪を長く流し、磨き上げられた瑠璃色の角を持つ、若く、しかし神々しいまでの風格を漂わせる美貌の龍だった。その瞳は、夜空に輝く星々を閉じ込めたかのように深く、全てを見透かすような光を宿している。

 龍王レオン――グリュム・シティを含むこの地域一帯を統べる、若き龍族の頂点に立つ者。その人だった。


 レオンは、レガルドをその双眸で見据え、静かに、しかし店の隅々まで響き渡るような声で告げた。

「古代竜レガルド殿、とお見受けする。……我が父、先代龍王陛下が、そなたと交わされたという『炉辺の約束』、その真意を確かめに参った」


 レガルドの顔から、血の気が引いた。ゴクリと喉が鳴る。あの古き日の約束。それは彼の魂の最も深い場所に刻まれた、決して忘れることのできない誓い。

 ミレーユは、二人の間に流れるただならぬ緊張感に圧倒され、言葉を失っていた。キルヴァンも、本能的に龍王の威光を感じ取り、レガルドの後ろに隠れるように身を寄せた。


 龍王レオンの目が、レガルドの心の奥底を射抜くように細められる。

「そして、もしその約束がまことであり、そなたの覚悟もまた真実であるならば……」

 一拍の間。それは永遠にも感じられた。

「……今こそ、それを果たしていただく時が来たのかもしれぬ」


 その言葉は、雷鳴のように「炎の一献」に響き渡った。

 レガルドの過去と未来を揺るがす、龍王の宣告。

 ミレーユの運命は?そして、「炎の一献」は、これからどこへ向かうのか?

 夜の帳が下りたグリュム・シティで、新たな物語の幕が、静かに、しかし確実に上がろうとしていた。

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