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第38話 涙を拭う、和解のスープ

「頼む……!誰か……誰か、私の娘を……リリアを、助けてくれ……!」

 薬草師エリアスの悲痛な叫びが、禍々しい光に満ちた廃教会に響き渡った。それは、憎しみに囚われた男が、最後にたどり着いた、ただ一つの純粋な願い――父親としての魂の慟哭だった。


 暴走する『龍の涙』が放つ紫色の瘴気に、シリウスやゼノヴィオスでさえも顔を歪め、後ずさる。だが、レガルドは、その邪悪な光の奥にある、宝石に宿った深い悲しみを、その金色の瞳でじっと見据えていた。

 彼は、震えるキルヴァンの肩に、大きな手をそっと置いた。

「キルヴァン、やれるか?」

 その声は、どこまでも穏やかだった。

「憎しみじゃない。あの宝石も、あの男も、そしてあの娘も……ただ、深い悲しみに囚われているだけだ。お前の炎で、その凍てついた心を、温めてやれ」

「……うん!」

 キルヴァンは、レガルドの温かい言葉に、恐怖を振り払うように力強く頷いた。


 彼は一歩前に出ると、暴走する『龍の涙』に向かって、そっと両手を差し伸べた。彼の小さな手から放たれたのは、攻撃のためではない、ただひたすらに温かく、慈しむような白金の炎。それは、まるで陽だまりのように、ゆっくりと宝石を包み込んでいった。

 キィィィン、と宝石が苦しげな悲鳴を上げる。キルヴァンの炎が宝石に触れた瞬間、その内部に、かつて愛し合いながらも引き裂かれた龍と人間の恋人たちの、悲痛な記憶が幻影となって浮かび上がった。続いて、師を失ったエリアスの孤独、娘の病への絶望、そして龍族への憎しみが、黒い渦となって溢れ出す。

 だが、キルヴァンの炎は、それら全ての悲しみを否定せず、ただ優しく、そっと包み込んでいく。まるで、「辛かったね」「もう大丈夫だよ」と語りかけるかのように。

 すると、禍々しい紫色の光は、徐々にその毒気を失い、本来の、月の光のような乳白色の輝きを取り戻し始めた。


 その隙を逃さず、レガルドが弱りきったリリアのベッドの傍らに膝をつき、その小さな手にそっと触れた。彼の掌から、古代竜の強大で温かい生命エネルギーが、穏やかな川の流れのように、少女の体へと注ぎ込まれていく。リリアの苦しげだった呼吸が、少しずつ、少しずつ、穏やかになっていった。


 そこへ、息を切らして、依頼主であるコーネリアスが駆けつけた。彼は、娘を抱きしめて泣きじゃくるエリアスと、輝きを取り戻した『龍の涙』、そして、その全てを静かに見守る「炎の一献」の仲間たちを、ただ呆然と見つめていた。

「コーネリアス様……申し訳……申し訳ございません……!」

 エリアスは、コーネリアスの姿を認めると、その場にひれ伏した。「どんな罰でも、お受けいたします!」

 だが、コーネリアスは、静かに首を横に振った。

「……もう、よい」

 彼は、エリアスの傍らに屈むと、その震える肩に手を置いた。

「君の師匠……我が義兄も、そして私も、愛する者を失う悲しみは同じだった。だが、私はその悲しみから目を背け、君は憎しみに囚われた。……憎しみでは、誰も救えんのだな。この宝石が、今、身をもってそれを教えてくれたようだ」

 その瞳には、深い悔恨と、そして確かな「赦し」の光が宿っていた。

「私も、君を、そして義兄を、もっと早く理解しようとすべきだったのかもしれん……すまなかった」

 老龍のその言葉に、エリアスは、ただ子供のように声を上げて泣き続けた。長年の憎しみの鎖が、解けていく音がした。


 一週間後、「炎の一献」の店内は、いつもの賑わいとは少し違う、穏やかで優しい空気に包まれていた。

 テーブル席には、コーネリアスと、すっかり元気になった娘のリリア、そしてこれから自らの罪を償うために自首するという、晴れやかな顔つきのエリアスの姿があった。

「さあ、お待ちどう。特製、『和解のハーブスープ』だ」

 レガルドが、三人のために、湯気の立つスープを運んできた。それは、龍の国の滋養に富んだ薬草と、人間の国の優しい野菜、そしてドワーフの国の滋味深い岩塩が、完璧な調和を生み出した、心と体を芯から温める一皿だった。

 三人は、そのスープを一口すする。その深く、そしてどこまでも優しい味わいに、それぞれの胸に去来する想いがあふれ出し、静かに涙を流した。それは、悲しみの涙ではなく、新しい明日へと向かうための、温かい涙だった。


 事件が解決し、またいつもの平和な日常が戻ってきた「炎の一献」。

 閉店後、ミレーユが楽しそうに笑った。

「私たち、まるで探偵団のようでしたわね」

「うん!楽しかった!次はどんな事件が来るかな!」

 キルヴァンが目を輝かせると、カウンターを磨いていたシリウスが、ジョッキをドンと置いて一喝する。

「冗談じゃねえ!俺はうまいビールが静かに飲めりゃ、それでいいんだよ!」

 レガルドは、そんな仲間たちの賑やかなやり取りを、暖炉の炎のように温かい目で見守りながら、静かに笑うのだった。

「炎の一献探偵団」の次の出番は、しばらくはなさそうだ。

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