第37話 悲しみの連鎖、薬草師の告白
「炎の一献」の大きなテーブルに広げられた羊皮紙の上で、三つの異なる場所から集められた情報が、一つの線として結びつこうとしていた。金目当てではない犯行、感情に共鳴する危険な宝珠、そして、異種族間の結婚が生んだ過去の確執。だが、まだ決定的なピースが足りなかった。
「……キルヴァン君」
ミレーユは、思考の海から顔を上げ、テーブルの隅で小さな体を丸くしていたキルヴァンに、優しく声をかけた。
「あなたが現場で見つけた、あの甘い香りのする種……もう一度、よく思い出してみて。どこかで、その香りや形に見覚えはない?」
キルヴァンは、ミレーユに促され、目を閉じて一生懸命に記憶を探った。厨房のスパイスの匂い、森の木々の香り、市場の喧騒……そして、ふと、一つの記憶が閃光のように蘇った。
「あっ!思い出した!これ、グレンさんがこの前、怪我した時にゼノヴィオスのおじいちゃんが使ってた薬草と、同じ匂いがする!」
その言葉に、ゼノヴィオスがハッと目を見開いた。彼はすぐさま書庫へと向かい、一冊の古びた薬草図鑑を手に戻ってきた。そして、キルヴァンが見つけた種と図鑑の挿絵を注意深く見比べる。
「……これか。間違いない」
ゼノヴィオスの声には、確信と、そして僅かな驚きが混じっていた。
「この種は、『魔眠草』。特定の薬草師の一族にのみ、その栽培法と使い方が伝わる、極めて珍しい植物じゃ。その名の通り、強い催眠効果を持ち、特に魔力で動く植物や生物の五感を、一時的に完全に麻痺させることができる」
「宝物庫を守っていた、魔術植物……!」ミレーユが声を上げる。
「うむ。これを使えば、警備を無力化し、音もなく侵入することが可能じゃろうな」
キルヴァンの純粋な発見が、犯行の手口を解き明かす、最後の鍵となったのだ。
全てのピースが、揃った。
ミレーユは、ペンを手に取ると、相関図の中心に、一つの名前を書き加えた。
「犯人は、コーネリアス様の亡き奥様の兄君……その元弟子であった、人間の薬草師、エリアス」
彼女の静かな声が、店内に響き渡る。
「彼は、師匠が妹を龍族に奪われた末に失意のうちに亡くなったことを、コーネリアス様のせいだと逆恨みしていた。そして、彼には……龍族特有とされる『魔力過敏症』に苦しむ、リリアという一人娘がいます」
ミレーユは、一度息をつくと、続けた。
「彼の目的は、復讐ではありません。……いいえ、それだけではなかった。彼は、『龍の涙』が龍族の魔力を安定させるという効果を知り、娘の病を治すために、それを盗み出したのです。憎しみと、そして娘を救いたいという歪んだ愛情……それが、彼の動機」
あまりにも悲しい犯人の肖像に、一同は言葉を失った。
「だが、ゼノヴィオス殿の話が本当なら……」レガルドが、低い声で言った。「憎しみの心で『龍の涙』を使えば、力は暴走する。娘さんの病気を治すどころか……!」
「はい。恐らく、彼は今頃……」
ミレーユの言葉が終わる前に、レガルドは立ち上がっていた。
「ぐずぐずしている時間はない!行くぞ、みんな!」
グリュム・シティ郊外、打ち捨てられた古い教会。そこが、エリアスの隠れ家だった。
一行が、朽ちかけた扉を蹴破って中に踏み込むと、そこには地獄のような光景が広がっていた。
祭壇の上に置かれた『龍の涙』が、禍々しい紫色の光を放ち、まるで不気味な心臓のように、ドクンドクンと脈動している!その力に当てられ、小さなベッドに横たわる少女リリアは、苦しそうに胸を押さえ、か細い呼吸を繰り返していた。
「やめろ……やめてくれ……!これ以上、娘を苦しめるな!」
父親であるエリアスは、暴走する宝石の前にひれ伏し、なすすべもなく絶望の声を上げていた。彼は、ただ娘を救いたかっただけなのに、その憎しみが宝石の負の力を呼び覚まし、逆に娘の命を蝕んでいたのだ。
「レガルド殿!」
「おじさん!」
一行は、エリアスを捕らえるよりも先に、リリアの元へと駆け寄ろうとする。
「来るな!もう手遅れだ……!これは、龍族を憎んだ私への罰なんだ……!」
エリアスは、罪悪感と絶望で、もはや正気ではなかった。
「だが、娘には……リリアには、何の罪もない!」
彼は、最後の力を振り絞るように、一行に向かって叫んだ。
「頼む……!誰か……誰か、私の娘を……リリアを、助けてくれ……!」
その悲痛な叫びは、憎しみに囚われた一人の男が、ようやく取り戻した、父親としての魂の慟哭だった。




